2年連続16回目のセンバツ出場が、正式に決まった。
そうなると、地元の新聞社や雑誌の取材が、頻繁に入るようになった。
我がPL学園が、西の横綱、優勝候補の筆頭に挙げられていたからだ。
他の有力校には、藤井(早大→ヤクルト→現日本ハム)がいた愛媛・今治西、澤井(元ロッテ)擁する銚子商業、東の横綱・桐蔭学園、同じく神奈川の東海大相模などの名前が挙がっていた。
震災があった地元・兵庫県からは、報徳学園、育英、神港学園の3校が選ばれた。
メンバー発表の日がやってきた。
胸をドキドキさせながら、その瞬間を待った。
全員が広間に集められ、背番号1番から順番に名前が呼ばれていく。
「1番、前田、2番、早川……」
緊張感はマックスだ。
「……5番、稲荷」
ドキドキして青ざめがかった顔が、一瞬で紅潮するのがわかった。
「よっしゃあ!」
心の中で、どれだけ叫んだだろうか。
感情をコントロールできていなかったのだろう。その後のことは、あまり覚えていない。
ただ両親に電話で報告したことだけは、うっすらと記憶に残っている。
ついに念願が叶ったのだ。
センバツの組み合わせ抽選会。
トーナメント表を見て愕然とした。初戦の相手は千葉・銚子商業……。
いきなり優勝候補との対決になり、新聞でも大きく取り上げられた。
「大会屈指の好カード」
「西の福留VS東の澤井、いきなりスラッガー対決」
PL学園の目標は、甲子園に出ることではなく、甲子園で優勝することだ。
全国制覇を目指していたからこそ、毎日どろどろになるまで練習してきたのである。
センバツが近づくにつれ、紅白戦などの試合形式練習が増えてきたが、心配なのは実戦感覚だった。
秋の大会以降、公式戦がない上に、年明けの大震災で練習試合もまともに組めなかった。
長い冬の練習を越えて、自分たちがどれだけ力をつけたかわからずじまいだったのである。
喉元に小骨が刺さっているかのようなもどかしさに、僕らは気が気でなかった。
もっとも、震災によってほぼぶっつけ本番なのは、他の高校も同じことなのだが……。
なんとも言いようのない一抹の不安が、僕らの胸中に沈殿していた。
このWebサイトについてのご意見、ご感想は、 でお送りください。