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31.初戦で銚子商と大熱戦

甲子園のフィールドで思うこと

1995年3月25日、第67回選抜高等学校野球大会が開幕した。
入場行進曲は、SMAPの『がんばりましょう』だった。
開会式、思わずぐるっとグラウンドを見渡した。
めちゃめちゃ広いな
これが、甲子園のフィールドに立ったときの第一印象だった。
子供の頃のプロ野球観戦から、先輩方の応援まで、幾度となく来て見慣れているはずなのに、スタンドから眺める景色とは、全く印象が違っていた。
外野フェンスには、「復興・勇気・希望」と書かれてある。
阪神淡路大震災で一時は開催も危ぶまれたが、色々な人の支えがあって、この日を迎えることができたのだ……。
そう思うと、心から湧きあがってくる感謝の気持ちで、胸がいっぱいになった。
ふと空を見上げると、1年前に亡くなったおじいちゃんの顔が浮かんだ。
もう1年長く生きていてくれたら、晴れ姿をみせることができたのに……」
心の底から悔やんだ。
この無念を綴った記事が、なんと地元の新聞で取り上げられた。そのときの記事の切り抜きを、今でも母親は大事そうに保管している。
「ごめんな、お母さんのお母さんを探すと言ったのに……」
「何言うてんの。おじいちゃんのこと思っててくれてて、ホンマに嬉しいわ」
このような会話を、これまでに何度しただろうか。
今でも母親は、この話題になったら、相好を崩して喜んでくれる。

澤井の本塁打で先制される

初戦は、大会初日の第3試合だった。
小雨が降っていて肌寒い。決していいコンディションとはいえなかった。
3塁側の銚子商業が先攻、1塁側の我がPL学園が後攻。
9番、サード、稲荷くん
ウグイス嬢によってスターティングメンバーが発表された。スコアボードを見ると僕の名前がある。
「憧れの甲子園。思う存分暴れてやる!」
サイレンの音とともに、試合が始まった。
初回、澤井の初打席

――カキン!
快音を残した打球は、見たことのない弾道でライトに飛んでいき、そのままスタンドに突き刺さった……。

――ホームラン!
度肝を抜かれた。噂どおりのスラッガーだ。
1点を先制され、早くも試合が動いた。

試合は荒れたシーソーゲームに

1点を追いかけるPLは3回、同点に追いつき、尚も2人のランナーを残して福留に打席が回った。

――カキン!
センター方向への大飛球。ぐんぐん伸びた打球は、バックスクリーンへ飛び込む勝ち越しのスリーランホームランとなった。
澤井に負けじと放った意地の一発。
4対1となり、PLペースで試合が進むかに思われた。
しかし、エラーで自滅して失点につながるという、PLらしからぬ信じられないことが目の前で起きていた。
一時は逆転を許すなど、思うような試合運びができない。
こんなことをしているようでは、相手に完全に流れが行ってしまう。
ところが、銚子商業の守備もおぼつかなかった
お付き合いするようにエラーが続出し、それがことごとく得点に結び付くという、荒れた試合展開にもつれ込んだ。
9回表を終了したところで7対7の同点
こうなると、後攻めの方が有利だ。
サヨナラ勝ちの青写真は、できあがっているも同然だった……。

32章につづく

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