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96.入替戦・第3試合

決戦を前に恵みの雨

翌朝、僕の肩には張りが残っていた。前日のバッティングピッチャーで、投げすぎたからである。
接戦が2試合続き、選手の疲れもピークに達していた。
特に休ませたいのはピッチャー陣。今や中5日があたり前の時代になり、球数を多く投げたあとの調整法は誰もが頭を悩ませる問題だ。
しかも、花田古岡は、2人とも完投している
野手の僕でさえ肩が張っているのに、全力投球をしてきた彼らが万全なはずはない。
「総力戦が予想される第3戦は、なんとか全員がベストの状態で臨みたい……」
そう思っていた矢先、天は僕らに味方した。
6月7日は雨模様だったのだ。
もちろん相手にとっても条件は同じだが、零封された湿りがちの打線の調整と、絶対的エース・花田の状態を限りなく100%に近づける意味では、恵みの雨だと解釈した。
入替戦そのものの流れが、専修大学に傾きそうな気配があっただけに、ここでリセットされるのは大きかった。

春のリーグ戦の集大成

6月8日。いよいよ運命の日を迎えた。まさに天王山の第3戦
勝利の女神はどのようなシナリオを用意しているのか、僕らには全くわからない。
天国か地獄か――。
究極の二択しかないこの戦いは、これからの野球人生においても大きな分岐点となるだろう。
昨日の雨が嘘のように晴れ渡った青空の下、試合開始を知らせるサイレンが高らかに神宮球場に鳴り響いた。
ゲームは序盤から中央のペースで進んだ。
第2戦は専修の前に沈黙した打線がこの日は大爆発。
リーグ戦で見たようなつなぎの野球でコツコツと得点を重ねると、先発の花田も要所を抑え、思い通りの打撃をさせない投球術を披露。
先日僕がバッティングピッチャーを務めた渡辺や久保もヒットを放ち、チーム一丸となって縦横無尽に躍動する。
まさに春のリーグ戦の集大成だった。

1部昇格への勝利の瞬間

ベンチの雰囲気。
サードのポジションから見るスタンドの光景
腕組みをしながら戦況を見守る監督
応援団と共に声援を送る両親
プレーのひとつひとつが脳裏に焼きついている。
   
僕の打順が1番に上がったこと。
相手のレフトが落球したこと。
みんなの声が嗄れていたこと。
まるで夢の世界に自分が立っているかのようだった。
   
回を重ねるごとに大きくなる声援。
得点するたびに沸くベンチ。
そして試合は8対3――5点をリードして9回を迎えた
大歓声に包まれながら最後の守りにつく。
   
最高の舞台をありがとう
空を見上げて、そうつぶやいた。
熱い気持ちを失いかけた僕が、今こうしてフィールドに立っている。
「1部復帰――」
何度もそう口にはしたものの、目標に向かう実感すらない日々を過ごしてきたのは、もう過去のことだ。
1球、また1球と、勝利が近づくにつれ、胸の騒めきを抑えきれなくなっていく。
そして遂に、最後の打者を外野フライに打ち取り、歓喜の瞬間が訪れた 。
「よっしゃー!」
仁王立ちの花田がいるマウンドへ集まる中央ナイン――。
一斉に立ち上がった1塁側のスタンド――。
抱き合ったみんなの温もり――。
今でもはっきりと覚えている。
「やった! 1部や! やったぞ!」
もみくちゃになり、瞳から流れるものを拭う選手はひとりもいなかった。

監督の捧げる感謝の気持ち

苦しかった道のりは、口では説明しがたいものがある。
1部復帰のためだけに、捧げてきたこの4年間。
目標がぼやけてしまった時期もあった。野球を続ける意味でさえ、ぶれていた時期もあった。
僕らはやるべきことがわかっていながら、現実から逃げていた。
そんな僕らを清水監督が変えてくれた。人は変われるんだと教えてくれたのは紛れもなく監督だ。
心の底から本気になれた。
広がった歓喜の輪の中には、悲願を達成したヒーローたちの弾ける笑顔と光る涙が、まばゆいばかりに輝いていた。
   
整列を終え、スタンドに深々と礼をした。
マネージャーの小岩井男泣きしている。
2部のマネージャーというだけで、随分と肩身の狭い思いをしてきたのだろう。1部と2部との分厚い壁を打ち破れない葛藤、それを自分の力ではどうにもできない歯痒さ。
苦悩の日々が胸に去来していたに違いない。
そしていよいよ清水監督の胴上げが始まり、盛り上がりは最高潮へ。
この監督を男にすると臨んだ、このリーグ戦。
就任からわずか3ヶ月での昇格に、監督の表情も崩れた。
「オマエら、色々支えてくれてありがとう。本当にありがとう……」
礼を言いたいのは僕らだというのに、監督の寛大さには頭が下がる思いだった。

中央に来て本当によかった

1部復帰は21季ぶり、実に10年以上におよんだ2部生活に終止符を打った。
中央大学に関係する全ての方々が、この瞬間を待っていた。
低迷期を過ごしてきたOBの方々が、祝福の声をかけてくれたのが何よりも嬉しかった。
大阪から応援に来てくれた両親も笑みを浮かべる。
   
――♪
草のみどりに風薫る
丘に目映き(まばゆき)白門を
慕い集える若人が
真理(まこと)の道にはげみつつ
栄ある歴史をうけ伝う
ああ中央 われらが中央
中央の名よ光あれ
              ――♪
   
球場から出てきた僕らを待っていたのは、校歌の大合唱だった。
みんなの力なくしては、この瞬間を味わえなかったことを忘れてはいけない。
今日は思う存分、勝利の美酒に酔いしれよう。
1部に上がる来シーズンのことを考えるのはそれからでいい。僕らは歴史を変えたのだ。
「10年ぶりに1部に上げた代です」
そう胸を張って生きていける。
「俺は日本一の幸せ者や……」
寮に着き、そして喜びをみんなでわかち合った。
うまい酒を飲むのは本当に久しぶりだ。
上下関係など、この際どうでもいい。中央らしく、明るく楽しくやればいい。
中央に来て本当によかった。みんなホンマにありがとう」
歓酔の祝勝会は、朝まで続いた。

97章につづく

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