田舎暮らし体験記 第5章                          Back

●第24話 学校と教育
私が黒松内町に移住する前は、地域ごとに小規模小学校がありましたが、一挙に三校が廃校になりました。2007年現在、小規模校は、白井川(しろいかわ)小学校と白井川中学校のみです。白井川小学校の生徒数は、16名。中学校も、ほぼ同じ程度の生徒数です。この両校も統廃合の方向なのですが、地域住民の希望もあり、存続しているようです。

基本的には、町市街地にある黒松内小学校と黒松内中学校が、黒松内の学校です。2005年度の資料で、黒松内中学校の生徒数は、111名。内一年生が26名ですから、2年後の現在生徒数は、100人くらいかもしれません。黒松内小学校の2007年度入学生徒は、17名。この数から推し量ると、全校生徒数は、100名くらいかと思います。正確にお知りになりたい方は、町教育委員会にお問い合わせください。

すでに仕事をリタイアし子どもたちも独立している、中高年の皆さんにはあまり関係ないことですが、若い独身の方や子どもの小さなご夫婦にとって、学校や教育事情は無関心でいられない問題であろうと考え、一筆滑らせておくことにしました。私が在町中に、かつて町内の小学校で教頭先生をされていた方にお話を聞く機会がありましす。その内容を掻い摘んで記ます。

(1) 小規模校や複式学級の良さは、先生が、生徒一人一人の家庭環境も含めた多方面に渡って目が行き届くことでしょう。よく云われるように、「家庭的」「家族的」な触れ合いのなかで、教師は柔軟かつ丁寧な指導も可能です。

(2) しかし私は、 小規模校・複式学級を解消して、出来るだけ大きな集団にすることを主張していました。複式学級の場合、一人の先生が一つの教室で二学年を教えなければなりません。たとえば二年生と六年生のクラスなら、両学年の教科や内容はまるで違います。二年生の授業をしている時は、六年生は事実上遊んでいるに等しい状態になってしまいます。逆になったら、二年生に目が配れません。一時限といっても、事実上半時限しかないのと同じという効率の悪さなのです。

(3) 入学する子どもの人数は、数人から十人以内ですので、学年が上がってもクラス替えができません。良く解釈すれば、ずっと卒業まで兄弟姉妹のような気心の知れた関係を作っていけます。しかし、新しい友人を作ったり、知らない人間とコミュニケーションをとるなどの機会がきわめて少なく、人間関係の幅やバリエーションが少ないのはマイナスだと思いました。

(4) これは、日常の挨拶から始まり、初めて会った相手にも伝わるような会話力、社会常識を身につける上で、あまり好ましいものではありません。もちろん教師の指導力や親の躾けの問題もありますので、小規模校だけの責任とは云えませんが、「知った人間だけの日常生活」は人間関係の緊張感が弱くなりがちで、外部からの刺激が少ないのが事実です。

(5) 一概に云えませんけれど、学力についても都会に比べて不利になる可能性があります。周りの環境も生活様式ものんびりした雰囲気ですから、生徒同士の競争心・向上心はあまり強くありません。能力のある子なのに、あと一頑張りという意欲が沸いてこず、期待ほどに学力が向上しないことも見受けられます。

以上のようなお話を伺い、なるほどそんなものか、と頷いたものです。小学校、中学校、高校を出て、地元に残っている若者は、みな兄弟という感覚に陥りやすい。就職しても、周りは子どもの頃からよく知った関係者が多いですから、「おい」「おまえ」の気安さがあります。私が移住当初に感じた商店などでの客への対応の悪さは、悪意ではなく、人間関係の緊張感の無さが原因なのかもしれません。

最近は、「大学全入時代」と云われています。その一方で、国公立大学やブランド私大は、ますます入試競争が激しくなっているようです。遅くとも中学生くらいになると、将来の進路や大学入学を考えざるを得なくなる訳ですが、田舎では緊迫感や情報が少ないのが事実です。地元で仕事に就いている人から、「高校生の時、もっと勉強すべきだと分かっていても、友達があの程度の成績だから、これ以上やる気にならなかった」との告白を聞いたことがあります。

黒松内にも塾があります。それでも、都会の受験生と比べると 、「競争力」「学力」では厳しいのが現実ではないでしょうか。黒松内に移住したが、子どもが進学の時期を迎え、また都会に戻った人がいます。地方在住の私の知人は、ご子息を札幌市内の高校に入学させて、大学受験に備えていました。別の人は、中学生になった子どもを、早々と札幌に送り出しました。下宿生活ですから、お金もかかります。ため息が出るほどに、ほんまに大変なことです。

大学進学なんぞ視野の外という子どもや親にとってはどうでも良いことですが、何某かの勉学をしたいとか高度な資格を取りたいと考えている場合、こうした田舎特有の教育環境を知ったうえで、早めにしっかり対処することが必要です。

私個人は、今の受験制度に同意できない人間です。とはいえ、大学に行かなければ自分の夢(仕事)を実現できない場合があります。批判はしながらも、現実に対応する柔軟さは必要です。子どもの教育は受験だけではありませんけれど、田舎暮らしへの親の熱い思いと同時に、子どもたちの将来も避けずに考えていただきたいものです。

参考までに、黒松内町から通える高校は次の通りです。小樽潮陵高校、小樽桜陽高校、寿都高校、蘭越高校、喜茂別高校、倶知安高校、共和高校、岩内高校、古平高校、余市高校、長万部高校。実際には、列車通学の可能な倶知安高校、蘭越高校、長万部高校などに通う子どもたちが多いようです。

列車通学とは云え、自宅から駅までがとても遠い家庭があります。農家だと、何十キロも離れている。そのため朝夕、親が車で送迎しなければならないのです。黒松内駅の近くなら徒歩か自転車も可ですが、一般的には、通学も楽じゃないと覚悟すべきです。通学費の負担や送迎の時間を考えると、何度も何度も ため息が吹き出てまいります。(2007/9/27)

第25話 カメムシの話
北海道では、例年になく素晴らしい色調の紅葉となりました。この華やかな一瞬の風景を愛で、月が変わると、降雪への準備にかかる季節です。私の住んでいる札幌の集合住宅の窓に、日差しが暖かい日になると、テントウムシやカメムシがへばり付いているのが目に入ります。
思い出したのですね、黒松内在住中は、このカメムシとの戦いが、秋の日課であったことを。

カメムシとは何か。漢字で亀虫と書く昆虫です。姿が亀の甲羅に似ているから、というのが理由らしい。最大の特徴は、うっかり触れようものなら、もの凄い悪臭を放出することです。普通の人なら、間違いなく不快を通り越して、気分と具合が悪くなります。屁っこき虫などの俗名もあり、昔から日本人と浅からぬ関係にあります。

この仲間は大変に多く、世界中に分布しているらしい。その中でも、カメムシ科に分類されているものを云うそうです。我が家の周りにいたのは、体長1cmていど、やや黒っぽい色、薄く茶が混じるものもありました。その他、体が大きく、緑色の模様が入ったカメも時折見かけました。

移住した1999年、翌2000年、2004年、2005年は、黒松内にしては特に暑い夏でした。三十度を超える日があったのを記憶しています。
昆虫たちは、暑いのが大好きらしい。カメムシの大量発生が起こるのは、このような暑い年と決まっています。トンボがフワフワ、ユラユラと飛び回るのは、捕虫網を振りかざしして夢中で追いかけた子ども時代を思い出すし、決して嫌な気分にはなりません。が、カメムシが大発生した光景は、言葉では語り尽くせないものがあります。

彼らは、秋九月となると、本格的に姿を現します。日差しの強い秋の日、帰宅すると我が家の玄関ドアがカメムシ埋め尽くされ、真っ黒になっていました。箒を持ち出して、バジバシとはたき落とし、やっと家の中に入る。途端に、鼻の粘膜を刺激する強烈な臭い。硫黄と食べ物の腐敗臭が混じったような、「ゲッ」「ムカッ」という感じ。臭いは、言語表現が難しい。

玄関から室内まで、カメムシの悪臭が充満しているではないか。木造の建物だから、至る所に隙間があります。窓、換気口、換気扇、ドアの下、爪一枚分くらいの空間があれば、彼らは難なく進入してきます。よほど密閉度の高い家屋で無い限り、防ぐのは至難でしょう。居間の中がカメ臭に満たされるは、本当に辛いものです。

夜になると、ライトの周りに集まってきて、ブンブンブンブンと羽音を立てて飛び回る。その下は食卓テーブルがある。普通の家庭はそのようなレイアウトになっている(場合が多いはず)。飛び回ると、何かの拍子に悪臭を放出します。放出された悪臭物質が、霧のようにサーッと降ってくるのを、蛍光灯の光の中に目撃した時は、背中がゾクゾクして食欲が減退していきました。

町内のお年寄りに相談したら、次のような対処法を教わりました。適当な大きさの広口瓶(インスタント珈琲の瓶、ジャムの瓶、蜂蜜の瓶など)に、水か灯油を入れておく。カメムシを発見したら、どこかに止まるのを待つ。そっと近づいて、瓶をその真下に近づける。驚いたカメは、広口瓶の中に落下する。すぐに蓋をして、閉じこめてしまう。以上。

無闇に追いかけたり触ったりすると、 かえって事態は悪くなります。彼らは、常に訳もなく悪臭を発するのではなく、身の危険を感じたり驚いた時に異物を放出するのだそうです。捕獲する時は、驚かさずに近づき、ワンチャンスで決着をつけるのがコツです。広口瓶に、何故落下するか。カメは、危険を察知するや、一瞬真下に向かって逃げるようです。その癖を逆手に取るのです。

カメとの戦いは、秋だけではありません。秋に家の中に潜り込んだカメは、冬の間も室内で活動します。とくにストーブがあり暖かい居間は、その確率が高い。油断していると、あらぬ場所で動き回っていますから、広口瓶は常に手の届くところに用意しておきます。春には、瓶がカメのご遺体でいっぱいになっています。そんな瓶を見ているのも、気分が悪いものですが・・。

私の家の向かいには、廃校になった旧大成小学校がありました。この校舎の鉄筋コンクリート壁が、カメの集団で真っ黒になっていたのを思い出します。秋の太陽光に照らされるカメの壁、冗談にも美しい風景とは言えませんでした。

隣町の長万部(おしゃまんべ)の人と、カメの話題になったことがあります。その人は、以前海のすぐ傍に住んでいたそうです。当時は、カメムシに悩まされたことはなかったとのこと。ところが、内陸側の現在地に住むようになってから、カメとの戦いが始まったそうです。経験から、海風の吹く場所には、カメはいない、森や草原のある場所では、呆れるくらい纏まるように出てくる、とのことでした。確かに、私の家は、森と草原と牧場に囲まれておりました。

都会は至る所アスファルトや敷石になっており、住宅街は猫か狸の額ていどの花壇か畑があるのが普通です。カメが大量発生するほどの自然環境がないのです。自然が豊かな田舎は、人間以外の生き物もまた豊かに存在しています。田舎暮らしには、都会と同じ感覚や条件を求めることが無理があり、カメムシたちとのお付き合いも計算に入れておかなければなりません。
(2007/10/27)

●第26話 そろそろ締めの話

1年以上にわたって書き綴ってきた「田舎暮らし体験記」ですが、日毎に私の記憶箱から過去の日々が 蒸発していくように感じます。そろそろ、締めの話にいたします。今回は、移住者への生活アドバイスのようなものです。

(1)全てに無理をしないこと
たとえば、あなたが東京で仕事をし、生活してきた人である、といたしましょう。東京は便利です。世界のあらゆる物資と情報と文化が集まっています。交通機関は、あたかも人体の血管群のように街の隅々にまで行き渡っています。都市は、二十四時間生きています。だから都市だ、とも云えますが。

都市で生活している人には、その生活習慣や文化感覚というものが知らず知らずに五体の奥まで染みこんでいるものです。 一大決心をして田舎に移り住んだからといい、たちまち長年の都市感覚から自由にはなれません。 何十年も掛け、人生の大半を生きた都市で身につけた意識を、無理に否定したり強引な変革をしようとは考えない方が善いでしょう。自由にのんびり生きるはずが、すべてストレスになりかねません。

(2) 近隣お付き合いは自然体で
田舎暮らし関連のホームページを眺めていると、「地域の行事には積極的に参加しよう」とのアドバイスが多いですね。それなりに根拠のあることで、間違いではありません。ただし移住者が、その事に義務感や負担感を感じるほどに無理をするのは、如何なものかと思います。ストレスになるようでは、何のために田舎に来たのか疑問です。

夏の草刈り、冬の除雪作業、神社仏閣関係の行事など、転居後に地域の区長(町内会長)さんから突然の招集がかかったりします。その日に出席可能なら、とりあえず参加してみましょう。百聞は一見に如かず、です。予定が入っていて都合が悪い場合は、率直に参加できない旨を告げましょう。理由も分かり易く伝えるべきです。

曖昧な態度は、最も悪い結果になります。新住人は、周りから注目の的であることは間違いありません。どこから来た、仕事は、夫婦関係は、家族は、性格はなどなど、興味津々で見つめられていますから、自分の行動予定や考え方は素直に伝えて、出来るだけ早い内に理解してもらうのが感情の齟齬を生じさせないコツです。

行事に参加出来なくても、日頃から近隣の方と、立ち話をしたり、玄関口でお茶をご馳走になったり、自然な形で会話をする機会を持つのが善いのです。生活習慣は違っても、お互いを理解し合うのが大事です。

(3) 個人情報の開示も
近隣お付き合いに関わることですが、個人情報は、不都合のない範囲で地域住民に開示した方が無難です。田舎では、住民みんなが親戚・兄弟・知人みたいな感覚がありますから、お互いの身内の諸事情を知り合っているのです。その方が安心なのですね。町民は、他家の家族構成について、直接交際がない人でも、けっこう知っています。

私は、私自身の出身地、出身校、仕事、親の状況、妻の仕事、子どもの年齢や仕事、これらについてオープンにしていました。とくに仕事については、何時何処で撮影がある、出張するなど、近くの人に立ち話ついでに話していました。誰かに言っておくと、何となく地域の人々の耳に入りますから、敢えて各戸に伝え歩く必要はありません。

ある程度家庭内の困った事情などを知ってもらっていると、いざと言う時にツーカーで分かってもらえるし、場合によっては助けの船を借りることもできます。「得体の知れない人間」、と思われないようにしましょう。

(4) 陰で悪口を言わないこと
田舎生活で感じた悪癖は、住民同士が不満や不平や悪感情を抱いた場合、その場で率直に語り合わず、別の場所で「悪口」を述べることです。そうすると、あちこち情報が迂回しながら、遠回しに相手の意図と感情が本人に伝わってきます。「おい、Aがお前のことをこんな風に言っていたぞ」、てな具合であります。伝聞ですから、Aさんの意図が正確なのかどうかも怪しい。

当人同士が直接語り合わないで、迂回路で繋がっているのは、何とも気持ちの悪いものです。付き合いを止めてしまうわけではないので、次に会った時は素知らぬふりで笑顔の会話をしている。狭い地域で共に生きていく知恵、とも云えますが・・。

私は幸いに 、地域の方々とトラブルになったり、悪感情を抱いたことはありませんけれど、もしも、何かいざこざな感情が発生しそうな状況に遭遇したら、その場で解決するのが善いと思います。自分の胸に留めて我慢するのはストレスが蓄積するだけ、かといって他所で陰口のように言うと、いつの間にか相手に伝わります(たいていは、ねじ曲がって)。

言う場合は、 相手も納得するように、感情を昂ぶらせないように冷静に紳士的(淑女的)に、常識をもって語りかけましょう。

(5)
都会の病院を把握しておこう
近年、都会と地方の 格差拡大が問題になっています。北海道の事情は、本州よりも更に悪いので、いざという時の対処方法を抜かりなく検討しておいてください。とくに医療と病院については。

道内で医療機関が充実しているのは、札幌市と旭川市です。札幌は、北海道大学医学部付属病院と札幌医大付属病院があります。旭川は、旭川医大付属病院があります。この二市は、医大・医学部があるので、医師もいて、病院もたくさんあります。先進医療を受けられる病院があり、医療過疎の心配はありません。

その他の中核都市、函館市、帯広市、釧路市などは、それなりに充実しているので、日常的に不足はありません。ただ、特殊な診療科や高度先進医療には、やや不安があります。その他の市町村となると、全てを満たしているとは思えません。残念ながら、正確・精密・先進を望むのなら、札幌か旭川に行くことになるでしょう。

不安のある病気を抱えている、三大疾病で深刻な事態になった、などを想定して、自分の住んでいる町村から最も近い都会の先進医療が可能な病院を調べておきましょう。現在通院が必要な人なら、都会に主治医を持った方が良いかもしれません。合わせて、通院の交通手段も検討・確保しておくべきです。

急ぐ場合は、車が手っ取り早いのですが、冬期間は危険を伴います。JRやバスの利用方法も調べておきましょう。長距離・長時間の通院なら、宿泊も必要です。安いビジネスホテルや旅館を、情報の中に入れておいて下さい。

(6)雪に強い四輪駆動車を
北海道の田舎生活では、長距離、長時間運転は当たり前、さらに冬期間の雪道・吹雪の運転があります。したがって、自然的悪条件に耐えるような車を購入することをお勧めします。本州では何の問題もない二輪駆動車は諦めて、四輪駆動車に変えるのがベストでしょう。第10話、第11話を参考にしてください。

車種は、車体が頑丈で、やや車高が高いラダーフレーム型のものが 良いでしょう。スズキのエスクードやジムニーシエラあたりは、合格点。欲を言えば、ランドクルーザーやサファリーが理想ですけれど、高価格と高燃費と取り回しの悪さが難点です。田舎の一本道を直進するには快適ですが、都会に踏み入れると、裏通りの走行や駐車場に入れるのに苦労します。

お勧めしたくないのは、軽自動車。自宅の近くだけを走るのなら差し支えありませんが、長距離運転には向きません。事故が起こった場合は、田舎を走っているのは輸送トラックなどの大型車が多いこともあり、原型を留めぬまでに潰れてしまう確率が高いのです。せっかく憧れの田舎生活を始めたのに、事故で死ぬなどつまらぬことです。

都会から移り住み軽自動車に乗っていて亡くなった人の話を聞いたり、実際に何度も事故現場を見て、 軽自動車の怖さを知っています。無用な大型車は買うべきではありませんが、ある程度の衝撃耐久性のある車種を選択してください。

すっかり定着した感のあるミニバンもお薦めしたくありません。モノコック型の車体構造で、あの大きさ、その割には車輪が小さく車高も低い。田舎の未舗装道路を走るには無理があります。ミニバンのような捻れに弱い車が普及したのは、当初ヨーロッパのように山岳地帯が少なく平地が広がり、道路が舗装完備されている処でした。日本の悪路走行には向きません。

冬の雪道には、塩化カリウムが撒かれています。融雪剤です。近年は、事故を減らす効果も狙って、大量に散布されているようです。ドライバー泣かせなのは、これが「強力なサビ増殖剤」となっていること。新車なのに、一冬乗ったら、車の下はサビで真っ赤に成っている。文字通り、足元からガタが来るのです。とくにブレーキ回りが錆びると、命取りの事故につながります。

対処方法は、錆防止剤を車の下に塗ること。車を購入、あるいは車検の時に、ディーラーの工場に塗布を依頼しましょう。車種にもよりますが、3万円から5万円くらいの予算です。高価な財産を守るためにも、必要な出費と割り切ってください。また冬期間は、こまめに洗車して、車体に付着した塩化カリを洗い流します。

(7)インターネット通販を利用
田舎では、大きなスーパーマーケットや大量販売店は滅多にありませんし、あっても遠方です。数百円、数千円の物を買うのに、何十キロも車を走らせるのは、ガソリン代の高さなどを考えて、得策ではありません。インターネット通販を上手に利用して、買い物の時間と費用を削減しましょう。買いたい物がはっきり決まっている場合は、実に便利です。

所用や通院などで都会に行った場合、同時に買い物もしましょう。ついでであれば 、ガソリン代の負担感も減ります。今すぐ必要だ、という場合は、やむなく札幌まで急行したものですが、疲労感が漂い時間もかかりました。何事につけ、直ぐにはどうにもならないのが、田舎生活の宿命です。文句を言っても、どうにもなりません。(2008/1/12)

■とりあえず、ここで筆を仕舞います。またふと気付いた事がありましたら、追加で書き込んでおきます。

●追加のお話
(1)田舎の人は郷土愛が強い
自分の生きている町や村を愛する気持ちは、世界共通でありましょう。都会人に比べれば、田舎の方がその愛着度数はかなり高いようです。先祖代々、この土地を開拓し、苦難に耐えて押し広げ、歴史という畳を幾重にも積み上げて来たのですから、当然のことでありましょう。流れるように都会に住み着いた人間とは、その思い入れは違って当たり前です。

都会から移住した新住民は、先住民(適当な呼び名がないので、とりあえずこのように書きます)の気持ちを理解しようとすることが大切です。都会は「文明」中心ですから、百年前から住んでいようが、本日住民登録した者であろうが、立場は対等。必要であれば、単刀直入に自分の立場を主張し、お互いの考えを交換し、物事を論理的に処理することができます。

しかし、田舎は「文化」の比重が重く、価値基準はそちらの方に傾いています。都会的な論理と合理と文明を尺度にしては、あなたの意図は伝わらない場合が多く、どうかすると冷ややかな視線を浴びることにもなりかねません。主張したいことがあっても、まずは町や村の歴史と仕来りを知ることから始めましょう。

「おかしいな、納得できないな、変じゃないか」などと思っても、すぐには口に出さず、どうしてそのようにするのか理由を聞いてみてください。聞けば、その土地で出来上がった文化的根拠を教えてくれます。文化的要素の強い場所ほど、論理性よりも習慣や過去からの伝統を変えないことに重点を置いた生活スタイルが根強いのです。

事実に基づいた批評や指摘であっても、先住民の方たちにとっては「批判」に聞こえるようです。気持ちを落ち着けて、地域住民の思考回路や行動様式を学ぶ時間を持ちましょう。移住して直ぐの自分本位な発言や行動は、厳に慎みましょう。

先住民の方たちが自分の地域や行政を悪く、あるいは厳しく論難することはありますが、それらは十分納得したうえでの言葉なのです。他町村の者や新住民が言うのとはニュアンスも意味も違います。くれぐれも勘違いしないで下さい。安易に調子を合わせていると、「悪口、批判」と受け取られることもあります。(2008/6/25)