私のカメラ偏愛歴
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その1
最近、友人の薦めもあって某カメラとレンズを入手しました。私は、オートフォーカスカメラにあまり抵抗無く、かなり早い時期から使用していた方だと思います。最近は、便利さよりも写す楽しさとカメラ・レンズの感触をを味わいたい、という気分が強いのです。

昨年から元々好きだったライカを一眼レフで揃えようか、と思ったりしていたのですが、別のものに手を付けてしまいました。この欄で、そのカメラも含めて、カメラ・レンズ談義を書こうと思っています。カメラは、実用だけでは割り切れない、不思議な魅力をもった機械です。(2001年3月16日)

その2
写真が趣味という人は、写す行為自体も好きなのですが、多くはカメラやレンズにもこだわる、というのが本当ではないでしょうか。ダゲレオタイプの時代はいざ知らず、ライカ登場以後の写真愛好家は、カメラの手触りだとか写り具合に興奮したり、ため息をついたりという、一種のカメラ病にかかるようになったのは誰も否定できません。

何故なのか? 私が思うには、ライカが手で持ち歩ける、肩に掛けて歩けるというカメラの歴史の中で突拍子もない形になったからです。別の言い方をすれば、愛玩できる大きさ、部屋のアクセサリーにもなる、ということです。暗箱カメラを手の上で磨く、などと発想する人はいなくても、小型のライカなら愛の対象になるのが必然の成り行きだったのでしょう。(3月22日)

その3
私が写真を始めたのは、ニコンF2とキャノンF1が激烈な覇権争いをしていた時でした。思えば、懐かしい。私が最初に手に入れたのは、キャノンF1です。知人の紹介で訪ねた写真屋さんが、「これは世界一のカメラですから。絶対間違いない」と言った言葉が、今でも強烈に記憶に残っています。仕事の同僚はもちろんほとんどの同業者は、ニコンF2でした。何だか、自分だけ反主流派になったような気分でした。

毎日のようにキャノンで撮った写真とニコンで撮ったそれを、嫌でも比較することになり、だんだんプリントの仕上がりが違うことに気づくようになりました。画質、すなわちレンズの性格が異なるのだな、と自覚するようになったのは、駆け出し時代を卒業した三年目辺りだったでしょうか。一応チャントとした写真が撮れるようになって、カメラがとかレンズがとか言い出すようになって、私もカメラ病患者の病棟に出入りするようになりました。(5月5日)

その4
当時の若いプロカメラマンの目標は、6×6判のハッセルブラッドかライカを持ち、三脚はジッツォの大型をひっさげて仕事場に向かう、というものでした。私は報道系の仕事だったので、ライカを買うことが夢でした。そんな時期、1980年に発売になったのがLeica M4Pです。これは当時としては、夢のカメラでした。ピントの精度を高める基線長が長くなり、外付けのファインダーが無くても28mm広角レンズが使えるように、レンジファインダーに28mm対応のフレームがあったのです。欲しかったですね。馴染みのカメラ店で何度も眺め、時折触らせてもらいながら、溜息ばかりついていました。これを手に入れるには、もう少し稼ぎと時間が必要でした。

私よりも少し前の世代は、ライカと言えばM3、M2、M4で仕事をしてきた人たちです。そういう方たちから見ると、M42やM4Pに違和感を感じるようです。巻き上げの感触が悪い、シャッター音がうるさい、カメラの仕上がりに高級感がない、レンズがシャープになった代わりに柔らかな空気感が薄れた、などの意見がかなりあったようです。私は、友人の持っていたM2.M4などを操作してみて、確かにそれらの意見は当たっているな、と感じました。

とはいえ、私個人は、敢えて古いタイプのライカを手に入れようとは思いませんでした。カメラの感触はとても大切なことですが、実際に使える、より便利であるということを重視したからです。感触に関して言えば、当時私が主力にしていたCanon F1より劣ることは、決してありませんでした。(2001.6.10)


その5
ついに、その日がやってきました。定かではありませんが、1982年か83年だと思います。ライカM4-Pが、私の手に握られるようになったのです。レンズは、ズミクロン35mm。当時発売になって間もない三代目のズミクロンで、それまでのものよりぐんとシャープネスの高い優秀なレンズです。しかし、「ライカの味」は、新設計のレンズにも生きていました。

F2開放では、画面全体に何となくニジミがあるのです。でも、それが欠点と言うよりは、美しく感じるのが不思議でした。二絞りの絞り込みで、ほぼ問題のないシャープネスを確保できました。私は、意図して開放絞りを使っていたように記憶しています。光の少ないところでは独特の雰囲気、陽炎のようなイメージの画面になるのです。

併用している一眼レフのCanonと比べてみたくなり、カラーリバーサルを使ってテスト撮影を繰り返してみました。すぐに分かるのは、発色です。色調が、ライカは渋い、おとなしい。Canonの方が、原色をより強調する傾向がありました。次にルーペで子細に見ていくと、色や明暗の階調表現がまるで違いました。ハイエストライトからディープシャドーへの移行は、ライカが非常に滑らか。つまり、中間調の情報量がものすごく多いのです。

その代わり、明快なハイエストとシャドーの表現は、Canonに軍配が上がります。フィルムを見たときの第一印象は、インパクトの強さとシャープ感ではどうしてもCanon。花びら一枚一枚の色の違いや日陰にすわる少女の顔、などといった微妙なディティールを捕まえるには、迷わずライカです。その後に発売になった、非球面レンズなどを使用した最新ライカレンズを使ったことがないので、何ともコメントできません。噂によると、開放から素晴らしくシャープとのことですが・・・。(2001.7.24)

その6
こうして私は、一眼レフはキャノン、レンジファインダーはライカMという、一応プロらしいシステムを持って意気揚々としていました。私の最初の写真集となった「海風の村」では、ライカMがずいぶん活躍しました。かつてニシン漁で賑わったけれども、すっかり寂れてしまった小さな漁村が舞台でした(現在は、観光地として若者が集まるようになっています)。薄暗い家屋の中での撮影が多かったのに、シャドー部が見事に再現されて、プリントを作りながら感激したものです。しかし、露出の決定やピント合わせには苦労しました(失敗も多かった)。露出計が付いていないのですから、今の感覚からすれば「とんでもない」事でした。

ライカは、その後露出計の付いたM6を手に入れましたが、チョット浮気をしたことがあります。M4-Pに一年ほど遅れて、ミノルタCLEが発売になりました。これはTTL測光の自動露出機構が組み込まれ、スナップショットには最適のカメラでした。小さく軽く、俊敏な撮影が可能です。ライカと一緒にバッグに入れていき、結局CLEで撮影したことが多かったです。

撮影しながら気づいたのは、レンズの性能が素晴らしかったこと。ライカとはやや趣が違いますが、画面全体の階調が滑らかであり、ピントを合わせたところは予想以上にシャープでした。中間調が豊富なので、暗室作業が楽でした。28mmと40mmの二本は、いまだに忘れられないレンズです。現在でも、中古市場では根強い人気があるそうですね。

このカメラが、「浮気」で終わってしまったのは、自動露出なのに露出補正がとてもやりづらかったこと、握った感触がライカよりは劣るということ。良いカメラなのに、本当に惜しい・・・。もう一つ言えば、MマウントなのにライカMレンズの画角にファインダーが対応していませんでした。これも残念なことでした。(2001.9.20)

その7
一眼レフに関しては、浮気することなくずっとCanonを使っていました。当時としては、最高の性能をもったLレンズシリーズ(赤いラインの入ったもの)が充実しており、仕事に安心して使えたからです。また、マニュアルのFDシステムの描写は、ごく一部を除けば「ボケ味」にヒドイものがありませんでした。ライカのような個性は感じませんでしたが、とりたてて不満もありませんでした。仕事の写真と作品のために、カメラを使い分けるほどの経済力の無かった私にしては、必要にして十分なカメラシステムでした。

オートフォーカス機を使い始めたのは、1986年か87年です。Canon EOS620という、当時の最新鋭カメラを最初に入手しました。確かテレビのコマーシャルで、女性のカメラマンが軽やかに風に乗る如くシャッターを押していたのを記憶しています。写真集になった「芽がでて ふくらんで ・保育園の子どもたち」の撮影に大いに活躍してくれました。動きの速い子どもたちを、人間の手よりも素早く、正確にピントを合わせて呉れたときは、感動の連続。こんなカメラがあれば、もう今までのマニュアルなど必要ない、と一時は思ったほどでした。

バブルの時期でもあり、雑誌など出版関係の仕事が多く、仕事優先というスタイルでした。気持ちの新鮮な時は、どんどんシステムが膨れ上がっていくものです。いつの間にかFDシリーズが姿を消し、EFシステムばかりになっていきました。超広角の20mmから超望遠300mmF2.8まで、間断なくズラリとLレンズが並んでいました。その中には、200mmF2.0などという今にして思えば「何故買ったんだろう?」というようなものまでありましたね。私の気分も、バブルだったのでしょうか。この当時は、レンズの「絞り開放」のシャープさに感激して、いつも開きっ放しの作品が多かったのです。ボケの大きな写真が、たくさん出来ました。冷静に考えれば、絞りの効果を生かした多彩な表現力を失っていました。浮かれていたのでしょうね。( 2001.10.30 )


その8
バブルの終わりとその影響が深刻になり始めた頃、私の雑誌での連載(グラビア)も一息つきました。時間に追われ、締め切りに追われる生活に少し疲れていました。時代の区切りが来ているような気がしましたし、今までとは違ったテーマや被写体を考え始めていました。そして、ヒョンなことから撮影を始めたのが、森の風景です。今もそれは続いているわけです。ドキュメント的な仕事からの転身ですけれど、不思議と違和感は無かったのです。

それまでの私の撮影システムは、テンバP-595カメラバッグにCanon EOS-RT(2台)、20-35mmL、35-350mmL、専用ストロボなどのアクセサリー、ライカM6、ズミクロン35mm、50mm、といったものです。旅をしながらの取材が多かったので、出来る限り荷物をコンパクトにすること、撮影に不足のないレンズシステムであること、を優先したのです。しかし、このシステムでも森や自然の中では重すぎます。

新しいシステム構成を考えるざるを得なくなりました。それとオートフォーカスの使用を続けるうちに、光の強弱や露出に対する感性が鈍ってきている自分に気がついて、ひどくショックを受けていました。さらに、カメラ自体の美しさを楽しむことも忘れかけていました。

私がシステム選択の前提にしたのは、カメラやレンズが小さく軽いこと、必要にして十分な光学性能があること。さらにさらに検討対象にしたのが、レンズの「ボケ味」です。カタログのスペック一覧を見ただけでは、絶対に分からない部分ですから・・・。森の撮影では、この点を妥協することは出来ません。また一つ条件を付けて、カメラとしての美しさ、気品があること。さて、こんな条件をクリアーするカメラなんて有るものか、私自身も「難しいな!!!」と思いました。またまた、カメラ選びの試行錯誤と紆余曲折が始まりました。(2001.12.15)

その9
あれこれカタログを眺めながら目を付けたのは、オリンパスとコンタックスです。当時コンタックスS2(1992)が発売になっており、「小さくしっかりした作り」という条件を満たしていました。カタログを見つめているだけでは何も起こらないので、とりあえず写真を撮れる最低の機材を購入しました。ボディはS2、レンズはディスタゴン35mmF2.8、テッサー45mmF2.8、バリオゾナー80-200mmF4。作りは丁寧で、しっかりした感触が手に伝わってきます。コンッタクスの製品は、一部を除き金属仕上げというのが、ものすごく新鮮でした。

肝心の写り具合です。驚いたのは、レンズ一本一本が個性を持っている、ということです。ディスタゴン35mmは、シャープさと階調再現のバランスがよく、安心して使えるものです。開放でも、実用性があります。テッサーは、あの小さな100グラムにも満たない体で、見事なシャープネス、コントラストがあります。ただし、開放で画質が低下するようです。

もっとも魅力を感じたのは、80-200mmです。ズームとは思えないボケ味、アウトフォーカスの部分がスーと形が崩れていき、針金のようなラインが出ることはありませんでした。私は、それまでこういう事には、なるべく目をつむって無視していました。そして、発色。抜けの良さで定評のCanonが水彩画なら、コンタックスは油絵的な表現です。フィルムの上に、しっとりと色が乗り、独特のイメージを作り上げていました。

ボディのS2。チタン仕上げのガッチリした仕上がり、分かり易い操作性、ほとんど文句をつけるところの無い良いカメラです。一つだけ気になって仕方がなかったのは、シャッターを切った後に金属的な甲高い音が耳に響く、ということ。その他のボディは、RTSVが約1.200グラム、STが800グラム、発売になったばかりのRXが約800グラムと、どれも重量感のあるものばかりでした。いずれも金属仕上げの素晴らしいものですが、何しろ重いのです。私は、考え込んでしまいました。レンズに関して不満はありませんが、ボディが大きく重い。S2は、音が嫌。

すっきりしない気持ちのまま、何となくコンタックスに手を触れる機会が減っていきました。「使いたい、でも重い」と心が揺れ動くのは、目の前に薄いベールを置かれたような気分です。コンタックスは、「小金持ちのお父さんが使うカメラ」というイメージができあがっており、企業としては損をしていると思います。実は、レンズやカメラの設計・製造をこれほど真面目にやっている会社は少ないのです。私の場合は先入観なく選択したのですが、当時若いカメラマンでコンタックスを使っているという人に出会った記憶がありません。(2002.1.11)


その10
偶然1月18日の新聞を見て、ひどくショックを受けました。予想していたとはいえそれが現実のものになると、悔しさと怒りでなかなか気持ちが落ち着きませんでした。何のことかと言うと、オリンパスOM-4TiとOM-3Tiがついに製造中止になったのです。オリンパスのことを書こうと思っていた矢先のことでした。

コンタックスと同時に目を付けていたのがオリンパスです。小型軽量、金属のしっかりした仕上げ、操作性の良さ、必要にして十分な画質のレンズ。言うこと無し、です。オリンパスがこだわったのは、一眼レフでありながら「ライカMと同じ大きさ・重さであること」ではないかと想像します。ライカと大きさを比べると、ペンタプリズムの分だけやや高くなりますが、横幅や厚さはほぼ同じです。重さも変わらない。しかも、外装はチタン仕上げという涙が出そうな美しさなのです。

まずは旧タイプのOM-4を中古で購入、その他28mmF2.8、35mmF2.8、50mmF1.7、100mmF2.8も手に入れました。旧OMはチタンではありませんが、金属ですから手に持った時の感触は存在感があります。レンズも小さいけれど金属。プラスチックのようなフワフワ感はまったく無いです。外に持ち出して撮影してみると、カメラとはこんなに軽かったか、と感激しました。カメラバッグを担いでいても、腰への負担は半減しました。カメラマンという労働者は、大きな荷物を持つのが日常の仕事なので、腰痛や背骨痛が持病になっているのです。

レンズの描写は、なかなかシャープ感があります。やや階調に硬さがあるものの、ボケ味は合格点です。単焦点レンズということもあり、性能的には安定しています。よく見ると、フィルムの周辺まで丁寧に収差が補正されています。中央は一際シャープだが、隅の像が流れたりボケが悪かったりというレンズが、意外と今でも多いのです。一番気にしていたボケの形に大きな不満を感じなかったので、いよいよ使ってみることにしました。発色は、マルチコートになった現行のレンズであればおおむね規格内にあるようで、特別なクセは感じられません。

カメラの基本スペックでは、これ以上付け加えるものは何もありません。平均測光とスポット測光の使い分けが出来、露出オート時の露出補正がダイヤル一つで簡単に行えます。オートフォーカス機のように、ボタンを押してダイヤルを回すみたいな複雑な操作はいっさい必要ありません。最も感激するのはファインダーです。視野率97%、像倍率84%です。ニコンF2,F3やキャノンF1の時代なら特別なものではありませんが、オートフォーカス機の小さなそれと比べるとものすごく大きく見えます。それに明るくてピントが合わせ易い。これがカメラなのだ、と感激の上に感激を繰り返していました。その後、85mmF2.0、200mmF4、21mmF3.5なども手に入れました。(2002.2.9)

その11
私の「森の写真」は、こうしてオリンパスOMシステムを中心にして撮影が始まりました。雨の日も風の日も凍てつく雪の日も、私の相棒として頑張ってくれました。やや弱点と感じたのは、雨にあまり強くないことです。小雨程度なら問題ないのですが、体が濡れるくらいに降ってくると、巻き上げがだんだん重くなってついに動かなくなったことが何度かあります。修理に出せばスッキリと直りましたけれども・・。

しばらくズームレンズから遠ざかっていたのですが、自然の中でフレーミングをするには単焦点レンズだけでは実に不便なことが多いのです。 何か良いズームはないかな、と思っている時に発売になったのがタムロン28-300mmというスーパーレンズです(2000年2月)。

早くから発売になっていた同社の28-200mmの存在は知っていましたが、手を出す気持ちにならず、横目に見ていた程度です。28-300mmに関しては、写真雑誌での評価が高かっただけでなく、パンフレットに載っていた実写写真にいたく興味を引かれたのです。ピントが合っているのは当然として、ボケ味がズームとは思えないほど素直で美しくさえありました。階調も滑らかな印象を受けました。

残念なのは、オリンパスOM用のマウントが無かったことです。そこで使い易そうなペンタックスMZ3をボディに選択、タムロンと一緒に購入しました。いずれも低価格の商品なので、買うことにまったく躊躇しませんでした。使い始めてみると、軽い上に便利この上なく、私はすっかり納得してしまいました。予想通り、写りはなかなかのものです。かつてのタムロンのイメージは消えて、発色は素直、軟らかくスベスベした階調、ボケの美しさ、取り立てて言うような欠点はありません。便利さ、操作性、価格からは文句を言う筋合いではありません。

ブナの新緑を撮った時は、感激すらしました。新緑の緑は、肉眼で見るほどコントラストや彩度は高くありません。ポヤポヤッというイメージでしょうか。非常に繊細、微妙な色合いなのです。その際どい色を実に見事に描写してくれました。正直言って過剰な期待を持っていなかったので、結果を見て驚きもものき、さんしょのきでした。オリンパスほどではないにしろ、適度なシャープネスがあり、私の作風に合った良いレンズに巡り会いました。

しかし、オリンパスに比べると全てがプラスチックというのが落ち着きません。軽い、操作性が良い、並以上の描写力と私が求める大半の条件をクリアしているのに、手に持った時の存在感は(???・・)なのです。嫌いじゃ無いけど、骨まで愛します、とは言えない。ウーム、とまたも考え込んでしまったのです。 (2002.3.24)

その12
そんな折りに、カメラ好きの知人から「コンタックス28-85mmを使いませんか?」と声をかけられました。知る人ぞ知る評価の高いCONTAX・Vario-Sonnarです。しかも、予想外の低価格。一瞬、心がユラリとしました。私は、落ち着き払って「一度使って見ようではないか」などと言ってしまいました。良いレンズであることは知っていましたから、ちょっと手を付けて放置していたCONTAXに、もう一度目を向けてみることに相成りました。

「その9」でコンタックスについて書きましたが、当時は「ちょっと試しで」と簡単に買えるようなレンズではありませんでした。従って初対面。オリンパスと比べると大きく重い、操作性は決して良くない。しかし、使う人間を納得させる存在感があります。金属鏡筒の丁寧な仕上がり、触れば触るほど引き込まれていきます。

さっそく実写。以前に80-200mmを試した時と同じで、まったくズームレンズと思わせないシャープネスです。しかも、発色、ボケ味、階調の豊かさ、申し分ないものです。一般的に、ほとんどのレンズは開放から2段程度絞ったところが最良の画質になりますが、このVarioは絞り開放から十分にシャープ。「使うことにしたよ」と、知人から譲り受けました。

ズームですから、コンビを組む相方もズームでいきたい。この際、300mmまで使えるVario-Sonnar100-300mmであらねばならない、と判断しました。実は以前にCONTAXを使っていた時、この100-300mmが新発売になり、タラリと涎を垂らしながら諦めたのです。定価23万円ですから、おいそれとは買えなかった。運の良いことに(悪かったのか?)、馴染みの中古販売店のケースに傷一つ無い100-300mm様がキラリと光って鎮座しているのを見てしまいました。気がついたらクレジットカードを出している自分に、呆れかえってしまいました。

画質は、ほぼ文句のつけようは無いです。どの焦点距離でも安定しています。開放から十分シャープですが、一絞りくらい絞った方が良いでしょう。敢えて言えば、200mm辺りがいい。ボケは、80-200mmのような個性的主張は感じられませんが、非常に綺麗です。普通の撮影では、二線ボケのようなものは出ません。個人的には、80-200mmのボケの方が好きです。階調の豊かさは、CONTAXならではで、28-85mmの相方としてピタリです。

ただし、このレンズの仕上げも性能も最高ですが、大きく重いことはどうにもなりません。ほぼ1Kgです。今回は、ズームの二本セットですから、約1800g。それでも単焦点レンズをゴロゴロ持ち歩くことを考えれば、我慢出来る範囲です。最大のメリットは、山や森に行くときにがさばらない、撮影がスムースということです。

ボディは、軽くするのを最優先に、Ariaを選択。プラスチックで身を固めた、CONTAXとしては異例の「近代的」なカメラです。操作性・性能は、特殊な撮影でない限りまったく不満のないものです。アマチュア向けという顔をしながら、実はプロの要求に十分応えるものなのです。しばらく使っていて、レンズとの相性に疑問を感じました。片や金属のガッチリ仕上げで触るとやや冷たい感触、片やプラの生暖かい手触り。この際ということで、RXを中古で手に入れました。こちらは立派な金属仕上げ。一部、ボディ上部にあるダイヤル類がプラなのは不満ですが。 (取りあえず終わり)(2002.4.24)


私のカメラ・レンズ遍歴を、短く辿ってみました。結論としては、写真機の感触、レンズの写り方、デザイン、大きさ・重さなど、100%気に入ったものを手に入れるのは不可能にちかい、ということです。全て他人が設計し製造したものですから、さらにメーカーとしての採算もあり、ユーザーの思い通りにはなりません。

そんな中で、自分に合った写真機を探すのが楽しみであり、手に入れることで豊かな満足感を得られるのです。そのカメラで最良の写真が撮れたときには、ますますのぼせ上がり、病は生涯のものとなるのです。