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92.初めてのホームラン

移動中のバス内のようす

ここで、リーグ戦中のバスでの出来事を紹介したい。
中央大学では、上級生が優先的に窓際の席に座り、2年生は3年生の隣、1年生は補助席に座るのが暗黙のルールだった。
目立ちたがり屋の僕は、一番前の席を陣取り、どんと構えて座るはずだった――。
しかし、それはできなかった。 3年生になった慎之助が、なぜか僕の隣を占領していたのだ。
「おいよ、なんで隣に来るねん、窓際行けよ」
「おいよじゃねえよ、別にいいじゃねえかよ」
僕が言ったところで、素直に聞く性格ではない。
寝ようとしたら起こされるわ、寝たかと思えばもたれかかってくるわで、てんやわんやの車中となった。
他の4年生がゆったりと座る中で、僕はただ1人狭い思いをしながらバスに乗っていたのである。
反対側の窓際にはキャプテンの渡辺、その後ろに花田――。
僕の周りにいつも騒がしいメンバーが集まるのは気のせいだろうか。
渡辺は1年生からずっとショートのポジションを守り続けている。
彼の守備には幾度となくチームが救われ、甲子園ボーイが集まるこのまとめづらい状況で、キャプテンを務める統率力もある。
東都大学野球では、キャプテンの背番号は「1」。この1番を中心に、チームはさらに団結していったのである。

勝ち点を落とす瀬戸際

第3節の拓殖大学戦は、前節の勢いをそのままに、13対7、7対6と連勝し、この時点で勝ち点3
堂々の首位に躍り出た
そして迎えた第4節の東京農業大学戦――。
しかし初戦を3対0で落としてしまい、暗雲が立ちこめる。
2戦目は5対3で勝利したものの、楽に勝てるというイメージがあったせいか、何かしっくりとしない。東京農業大学の粘りも気になる。
迎えた3戦目も、7回を迎えたところで1対0とリードを許していた
「まさか農大相手に勝ち点を落とすなんてことはないやろか」
余裕はしだいに焦りに変わり、なんとも重い空気が漂い始めた。
7回の中央大学の攻撃。
このあたりで追いついておかないと、真面目にヤバい。
「ヒットでもフォアボールでも何でもいい。どんなことがあっても塁に出てチャンスメークするんや」
先頭バッターの僕の役割は、はっきりとしていた。

起死回生の同点ホームラン

気合い満タンで打席に向かう僕を、清水監督が呼び戻した。
僕が塁に出るか出ないかの意味は、この試合においてかなり重要である。
その状況を確認するために呼び戻されたと、僕は思った。
ところが監督は、僕にこう告げたのである。
放り込んでこい!
……キョトンとした。
僕は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたに違いない。生まれて初めて受けたアドバイスだった。
「なんの冗談やねん」
この僕にホームランを期待するのはどうかしている。
腑に落ちないまま打席に向かった。
バッターボックスから再度ベンチに目をやると、監督が薄ら笑いを浮かべている。
「とにかく来た球を強く叩くだけ。余計なことは考えたらあかん」
そして、東京農業大学のアンダースロー・黒田のスライダーが真ん中に入ってきたのを、僕は無心で思い切り振り抜いた
   
――カーン!
打球は高々とライト後方へ上がった。
「抜けろ! 捕るな!」
抜ければ長打コース。必死に走った。
1塁キャンバスを蹴り、2塁キャンバスの手前で打球を確認するためにライト方向に目をやった。
そのとき、全身が総毛だった。
「お、おい……ウソやろ…」
頭の中が真っ白になった。
ボールはライトスタンドで弾んでいた
一瞬、何が起きたのか把握できなかったが、審判を見ると手はぐるぐる回っている。
やっと事態が飲み込めた。
ホームランや!
ダイヤモンドを回りながら、何度も拳を握りしめた。
3塁ベンチに向かって雄叫びを上げ、ベンチに戻ってからは歓喜のハイタッチに酔いしれた。
起死回生の同点ホームランが飛び出したのである。

本塁打までの道のり

確かに、もしかしたら、そのうちホームランが打てるかもしれないという予兆はあった。
前節の拓殖大学戦で、ライトフェンス直撃の3塁打を放ち、あと10センチでスタンドインしたのにと悔しがったことがあったからだ。
しかし、そしてその直後に、石垣が放ったレフトへの特大ホームランで、僕の長打の余韻はかき消された。
「ホームランはこうやって打つんだよ」
まるで彼が僕にそう忠告しているかのような当たりだった。
ベンチに戻った僕に、みんなの冷やかしが待っていた。
「オマエ打ったとき、入ったと思ってスピード緩めたやろ」
「貧打やねんから、入るわけないやん」
全てが図星であった。
もちろんホームランなど狙って打てるものでもない。
僕のようなつなぐことが身上のバッターなら、なおさらだ。
「この俺がホームランなんてあり得へん。自分らしくコツコツ当てていくだくや」
そんなふうに心に決めていた。
練習では調子を落とさないように、1球1球を大切にして打っていた。
確かに絶好調だったのかもしれない。
まさか全てを知っていた監督が、僕のホームランを予感していたというのか。
「なんとなく打ちそうな気がしたんや」
監督はさらっと言いのけたが、その選手のコンディションを把握する確かな洞察力に身震いがした。
何はともあれこれで同点。結局その後、両チームとも得点がないまま試合は終了。
勝ち点を落としかねない大事な1戦で、引き分けに持ち込んだ。僕の一発がなければ負けていたのだ。
高校時代ですら打ったことがないホームラン――。
一生打てないだろうと思っていた。それが大事な場面で飛び出した。
国士舘大戦の藤原といい、このリーグ戦での中央には神がかり的なことが起きていた。

93章につづく

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