秋季大会が始まった。
なんの役にも立てない僕は、すすんでベンチでスコアブックをつけていた。
最近はスコアブックをつけられる野球人が激減しているといわれているが、スコアブックは眺めているだけで、試合の流れやピッチャーの配球などがみえてくる優れものだ。
「プレーだけでなく、野球を知ることも重要なんだ」
そこに目を向けた僕は、監督の横に座り、的確な指示をとばすことによって、別の視点からのアピールを画策した。
「こいつはよく野球を勉強してるな」
「こんなやつがグラウンドにいれば、心強いな」
監督にそう思っていただくことが、最大の狙いだった。
腐りかけていた僕を、そこまで衝き動かしていたのは何だったのか。
それは紛れもなく、母親との約束である。
「甲子園に出て有名になって、お母さんのお母さんを探すんや。こんなとこで、へこんでられへん」
1年生時代の辛い日々も、炎天下や極寒でのハードな練習のときも、メンバーに入れずめげてしまいそうなときも、真っ先に浮かんだのは母親の顔だった。
「これは試練や。乗り切ったら、きっとええことある」
努力は必ず報われると信じ、僕は立ち直っていった。
そんなある日、サードの河村が指を骨折してしまった。これで2人の2年生がケガで出られなくなった。
たしか秋季大会の2回戦か、3回戦の頃だったと記憶している。
僕の手には、まだギブスがはめられていた。
「これはチャンスだ!」
とっさにそう思った。
痛みはまだ残っていたが、僕は意を決してギブスの取り外しにかかった。
「打ったり投げたりするのは、少し我慢すれば問題ない。それより、今のチャンスを逃したらあかん」
まるで野球の女神が、微笑みながら手を差し延べてくれているような展開だ。
千載一遇のチャンスをつかむべく、僕は指の痛みをおしてプレーする覚悟を決めた。
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