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73.秋のリーグ戦が終わって

秋のリーグ戦が閉幕

秋のリーグ戦がスタートした9月半ば、当時ロサンゼルス・ドジャースに所属していた野茂英雄が、対コロラド・ロッキーズ戦でノーヒット・ノーランを達成したというニュースが飛び込んできた。
しかし、そんな朗報を耳にしても、僕の心は晴れなかった
試合に使われ続けていたにもかかわらず、思うように結果を出せないままでいたからだ。
10月になるとチームも優勝の可能性が消え、力なく試合を消化していくだけだった。
結局、優勝したのは春に引き続き国士舘大学
中央大学は順位こそ2位だったが、先述のとおり優勝と最下位以外の順位は、さほど重要ではないのだ。
1部に上がるどころか、2部ですら優勝できない現実に、僕は無性に腹が立った。
「せっかく起用してもらっているのに……先輩方に申し訳ない……」
僕は激しい自責の念に駆られた。
ちなみに入替戦は、1部6位の立正大学が残留を決めた。
それを目の当たりにするにつけても、1部昇格までの道のりは嶮しいと痛感せざるをえなかった。
こうして秋のリーグ戦が閉幕したのである。

4年生の引退

4年生は1部への入替戦を経験できないまま、引退になってしまった。
引退の花道を飾れなかったことに、僕は相変わらず責任を感じていた。
本来であれば、1年生から見た4年生は、神様みたいな存在である。
ところが、僕はそんな状況を差し置いて、飲みに誘っていただいたり、行動を共にさせていただいたりするなど、付き人の山口さんをはじめ多くの4年生の先輩たちに可愛がっていただいた。
八王子に来る前は、野球部の合宿所は吉祥寺にあったのだが、それを知る最後の世代が当時の4年生だ。
「やっぱり吉祥寺でしょ」
昔の行きつけだったお店にも、よく連れていってもらったし、中央大学の歴史についてもよく話していただいた。
短い間だったが、一緒に過ごした日々は忘れない。心から感謝している。

ぼんやりとした空虚感

PLの同期生たちは1部でがんばっているのに、なんで俺だけ2部なんや……」
歯痒い気持ちは、日増しに大きくなるばかりだった。
2年生になっても仕事が減るくらいで、下級生という立場は変わらないと思うと、だんだん気が滅入ってくる。
僕は次第に気持ちが乱れ始め、野球に向き合うことができなくなっていった。
この先野球を続けるかどうかはわからないし、プロ野球選手になりたいとも思わない。
甲子園という夢を叶えてしまったために、いつしか目標を見失いかけていたせいもあろう。
心にぽっかりと大きな穴が開いたような虚無感に、僕は襲われていた。

自問自答の日々

街中では、「コギャル」と呼ばれる女子高生がうじゃうじゃしていた。
援助交際チーマーの出現など、この年は一気に日本の風紀が乱れたような気がする。
7月に開催されたアトランタオリンピックでは、ヤワラちゃんこと田村亮子がまさかの金メダルを逃し野球チームもキューバに敗れるという、不本意な大会になった。
年末にそんな暗いニュースばかりを思い返してしまうことが、この時期の僕の心境を表しているのではなかろうか。
そのアトランタオリンピックで銅メダルを獲得した有森裕子さんの発言が、流行語大賞に選ばれていた。
自分で自分をほめたい
僕が果たして野球で、そう胸を張って誇れる日がこの先くるのかどうか、とても不安になってくる。
それでも僕は野球をするためにここに来たんだと、なんとか気を取り直そうと努めていた。
こうして中央大学での1年目のシーズンは、あわただしく過ぎていったのである。

74章につづく

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