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60.「ふくしま国体」が開幕

国体の出場枠

国体に出場できる高校は、全部で12校
その選考の基準となるのは、もちろん夏の選手権大会である。
まず、開催県の甲子園出場チームが当確で1校。
次に、甲子園で準々決勝まで勝ち残ったチーム8校が、原則として選ばれる。
そして、残り3校(開催県のチームがベスト8以上なら4校)は一筋縄ではいかず、センバツ大会のような地域性が考慮されるのだ。
   
さて、それらに照らし合わせた結果、今回の国体出場チームはこうなった。
まず、地元・福島の磐城高校
優勝の東東京・帝京、準優勝の石川・星稜
ベスト4の奈良・智辯学園と福井・敦賀気比
ベスト8からPL学園、秋田・金足農業、北北海道・旭川実業、西東京・創価
地域性を考慮した推薦校では、福岡・柳川高校、岡山・関西高校、静岡・韮山高校
こう見ると、知った顔も多い。球友たちとの再会が、今から待ち遠しかった。
僕らは、わいわいと半分慰安旅行気分で、福島へと旅立ったのである。

国体の開会式で球友と交流

1995年10月14日、第50回国民体育大会、通称「ふくしま国体」秋の部の開会式が行われた。
都道府県別に様々な制服が用意されていて、大阪府はクリーム色に赤いラインが入ったタイプだった。
なんだかオリンピック選手にでもなったような雰囲気だった。
球友を見つけるやいなや、わいわいと賑やかな記念撮影大会が始まった。
ユニフォームに着替えてから、硬式野球の部の開会式があったが、ここでも談笑は続き、リラックスしたひと時を過ごした。
気になるのは各選手の進路先である。
柳川高校花田(現ヤクルト)と右田が、同じ中央大学に行くことがこの場でわかった。
花田といえば、敦賀気比戦で延長15回を投げ抜いた超高校級右腕である。
プロに行ってもおかしくないビッグネームの彼が、同じ大学に進学するというので、僕のテンションは上がった。どうやら肩を痛めて、ずっとノースローで調整をしていたらしい。
硬式野球の部の開会式では、特に星稜高校の選手たちと仲良くなり、同じサードを守っていた中川とはTシャツを交換するなど、交流を深めていった。

1回戦・旭川実業戦のアクシデント

迎えた1回戦、北海道の旭川実業との試合。
夏の大会ではセンバツ準優勝の銚子商業に勝利したものの、準々決勝の第4試合で敦賀気比の前に屈して姿を消したチームだ。
甲子園でもホームランを記録しているキャッチャーの岡田が、主軸としてチームを引っ張っていた。
また試合ができる喜びと、久しぶりに味わう緊張感に包まれながら、試合はPLペースで進んでいった。
ところが、そんなさなか、僕はとんだアクシデントに見舞われていた。
初回の送りバントの際、ボールが左手人差し指に直接当たってしまったのだ。
あまりの痛みに絶句したが、気迫で試合を続けた。
「この痛みは、おそらく折れてしまっているだろう……でも僕は、もう少し高校野球を堪能したい!」
この一生に一度しかない時間をみんなと少しでも長く共有したくて、僕は我慢してフィールドに立ち続けた。
その代償として、指は今も変型したままだ。
盗塁でスライディングしたときも膝を強打したが、心境は同じ。とにかく、みんなとできるだけ長く野球をしていたかった。
1回戦は、福留の高校通算40号のホームランも飛び出し、7対4で勝利した。

61章につづく

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