続くPLのバッターは5番・出井。
岡山出身の彼も、甲子園に対する想いは並々ならぬものがあった。
チャンスで打てなかったセンバツの借りを返したいと、静かな男が悲壮な決意で夏を戦っていた。
福留の後を打つという重圧をはねのけられるのは、今や彼しかいない。夏にはチャンスに強い、頼りになるバッターへと変貌を遂げていた。
ここで日大藤沢バッテリーにミスが出る。まさかのパスボールで3塁から僕が生還。思わぬ形でリードが2点に広がった。
――カキン!
出井の打球がレフト頭上を抜けた。タイムリースリーベースヒットで、さらに1点を追加。
普段はあまり感情を表に出さない出井が、3塁ベンチに向けてガッツポーズを作った。
PLの攻撃は、まだ終わらない。
続く前田もセンターに弾き返し、出井を楽々ホームへ迎え入れた。これでこの回5点目。
この後、浦田にもヒットが飛び出し、3連続ヒット。
PL得意の集中打を浴びせて9対5とした。
こうして、カクテル光線に彩られたPLナインの胸すく逆転劇が完成したのである。
6回以降は前田が日大藤沢打線を1安打に抑え、得点をあたえなかった。
9回表にダメ押しの1点を奪い、終わってみれば10対5。
PLが準々決勝進出を決めた。
逆転のPL――。
この言葉が誕生したのは1978年の夏のこと。
第60回大会で、準決勝、決勝と奇跡的な逆転勝ちで初の全国制覇を成し遂げたときに命名された。
準決勝の中京高校(旧中京商業・現中京大学附属中京高校)戦では、最終回まで4点のリードを奪われながらも、奇跡的な追い上げで同点に持ち込み、延長12回の激闘の末、サヨナラ勝ちを収めた。
当時の中京高校といえば、愛知が生んだ超名門校。現在に至るまで、春4回、夏7回の優勝を飾っており、往時の強さはオールドファンなら誰もが語れるほどだ。
この一戦を目の当たりにしていた、高校野球に精通したある人物はこう言及する。
「高校野球の縮図が変わった瞬間だ」
中京の時代からPLの時代へ――。
確かに、PLの黄金時代はここから始まったのだ。
続く決勝戦の相手は高知商業。
この試合も9回裏を迎えたところで2対0と劣勢に立たされていたが、一挙3点をもぎ取り、逆転サヨナラ勝ちで優勝を手にした。
全国の高校野球ファンを熱狂の渦に巻き込んだ「逆転のPL」の異名は、こうして生まれた。
「逆転のPL]という偉大な先輩方が築き上げてきた伝統チームの風格が、僕らに大きな力をあたえてくれた。
この日、日大藤沢に勝利できたのも、心の中で「絶対逆転できる」と、信じていたからだ。
僕はこの試合で4打数2安打を記録したが、個人の成績よりもチームの勝利の方が断然嬉しかった。
仮に1人でも試合を諦めていたら、この結果は生まれなかっただろう。
全員の気持ちが同じベクトルに向かっていることが重要なんだと、この試合を通じて学んだ。
試合が終わるころには、甲子園の空はすっかり夜のとばりに包まれていた。
アルプス席に一礼したPLナインを、鮮やかに無数の照明のシャワーが映し出した。
それは、まるでこの日の疲れを癒してくれるかのような、「よくやった!」という温かさに満ちあふれていた。
その光に照らし出されたみんなの笑顔の裏側には、深紅の優勝旗を手にする姿がくっきりと見えているようだった。
ベスト8進出、僕らの最高の夏はまだまだ終わらない。
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