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9.親元を離れPL学園入寮

PL進学へ不安は募るばかり

引退した僕は、いよいよ始まる高校野球生活に気持ちをシフトした。
秋から翌春にかけては、自主トレの毎日だった。
「果たしてPLの練習についていけるのだろうか……」
持久力がないのが、何より心配である。また、上下関係や寮生活は、想像を絶するくらい厳しいと聞いている。
「先輩に殴られたりしないだろうか……洗濯はできるのだろうか……」
ホームシックになる人もいるらしい。
不安な気持ちは、大きくなるばかりだった。
受験の日、大阪在住の選手が初めて顔を合わせた。すでに顔馴染みの選手もいる
交流をはかるものの、みんなレギュラーを争うライバル同士だ。
各チームの主力をはっていた選手ばかりで、血の気も多い。頭の悪そうな集団がひとつの空間に固まっていて、異様な雰囲気を漂わせていたのが印象的だった。
ただ、当時のPL学園は、受験に限っては学力が問われなかった。
「21カ条のPLの教え」を丸暗記すれば、それだけで合格。英語や数学なども受験科目だったが、おまけみたいなものだった。

勉強は授業に集中して覚えた

自慢になるかもしれないが、僕はそこそこ勉強ができたと自負している。
通っていた私立の中学校でもトップ5には常に入っていたし、英語や社会に関しては偏差値が70を越えていた。中間テストも期末テストも、ほとんど学年のトップだった。
特に家で勉強していたわけではないし、塾に行っている暇などあるわけがない。
宿題は基本的にやらないことが多く、先生に怒られたり、またやったとしても、授業が始まる直前の休み時間に友達のノートを丸写しするぐらいだった。
どうしてもやらなければいけない宿題が、夜遅くにまで及んだときがある。
母親が僕の部屋に入ってくるやいなや、こう言った。
「あんた、ええ加減にしときや。何時やと思てんの、はよ寝なさい」
勉強して怒られるのは、広い日本を探しても、うちぐらいである。
こんな環境で、なぜ成績がよかったのかは自分でもよくわからないが、授業は真面目に受けていた
とりあえず、先生が黒板に書いたことをノートに写し、家に帰ってから復習して覚える――そういうことが、野球をしていたせいで僕にはできなかった。
授業の中で覚えるしかないから、集中して受けていただけだった。この集中力は間違いなく野球で培ったものだ。
結局は、勉強そのものが好きだっただけなのかもしれない。しかし野球もそうだが、自信の積み重ねこそが、人間が成長できる一番の要素だと、僕は考えている。

入寮日前日の寂寥感

ライバルたちとの顔合わせも終わり、入寮の日が近づいてきた。
自主トレにも熱が入る。体も一回り大きくなったようだ。
「やるべきことはやった」
あとはその日を待つだけだった。
入寮前日、伸びた髪の毛をバリカンで丸め、家族で外食をした。色々な会話があったはずだが、あまり覚えていない。
不安や寂しさで胸がいっぱいになっていた。何とも言えない空気が僕ら家族を包んでいた。
母親との約束を守るため、レギュラーになって甲子園に行く
それだけは、ちゃんと伝えたような気がする。

いよいよPL学園に入寮

入寮の日、富田林市にあるPL学園に向かう車中、僕は後ろの座席で泣いていた
ハンドルを握る父親も、助手席にいる母親も、隣の弟も言葉が出ない。
「親元を離れることは、こんなに辛いことなのか……」
できれば引き返して、家に帰りたかった。
やがて、人差し指を天に向けている様子をデザインしたとされるPLの塔が見えてきた。
「もう、すぐそこまで来ている……」
あえて母親との約束を思い出し、腹をくくった
「もう大丈夫。いっちょやってくるわ」
寮に着いたのは夕方だった。
さっそく両親と離れ、入寮式をした。それが終わると1年生はひとつの部屋に集められ、「指導員」と呼ばれる3人の2年生の先輩から、してはいけないことや決まり事などの説明を受けた。
絶対してはいけないことの3ヵ条は、嘘、ケンカ、陰口である。
決まり事は多すぎてとてもじゃないがここでは書ききれない。徐々に紹介していきたいと思う。

10章につづく

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