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12.PL学園野球部の長い一日

6時に起床して朝練

ここで、PL学園野球部の1日を紹介しよう。
朝の始まり、起床コールが午前6時にかかる。
「起床、起床、起床の時間です。皆様おはようございます。起床の時間です。尚、5分後に全員Bグラウンドに集合してください」
アナウンスが寮中に響き渡る。
どんなに熟睡していようが、全員これで目が覚める。
ただ1年生は、この起床コールがある前に起きて洗濯物をたたんだり、朝ご飯の準備をしなければならない
コールが鳴った時点で布団の中にいたら、「大事件」だ。
そうならないために、自分の目覚まし時計で起きるわけだが、その音で同部屋の先輩方を起こしてしまうと、また怒られてしまう。
鳴ったらすぐに止めるか、緊張がマックスのときは、秒針が触れる「カチッ」という音で起きることができた。
起床コールから5分後に、サブグラウンドで朝練が始まる。
朝練というよりは、体をほぐしながら個々でグラウンドをぐるぐる回っているだけなので、しんどくはない。朝ご飯をおいしく食べられるように体を動かすという狙いがあったようだ。
朝練が終わると、「朝詣り」と言われるPL教の行事をする。
「今日も1日よろしくお願いします」
そのように、お祈りをする。
その後は朝食。メニューは白いご飯に味噌汁、あとは漬物。
疲れ果ててご飯が進まないから、いつも猫まんまだった。
たまに納豆が出てくるのだが、ご存知の通り関西人はあまり好きではない。僕も寿司屋で納豆巻きを食べたときに吐き出してしまったこともあるぐらい嫌いだったが、ご飯が進むので無理やり食べていたら、いつの間にか好物になっていた

安息できる教室は格好の睡眠場

そして寮を出て登校するのが、午前7時30分ぐらいだっただろうか。
2、3年生はバラバラ。1年生は並んで登校した。
「歩調、歩調、歩調……」
独特なかけ声を発しながら、足並みも揃えなければならなかった。
PLの敷地内だからいいものの、一般道路だったら恥ずかしくて歩けなかっただろう。
学校についたら、とりあえずはもうひと安心。
唯一、1年生同士が気楽に話せたのが教室だった。
体育以外の授業は、みんなほとんど寝ていた。一生懸命教えてくれていた先生方には大変失礼なことだが、それをわかってくれる先生も多かった。
「清原や立浪、甲子園で優勝した連中も、君らと同じように、よう寝とったわ。しんどいのは、ようわかってる。でもな、桑田だけはちゃんと起きとったぞ。あいつが寝たとこなんて、見たことあれへん。そういう努力は報われるもんやで」
ある先生は、そのようなエピソードを話してくれたことがあった。

自由時間もとにかく練習

5時間の授業を受け、午後2時に終了走って寮まで帰って午後3時から練習が始まった
その練習の詳しい内容は、のち程たっぷりと紹介するとして、ここでは省略したい。
だいたい午後7時ぐらいまで練習し、夕飯をとった。
1年生は、空いている時間を見つけて、洗濯やスパイク磨きなどをした。
仕事をしようにも、炊事やロッカー当番で、なかなか自分の仕事ができないことも多々あった。
更に「おーい」と呼ばれるパシリが、容赦なく1年生に降り掛かる。
「誰かを読んできてくれ」
「マッサージをしてくれ」
そんなふうに色々頼まれるから、また一段と仕事が進まなかった。
午後8時半ごろに、全員で「献身(みささげ)」と呼ばれる寮内掃除をして、その後に朝と同じような形式で、「夕詣り」という行事をした。
「夕詣り」が終われば、そこからは自由な時間
3年生や2年生のほとんどは、自主練習をしていた。
雨天練習場でのティーバッティング、トレーニングセンターでの筋トレ、敷地内ランニングなど、やることは様々だ。
1年生も、バッティングピッチャーをしたり、トスを上げたり、先輩方の自主練習の手伝いをした。
レギュラー争いは、それ程熾烈だったのだ。みんな必死になって練習をしていた。
その昔、清原さんも雨天練習場で延々とバッティング練習をしていたという。
この時間、あいつは絶対ランニングしてる。あいつが先にあがるまで、バットを振り続けてやる……
このときの「あいつ」とは誰かというと……そう、桑田さんである。
桑田さんは、毎日自分で決めたランニングコースを走っていた。
戻って雨天練習場の灯りがついていれば、もう一周。更に同じ状況ならもう一周、もう一周、そしてもう一周と、灯りがおちるまで桑田さんは走り続けた
「僕は、清原や他の選手より体が小さい。みんなと同じことをやっているようではダメだ。2倍も3倍も練習しないと……」
これこそが、ライバルの典型……代々PLに伝わる有名なエピソードだ。

「仕事」が終わるまで就寝できない日々

就寝時間は決められてはいなかったが、基本的には午後11時ごろには部屋の電気が消えた。
先輩方が寝たからといって、1年生はどんなに疲れていても、仕事が終わらない限り寝床につけない
僕は、先輩とコーチの分を含めて3着分の洗濯があったので、当然他の人より仕事が終わるのが遅かった。
洗濯物を干して乾燥室を出るのは、常に最後。もちろん日付も変わっていた。
洗濯物をなくしてしまい、夜通しはんべそをかきながら探したこともあった。誰もいない真っ暗な廊下をくまなく探し歩き、部屋に戻ってやっと就寝する頃には空が白みつつあった。
「なんで俺だけこんな辛い目にあわなあかんのやろ……」
こう思っていたのは、僕だけではないだろう。
こうしてPL野球部の長い長い1日が暮れていくのであった。

13章につづく

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