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36.波乱含みの夏の予選

ベスト8が出そろった

2回戦は阪南高校に7対0、3回戦は堺市工に10対0、4回戦は八尾高校に15対3と、PL学園は圧倒的な強さで勝ち進んでいった。
そして、5回戦も箕面学園を9対2で難なく下し、準々決勝進出を決めた。
ベスト8に勝ち上がったのは、当時「大阪3強」と呼ばれていたPL学園、上宮、近大付属のほか、センバツにも出場していた市岡、伏兵の阪南大高関西創価、そしてダークホースの八尾東という顔ぶれだった。
中でも、「オールボーイズリーグ」といってもいいくらい秀逸なメンバーが集まっていたのが上宮――。
上宮の主力には、ピッチャーの大場豊千(元巨人)、キャッチャーの的場直樹(明大→ソフトバンク)、ショートの三木肇(ヤクルト→元日本ハム)と、この代だけで3人のプロ野球選手を輩出したほどの充実ぶりである。
そしてこの2年間、PLの前に立ちはだかり、煮え湯を飲まされ続けた近大付属――。
近大付属は、PLの福留、上宮の三木と並び「大阪ショート3羽ガラス」といわれた山下勝己(近大→近鉄→元楽天)を中心に、この年も戦力は整っていた。
その山下は、八尾フレンド時代のチームメイト。球場で会うたびに、お互いの健闘を誓い合うほどの仲だった。
もし僕が、当初の志望どおりに近代付属への進学を選んでいたら、きっと気のおけない友人になっていたに違いない。
展望としては、この「大阪3強」の中から代表校が出る可能性が高い、と誰もが考えていた。
よもやベスト8で驚くほどの波乱が起きようとは、この時点ではお釈迦さまでも知るよしがなかった。

「大阪3強」の2校が負けた!

第1試合のPL学園は、泉州を5対1で退け、早々と準決勝進出を決めた。
「さあ、今度は上宮や。最大のヤマやで」
寮に戻って、対策を練りながら上宮の試合をテレビで観戦した。
ところが、ここで思いもよらないことが起こった。
楽勝で勝ち上がってくると思われた上宮が、阪南大高に負けてしまったのである。
誰もが唖然として、目を疑っていた。
やはり高校野球は何が起こるかわからない
準決勝の相手は阪南大高となった。
しかも、波乱はこれだけでは終わらなかったのだ。
なんと近大付属も、関西創価に負けてしまった。
「よっしゃあ! うちらに運が向いてきたで」
これで3強のうち、ライバルと目されていた2校が姿を消した。
しかし、残っている高校は、いずれも強豪を破るだけの実力を備えたチームであることには変わりない。
今度は僕らが足元をすくわれないよう、誰もがもう一度、無意識のうちに兜の緒を締め直していた

ライバルたちの敗戦を反面教師に

準決勝のカードは、PLVS阪南大高関西創価VS市岡となった。
「甲子園まであと2つ……」
目指していた山頂が、もうハッキリと視界にとらえられる地点にまで登ってきたようなものだ。
準決勝、阪南大高戦――。
この大会では伏兵的な存在といえども、相手は上宮を負かした高校だ。油断は禁物である。
しかし、そんな心配をよそに、僕らは序盤から着々と得点を積み重ねていった。
終わってみれば、7対0の完勝
ベスト8での上宮や近大付属の敗戦を反面教師にすることで、僕らは慢心することなく、勝つためだけの野球に専念できた。
遂に、僕らは晴れて甲子園への最後の関門、決勝の舞台へとコマを進めたのである。

決勝戦前夜の誓い

向こうのブロックからは市岡高校が勝ち上がり、決勝戦は昨年の秋季大会決勝と同じカードとなった。
加えてこの試合、両校ともセンバツに出場しているので、どちらが勝っても春夏連続出場ということで注目を浴びていた。
驚くべきは市岡の強さである。
春の大阪大会で敗戦の不覚をとった相手とはいえ、そのときはそれほどの脅威は感じていなかった。
ところが、夏には見違えるほど成長していた。
その安定した試合運びには、王者の風格さえも感じるほどだ。
「相手にとって不足はない。泣いても笑っても、明日で全てが決まる……」
決戦前夜、もう一度甲子園への思いをお互いに確認しあった。
「絶対にうちらが甲子園に行くんや!」
そう口に出しては、自分たちを鼓舞し、有言実行を誓いあった。
1987年の春夏連覇以来、PLは夏の甲子園に出ていない。
夏の大阪で勝つことは、本当に難しいことなんだと、先輩方が身をもって教えてくれていた。
だからこそ、僕らは勝たなければならないのだ。
高ぶる感情を胸にしまい込み、静かに決戦のときを待った。

37章につづく

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