田舎暮らし体験記 第3章                          Back

 

第16話 喫茶店、レストラン
黒松内に引っ越す以前は、仕事の撮影が終わった後や原稿の構想をまとめるのに、しばしば一人で喫茶店に行くのが習慣でした。誰にも邪魔されずに緊張をほぐしたり、頭の中を整理するのが目的です。人に会う為ではなく、自分の隠れ場所みたいなものです。

田舎では喫茶店なぞ滅多に無いのを今までの経験上知っていましたが、いざ田舎に住んでみて、けっこう深刻に実感しました。当時黒松内町内には、ファーガス・ポイント(第8話に登場)という市街地から8kmほど離れたブナ林の側にあるお店、市街地にクレソン(軽食とケーキ)と黒ひげ、計三店がありました。私は、撮影の帰りにファーガス・ポイントに月に一度か二度立ち寄るくらいで、他の店はほとんど行きませんでした。クレソンには五六回お邪魔したように記憶していますが。

行かなかった理由は、「隠れ場所」にならないからです。お店のオーナーはもちろん、お客さん同士が見知った関係にある確率が高いのですね。私にすれば、自分だけの世界に入れないという、やや我が儘な理由なのですが、どうしても積極的に足を向ける頻度は低くなりました。

たまには奥さまと連れだって外食したい、食事を他人の手に委ねてしまいたい、そんな気分に誰でもなるものだと思います。食事のできるレストランは、事実上「歌才(うたさい)自然の家」だけでした。第三セクターが経営する宿泊施設の中にあるレストランです。喫茶店と同じ理由で、二人だけでとか家族だけで、という環境にはなりません。ラーメン屋さんとか寿司屋さんなどは、市街にありますけれど。

プライベートに静かに日常の生活空間から離れて、と考えると、町外に出かけなければなりません。私たちは、約一時間車を走らせて、道南の八雲町まで足を伸ばしました。自然素材に拘った「アウル」、スイス料理を出してくれる「アルポン」、元ケンタッキーフライドチキンの農場にある「ハーベスター八雲」があります。ところが、ハーベスター八雲は施設が大きく有名なので、休日になると道南各地、黒松内辺りからも家族連れで人々がやって来ます。こうなると、のんびりどころか、いつ知った顔にバッタリ出会うか分かったものではありません。

買い物と同じで、そこそこのレストランや喫茶店に入るには、車で一時間圏内で倶知安・ニセコのペンション街、岩内、伊達市、あるいは洞爺湖周辺などに行かなければなりません。それでも、お店の絶対数が少ないので、あまり選択の幅がないというのが現実です。ちょっと気分転換に、思い立って、気軽に、とはなりません。無いものねだりをしても、どうしようもありませんが。

不思議なもので、そんな環境にもだんだん慣れて、夫婦で庭の花と雑草の畑を眺めたり、私の立てたコーヒーをすすりながら日がな一日を過ごすことが多くなりました。無駄な外出がなくなり、お金を使わなく(使えなく)なりました。田舎生活の功罪相半ば、です。それでも外出すると、車の走行距離があっという間に100km、150kmになりますので、ガソリン代が食費より高くなるかもしれません。(2007/1/16)

第17話 CDレンタル、本、銀行など
16話を書いていて、ついつい思い出してしまった日常の雑多な諸事情を、書き連ねます。

本を読むのが子どもの頃から好きで、高校生大学生時代は小説を、仕事についてからは興味あるものは何でも読み漁る生活を続けてきました。時間があれば書店に寄って、立ち読みもしばしばでした。黒松内に住み始めると、書店が無い、という事実に気が付きました。一番近い場所では、長万部にかとう書店があります。が、雑誌と北海道の出版物、若干の新刊単行本と文庫本、実用書、文具などがあるだけで、多方面にわたって「売れそうもない」面白そうなものは置いていませんでした。

八雲のTSUTAYAにも本のコーナーはありますが、新刊の売れ筋が中心ですから、私の興味と関心を引きつけるような分野はほとんど無かったと思います。そもそも書店というもの自体が珍しいし、一定の数を揃えた店となると、車で一時間ほど走ったやや大きな町に出なければなりません。それとて、品揃えは、私の欲求を満たすには十分ではなかったのです。

それなら札幌に出て本屋に行けば 、と論理的には思いますが、札幌に行くには三時間かかります。本屋をふらふらする目的だけのために、長時間の運転を考えると、気持ちが萎えてしまいます。本屋ふらふらは諦めて、インターネットのAmazonをうろつくことにしました。読みたいものがはっきりしている場合は良いのですが、何となく手にとって見たい、装丁デザインを楽しみたい、などというアナログなことは到底無理なはなしです。本に関しては、ストレスが解消されませんでした。

映画館が無いのは仕方ない、音楽や演劇の会場と公演もない。ですから、DVDやCDを借りてきて、自宅で映画や音楽を楽しむのが唯一です。一時間圏内のレンタル店は、TSUTAYAが八雲、岩内、倶知安に、GEOが八雲、岩内、伊達市にあります。ただ、思い立ってちょっと借りてこよう、とはなりませんね。往復の時間は、最低でも三時間から四時間かかりますから。さらにレンタル料金よりも、ガソリン代の方が高く付くのは云うまでもありません。

銀行について、「えっ、嘘でしょ」と思ったことは、基本的に土日のATMが稼働していないことでした。支店なんだから常に使える、と思ったのは大間違いの思いこみでした。北海道の大手都市銀行は、北洋銀行と北海道銀行です。私は、仕事の都合もあり、通常の振り込みとギャラの受け取りは銀行です。一番近いのは、北洋銀行長万部支店。休日でもATMだけは使えるだろうと思ったのに、車を降りて閉鎖されている光景を見て、愕然としました。土日でも使えるのは、北洋銀行の八雲支店と北海道銀行の伊達支店だけです。いずれも、私の家からは一時間。

都市生活では「当たり前」のことが、状況が変わると常識にならない典型です。 お気をつけください。

都会の人は、かなり意識的に(健康などを考えて)散歩やジョギングをする人が多いはずです。私の家は、黒松内の市街から15kmほど離れた農村地区にありましたので、周辺空間はとても広いのです。普通に考えると、どこでも好きなように散歩に歩けるだろう、と思ってしまいます。さにあらず、歩ける場所は極めて限られておりました。

立派な幹線道路があり、歩道もあります。が、全線で歩道が確保されているわけではないのです。人家のある場所、公共施設のある場所を除けば、無いと云わざるをえません。であれば、車道を歩けるかというと、極めて危険です。交通量の少ない道ですから、ドライバーは時速80kmくらいは出している。油断していると、轢き殺される可能性があります。事実、キツネやタヌキやネコなどがご遺体となっていました。

ならば、畑や牧場を自由に歩けるかと云えば、答えはノーです。草丈1mを超える雑草が至るところに生えていますから、数歩でも歩くのは困難です。夏になれば、優に2mになるオオイタドリが森を作ります。生身の人間が自由に動ける場所は、家の周りと一部の歩道くらいです。冬になると、事態はさらに悪化します。雪が降り、歩道さえも無くなってしまいます。奥さまが、夏の間散歩をしていましたが、危険を感じて止めてしまいました。私も、撮影で山歩きをする以外は、外をのんびり歩いた記憶がありません。

ただし市街地であれば、若干の公園があり、歩道もあり、歩いたり走ったりする場所はあります。
(2007/1/22)

第18話 葬式に出てみた
大成町内のYさんが亡くなり、初めて葬儀に参加することになりました。夕方○時にYさん宅に来てくれ、と言われて、仕来りも分からないままに参集しました。集まっているのは、大成と隣の東川の住民です。居間の戸を開け放って、家中は広い会場になっていました。何故か、遺族のみなさんの影が小さい。聞くと、今夜は「仮通夜」なのだそうです。

私の概念あるいは経験として持っている「仮通夜」とは、故人と遺族のみによる静かな別れの一夜です。仮通夜という言葉も使わないし、他家の者が集まって来るとか関与するという事態も想像していませんでした。幼少時代を過ごした鷹栖町、高校まで暮らした旭川、札幌に住み始めてからも、そのような葬儀は見たこともないし、知りませんでした。黒松内では、開拓に入った人々と土地の中で作られた習慣ですから、違う文化なのだと思って納得しました。

土地の有力者が中心になって、何となく会議のようなものが始まりました。議長だとか記録係が決まっている様子もなく、まさに何十年にもわたる慣習で、皆が「分かり合っている」という雰囲気なのです。喪主、葬儀委員長、会場、受付、買い物食事担当、その他の雑務係などが決められたように思います。私は、雑務の「香典等書き出し係」を拝命いたしました。内容は不明ですが、引き受けてやってみなきゃ分からない。女性陣(家庭の母さんたち)は、買い物と食事係、と議論以前に決まっています。男たちは台所に入らない。

仮通夜では、遺族のみなさんは、ほとんど何もしないようでした。むしろ、町内のみんなに任せたています、という雰囲気です。一時間もすると概ね葬儀方針は決まってしまいますので、三々五々帰宅していきます。僧侶が来て、皆の前でお経を読むということもありません。

翌日が「通夜」となります。これは、町内だけではなく、全町に告示して行われます。故人と生前交流があったか無かったかに関わらず、広く多くの方が参加します。会場は、市街にある開正寺さんでした。この通夜は、形式的にはとくに変わったものはなく、葬儀委員長の挨拶、故人の人生の回想、お坊さんのお経、焼香、遺族の挨拶など、北海道の平均的かつ簡素なものでした。

ただ、よく分からないのは、受付係に相当数の町職員がかり出されていたこと。勤務後のことですから、何か問題があることではないのですが、やはり慣習なのでしょうか。私が拝命した「香典等書き出し係」の仕事について説明します。受付の隣の部屋に控えていて、筆と半紙を用意して、文字を書き込むのです。受付から、次々とメモが回ってきます。「○野□△男 10000円 供花」などと、メモにしてはしかつめらしい筆跡であります。私は、その文面をそっくりそのまま半紙に書き写し、隣で待ちかまえている掲示担当者に渡すのです。

掲示係は、通夜会場の壁に、その紙を所狭しと貼り付けていきます。通夜参列者全員の分ですから、書く私も掲示する者も大忙しです。文字通り、筆を休める暇なんぞありません。一通り「書きと掲示」の仕事が落ち着いてから、会場を見渡してみると、私の金釘流文字はミミズが這い回るように右に左に踊っているではありませんか。流石に、自分が書いたなどとは口外するのが憚られる気分でした。もともと乱筆の者が、間違っても筆など握るものではない、と深く反省し頭の中で赤面していました。

冷静に見ると、町内の誰がどれだけの香典や供花をしたかが、一目瞭然になりますね。ことお金に関わることですから、多い少ないは生きている者たちが一番気に掛かるところではないでしょうか。黒松内では、どのような理由から「香典掲示」が始まったか知りませんので、いつかこの疑問を解いてみたいものです。もちろん、私は初めての経験でした。

「掲示」は、どうやら葬儀だけではないのです。家の新築祝いでも、同じことをするのを見ました。家が完成して、家主が自宅を公開をする日には、あちこちから一升瓶や祝い金が届けられます。それは、必ず筆で大書されて、真新しい家の壁を飾ります。

通夜の翌日は、告別式です。これも特筆すべきこともなく、ごく普通に行われます。裏側を見ると、葬儀のために様々な人が出たり入ったりしますので、その人たちに食事を用意するのは女性(母さんたち)です。男連中よりは相当に早く出てきて、朝食から準備するのですから、いやはや大変であります。出棺の車が出て行くと、あれほどたくさんいた町内の人々が、あっという間に潮を引くようにいなくなってしまいました。私だけが、もたもたと着替えをしていたようです。

仮通夜、通夜、告別式と三日間、同じ町内のお付き合いと云いながら、けっこうな拘束時間となります。私は自由業ですので、時間の融通がききますが、日常農業やお勤めをされている皆さんはお忙しかったものと想像します。(2007/1/25)

第19話 続.お葬式のはなし
このエッセイの読者が増えつつあるようです。元黒松内町民で、しかも女性から読書感想をいただきました。男の私にはまったく分からなかった、女性の体験を縷々書いて下さいました。以下、簡潔にまとめますので、参考にして下さい。

(1) 女性は、通夜の朝8時くらいから拘束され、遺族及び手伝い全員のために
・通夜の昼食
・通夜の夕食
・お寺に泊まる遺族のための夜食
・告別式の遺族の朝食
・昼食(火葬場へ行く人たち用と寺に残る手伝いの人たち用)
・告別式終了後の精進落としのための酒のつまみ    
など、すべて手作りでした。

(2) 結果、遺族のお金を惜しげもなく使って、皆で飲み食いすることになります。葬式が出ると、丸2日間は自分でご飯を作る必要がない。ただメシが食べられるので、みんながウキウキしているように感じられました。なぜなら、だれ一人として故人を悼む言葉を発する人がおらず、葬式にはそぐわないおしゃべり、笑い声、冗談が飛び交うからです。

(3) 祭壇に上がっていた供物は、手伝いの人全員で山分けします。ものすごく慎重かつ公平に分けるのですが、後でつまらない諍いを起こさないためだそうです。私は、両手にずっしり、お菓子、果物、缶詰め、ジュース、その他地元の旅館が作った仕出し弁当をいただき、荷物が重くて徒歩で帰ることが出来ませんでした。

(4) 開拓時代の互助の仕来りが今も残っているということですが、私には形だけ残っていて、心はなくなっているような気がしました。仕出し専門店が近所にない、都会のような葬儀システムを持った葬儀屋さんがないという事情もあるかとは思いますが…。私にも、遺族は仮通夜から告別式まで参列者の中で一番影が薄く感じました。

私(ここからは筆者)は、結婚式を体験出来なかったのが心残りです。地元で結婚式を挙げる場合、「発起人」を10名ほど募り(ほとんどの場合友人や職場の同世代の人)、式の進行から来賓や料理の取り決め、引き出物の選考及び購入などあらゆることを決めるために、式までにかなりの回数、会合を持つのだそうです。

会合には飲み食いが必ずつきもので、自宅でやってもどこか飲食店でやっても、費用は新郎新婦が出すのが習わしとのこと(実際は親が出す)。その時間とお金はかなりかさみ、結婚する当人たちには大変な負担になるようです。最近の若いカップルは、札幌など町外のホテルに会場を借りてやるそうです。理由は、その方が面倒がなく、時間の節約、費用の節約になるからです。(2007/1/27)