北限のブナ林を考える
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●場所と規模

北緯42から43度、渡島半島の付け根に当たる北海道・黒松内町から島牧村にかけての地帯に、日本最北のブナ自生林、樹種の学名はFagus Crenata Blume、が広がっています。

とくに島牧村の狩場山山麓には、約1万1千ヘクタールの原生林があり、その蓄積量は世界一ではなかろうかと言われています。そこから東に目を移すと、大平山があり、さらに黒松内低地帯へとブナが広がっています。

黒松内町には、北限のブナ原生林(ブナの優占林)として国の天然記念物に指定されている「歌才ブナ林」があります。しかし、それ以北にはまとまったブナ林は存在せず、現在は黒松内が日本のブナ 自生の北限とされています。


北限のブナ林の謎

北限のブナ林の謎、それは「黒松内低地帯」と呼ばれる場所から突然ブナの森が姿を消すことです。黒松内低地帯は、寿都湾から内浦湾の静狩峠にかけて、渡島半島を明瞭に区切る線を引きます。この特殊な地形が、ブナが北に進出するのを阻む原因なのかどうか、様々な説があり、まだ分っていないとのことです。

さらに北限地帯
では、とくに大平山では標高300mから900mという山岳地帯の中腹にブナが森を作っています。より暖かい東北地方より北の地で、気候は寒冷で環境の厳しいはずの北海道で、どうして北限のブナたちは暮らし易い平地ではなく、山岳地帯に登っているのでしょうか。これも謎です。ただ、温量指数という月平均気温の積算値が約45(度C  月)であり、本州のブナ生育限界条件にほぼ一致しているそうです。

同じ道南でも、大沼国定公園のブナ林は、標高約130mmくらいの場所に気持ちよさそうに生育しています。北限地帯のブナが、敢えて標高の高い場所に生育地を広げたり、黒松内低地帯(あるいは寿都町、蘭越町)から北に森を広げていないのには、温度などの環境以外の理由があるのではないかと想像します。

北限地帯のブナは、日本海側では標高の高い場所(900m程度)に、太平洋側に近づくに従って、生育標高地は300m程度に下がっていきます。この理由は、温度環境よりも降雪量が影響しているように思います。北海道の日本海側は有数の豪雪地帯ですから、ブナ以外の樹種にとっては極めて住みづらいに違いありません。結果、ブナが高い標高地の日本海側で優先するようになったのではないでしょうか。

ただ、一般的には生育環境の優しい低標高地に、北限のブナたちが少ないのは、やはり謎ではないかと思います。

そのような中で、黒松内町・歌才のブナ森は、せいぜい標高160メートル程度です。しかも、面積はわずかに92ヘクタール。低標高地に、ポツンと小宇宙を作っています。私の知る限り、周辺の森は、ミズナラを主体にした典型的な北海道の落葉広葉樹林です。本来ならブナよりもミズナラの森が発達しやすい環境なのですが、いったいいつどのような理由でブナの優占林が出来たのか、私の想像を超える何かが過去にあったのでしょう。

もしかしたら、かつて周囲にもブナの森があったのかもしれません。明治以来の開拓で、伐採された可能性もあります。不思議に思いながらも、私は「歌才ブナ林」が好きです。環境があまり厳しくないためか、どのブナもまっすぐに空に向かって成長しています。木の肌も、付着する地衣類が少ないためか滑らかです。林床 には多くの花が咲き、季節の変化を楽しませてもらえます。


ブナは北上しているか

北限のブナは北上しているのか、それとも黒松内低地帯で止まってしまっているのか。専門家の間では、いろいろな説があって、現在でも論争中だそうです。また、黒松内あたりが何故北限になっているのか、その理由も決定的ではないそうです。

考えられるのは、降雨・降雪量や気温など、ブナにとって好ましくない生育環境があるのではないかということ。あるいは、ミズナラなどに比べ、成育域の拡散力が弱いのではないでしょうか。

一写真家にすぎない私には、この議論の結論を出せるような科学的根拠はありません。しかし、個人的には 「ブナは今も北上している」と思っています。私は、黒松内町内の森を愛車 を繰って見てまわった結果、ミズナラの森の所々にブナが5、6本、あるいは10数本と成長しているのを発見しました。

もちろん、その周りにはブナの幼木もありました。まだ点でしかありませんが、ブナは少しづつミズナラの森にもぐりこみながら、生育範囲を広げているような気がします。何百年後かには、黒松内からもっと北にもブナの森が見られるかもしれません。

●日本のブナ林

日本には、二種類のブナがあります。ブナとイヌブナです。イヌブナは、東北の太平洋側から中部、紀伊半島、中国地方の山岳部から太平洋側に成育しています。学名は、Fagus Japonicaです。両方のブナは、同じ場所で共存することはあまりなく、日本国内で棲み分けているようです。

イヌブナの特徴は、ブナより葉が長く小さいこと、裏側に毛があります。樹肌も、ブナより黒っぽい木です。ブナとイヌブナとは、はっきり違う種と言えそうです。また、イヌブナは、ブナのように純林を作ることはありません。アカシデ、コシアブラ、ミズナラ、カエデ、ツバキ類やモミなどの針葉樹と混生します。林床には、スズタケが多いようです。

イヌブナは、ブナほど目立つ種ではなく、より温暖な環境で常緑樹や針葉樹とも仲良く生活している木です。種としての発生時期はブナより古く、他のブナとの血縁関係も良く分かっていません。

ブナは、主として東北地方と北海道渡島半島の日本海側にその生育地域を広げて優占林を作っています。世界遺産になった白神山地(青森と秋田にまたがる)は、それらの中でもきわめて大規模な森です。ブナが優占林をつくる条件は、温度と雪の量が決定します。温度は、東北や北海道のような冷温帯、さらに雪が多量に降ることです。とくに降雪量がどれだけあるかで、ブナの森形成に決定的な影響があります。

ブナの仲間であるミズナラは温度・降雨量・土壌などには大変適応力があり、生育範囲の広い樹種です。しかし、多雪に対してはブナに及ばず、東北・北海道の多雪地帯では撤退せざるを得ません。ブナは、そのような雪に耐える能力があり、結果的に他の広葉樹との競争がなくなって、見事な純林を作り上げたのです。

しかし、そのような環境がなくなれば、一気に衰退する危険性もあります。とりわけ乾燥には、弱い樹種なのです。こうしたブナの性格が、もしかしたら北限のブナの謎を解く鍵になるのかもしれません。

ブナ林の花と植物(1)

ブナ林に生える植物は、他の落葉広葉樹と比べて、特別に変わったものはありません。北限のブナ林では、ミズナラ、ウダイカンバ、トドマツ、などはよく観察できます。その他に、
ダケカンバ、ハンノキ、ミズナラ、ハルニレ、ホオノキ、ナナカマド、ツタウルシ、ハウチワカエデ、シナノキ、コクワ、コシアブラ、オオカメノキ、クマザサ、エゾイヌガヤ、ヒメモチ、エゾユズリハ、ヒメアオキなどなどが、森全体の二割くらいはあります。特にブナ林に必ずと言ってよいほどあるのは、オオカメノキ、イタヤカエデ、ツルアジサイ、イワガラミ、ツクバネソウ、マイヅルソウです。

ミズナラ、ダケカンバについて、少々。ミズナラは、ブナ林の中で、普通に同居しています。数では負けますが、その寿命の長いことが特徴です。数百年を超える、と言われています。威風堂々とした樹影は、優しいイメージのブナ林の中で、まさに森の主です。高さも20mを超えるものがあり、けっしてブナに負けていません。

木材としての性質も非常に良く、ナラ類はヨーロッパでは生活になくてはならないものになっているそうです。

ダケカンバは、ブナよりも標高の高い場所に優占林を作ります。ブナよりも寒さと雪に強い、文字通りスーパー樹です。寿命は、ブナとほぼ同じくらいでしょうか。ブナ林の中でも立派に成長して、自分の居場所を確保します。樹高は、20から30mに達します。比較的低地から森林限界に近い場所まで、その生育範囲は仰天するほどのものです。

ブナの成育限界高度を超えると、じょじょに樹高を低くし、あるいは山の斜面を這いながら成長しています。高山帯で、はっとするほど白い独特の枝が見えたら、それはダケカンバに間違いないでしょう。

しかし、どんな場所でもブナに負けずに優占林を作るということはありません。陽樹として、空いた空間にいち早く根を下ろす性格の樹です。一方のブナは典型的な陰樹です。ブナとあまり寿命が変わらなければ、長い期間を経て陰樹のブナに森の空間を明け渡すことになるのです。

●ブナ林の花と植物(2)

花もたくさんあります。エゾノリュウキンカ、ミズバショウ、ザセンソウ、カタクリ、ヒトリシズカ、エンレイソウ、キクザキイチゲ、ニリンソウ、シラネアオイ、ギンリョウソウ、スミレサイシン、マイヅルソウ、クルマバソウ、 エゾノヨツバムグラ、オオウバユリ、イチヤクソウ、ミミコウモリ、ツルニンジン数え上げれば切がありません。

春から秋まで、どこかで何かがひっそりとあるいは華々しく咲いています。とりわけ、春は花の季節です。木たちが大きく葉を広げる前に、雪融けを待ちかねた花たちが、ワイワイと森を彩ってくれます。私は、シラネアオイやヒトリシズカが大好きです。


日本特有の植物として、ササをあげておきます。ササと言っても、日本海側や北限のブナ林に多いのは、チシマザサ(ネマガリダケ)です。ヨーロッパなどにはササは存在せず、林床はとてもすっきりした明るい公園のようなイメージだそうです。

北限のブナ林を見ていると、夏の間はササだらけで、いったいどんな植物があるのかよく分からないくらいです。チシマザサは、冬を雪の重みで地面に横たわって寒さをしのぎ、春から夏に頭をもたげて成長します。その高さは優に人間の身長を越えます。

ですから、林床の見通しが悪いだけでなく、森に分け入るなど簡単ではありません。お陰で、春にはタケノコ(ネマガリダケの子ども)を採って、食用として楽しめますが。ただ、ササは、ブナ林に必ず存在するものではなく、ササの成育場所とブナ林がたまたま重なり合っているだけです。