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81.春のリーグ戦を控えて

長野五輪を観戦して

2月の半ばは、日本中が長野オリンピックの話題で盛り上がっていた。
スピードスケートの清水宏保選手やモーグルの里谷多英選手の金メダルなどに、国民は元気づけられた。
そして感動的な日の丸飛行隊のスキージャンプ・ラージヒル団体の金メダル
前回のリレハンメルオリンピックで伝説の失敗ジャンプをしてしまい、惜しくも銀メダルに終わった原田雅彦選手が、長野での雪辱に賭けていたことが本心から伝わってきた号泣の優勝シーンには、思わず胸を打たれ、もらい泣きした。
「今の俺に、これだけ野球に賭けられる情熱があるだろうか……」
自分の不甲斐なさを見せつけられたような気がした。
日本は金メダル5個の活躍で、盛況のうちに長野オリンピックは2月22日に閉会したのである。

若手主体の高知キャンプ

3月になり、高知キャンプに入った。
サード、セカンド、ファーストのレギュラーが引退したことによって、僕にもチャンスが回ってくるかもしれない。
しかし、一度野球から離れてしまった僕の気持ちは、先日の原田雅彦選手のようにうまく引き戻せるはずもなかった。
その結果、おのずと内野陣は若手中心の編成になってしまった。
オープン戦でも、僕の役割は変わらない。
代走と守備固め要員として、春のリーグ戦を迎えようとしていた。

ウマがあった阿部慎之助

ここで、1年から不動のレギュラーを勝ち取った阿部慎之助の紹介をしよう。
出身は千葉県浦安市浦安シニアから東東京の安田学園に進むも、甲子園の出場経験はなし。人懐っこい性格で、気は使わない。
僕はそんな彼とウマが合った。
部屋では1年の杉本、2年の慎之助、そして3年の僕が順番に起きるわけだが、リーグ戦の日は目覚し代わりに音楽をかけて僕を叩き起こす。
「もう少し寝かせろよ」
僕が布団にうずくまると、ボリュームを最大にして寝かせてくれない。
当然周りの部屋から苦情が来るわけだが、まさか部屋子の2人が上級生に対してそんな真似は絶対しないと思い込んでいるので、結局僕が怒られる羽目になる。
慎之助は、寝てたら寝てたで寝相が悪く、何回も蹴られたことがある。
今考えると「無茶苦茶だったな」と、思い出し笑いをしてしまうほどだ。

慎之助のご尊父は中大OB

慎之助は、父・東司さんの影響で野球を始めた。
東司さんは、習志野高校時代に掛布雅之とクリーンナップを組み、大学時代は東都リーグ戦1部優勝を経験したこともある中央大学のOBだ。
その現役時代は、相当怖かったと聞いている。
慎之助がケガをしたときにも、僕に会うや開口一番こう言い放った。
「おい、オマエの部屋に塩でも撒いとけ!」
東司さんの口調は、いつも全快だった。ある日、試合前に東司さんに呼ばれたときのこと。
「オマエ、手ぇ見せてみろ」
神妙な顔つきでこう聞かれて、僕は凍りついた。
毎日浮かれた生活をしていて、素振りなどしているはずがない。素振りでできる手の平のタコが固くなっていなかったら努力をしていない証拠だ。
ハッとした僕は、怒られる覚悟を決めて手の平を見せた。
「なんだよこの手。全然タコができてねえじゃねえかよ。そんなんだからダメなんだよ」
手をさすられながら、案の定怒鳴られてしまった。
これは努力をしていない僕が悪い。何を言われても仕方がなかった。
しかし、異変に気づいたのはこの直後である。手の平をさすっているはずの東司さんの手が、僕の親指に触れていた。
頭の中はクエスチョンマークだらけだ。
すると東司さんは、笑顔混じりにこう続けた。
「麻雀やるなら、タコができるまでやらなきゃ」
「……は、はい」
僕は呆気に取られ、そう返事をして思わず言葉を呑み込んだ。
賭博行為は一切していなかったが、どうやら寮で麻雀をするのは昔からの伝統だったらしい。
指にタコができるぐらいに東司さんもハマっていたようだ。
要するに、「同じやるならとことんやれ」ということを伝えたかったのだろう。
心臓が止まりそうな思いをして損をしてしまったが、今となってはいい思い出である。

82章につづく

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