トップページ

69.春のリーグ戦スタート

春のリーグ戦開会式

慌ただしく毎日は過ぎ、いよいよ春のリーグ戦が幕を開けた。
僕は運良くメンバーに選ばれることができた。
背番号は「13」。高校時代に初めてつけた番号をチョイスした。
僕以外にも、観音寺中央・久保、柳川・花田、東海大相模・石垣、水戸商・大川、北海・渡辺の、合計6人の1年生がユニフォームを受け取った。
開会式は神宮球場
甲子園が高校野球の聖地なら、神宮球場は大学野球の聖地なのである。
東都リーグ1部から4部の大学が集結して、大がかりなセレモニーが行われた。
   
41期の稲荷です。よろしくお願いします」
PLの先輩を見つけると、このように挨拶しなければならない。
青学大、東洋大、駒大、亜大、拓大、東農大、立正大――。
東都の中だけでも、至るところに先輩がいた。
同級生の仲間も何人かはメンバー入りを果たし、再会を喜び合った。
開会式では、この年の夏に行われるアトランタ五輪の代表選手に選ばれた青学大井口忠仁さん(※資仁 国学院久我山高校出身 現ロッテ)と、東洋大今岡誠さん(PL学園出身 現阪神)の両名が紹介された。
半分挨拶まわりで終わってしまったが、こうして初めての開会式が終わった。

東都・1部と2部の距離感

大学野球は高校野球と違って、様々な決まりが緩和されていた。
何色のグローブを使ってもいいし、リストバンドバッティンググローブを使用してもいい。
日差しの強いときには、外野手はサングラスをしている。
最初のうちは、それがとても新鮮で眩しく映った。
僕が在学していた頃の中央大学のユニフォームは、ブルー&ホワイトのツートンカラー。
青いユニフォームも、白いパンツも、そして白いスパイクも、僕にとっては全てが初めての経験だった。
そのため、最初の方は違和感があったが、それも次第に慣れていった。
   
1996年当時の1部は、青山学院大学、亜細亜大学、駒澤大学、東洋大学、専修大学、立正大学。
2部は、中央大学、日本大学、国士舘大学、国学院大学、東京農業大学、拓殖大学。
   
1部の試合は、もちろん神宮球場で開催されるのだが、2部の試合は隣の第2球場で行われるのだ。
目と鼻の先にあるこの距離が、惨めなほど遠く感じていた。

リーグ初戦の日大戦

初戦は日大戦だった。
なんと、甲子園で対戦した日大藤沢鈴木監督が指揮をとっていた。
この試合は鮮明に覚えている。
途中まで優位に試合を進めてきた中央大学だが、後半追い上げられてリリーフに花田が登板。その花田がサヨナラヒットを打たれてしまい、負けてしまったのだ。
そのときの中大ベンチの意気消沈ぶりは、この世の終わりかと思わせるような状況だった。
結局勝ち点を奪われてしまい、僕らは優勝戦線から早くも脱落してしまった。

入替戦というシステム

大学野球は、一度負けてもやり直しがきく。
2回勝たないと、勝ち点1が生まれないのである。
6チームのリーグ戦なので、勝ち点5をあげれば、自ずと優勝だとわかる。
勝ち点が並んだ場合は、勝率で順位が決まる。
従って、勝ち点をとるために色々な作戦が立てられ、監督の手腕によっては、順位がすぐに変わってしまう。
エースを連投させる大学もあれば、1日おいて使う大学もある。
時には勝率にこだわらなければならない場面も、当然出てくる。
なぜ、そこまで勝ち点にこだわるのか――。
それは「入替戦」の存在である。
1部の6位2部の1位は、リーグ戦の日程が終了したあと、「入替戦」を行う。
1部の大学が勝ち点を取れば残留、2部の大学が勝ち点を取れば、1部に昇格することができるのだ。極端にいうと、優勝が不可能とわかれば、入替戦を避ける戦いになる。
はっきりいって優勝できなければ順位はどうでもいいのだ。
とにかく最下位にならなければいい。
それは、2部側から見ても状況は同じ。
ただ当時、2部と3部ではあまりにも実力の差が開いていたので、3部に降格するというリスクは小さかった。
だから、2部リーグの各校は、ひたすら1位になって、入替戦で勝つことだけを考えるのだ。
僕にとって初めての春のリーグ戦は、堀田さん(元巨人)などの活躍も虚しく、国士舘大学に優勝をさらわれた。
僕もところどころで試合に起用していただいたが、残念ながら目立った活躍はできなかった。

70章につづく

トップページ

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、 でお送りください。