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76.春のリーグ戦の悲喜

年度が替わって

この年の4月1日から、消費税がこれまでの3%から5%に変更された。
それを見越して、3月末には駆け込み需要で、大型製品を中心に各商品が飛ぶように売れていた。
僕らも、値上げしてから購入するのはバカバカしいので、必需品を前もって買いそろえた。
センバツは、天理高校が4対1で中京大中京を破って優勝した。
この年のセンバツは、母校のPLは出場していなかったが、近畿勢が活躍し、ベスト8のうち5校を近畿のチームが占めた
プロ野球では、僕の好きな阪神タイガースが、前年最下位だった。今年は吉田義男監督に代わって、期待をしていた。
その阪神では、和田豊選手開幕から21試合連続安打のプロ野球新記録をマークしていた。
しかし、阪神は4番打者が不在で、苦戦していた。そこで、怪我で来日が遅れていたグリーンウェル選手をトレーニングもそこそこに起用せざるを得なかった。
出場からわずか8日後、自打球を当てて右足の甲を骨折した彼は、「野球をやめろという神のお告げ」と突然引退を宣言、まもなく帰国してしまった。
当時の吉田監督に「嵐のように来て嵐のように去っていった、つむじ風のような男だった」と言わしめたグリーンウェル。
僕らの中でもインパクトが強く、野球に真剣に取り組まない選手のことを、グリーンウェルとからかうのが一時ブームになった。

春のリーグ戦で2部優勝

4月上旬から始まった2回目の春のリーグ戦
中央大学は初っ端から快進撃を見せていた。
阿部慎之助が、1年生ながらレギュラーで活躍。しかし僕はというと、試合の状況を見てたまに途中出場があるくらいだった。
野次を飛ばすのは好きではないが、叱咤激励をするのは得意だ。精一杯、声でチームに貢献した。
この年のチームは、キャプテンの米沢さん(現関東一高監督)を中心に、よくまとまっていた。
僕の指定席は、ベンチの2列目の真ん中。代打要員の植松さんと一緒に、いつも戦況を見つめていた。
植松さんが代打に出るときは、僕の出番の合図でもある。出塁したら僕が代走で出場するからだ。
「植松さん、そろそろでっせ」
「おう、いなきち、オマエもダッシュしとけよ」
こういう会話が、試合の後半に繰り広げられていた。
監督に指示される前に、空気を読んで準備する楽しさ。控え選手同士、なんともいえないキズナが生まれていた。
昨年苦い思いをさせられた日本大学や国士舘大学からも勝ち点を奪い、終わってみれば10勝1敗で勝ち点5
12期ぶり7度目の2部優勝を飾るのであった。
2部とはいえ、やはり優勝は嬉しいものだ。
「この勢いで1部に昇格するぞ!」
僕らの雰囲気は最高潮に達していた。

入替戦の第1戦

初めて体験する入替戦――。
相手は東洋大学だった。
PLの同級生である前田辻田がいる。2人とも試合で起用され、それなりの結果を残していたようだ。
1部に上がるか、2部に落ちるか……。
まさに天国と地獄を分ける一戦。
たくさんのOBが駆けつけ、世紀の戦いを今か今かと待ちわびる。
応援団のエールの交換を行い、まもなくプレイボールがかかった。
試合は終始、東洋大学のペース。
慎之助がレフトポールに直撃するホームランを放つも、すかさず引き離されてしまうという重苦しい展開。
あと1本出ていれば、という場面が非常に多く、7対4で初戦を落とした
「勝てるチャンスがないわけでもない。明日は気持ちを入れ替えてやろう」
僕らは1部昇格に向けて、明日の雪辱を誓い合った。

夢が潰えた第2戦

心機一転で臨んだ2戦目。
1年生右腕・三浦貴(浦和学院→東洋大→読売→西武)の前になす術がなく、4対0のシャットアウト負けを喫した。
完全に勝つつもりで意気込んでいたのに、返り討ちにあった。これで1部復帰の夢は、まぼろしと消えた。
2戦を通じて感じたのは、点差以上のものだった。
東洋大学には、長年1部を守り抜いてきたというプライドがあった。スタンドの応援も華々しい。
僕らは全てにおいて劣っていたのだ。
4年生にとって春に1部に上がれないということは、もうシーズンを通して神宮でプレーできないことを意味する。
秋のリーグ戦は、またまた第2球場で惨めな思いをしなければならない。
つかみかけた1部がまた遠退いた。僕らは「いい経験をした」では済まされない現実に絶望した。
こうして2部で優勝した歓喜よりも、初めての入替戦を負けて終えた落胆の方が胸に残った僕らは、沈んだ気持ちで長いリーグ戦休みに入ることとなった。

77章につづく

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