高校野球の大まかな年間のスケジュールを、ここで説明しよう。
まず春の大会。各都道府県では、夏の予選に向けたシード権争いがあるので、非常に重要な大会と位置づけられている。
ただし、大阪にはシード権が存在しないため、他の高校はどうだったかわからないが、PLとしては、データを取られるのを防ぐためにエースを投げさせなかったり、調子が悪い選手の調整だったり、普段ベンチをあたためている選手の力試しだったり、それほど重要視はしていなかった。
この春の大会と並行して、大阪では私学大会と呼ばれる大会があった。レギュラークラス以外のメンバーで構成され、いつもの監督ではなくコーチの方が指揮をとった。いわば2軍の大会だ。
次にいよいよ夏の予選。190校前後の高校が代表の座をかけて、7月中旬から熱戦を繰り広げる。
決勝戦は毎年7月31日。続々と各地の代表校が名乗りをあげていく中、最後に大阪の代表が決まる。
翌8月1日は、世界的にも有名なPL花火大会で、全国のPL教の会員の方々が、ひと目花火を見ようと聖地を訪れる。
野球部が甲子園に出るときは、会員の方々にも激励をしていただけるなど大いに盛り上がる。だからこそ、予選で敗退したときは、余計に虚しい。
8月、いよいよ全国高等学校野球選手権大会。連日の熱戦の様子はあえて説明するまでもないだろう。日本中の熱狂ぶりをみていれば、どれだけ大きいイベントであるかは、周知の事実だからだ。
夏が終わると新チームになる。
9月上旬には春のセンバツがかかった予選が始まるので、急ピッチでチームを仕上げていく。
センバツに向けた戦いも、そう平坦なものではない。
まず大阪大会の3位以内になり、近畿大会に進む。大阪、兵庫、奈良、京都、和歌山、滋賀から選ばれた16校の中から、7校が甲子園行きの切符を手にする。
11月に年間の全ての大会が終わり、長い冬に入る。冬場は対外試合が禁止されていて、練習試合すら組めない。
年が明けて、2月1日にセンバツ出場校の発表。
3月下旬から、春のセンバツが始まる。夏の選手権と並んで、高校球児にとっての晴舞台だ。紫紺の優勝旗を目指して、毎年熱戦が繰り広げられる。
ここまでが、高校野球のおおよその年間スケジュールである。
次に、PL学園野球部の練習内容を紹介しよう。
まずはウォーミングアップ。ランニング、体操、ストレッチをしてキャッチボール。
それらが終われば、シートノックが始まる。シートノックは、各ポジションに4人から5人くらいの選手がいて、順番にボールを受ける。
続いてバッティング練習。2ヵ所にゲージを置き、レギュラー陣から打っていく。
バッティングピッチャーは、球筋が素直で打ちやすいので、たいてい内野手が投げた。僕もその一人で、自分でいうのもなんだが、人気が高かった。
たまにコーチがバッティングをするのだが、いつも指名されていたし、先輩方も僕が投げているゲージの方に多くの列を作って順番待ちをしていた。
バッティング練習が終わると、全員でグラウンド整備。
最後にランニングをして終わるのだが、このランニングが僕にとってはかなりハードだった。正直、これが練習の中で一番嫌いなメニューだった。
最後のランニングメニューは「最終」と通称され、周回数やタイムなどの条件は日によって変わった。
例えば、「5周走」と呼ばれるメニューは、簡単に説明すると、グラウンドをただ5周走るだけ。しかし、厄介なのは、タイムを計られること。6分以内に全員がゴールできないと、周回が追加される場合があり、その原因が1年生ならたちまち大事件になった。
練習の最後で疲れ切っている状態で、尚且つ長距離走が苦手の僕には、いつも相当なプレッシャーがかかっていた。幸いにも、僕が原因で追加されることはなかったが、毎回タイムはギリギリだった。
5周走の他に「3周走」というメニューなどがあったが、概要はどれも同じ。距離が短くなるぶん、まだマシだった。
最も楽だったのは「声ダッシュ」。ダッシュといっても声を出しながら全員揃ってジョギングするだけ。
この「最終」のランニングメニューの決定権は、全てコーチにあった。その日の機嫌で左右される場合もあるので、ノックやバッティングは「作品」と呼んでもいいくらい、全員が協力しながらコーチに気合いの入っているところをアピールしていた。
シーズン中の練習は、こんな感じである。これぐらいの練習なら他の高校もやっているだろうし、もっとキツい高校はいくらでもあるだろう。
何が違うのかは他でやったことがないからなんとも言えないが、あるとすれば、おそらく目標の高さと指導者の教えってことになるのではないだろうか。
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