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86.自由さが中大の真骨頂

中大野球部の良さは自由

上級生での生活も板についてきた。
この時期から、4年生と急に仲が良くなったような気がする。
部屋で朝まで飲んだり、麻雀をしたりすることがあると、誘ってくれるのがすごく嬉しかった。
特に黒田さんとは本当に親しくさせていただき、PL時代に激しい上下関係で育ってきたのが嘘のようだった。
「親しい仲にも礼儀あり」
このルールさえ守っていれば、よかったのだ。
毎年4年生はベテラン扱いされ、若い動きができなくなってくる。
それをいいことに、僕はあろうことか黒田さんのことを「じじい」と呼んでいた。あり得ないかもしれないが本当の話である。
まだまだ4年生との絡みはある。
僕の髪は癖毛なのだが、ストレートパーマをあてろと冷やかされたこともある。
悔しいから本当にしてみたら、結構自分でも気に入ってしまった。
「伸ばせるとこまで伸ばしてみよう」
髪はどんどん長くなり、憧れのサラサラヘアーに喜びを隠せないでいた。
おいよ、サッカー選手じゃねえんだから早く切れよ」
慎之助もこのように絡んでくるほど、僕の髪は伸びていた。

流行り言葉の発信源

僕らの仲間うちでは、「おいよ」という言葉が流行っていた。
これは僕があみだした言葉で、おもにツッコミを入れるときに使い、構って欲しい場合や、イタズラに声をかける意味でも適用できる。
単に「おい」と声をかけてしまうと、相手を威圧してしまう可能性がある。ただでさえ言葉に威力のある大阪弁なら、なおさらだ。
これを普段でも使えるように僕がリニューアルしたところ、後輩たちもこぞって使い始めたのである。
他には「ベリー」という言葉も、僕が流行らせた。「VERY GOOD」や、「VERY MUCH」のように、本来英語では副詞の「ベリー」の次には、必ず形容詞が続くのだが、あえて「ベリー」で終わらせるのだ。
おいしい料理を食べたときも「ベリー」、最初の一杯目のビールを飲んだときも「ベリー」、ヒットを打ったときも「ベリー」、あらゆる状況で使えてしまう魔法のような言葉なのだ。
この2つの言葉は、いまだに僕も後輩たちもよく使っている。
今思えば3年生の頃が一番楽しかったかもしれない。まとめ役は4年生に任せ、雑用は下級生がやる。
何をしても怒られないので、好き放題に暮らしていた。

秋のリーグ戦開幕

夏の終わりに、北朝鮮がテポドンを三陸沖に打ち込んできた。そのことで、世間では有事の際の議論が白熱していた。
そんな喧騒をよそに、秋のリーグ戦が始まった。
いつもはダラダラしている選手も、公式戦となると、別のスイッチが入るから不思議である。
それは専ら僕のことを指しているのだが……。
まともに練習して気持ちをしっかりと持てば、プロに行ってもおかしくない選手はゴロゴロいた。
大学野球も残すところあと3シーズン。「戦国東都」で1部を経験しないまま大学野球生活を終えたくない。
中央大学を支えてきたダブルエースの鈴木さん(当時キャプテン)と、花田は安定感を増し、久保(観音寺中央)や慎之助を中心とする打線も破壊力があった。
十分に優勝を争える実力があっただけに、テポドンに異議を申し立てる人たちと同様、僕らも1部昇格に熱が入っていた。

87章につづく

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