9回裏、ワンナウト。
続くバッターをセカンドゴロに抑え、遂にあとひとり。僕は大きく息を吸い込んだ。
「思い返せば色んなことがあったな……」
「1部」という言葉のもとに過ごしてきた4年間。悲願は追いかけるものから守るべきものへと姿を変えた。
甲子園経験者を11人も揃えた黄金世代にしては、物足りない大学野球だったかもしれない。
だが僕はそれ以上のものを得た。
素晴らしい仲間との出逢いで、言葉では言い尽くせないくらいの経験ができた。
――カーン。
白球が高々と打ち上がった。
花田が人差し指で上を指す。
「オーライ!」
ひとりの男が両手を広げた。神宮球場全体が固唾をのんで見守る。
そして様々な想いをのせた白球が、キャプテン・渡邊のグラブにおさまった。
――ワァ〜!
沸き上がる歓声。マウンドに駆け寄る中央ナイン。
割れんばかりの拍手に包まれ、遂に1部残留を果たした瞬間だった。
この感触を得るために、一体いくつもの試練を乗り越えてきただろう。
本音を言えばプレッシャーとは無縁の世界で一度は戦ってみたかった。本当に苦しい道のりだった。
優等生とは程遠い1年生だった時代から、気がつけば自覚を持つことができていた僕ら。
嬉しい感情よりも、安心感の方が遥かに勝っているのが正直なところだ。
整列が終わり、立正の選手たちと健闘をたたえ合った。
かつての戦友・早川と嘉戸と軽く言葉を交わした光景が、鮮明に僕の頭の中に残っている。
スタンドに目をやると、総立ちの観衆が出迎えてくれた。
「いいぞ、中央!」
「よくやった!」
「4年生ご苦労さん!」
いつも聞き慣れているはずのファンの声援が、この日ばかりは身に染みる。
大役を果たした学ランをまとった応援団も、一層熱い声援を僕らに送ってくれた。
そして熱戦の舞台を担った神宮球場。
ここでプレーするまでに数々のドラマがあった。2部時代を長く過ごしてきた僕らにとって、常に近くて遠い存在だった。
試合後のミーティングルームは、張り詰めていたものが一気に解放された気分だった。
1部復帰、1部残留の両方を経験。激動の1年を戦い抜いたチームメイトと熱く抱擁を交わす。
清水監督も安堵の表情を浮かべ、そして笑った。
監督には本当に感謝している。
落ちこぼれ集団を戦う集団に変えたのは、もはや「手腕」などではない。「熱意」だ。
どんなときでも選手のことを想ってくれる心と、危険を省みないその姿で常に僕らの味方になってくれた。
春の入替戦で監督を胴上げできたことは一生の思い出だ。
正面ゲートから出てくる僕らを、大勢のファンが出迎えてくれる。
盛り上がり方に関しては、中央大学の面々にとってはお手のものだ。
大きな声を上げる親父もいれば、涙を流すOBもいる。
好き勝手に感情を出していくそんな校風が僕はとても好きだ。
「中央の名よ、光あれ」
伝統を受け継いできた偉大な先輩たちに少しは近づけただろうか。
バスに乗り込むと、隣に座る男が握手を求めてきた。慎之助だ。
「稲荷さん、お疲れさん」
僕は固く手を握った。
バスがゆっくりと動き始める。
窓から見える神宮球場に目をやった。案の定、涙腺がゆるむ。
横に座るのは、特別な愛情を注いできた後輩……。
感涙してしまいそうで、目を合わせることができなかった。
その姿にきっと彼も気づいていただろう。
「ありがとう……」
移りゆく外苑の街並みを見つめながら、消え入るような声で、そう独りごちた。
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