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82.開幕した春のリーグ戦

PL時代の恩師の勇退

球春が到来した。
センバツ高校野球では、松坂大輔擁する横浜高校が、関大一を3対0で下し、紫紺の優勝旗を手にした。
その横浜と準決勝で対戦して、2対3の僅差で惜しくも負けたPL学園は、ここでひとつの時代の幕を下ろすことになる。
実働19年間で甲子園に出ること16回、春夏合わせて6度の全国制覇を達成し、重ねた勝利数は58――。
名将・中村順司監督が、この大会で勇退したのだ。
心から「お疲れさまでした」と伝えたい。

同部屋全員が活躍した思い出の試合

春のリーグ戦が開幕した。
大学に来て5シーズン目。いい加減、2部での生活に飽きてきた。
僕の指定席は変わり、ベンチの一番奥になっていた。PLの先輩・黒田さんの隣に座って出番を待ったのである。
味方が攻撃のときは3塁のコーチャーズボックスに入り、檄を飛ばした。
部屋子の慎之助杉本は大車輪の活躍を見せ、部屋長としとも鼻が高かった。
ホームランをかっ飛ばしたときには、3塁ベース付近でハイタッチをして喜んだ。
僕にとって忘れられない試合がある。
それは、東京農業大学のグラウンドで行われた拓殖大学戦で、慎之助と杉本がアベックホームランを放った日のこと。
2点リードのまま終盤を迎えたが、ベンチ内にはチャンスであと1本が出ない嫌なムードが流れていた。
僕は途中から試合に出場し、息づまる展開にやきもきしていた。
8回1死、僕にとっての初打席が回ってきた。
レフト前ヒットで出塁すると、すかさず盗塁を決めて2塁へ。
次の投球の間にも3盗に成功し、打者の打ち上げた浅い外野フライタッチアップして生還するという「走攻」を見せたのだ。
ベンチのみんなが笑顔で僕を迎えてくれた。
「オマエの1点だよ」
「ナイスラン!」
この1点がダメ押しとなり、この試合に勝利した。
同じ部屋の2選手がホームランで活躍し、僕自身もチームに貢献できた。
久しぶりに味わう達成感だった。
まさに「309号室」の日になった、思い出の試合である。

優勝決定戦で敗北

昨秋の入替戦に破れた東洋大学が2部に落ちたせいで、リーグ戦は昨年以上に混戦状態になった。
自力優勝が消えたり、復活したりと、慌ただしく順位が入れ替わっていった。
頭ひとつ抜け出すチームが現れず、中央・国士舘・東洋・東京農業の4大学が、なんと勝ち点3で並んだまま日程を終了した。
この中から、勝率の差で中央大学国士舘大学が同率で首位になり、優勝決定戦を行われた。
入替戦への切符をかけた大一番である。
しかし、この戦いに8対4で敗れ、僕らは優勝を逃してしまった。
昨年の春に続き、あと一歩のところで涙を飲んだ。
結局、入替戦は1部6位の青山学院大学が残留
東都リーグ春の陣は、僕らにとってなんとも悪い後味を残して閉幕した。

83章につづく

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