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79.秋のリーグ戦を終えて

4年生が引退

全日程を終えた4年生の引退に際し、寮の食堂では納会が行われた。
無念の表情を浮かべた4年生から、新チームに向けての想いが託される。
最後にみんなで花道を作り、そこを4年生が通っていく。
送る方も送られる方も、涙が止まらない。
同部屋だった小島さんをはじめ、落ちこぼれた僕を励ましてくれたり、食事に誘ってくれたりと、この代の先輩方にも、とても可愛がっていただいた。
感謝の言葉は尽きない。心からお礼を伝えたい。
「4年間お疲れさまでした。そして、ありがとうございました」

2年生同士の大宴会

納会を終えたら4年生と3年生吉祥寺へ、2年生は隣駅の多摩センターへ、それぞれ2次会に出掛けた。
僕らの学年が外で集まるのは、初めてのことである。
仲が悪いわけではなかったが、いくつかのグループがあったし、下級生同士が食事にいく機会があまりなかった。
もうすぐ上級生になるということで、僕らの代もそろそろ心をひとつにしていかなければならないと考えた僕が発起人となり、みんなを誘った。
まさか全員が参加してくれると思っていなかったので、天にも昇るような嬉しい気持ちになった。
和食屋の座敷を占領し、みんながそれぞれ意見をぶつけあった。
時間が進むにつれ、みんなと打ち解けてきたころ、思いもよらぬ光景を目にした。
お互いに肩を組み、中央大学の校歌が自然とわきおこったのだ。
普段は物静かな者も、シャイな者も、この場では関係ない。
周りの客も巻き添えにしてしまうくらいの一体感が、その場を支配した。
ただの同期生という位置づけから、最高の仲間として認め合った瞬間だっだ。
みんなの弾けた姿を見て、とても嬉しかった。みんなの笑顔が今でも忘れられない。
「中大、最高!」
「絶対1部行くぞ!」
「また集合しようぜ!」
深夜にまでおよんだ結びの会は、大成功のもとに閉幕した。この仲間で絶対にいい思いをしたい。みんなとならそれができるはずだ。
一致団結した僕らは興奮冷めやらぬなか、野猿街道を西に歩いた。

倒れそうな野球への情熱

秋の「解散」が終わり、4年生は退寮した。
上級生になれる1月までの間は、2年生同士の部屋になる。僕は北海高校の渡辺と一緒になった。
3階建ての野球部寮の1階部分は、食堂、風呂、洗濯室、監督室、マネージャー室があり、寮生は2、3階に住む。
その3階の一番端、「309」号室が、僕らの部屋だった。
今まで先輩と同じ空間で生活していたので、部屋が替わって気が休まった。
1997年も、余すところあとわずか。
プロ野球はヤクルトが西武を倒し、日本一になった。
ワールドカップ・フランス大会の予選では、マレーシアのジョホールバルで日本代表がイラン代表を倒し、初の本戦出場を決めた。
三洋証券の破綻にはじまり、北海道拓殖銀行山一證券と、金融機関が次々と倒産していった。
そう、この年の世相を表す漢字一文字は「」だった。
僕も、野球に対する情熱が倒れそうなのである。
長年の目標である1部昇格への道は険しい。
冷たくなった風に当たると、虚しさだけが込み上げてくる。
「来年はどんな年になるんやろう……」
楽しむ姿が想像できないまま、あっという間に師走が終わった。

80章につづく

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