トップページ

84.捻挫を乗り越えて

早朝練習の代償

早朝練習の日。
アップとキャッチボールを済ませ、ノックに入った。
1、2塁間のゴロを懸命に追ってワンハンドキャッチ。反転して1塁へ送球しようとしたとき、それは起こった……。
――グキッ!
僕はその場にうずくまった。
右足からは激痛が伝わってくる。自分で立ち上がれない。
それに気づいたら、脂汗が出てきた。
振り向きざまに投げようとしたときに、右足を捻ってしまったのだ。
学生コーチに担がれ、ベンチに腰を下ろした。足はみるみるうちに腫れ上がっていく。
それは、誰の目から見ても、ただ事ではないとわかるほどだった。
患部にアイシングをして、すぐさま病院に向かった。
幸い骨に異常はなかったが、重度の捻挫と診断され、ドクターの口から「全治1カ月」と通告された。
足首をギブスで固定して、松葉杖生活を余儀なくされたのである。
「言わんこっちゃない、なんでこんな時間に練習せなあかんかったんや」
怒りの言葉が監督に届きそうなほど、僕は声を荒げた。
確かに僕の不注意なのかもしれないし、準備運動不足だったのかもしれない。
ただ、こんな朝早くから普段にも増して激しい練習をするのは、どう考えても腑に落ちなかった。
あと1カ月も経つと、リーグ戦が始まってしまう。このままでは、つかみかけたレギュラーどころか、メンバー入りさえ危ない。
僕は絶望の淵に落とされた気分だった。

捻挫を治せる名医を訪ねて

翌日、僕は名古屋行きを決断した。
PLにもちょくちょく来られていた有名な先生がいるからだ。
「ギブスで固定するのは、筋肉が落ちてしまうから、なるべくしない方がいい」
そのようなことを、先生から聞いたことがあった。
プロ野球選手のみならず、数多くのアスリートの体をケアする「神の手」の持ち主だ。
情報をかき集めると、先生を知っているみんなが、このように口をそろえる。
捻挫なんか一発で治るで」
タイミングよくチームの浜松遠征と重なり、その期間を利用して、藁にもすがる思いで名古屋へ向かった。
「せっかく名古屋まで行くんやったら、そのまま大阪まで足を延ばしてゆっくりしてこいよ」
マネージャーや、4年生にも気をつかっていただいた。
ついでに大阪へ帰れと言うやさしさが、傷心して落ち込んでいる僕には身にしみて有り難かった。
「それでは遠慮なく帰らせていただきます」
迷うことなく、僕はそう答えた。

捻挫が治った奇跡の体験

新幹線、地下鉄、タクシーを乗り継いで、先生のもとに到着した。
「お久しぶりです。覚えていらっしゃいますか?」
「おう、遠いのによく来たな。早速、ギブスを外してやるよ」
この先生のひと言で、笑顔で帰ることができると確信した。
――ウワサはホンマやったんや。この先生なら、きっと治していただける!
ギブスを取ると、先生は患部に手を当てた。
「結構捻っただろ」
「は、はい……」
「一瞬だけ痛いから我慢しろ」
「??……」
   
―――グキッ!?
「よっしゃ、これでよし。歩いてみろ」
少しだけ痛みは走ったが、果たして治っているのか自覚がなかった。
とりあえず言う通りにすると、痛みは消え、真っ直ぐに歩けるではないか。
僕は何が起こったのか、全く理解できなかった。
「ジャンプしてみろ」
「は、はい……」
さすがにジャンプは怖かった。しかし、恐る恐る飛んでみると、普通にできた。
「あ、あ、あ、ありがとうございます!」
「ハッハッハ、まだ少し痛みが残るだろうから無理するなよ」
ほんの10分くらいの出来事だった。
しかも、痛みがひいたら練習をしてもいいと言うのだ。
さっきまで松葉杖をついていた男が、悠然と2足歩行で帰る――。
信じられない体験をさせていただいた。

85章につづく

トップページ

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、 でお送りください。