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78.混戦の秋のリーグ戦

秋のリーグ戦が開幕

1997年秋のリーグ戦が開幕した。
春の優勝を引っ提げて、僕らは再び1部復帰へ向けての戦いを開始する。
国士舘大学の古城茂幸(現巨人)、国学院大学の渡辺俊介(現ロッテ)、日本大学の吉野誠(現オリックス)など、2部の中でも注目される選手は多い。
実力は均衡し、どこが優勝するのか、戦局は全くわからない群雄割拠の様相を呈していた。

バスの中での掟

リーグ戦の日は、部員全員が寮の前に集合する。
4年生から順番にバスに乗り込み、一路神宮外苑へ。
2年生のうち1人は、点呼係として運転席の隣に座らなければならない。
大渋滞の中でも、もちろん寝ることができないので、誰もやりたがらない。
仕方がないので、メンバーに入った2年生の中からジャンケンで決めるしか方法がなかった。
メンバー外はブレザーに着替えて、電車で球場まで行かなければならないからだ。
第2球場に着いたら、バラバラにアップを始める。
神宮球場の周りをランニングしていると、他の大学の選手と鉢合わせになり、談笑したりする。
アップが終わったら球場の中に入り、試合が始まるというのが流れだ。
試合が終わると、またバスで帰る。
勝った日の車中は当然明るい。上級生の機嫌もよく、下級生でもタバコを吸わせてもらえる。
中央大学では下級生がタバコを吸うときに、こんなルールがあった。
「○○さん、1本失礼してもよろしいでしょうか?」
自分が座っている席の周りの先輩に、このように許可を取らなければならない。
負けた日はなんとなく雰囲気が重く、そんな場合ではなかった。

秋は日大が2部優勝

秋のリーグ戦の行方は、連覇を狙う中央大学が、日本大学と拓殖大学に勝ち点を落とし、早くも優勝戦線から脱落してしまった。
春の勢いはどこに行ったのか、6勝5敗で勝ち点3の成績で、結果は4位。屈辱的なシーズンになってしまった。
優勝にリーチをかけていた国士舘大学との最終戦で、目の前の胴上げを阻止するのが精一杯だった。
結果的には自力優勝が消滅していた日本大学が2部を制し、入替戦への切符を手にしたのである。

2部が昇格した入替戦

秋の入替戦――。
1部の6位は春と同じく東洋大学
僕らが束になって戦ったが、全く歯が立たなかった東都の名門である。
1部と2部の力の差を痛いというほど思い知らされた僕らの予想は、もちろん東洋大学の残留だった。
ところが、この戦いを制したのは、意外にも日本大学だった。
初めて1部と2部が入れ替わる瞬間を見た。
これが東都の怖さでもあり、醍醐味でもある。
僕らにも1部昇格の可能性があるということがわかって、ちょっぴり勇気づけられたのだった。

79章につづく

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