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11.PL学園野球部の隠語と掟

気が休まるのは教室にいるときだけ

入寮から1週間程たってから、僕らは入学式を迎えた。上宮高校が選抜で優勝した1993年の春のことである。
野球と寮生活があまりにも大変なので、とても勉強をしようという気分にはなれなかったし、興味も湧かなかった。
しかし、学生である以上、授業に出席しないといけない。
片道2kmの通学は確かに面倒だったが、学校にいる間だけは上下関係から解放されるし、練習時間も短くなるので、学校に行くこと自体は嫌いではなかった

失態は「事件」、集合は「説教」がPL用語

入学式を境に、先輩方の態度が急変した。
前にも増して、更に厳しくなったのだ。要は、入学までは「お客さん」、いわば見習い期間だったってことだ。
まずグラウンド整備は、今まで2年生が手伝ってくれていたが、1年生だけになった。
グラウンド整備は、原則1時間かけた。鉄のとんぼで土を柔らかくし、その上から木のとんぼをかけなければならない。そして、最後にライン引き水まきをして終わるのだが、慣れないうちは結構時間がかかった。
間に合わないというのは有り得ないので、1年生は必死になって整備をするしかすべがなかった。
ちょっとした言葉遣いにも先輩たちの目が光り、ほんの小さなことでも怒られるようになった。
PLでは何かをしでかしたとき、やらかしたときに、「事件」という言葉を用いる。この「事件」が重なって許容範囲を越えると、たちまち連帯責任になって集合がかかるのだ。
この集合は、「説教」と呼ばれていた。
一つの部屋に集められ、全員正座。V字腹筋、「中腰」と呼ばれるバイクに乗ったような姿勢を保つトレーニングや、場合によっては手や足が飛んできた。
殴られたり蹴られたりするのは八尾フレンドでも経験していたので、そんなに苦にならなかったが、トレーニングは本当にきつかった。
いや、それ以上に、標的にされているとわかったときの絶望感の方が言葉にできない程辛かった。一度目をつけられたら、今後の寮生活にも影響するからだ。
挽回できるチャンスなど滅多にない。今日1日を乗り切るのに必死な状況で、そうなるのはあまりにも酷な話だ。
幸いにも長期にわたって目をつけられたことはなかったが、びくびくしながら寮生活を送っていたのは間違いない。

全国から猛者が集うのがPLのすごさ

しばらくすると、1年生も2、3年生に交じって練習をさせてもらえるようになった。
グラウンドレベルでノックやバッティングもしたが、緊張と疲れで体が動くはずもなかった
本来はアピールしなければいけないのだが、早く練習を終わらせることとか、先輩の目につかないように当たり障りなくやる、というようなことを考えている自分がいた。
誰もがそんな状況の中、一人だけ群を抜いていた奴がいた。同級生の福留孝介だ。
3年生にも負けない打球を飛ばしているし、見たことのないボールを投げている。
「なんやこいつは! どっから来たんや!」
それは、筆舌しがたい強烈なインパクトだった。
1年生ながら春の大会のメンバーに選ばれ、試合でも結果を出していた。
PLで1年生からレギュラーになるのは、相当特別なことである。
彼の出身は、鹿児島県鹿屋市。ボーイズリーグの鹿屋ビッグベアーズを経て、PL学園にやってきた。
なぜ九州から大阪の高校に、と疑問を持たれる方も多いと思うが、PLは各地にスカウトを配備していて、他府県からの入学はそう珍しいことではない。
九州からはもちろん、毎年全国の実力者が夢をおってやってくる
そこにPLのすごさを感じる。
そんな中で、レギュラーを取るのは並大抵のことではない。
「ホンマにこんなとこに来て、よかったんやろか……」
この感情が、日々破裂しそうな程、僕の心を締め付けていた。

「ベベスリー」制度のため競争して下校

気の遠くなるような生活は続き、青春とはかけはなれた毎日。
グラウンドでは意識を朦朧としながらプレーにいそしみ、学校では死んだように寝て過ごし、寮では熟睡すらできない緊張の日々を繰り返した。
唯一、気が抜ける場所が学校だったが、行ったら行ったで決まりごとも多い。
まず教室の窓を開けてはいけない
次に女の子を見てはいけない
男女交際は校則でも禁止されていたが、かなりの徹底ぶりである。
窓を開けてはいけないのも、その理由からだろう。要するに目立ってはいけないのだ。
そして、僕がいくつもある決まりごとの中で、最も嫌いな「ベベスリー」という野球部特有の制度があった。
平日の練習の開始時間は午後3時。授業が終わるのが午後2時。
――ここで思い出してほしいのが、グラウンド整備は1時間かけてやらなければならないこと。
そう、事実上不可能である。
しかも、グラウンドは学校から2km離れた場所にある。
時間と距離の矛盾があるが、それでも整備を間に合わせなければならない。
そのために、1年生はこの道のりを走って帰った
ここで厄介なのが、「ベベスリー」制度だ。簡潔に言うと、寮まで競争するのである。
19人いる1年生のうち、後ろから3番以内に戻ってきた者は、先輩方の雑用をしなければならなかった
この3人の担当ポジションを、残りの1年生が穴埋めして整備するのだが、例えば内野のように広い範囲を任されている者が「ベベスリー」に入った場合、他の1年生にかかる負担と迷惑は大きくなる
そうなると、1年生同士で溝が生じた。
やってはいけないとされているケンカ寸前にまでなることもあった。
「ベベスリー」制度のせいで、全てが悪循環になるのだ。
前にも述べたように、僕は短距離は得意だが、長距離は苦手だ。その僕にとって、この制度はあまりにもきつかった。
思い出すだけで、今でも緊張感で汗が出てくる程だ。

12章につづく

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