もっと楽しく写真講座(2004)
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2003年に続いて行った、写真講座の講義録です。デジタル写真に関する内容が中心になりました。


ミニミニ写真講座(1)

2004年度の講座が開講して、三ヶ月になります。この間、初級を中心に写真の基礎講義をしました。昨年までのテキストとなるべく重複しないように、ポイントをまとめます。

●写真とは何か
写真とは、「カメラと光を使って描く絵」です。三次元の世界に存在する被写体を、二次元の紙の上にプリントとして再現します。写真には、それ以上の意味はありません。私たちが慣れ親しんではきた絵画と同じもの、と理解してください。

社会的には、写真はいろいろな目的に使われます。被写体の再現能力が高いので、記録や報道には最適の手段でしょう。また、ある種の政治的主張やイデオロギーの宣伝にも使われます。しかし、それらは写真の本質とは関わりありません。

●写真の表現はレンズで決まる
(1)写真は、絵画のように絵筆や着色材料ではなく、レンズと光で描きます。その他にフィルムやCCDも必要ですが、「写真はレンズで決まる」と言っても過言ではありません。写真という絵を描く主役は、レンズなのです。

(2)レンズの性質をしっかり理解しましょう。レンズは、人間の目に似ていますが、かなりの違いがあります。「見たように写せばよい」と仰る人がいますが、レンズは決して見たようには写りません。目の機能とレンズの性質が違うからです。

(3)フィルムカメラの場合、焦点距離が50mmのものを「標準レンズ」と呼んできました。デジタル一眼レフカメラは、おおむね35mmくらいです。50mmより焦点距離が短いものを広角レンズ、長いものを望遠レンズといいます。

(4)レンズの最大の特徴は、ピントを合わせた位置の前後に「ボケ」が生じることです。ボケこそが、写真表現の最も個性的で、絵画などでは真似の出来ない手法なのです。このことが、写真表現を理解し身につける最大のポイントです。作画の際、ボケをどのように使うかを知ることで、肉眼のイメージ(感動)を絵として再現する大きな力になります。

(5)広角レンズは、ボケの量が少ない性質があります。望遠になるほど、急激にボケの量が多くなります。広角レンズほど、画面全体にピントが合っているように感じます。望遠レンズは、ピントを合わせた場所以外の周囲は、ボケて被写体の形が鮮明でなくなります。この大きなボケが、画面の中から写したくない不必要なものを排除してくれるのです。

(6)どの焦点距離のレンズを選択するかは、どの範囲を写したいか(広い範囲か狭い範囲か)という理由だけでなく、どんなボケを作りたいかを考えることによって決定されます。レンズの焦点距離とボケの大小の関係をしっかり理解してください。

●絞りの値とボケの関係
(1)レンズには、絞りが付いています。レンズの根元に絞りリングが有るもの無いもの、メーカーによって作り方が違います。絞りは、F=2.0,2.8,4,5.6,8,11,16 のように表示されます。まるで、人間の瞳孔と同じ働きをします。レンズ内に入る光の量を調整するのが目的です。丸い穴の形をしています。

(2)穴を大きく全開にすれば、たくさんの光を取り入れます。逆に小さくすれば(絞ると言います)、光の量を少なくできます。フィルムやCCDへ到達する光の量をこれによって、調整するのです。F値が大きいほど、絞りは絞り込まれ、光は制限されます。F値が小さいと、絞りは開いている状態で、光はたくさん入ります。F値の小さいレンズほど、たくさんの光を取り入れられ、結果光の少ない場所でも速いシャッターが切れます。

(3)絞りは、光の量をコントロールするだけではありません。ボケの大小にも関係します。仮に焦点距離が50mmと固定されている場合、絞り値が小さい(穴が全開に近い)ほどボケは大きくなります。逆に、絞り値が大きくなるほど(絞り込まれる)ほど、ボケの量は少なくなります。これは、写真表現上重要な要素です。

(4)結論。絞りは、レンズに入る光の量を調節するとともに、ボケの量にも影響します。作画時のボケをコントロールする場合、使用するレンズの焦点距離と絞り値を共に意識してください。

●上手に写真を撮るポイント
(1)自分が感動したもの、写したいと感じたものが何なのか、冷静に考えましょう。ファインダーの中には、感動を受けた被写体だけを納めます。感動の源と関係のないものは、できるだけ画面の外に出しましょう。

(2)立体の世界を、平面で表現するのが写真です。絵画の構図作りと同じで、立体感を感じるように被写体をファインダーに配置します。前景、中景、後景、主役と脇役、色のコントラストなどなど。絵画に「遠近法」という手法が知られていますが、写真でも同じ方法が有効です。風景画を鑑賞すると、学ぶものが多いと思います。

(3)写真独自の表現方法として、ボケを積極的に使いましょう。画面の前景や後景を意図的にボカすことで、立体感が生まれます。望遠レンズやマクロレンズ(近接撮影用)を使い、ピントを合わせた周囲にボケを作るのも効果的です。

(4)広角レンズを使うときは、必ず画面の手前に、主役の被写体を大きく配置しましょう。ただ広い範囲を写しただけでは、のっぺりした立体感のない絵になります。

(5)光の強弱とコントラストを、じっくり観察してください。明暗の差が大きすぎると、美しい階調再現が難しいのです。自然風景を撮る場合は、晴天快晴よりも、少し曇って軟らかい光の方が綺麗な色再現ができます。露出は、やや控えめ(若干マイナス補正)の方が無難です。とくにデジタル撮影では、露出オーバーは禁物です。

●デジタル写真とは何か
ここからは、主に中級者向けの内容です。デジタル写真は、システムが揃いだしてから日が浅く、その内容が正しく認識されていないのが現状です。「フィルムに比べると画質が悪い」という過去の偏見も強く残っています。そこで、写真の表現材料として安心して使えることを、皆さんに理解してもらえるように解説いたします。

(1)デジタルカメラは、フィルムの代わりにCCD(あるいはCMOS)と呼ばれる、光に反応する半導体素子(受光素子)を使っているものを言います。ですから、写真を撮影する基本システムや機能については従来のままで、本質的に変わったところはありません。

(2)フィルムは、銀化合物が光のエネルギーに反応して黒化銀に変化することで、直接画像を形成します。CCDは、光のエネルギーを受けると、微弱な電流(電圧)を生み出します。その電気的変化を記録し、デジタル化と画像化の処理をします。その結果、目に見える形になるのです。

(3)CCDのシステムイメージは、人間の目に近いものです。人間の目は、水晶体を通った光が網膜上に像を結びます。それを神経細胞が微弱な電気信号として脳に送り、像を認識します。「微弱な電気信号から像を得る」点では、両者は非常に似ているのです。

(4)人間の目のシステムとよく似ていることは、画像の質感も肉眼の感覚に近いことに通じます。この点で、フィルムに慣れ親しんできた人にとっては、エッ?と思うかもしれません。実は、フィルムの銀粒子による画像の方が、目とはまったく異質なシステムだったのです。フィルムは、明暗のコントラストが高すぎるように感じます。

(5)どんな点が、CCDと人間の目の画像が似ているのでしょうか。被写体の階調再現の滑らかさです。人間の目は、光に対してとても柔軟に対応します。光が強く照らしている場所も影になっている所も瞬時に判断して、そこに何があるかどんな色かを認識します。フィルムは、そのような場所や被写体を同時に再現するのは不可能です。CCDは、デジタル処理という画像生成プログラムのお陰もあり、フィルムよりも光の強弱に対する柔軟性を持っているように思います。白飛びなどの問題もありますが、中間調の階調再現(調整可能域)は広いと思います。

(6)数年前まで画質が悪かったのは、画素数の不十分さ、CCDの受光能力、色再現プログラムなどに問題があったからです。現在では、それらの欠点は概ね解決され、解像度などはフィルムを凌ぐレベルのものがあります。

(7)CCDの電気信号は、デジタルの力を借りなければプリントとして再現できません。すなわち、コンピューターを扱うことをマスターしなければ思う存分に楽しむことができません。この点が、敢えて言えば欠点でしょうか。フィルムシステムは、撮影の後処理をほとんど現像所にお任せでした。デジタルは、取っつき難さはありますが、撮影からプリントまで全て自分でできる、という新たな楽しみ・喜びをもたらしてくれたのです。

●デジタルカメラの画素数とは
(1)フィルムは、銀粒子の間隔が小さく密度が高くなるほど、その画質は向上します。古い写真を見ると、ザラザラした銀粒子が見えることがあります。銀と銀の密度が低く、解像度も悪いのが分かります。デジタルカメラは、小さなCCDを一枚の板にびっしり並べて受光します。この小さなCCD一つを一画素と言います。

(2)受講生のみなさん、「デジタルカメラは、画素数が多いほど画質が良い」と思っていませんか? カメラメーカーは、画素数の多さを目指し、それを「綺麗に写るカメラ」と宣伝してきたのですから、無理もないことです。また、(1)で述べたフィルムのイメージで、画素数の多さは銀粒子のきめ細かさと同じ、と勘違いしているかもしれません。

(3)デジタルカメラは、画素数(CCDの数)の多さが必ずしも画質と一致しない、これが事実です。デジタルカメラの画質を決めるのは、CCDの受光性能そのものです。数ではなく、面積が重要な要素です。大きなCCDの方が、光を受ける効率が良く、美しい画像になります。では、何故画素数を問題にするのでしょうか?

(4)実は、CCDは色を認識出来ない、という大問題を抱えています。色を再現するには、光の三原色といわれるRGB(赤、緑、青)が必要です。CCDに色を認識させるには、どうするのか? Rを作るには、R色光のみを吸収して、GとBをカットするフィルターをCCDにかけます。Gの色は、同様にRとBをカットするフィルターを。Bの場合も、以下同じです。

(5)こうしてRGBをCCDに認識させますが、一個のCCDは一つの色しか知らないのです。そこで、隣り合った4個のCCDをワンセットにして、色情報の交換をします。RのCCDには、GとBの色情報が提供され、あたかも元々存在した色であるかのように見せかけます。GとBにも、隣のCCDから色情報が与えられ、三原色が揃えられます。

(6)一個のCCDが本当に作り出すのは、一色のみ。不足する二色は、隣のCCDから借りてくる(補間と言います)、という仕組みになっています。こうした状況では、隣接の色情報がきめ細かく出来るだけ密であった方が良いわけです。結論。画素数の多さは、画像の色再現を可能な限り正確にし、不自然な色調を解消するために必要不可欠だったのです。初期の画素数の少ないデジカメは、偽色という不自然な色が目立ち、「デジカメは画質が悪い」と言われる大きな原因になっていました。

(7)現在は、画素数の多さを競うことが一段落し、CCDの受光性能を向上させることが各メーカーの課題となっています。画素数は、一眼レフタイプのカメラで、600万画素もあれば十分なことが経験的に認められています。

(8)従来の35mm判一眼レフカメラのシステムと大きさを保持するには、APS-CサイズのCCDが一般的になっています。フィルムより面積が小さいのですが、画質は十分です。これ以上大きくする必要はないようです。最近は、500万画素のコンパクトカメラが売られていますが、CCD全体の面積は一眼タイプの9分の1以下です。その差が、すなわち画質の差となります。画素数の多少が、画質に直結しないことをご理解ください。

●理想のデジタルカメラとは(私論)
:現在一般的に使われているCCDは、小さなCCDを平面に並べています。この方式では、先にも述べたように、どうしてもCCD間の複雑な連携と「偽の色」を補間して使わざるを得ません。CCDの受光性能を上げたくても、画素数を減らせないので、CCD一個の面積を大きくできません。あちらを立てればこちらがたたず、という矛盾の輪です。

CCDの受光性能を上げるには、面積を大きくしたい。しかし、色再現を良くするには、それが出来ない。ところが、この矛盾を解決するカメラが存在しているのです。SIGMAの「SD10」というカメラです。原理は、カラーフィルムと同じです。

Rに感じる受光素子を最下層に、Gに感じるものを真ん中に、Bを作るものを最上層に配置しています。これは、まさにフィルムと同じ構造です。隣の受光素子(画素)から色を借りてくる必要が無く、正確な色再現が可能です。

そして、被写体に向かう面には、約340万画素の受光素子(CMOS)があります。CMOS全体の大きさはAPS-Cサイズよりやや小さく、20.7×13.8mmですが、受光画素一個の面積を(600万画素のものより)大きく出来るのです。正確で美しい色再現と受光効率の良い大きな受光面積という、従来は矛盾するものを見事に解決しています。

SIGMAでは、「FOVEON X3 ダイレクトイメージセンサー」と呼んでいます。私個人は、この方法に強い関心を持っています。残念ながら、まだ試用したことがないのです。今年2004年秋にも、新しいSDシリーズが発売になるとの噂を聞きます。

ただ、この方式は、CCDを三層にするので、一層340万画素×3で、総画素数は1,000万を越えます。600万画素のものに比べると、データー量が増えるのは仕方ありません。記録メディアの容量とデーター転送スピードの速さが求められます。

また、CCDを三層に並べる方法に欠点、弱点は無いのかどうか・・。そうした点を今後確かめてみたいと思っています。みなさんにとっても、興味深く感じませんか。

★この「ミニ講座」では、講義でお話しした全ての内容には触れていません。昨年の講義録が、私のホームページに掲載されていますので、合わせてご一読ください。

お盆も過ぎ、北海道には秋風が流れ始めます。猛暑の夏でぐったりした体調も、回復するに違いありません。講座の後半を、また一緒に頑張りましょう。


ミニミニ写真講座(2)

あっという間に修了写真展を迎えることとなり、一年間が何と短く感じるものか。04年度講座の最後のまとめです。まとめと言っても、何やら講師の独り言のような内容です。

●写真上達のコツを技術以外の面を含めて書いてみます。
(1)写真の材料、すなわち絵の源になるものは、私たちの生活のどんな場所にも存在します。わざわざ有名な観光地や深山幽谷にまで行かなくても、日常の平凡に見えるものが思いもかけぬ美しい絵に変身することを知ってください。

(2)写真は「事実の中から、美しさと感動を発見する目」が何より大切なのです。馬耳東風という言葉がありますが、馬目西風もありそうです。見えているはずなのに、全然脳神経が反応しない状態です。何を撮ったらいいか分からないという人は、視神経を働かせて、普段つまらないと無視している物をもう一度見つめ直してみてはどうでしょうか。

観察力と関心力を養うこと、これに尽きると言えます。

(3)興味のある物を優先的に写真の被写体に選択するのは当然のことです。しかし、カメラを握ることを機会に、いろいろなものに関心の輪を広げてみましょう。それは、自分の人間性や人生のあり方を広げることに繋がるかもしれません。

(4)物事に対して、出来るだけ先入観や偏見を持たないように努力しましょう。人それぞれ、何某かの価値基準や物差しを持っています。しかし、そうした人間の側の思いこみだけから事実を解釈するのは、時として物事の本質を見誤ることがあります。

大宇宙の中に存在するもの(人間の社会も含め)を、生命の野性的本能で純粋に在るがままに受け止めることを忘れないようにしましょう。言い換えると、物差しは一本のみならず、可能な限りたくさん手にしていた方がよさそうです。

(5)自分の目を、レンズの目に置き換えたつもりで周りの物を見つめる訓練が効果的です。標準レンズ、広角レンズ、望遠レンズ、見る画角(範囲)を広くしたり狭くしたりして、眺めてみるのです。とくに望遠やマクロに切り替えて見ると、とんでもない面白い形や色が発見できるかもしれません。

(6)(5)の訓練をしていると、レンズの表現性格を理解することにも役立ちます。実際にカメラを持っていなくても、自分の目と心のシャッターで写真が撮れます。レンズの性質と肉眼の差を埋めていく訓練ですね。

(7)ボケを生かした表現をするには、F値の明るいレンズを持っていた方が有利です。何をどのように撮るかという目的に合わせ、レンズシステムの中にF2.8クラスのレンズも揃えていくことも検討しましょう。とくに標準レンズと広角レンズでは、F値が明るいものの方がボケを生かした表現力の幅が広がります。興味のある人は、ズームだけでなく単焦点レンズを調べてみてください。

F値が明るいと、絞り開放の時のボケが大きいです。絞れば、ボケの量は小さくなります。その落差の大きさが、表現を豊かにします。

(8)写真を撮るとは、光を記録することと同じです。レンズに入ってくる光(写したい被写体の形と色)を可能な限りフィルムやCCDに残しておきたいものです。一概には言えませんが、やや露光量を少なめにした方が良さそうです。露光量が多すぎると、被写体の形や色彩の情報が失われていきます(画像が白っぽくなる)。

(9)構図を決める時のポイント。第一に、必要性の無いもの(見せても意味の無いもの)をファインダーの外に追い払うことです。自分の見ている状況を説明しようとすればするほど、写真はつまらなく面白みに欠けていきます。鑑賞してくれる人が、はてな、おや、えっ、何だろう、といった感情が沸き立ち、そこからさまざまなイマジネーションを広げてくれたら大成功です。

(10)第二は、被写体を画面の中に立体的に配置することです。絵画の遠近法という技術を参考に、被写体を三角形や逆三角形になるようにファインダーの中に並べてみましょう。自然風景などは勝手に動かすことが出来ませんから、写す側が移動しカメラを下にしたり上にしたり、撮影場所を変えながら工夫してください。

●写真は「フィルム」か「デジタル」か
ここからは、講師の勝手な言い分、感想、主張ですので、すべてを真に受けることはありません。軽いコラムを眺める気分で読み飛ばしてください。

私がデジタル一眼レフのペンタックス*istDを購入したのは、2003年の9月でした。いよいよ紅葉真っ盛りという季節。いくぶん不安はありましたが、このデジカメのみで秋の美しい風景を撮りまくったのです。写真展のために、A3ノビに拡大した時は、ハラハラどきどきしながらブリンターの紙排出口を見守っていました。

プリントの仕上がりは、お見事、立派、素晴らしい、エーやんか、ブラボー、ハラショー、グレート、賛辞の言葉を幾つ重ねてもおつりがくるものでした。もしや、偽色が出るのでは、CCDの四角い形が見えるのでは、という心配はまったくの無用でした。

問題の色再現は申し分なく、解像力はフィルム以上かもしれません。特筆すべきは、階調の滑らかさとディティールの表現ですね。以前のデジカメは、立体感がなく全体にノッペリした感じでした。偽色やノイズがあり、質感描写を誉める人は皆無でした。作品作りや高度な仕事に使えませんでした。それが一気に解消したのですから、驚愕ものです。

以来一年半近く、一度もフィルムに手を触れることなく、デジカメのみで撮影を続けています。私は、写真のお仕事で編集者に原稿を提供することもあるので、デジカメの方が処理時間が早く、便利なのは言うまでもありません。最初は、何か嫌なところが見つかるに違いないと覚悟していましたが、予想は崩れ、メリットばかりが増えていきました。

デジタルの最も良い点は、ファインダーの中で感じたイメージを、おおむね自分の意思で紙の上に画像として再現できることです。フィルムの場合は、露光した瞬間に、フィルム独自の特性に制約された画像が固定されてしまいます。とくに色調、コントラスト、階調は、プリントの際に調整する範囲が非常に小さいのです。フィルムの場合は、撮影(露光)の瞬間に写真の出来具合が、八割以上決まってしまいます。

デジタルカメラなら、CCDが光の強弱をそのまま微弱電流(電圧)に変換、それをデーターとして保存します。光の情報を、フィルムよりもずっと正確に記録することができます。撮影直後に、モニターで簡易的に結果を確認できるのもありがたいですね。

CCDが記録した光の情報は、「RAW」と呼ばれるデジタル化された電気信号でしかありません。これをTIFやJPGのような一般的デジタルデーター形式に変換することを「現像」といいます。フィルムのように化学変化で行うのではなく、ソフト的に処理されます。パソコンと現像ソフトの力を借ります。

デジタルカメラの設定で、最初からJPGのような一般的な画像タイプでも撮影できます。しかし、一眼レフの高画質能力を生かすためには、画質の劣化が少ないRAW形式で撮影しましょう。

現像するときに、色調、コントラスト、明暗、撮影時の光の色温度(赤っぽい、青っぽい、日中の明るい太陽の下の色、など光の色特性を表します。デジカメでは、ホワイトバランス調整と言っています)、シャープネスなどをコントロールできます。私の場合は、現像時に画像調整はしませんが、この段階から手を加えることが可能です。

RAWを現像すると、TIFFとかJPEGの一般的なデジタル画像になります。本格的な画像処理は、ここから始まります。パソコンでPhotoshopなどの画像処理ソフトを使い、色調、コントラスト、明暗、階調、シャープネス、ボケ味などのコントロールを楽しみます。これらの一部は現像時にも行えますが、私はTIFFにしてから、じっくりやるようにしています。

この間の経験から、デジタルは、撮影しながら被写体を見た印象、感動、伝えたいイメージを、プリントに至る作業のなかで納得いくまで追求し、映像として形にできることを理解できました。フィルムを使っていた時には、発想さえ出来なかった表現技術と可能性を手にしたことになります。

「写真は、こんなに多彩な表現ができるのだ」と初めて知ったわけで、私の三十年になる写真人生の価値観がごろりとひっくり返り、ルネッサンス、フランス革命、産業革命、黒船が一気に押し寄せたようなものでした。

デジカメに何か欠点はないものかしらと、重箱の隅を楊枝で突き、川さらいで一万円札を探す如く目を皿にしてみたが、ケチを付けるところなぞとんと見あたりませんでした。困ったものです。せいぜい、「フィルムとは質感が違うね」という程度のこと。

表現力では、フィルムに出来ることは全部できます。逆にフィルムは、フィルム以上の表現にはならない。デジカメの欠点を探していると、フィルムの限界ばかりが見えてきます。「フィルムの銀粒子の感触、ザラザラしたのがたまらないのだ」と言う愛好家もおりますが、どっこいデジタルでは、銀粒子のような表現さえもやってしまうのです。

そんなこんなで、私の場合はデジタルカメラの神様に白旗を揚げて降参、宗派替えをしてしまいました。フィルムに恨みはないが、すがり続ける論理的感情的理由もないのです。良いものは良いと、あっさり認めてしまったわけでした。

フィルムに関しては、私は使う気持ちがすっかり失せてしまいましたが、意味の無いものではありません。骨太のがっちりした表現力、重厚な感触、明快なコントラスト、それらに自分の表現を託す人がいるし、今後も存在してもらわなければ困ると思っています。メーカーにとっては、フィルムシステムを維持するコストが負担でしょうが、文化の多様性を守るために社会奉仕のつもりで頑張って欲しいものです。

これから写真を趣味にしたり、自己表現の手段にする人は、必然的にデジタルから入っていくのが普通でしょう。あと数年もしたら、フィルムの良さや特徴を丁寧に説明しなければならない時代になっているかもしれません。フィルム写真が、クラシック写真として珍しがられるかもしれません。両方を知っている私は、複雑な感情に襲われます。

たった一つだけデジタルシステムに問題があるとすれば、何が何でもパソコンを使えるようになる必要があることです。パソコンは、便利すぎて困る、という摩訶不思議ものです。命令さえすれば、どんな事でも処理してくれます。その代わり、「役に立つか立たないかは使う人次第だよ」と言われているのです。自分が何をしたいかが定まっていない人にとっては、無用の長物、猫にカメラ、馬の耳にカラスの歌でしかありません。

デジタルカメラで写真を作りたいと、情熱が沸き溢れ出しそうな人ならきっとマスター出来るでしょう。が、最初はなかなかの難物で、ちょっと習えばすぐ使えますとは言えない。パソコンは、使う側に主体性と創造性を求めてくるのですね。この点は、人それぞれに持っている内容や次元が違うので、「一日で使えるようになります」などとは断言できず、個々の努力と意思に任すしかありません。

画像処理さえ出来ればイイヤ、と軽く始めた私も、最初の一年間はさまざまなトラブルに泣かされました。パソコンが何であるかを知らずして無闇にいじくり回すものだから、機嫌が悪くなったり、システムに致命的ダメージを与えてしまったこと数知れず。お陰で、パソコン様の生い立ちや仕組みを勉強して、やっては駄目なことを理解できるようになり、今は気持ちよく動いてもらっています。

パソコンもカメラと一体のもの、そのように自分に言い聞かせないと、彼(彼女?)とのお付き合いを始めることは出来ないでしょう。新しい酒は新しい袋に、という諺があったように思います。デジタルカメラという新しいものには、同じく新しい道具であるパソコンが似合うのです。パソコン・デジタル苦手という人も、清水の舞台から飛び降りるつもりで、頭のイメージを切り替えて、えいやっと挑戦してみてください。

●最後にこれだけは
(1)写真の本質は、「光で描く絵」です。

(2)映像を作る主役の道具は、レンズです。レンズは、人間の目とは違った性格があります。焦点距離と絞りを調整することで、ボケを作りコントロールします。ボケの表現は、絵画にはない写真だけのもの。積極的、意識的に生かしましょう。

(3)ファインダーを覗いたら、写したい被写体を構図の中心に置き、その脇役を立体感と奥行きを感じさせるように配置すること。三次元を二次元で表現するのが、写真(絵画も)という映像芸術なのです。

(4)CCD、フィルムに光を露光(露出)することなくして写真にはなりません。光の色、強弱、コントラスト、明暗などを瞬時に認識できるように訓練してください。露出値の補正は、被写体の光反射率で決まります。被写体が白か黒か、はたまた灰色か。

(5)身近にあるものは何でも写真の素材となります。平凡なものから新鮮なものを発見する観察力を養ってください。体全体の感覚力を、日々磨くこと。

★受講生のみなさん、一年間本当にありがとうございました。不足な講師ではありましたが、何かを学んでいただけたものと思います。懲りないという人は、また一緒に勉強を続けたいものです。感謝、感謝。
(講師 村岡 ひろし)