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29.阪神大震災がセンバツに影響

2度目の冬の練習がスタート

1995年新春。首脳陣と仲間に新年の挨拶をして、冬の練習がスタートした。
内容は去年とほぼ変わらなかったが、ボールを使ったトレーニングなども取り入れていた。
同じメニューでも、1年前に感じた辛さとは違い、不思議と疲れ方が緩和されたように思える。
最上級生になったことでの精神的なゆとりが一番の要因だと思うが、それだけではなく確かに体力もついてきたのだろう。
足もまた速くなったみたいだ。誰と競争しても、僕より先にゴールする選手がいない。
50mを測定したら、6秒フラットになっていた。

阪神大震災に直面して

冬の練習真っ只中の1月17日の早朝、忘れられない出来事が起こった。

――ドン!

はっと目が覚めた。廊下に出てみると、部屋から一斉にみんなが這い出てくる。寮内がざわつき始めた。
「おい、今めっちゃ揺れたぞ」
経験したことのない揺れを体感したが、誰もがただの地震だと思っていた。
しかしこの地震によって、高校野球全体を揺るがす事態になろうとは、誰にも予測できなかった。
いつものように朝練が終わり、「朝詣り」をして食堂に向かった。テレビをつけるとえらいことになっていた。
大型のバスが阪神高速から落ちかけている映像が、目に飛び込んできた。
「うわ、こらあかんやろ、ヤバいでっ!」
その他にも、次々と悲惨な状況がテレビに映し出されていく。
阪神淡路大震災……。
新聞もニュースもこの話題で持ちきりだ。大阪の震度は、4から5だったと記憶している。
家族の安否を確かめ、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、今度は別の問題が浮上してきたのである……。

センバツ開催をも揺るがした大震災

新聞を持つ手が震えた。

センバツ中止か!?

何度目をこすって読み直しても活字は変わらない
一面の記事を読みながら胸騒ぎがおさまらなかった。
どうやら高校野球連盟から、センバツ開催を自粛するとの発表があったのだ。
もちろん選手は納得していないが、被災者のことを考えると、そうも言っていられない……。
僕らは複雑な気持ちだった。

センバツで勇気をあたえたい

「春はセンバツから――」
「センバツこそ春のシンボル」

被災者の方々の協力で、センバツが開催される運びとなった。
被災者の方々や復旧業者への配慮などから、応援団バスの乗り入れや楽器使用の自粛、入場行進の中止など、数々の制限があったにしろ、甲子園でプレーすることができるというのだ。
開催できるまでにこぎつけた関係者の不断の努力に、今でも心より感謝している。
被災者の方々にも勇気をあたえる大会にせないかん
僕らは練習にも、より身が入るようになり、センバツ発表の報告を待った。

30章につづく

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