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83.夏休みの猛練習

練習とW杯で進まない勉強

春のリーグ戦が終わり、3年目の学校生活が本格的にスタートした。
プレッシャーから解放され、昼間の練習に出る機会が増えたせいで、あまり授業を受けられなかった。
クラスメートとの交流は継続していたが、卒業に向けて、単位の獲得をそろそろ本気で考えなくてはならない時期に直面していた。
しかし、6月10日からサッカーのワールドカップ・フランス大会が開幕し、勉強どころではなくなってしまった。
ワールドカップ本戦初出場の日本では、異常なほどの盛り上がりを見せていた。
多くのサポーターが現地へ観戦に行くツアーに申し込んだが、チケットが届かず、社会問題にまで発展していた。
14日のアルゼンチン戦、20日のクロアチア戦と、日本はともに0対1で敗戦。26日のジャマイカ戦は、中山雅史選手が記念すべきワールドカップ日本人初ゴールを決めたが、試合は1対2で敗れた。
結局、日本代表の初勝利は、4年後の日韓大会に持ち越されることになったのである。
大会は、ジダン選手の活躍で、地元開催国のフランスが3対0でブラジルを下し、初優勝した。
「野球にも、こんな世界的な大会があればおもろいのに」
野球人の誰もが、当時そう思っていたはずである。
しかし、その願いがWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)としてかなうのは、8年後の2006年のことである。

野球への情熱が復活気配

なんとか前期試験を終え、僕たちは夏休みに入った。
プロ野球では、「ハマの大魔神」こと、リリーフの佐々木主浩投手が活躍する横浜ベイスターズが躍進を遂げていた。
また、千葉ロッテマリーンズが、18連敗というプロ野球記録を樹立し、口さがないファンから「松坂のいる横浜高校より弱い」と揶揄されていた。
夏休み直後に行われた参議院議員選挙では、前年の消費税引き上げなどによる景気の後退が一因となって、自民党が惨敗した。
僕にとっては初めての投票。「大人になったんだな」と、なんとなく嬉しかったのを覚えている。
この惨敗をうけて、橋本龍太郎内閣は総辞職、代わって7月末に小渕恵三内閣が誕生した。
また、和歌山市の夏祭りで供されたカレーにヒ素が混入されていて、4人が死亡したというニュースがひっきりなしに流れていた。
僕らの知らないところで、時代が目まぐるしく動いているようだ。
そんな不穏な時代の空気を肌で感じながら、僕らは野球の練習に精を出していた。
すべては1部に昇格するための猛練習だ。
この頃の僕は、出場機会を求めてセカンドの練習をしていた。
春のリーグ戦で、途中出場ながら、それなりの結果を残したことによって、周りの見る目が少しずつ変わりはじめていたのだ。
「おう、いなきち、復活したか」
「オマエが出たら盛り上がるよ」
4年生からの信頼も厚かった。
あわよくばレギュラーになれるかもしれない状況で、少しずつ僕のやりがいが復活していった。

セレクション日の早朝練習

中央大学では、8月上旬に2日がかりのセレクションを行う。
夏の甲子園の地方予選で敗退した高校生が、進路先を求めて集まってくるのだ。
例年、グラウンドはセレクション生が使う。
そのため、僕らは手伝いでバッティングピッチャーをしたり、空いている時間は雨天練習場で汗を流したりと、やることが限られた。
しかし、この年に限って、突然早朝に練習することになったのだ。
普段はまだ寝ている時間にハードな練習をするのは、いささか危険である。
文句をいう選手がほとんどだったが、1部昇格のためと言われれば仕方なくその方針を飲むしか選択の余地はなかった。

84章につづく

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