その5
ついに、その日がやってきました。定かではありませんが、1982年か83年だと思います。ライカM4-Pが、私の手に握られるようになったのです。レンズは、ズミクロン35mm。当時発売になって間もない三代目のズミクロンで、それまでのものよりぐんとシャープネスの高い優秀なレンズです。しかし、「ライカの味」は、新設計のレンズにも生きていました。
F2開放では、画面全体に何となくニジミがあるのです。でも、それが欠点と言うよりは、美しく感じるのが不思議でした。二絞りの絞り込みで、ほぼ問題のないシャープネスを確保できました。私は、意図して開放絞りを使っていたように記憶しています。光の少ないところでは独特の雰囲気、陽炎のようなイメージの画面になるのです。
併用している一眼レフのCanonと比べてみたくなり、カラーリバーサルを使ってテスト撮影を繰り返してみました。すぐに分かるのは、発色です。色調が、ライカは渋い、おとなしい。Canonの方が、原色をより強調する傾向がありました。次にルーペで子細に見ていくと、色や明暗の階調表現がまるで違いました。ハイエストライトからディープシャドーへの移行は、ライカが非常に滑らか。つまり、中間調の情報量がものすごく多いのです。
その代わり、明快なハイエストとシャドーの表現は、Canonに軍配が上がります。フィルムを見たときの第一印象は、インパクトの強さとシャープ感ではどうしてもCanon。花びら一枚一枚の色の違いや日陰にすわる少女の顔、などといった微妙なディティールを捕まえるには、迷わずライカです。その後に発売になった、非球面レンズなどを使用した最新ライカレンズを使ったことがないので、何ともコメントできません。噂によると、開放から素晴らしくシャープとのことですが・・・。(2001.7.24)
その6
こうして私は、一眼レフはキャノン、レンジファインダーはライカMという、一応プロらしいシステムを持って意気揚々としていました。私の最初の写真集となった「海風の村」では、ライカMがずいぶん活躍しました。かつてニシン漁で賑わったけれども、すっかり寂れてしまった小さな漁村が舞台でした(現在は、観光地として若者が集まるようになっています)。薄暗い家屋の中での撮影が多かったのに、シャドー部が見事に再現されて、プリントを作りながら感激したものです。しかし、露出の決定やピント合わせには苦労しました(失敗も多かった)。露出計が付いていないのですから、今の感覚からすれば「とんでもない」事でした。
ライカは、その後露出計の付いたM6を手に入れましたが、チョット浮気をしたことがあります。M4-Pに一年ほど遅れて、ミノルタCLEが発売になりました。これはTTL測光の自動露出機構が組み込まれ、スナップショットには最適のカメラでした。小さく軽く、俊敏な撮影が可能です。ライカと一緒にバッグに入れていき、結局CLEで撮影したことが多かったです。
撮影しながら気づいたのは、レンズの性能が素晴らしかったこと。ライカとはやや趣が違いますが、画面全体の階調が滑らかであり、ピントを合わせたところは予想以上にシャープでした。中間調が豊富なので、暗室作業が楽でした。28mmと40mmの二本は、いまだに忘れられないレンズです。現在でも、中古市場では根強い人気があるそうですね。
このカメラが、「浮気」で終わってしまったのは、自動露出なのに露出補正がとてもやりづらかったこと、握った感触がライカよりは劣るということ。良いカメラなのに、本当に惜しい・・・。もう一つ言えば、MマウントなのにライカMレンズの画角にファインダーが対応していませんでした。これも残念なことでした。(2001.9.20)
その7
一眼レフに関しては、浮気することなくずっとCanonを使っていました。当時としては、最高の性能をもったLレンズシリーズ(赤いラインの入ったもの)が充実しており、仕事に安心して使えたからです。また、マニュアルのFDシステムの描写は、ごく一部を除けば「ボケ味」にヒドイものがありませんでした。ライカのような個性は感じませんでしたが、とりたてて不満もありませんでした。仕事の写真と作品のために、カメラを使い分けるほどの経済力の無かった私にしては、必要にして十分なカメラシステムでした。
オートフォーカス機を使い始めたのは、1986年か87年です。Canon EOS620という、当時の最新鋭カメラを最初に入手しました。確かテレビのコマーシャルで、女性のカメラマンが軽やかに風に乗る如くシャッターを押していたのを記憶しています。写真集になった「芽がでて ふくらんで ・保育園の子どもたち」の撮影に大いに活躍してくれました。動きの速い子どもたちを、人間の手よりも素早く、正確にピントを合わせて呉れたときは、感動の連続。こんなカメラがあれば、もう今までのマニュアルなど必要ない、と一時は思ったほどでした。
バブルの時期でもあり、雑誌など出版関係の仕事が多く、仕事優先というスタイルでした。気持ちの新鮮な時は、どんどんシステムが膨れ上がっていくものです。いつの間にかFDシリーズが姿を消し、EFシステムばかりになっていきました。超広角の20mmから超望遠300mmF2.8まで、間断なくズラリとLレンズが並んでいました。その中には、200mmF2.0などという今にして思えば「何故買ったんだろう?」というようなものまでありましたね。私の気分も、バブルだったのでしょうか。この当時は、レンズの「絞り開放」のシャープさに感激して、いつも開きっ放しの作品が多かったのです。ボケの大きな写真が、たくさん出来ました。冷静に考えれば、絞りの効果を生かした多彩な表現力を失っていました。浮かれていたのでしょうね。( 2001.10.30 )
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