田舎暮らし体験記 第2章                          Back

Coffee Break <我が家の猫たち。 左下は黒松内生まれのごろう君、右は噛みつきが得意のごくうちゃん。>


第9話 食料自給を達成?
家庭菜園への挑戦は、あっという間に退けられたのですが、世の中捨てたものではありません。夏が近づく頃から、大成の住民が入れ替わり立ち替わり、我が家を訪問してくれるようになりました。スーパーのビニール袋に自宅で栽培している諸々の野菜を入れて、「水菜が採れたけど、食べるかい」とか「アスパラが、出てきたよ。バターで炒めてみたら」などと言いながら、にこにこ顔で玄関に立っているのです。

大成は、13戸の世帯という小さな集落です。肉牛を飼っているのは二軒、その他は年金生活の人、公務員、自営業者、地元の会社勤めの人たちです。ほとんどが数世代にわたって住み続けていて、高齢者が多いです。40歳、50歳は、若者なのです。私など、ばりばりの青年に分類されて、大いに自信を持ったものです。日常の労働と生活力の逞しさでは、とてもお年寄りに敵いませんでした。情けないが。

みなさん、出荷用だろうが自家用だろうが、作物を作ることには年季が入っています。どうして一家庭がこんなに広い畑を耕しているのだろうと、「家庭菜園」感覚では理解できないくらいです。可能なものは何でも作っています。シイタケ、アスパラ、ミニトマト、大根、白菜、キャベツ、レタス、チンゲンサイ、キャウリ、ズッキーニ、ジャガイモ、トウモロコシ、カボチャ、ナス、シシトウ、ピーマン、イチゴ、タマネギ、ニンジン、パセリ、シソ、青ジソ、ネギ、大豆、などなど。野菜だけなら、おおむね自給しているように見えました。

あまり好天に恵まれない土地ながら、長年の経験と工夫で、自宅で消費するには十分な品質と量の収穫をあげています。地元の人たちは、お互いに出来たものを交換して、不足な品種と量を補い合っています。また、生育方法についても、失敗と成功の経験を情報交換して、より好成果をあげる努力もしています。昔ながらの、助け合いの気持ちとシステムがしっかり存在しています。

広い土地にたくさんの野菜を作るのは、自分の家庭で消費するだけではなく、近隣にも分けてあげられる分も確保しているのです。で、私たちのような素人が最初から成功するなどとは思っていなかったに違いなく、様子をみながら季節季節の作物を届けてくれるようになりました。とても有り難く、いつもいつも頭が下がる思いで、感謝をどのようにお返ししてよいか分かりません。

黒松内に住んで、買い物に出かけた際に、野菜を購入したことはほとんどありません。 いつも何某かの新鮮な野菜が届けられ、冷蔵庫に入っているので、「買ってはいけない。腐らせないように、早く食べなくちゃ」と言いながら暮らしていました。お陰で、黒松内在住中は、食事メニューのなかに野菜が占める割合が増え、知らず知らず食生活の改善がはかられました。

最初の年に、隣家のT奥さまが、大根を二十本も袋に入れて持ってきてくれたのには、びっくり仰天しました。たった二人の中年夫婦暮らしですから、消費する量はたかが知れています。漬け物を作ることもしないので、札幌の娘たちや友人知人にもお裾分けをして、何とか大根さまの行き場を決めました。お気持ちの暖かさは、今でも忘れません。私たちの「自分で野菜を作る」という夢は事実上瓦解しましたけれど、食料の自給には限りなく近づく結果になったのでした。

野菜作りを観察して分かったことです。まずは、土作りが根本です。一年や二年ではなく、五年十年とかけて良い土にしなければ美味しい作物はできません。枯れ葉の鋤き込み、窒素肥料の投入、生ゴミを発酵させて入れる、何度も土を掻き混ぜる、などの努力を惜しみなく続けること。作物を植えたら、除草が欠かせません。除草剤も時折使用しながら、ほぼ毎日のように畑の管理をしなければなりません。雑草に覆われているようでは、基本のところで失敗です。作物の品種にもよりますが、追肥がコツ。植えっぱなしでは、作物が栄養不足で悲鳴をあげます。

私たちは、雑草取りができずに、諦めました。所用があって、三日も畑を放置したら、もう雑草が10cmくらいも伸びる。見る間に野菜畑が雑草畑に変貌していくのです。野菜は、我が子を育てるように、一日たりとも目を離してはいけないことを学びました。ても、私たちにはそれを実行するのは不可能でした。(2006/12/22)

第10話 車の運転方法
北海道の田舎暮らしは、車無しでは始まりません。ここに記すのは黒松内町の体験ですが、道内他町村でも実情は同じ、と理解してください。買い物や通院はじめチョイトの移動でも、公共交通機関は事実上ありませんので、自家用車に頼るしか方法はないのです。

私たちは、夫婦ともに仕事をしていますので、一人一台の所有でした。奥さまは福祉施設に出勤、私は山へ柴刈りに、じゃなくてブナ林と野の花の撮影に。お互い行動が違うので、無駄とか贅沢とかの問題ではなく、問答無用の結論です。車二台というのは、とってもお金がかかります。ガソリン代はともかく、毎年の車税と車検は、漬け物石を十個くらい持ち上げるような重荷でした。

黒松内は、国道5号線、道道大成・黒松内線 、道道寿都・黒松内線、道道熱郛・白井川線、道道美川・黒松内線、この五本が主な幹線道路です。片側一車線ですが、とても整備されていて、一部のカーブの多い区間を除けば快適なドライブを楽しめます。日常の交通量は少なく、車が五台も連なったら、「今日はずいぶん渋滞しているね」などと冗談を言っていました。ですから、時速80kmくらいは気付かないうちに出てしまいます。高速道路並ですねん。

そのような高速で走っていると、油断大敵、危険が待ち受けています。国道、道道と云えども、町民の生活道路であるのを忘れてはなりません。酪農家やジャガイモ農家が点在していますから、春からトラクターが往来しています。とくに牧草の刈り取りの時期、農家の皆さんは大車輪で働いています。道路から牧草地へ、牧草地から道路へと、農業機械の交通量が増えますので、一般通行車は十分注意を払わなければなりません。衝突したら、天国まで跳ね飛ばされること請け合います。

田舎に限ったことではありませんが、とくに田舎は、高齢者ドライバーがたくさんいらっしゃいます。移住して間もなく、時々左右にふらつきながら前を行く乗用車がおりました。嫌な予感がしたので、スピードを落とし、しばらく後について行きました。運転席には、やはり高齢者。助手席の何かを、ごそごそと触っている様子。追い越すのを自重して、そのまま一緒に市街地まで走り続けました。

地元の知人は、「○○さんの爺ちゃんは、白内障で片目がほとんど見えてない。センターライン跨いで走ってるから、すぐ分かるよ。危ないからもう止めろと言ってるんだが、言うこと聞かないらしい」など、高齢運転手の実情を教えてくれました。ウィンカーを上げないで、いきなり急に思い出したように右左折する車もいます。都会と違い、おおざっぱな運転でも支障がないという事実もあり、仕方がないのでしょう。町民の生活感覚を知ると、こちらも対応できるようになります。大丈夫です。

田舎の人の多くは、スピードを出しません。80歳以上の高齢者は、間違いなくゆっくり運転。農家の人たちも、60kmていどの方が多いと思います。どうしても先に行きたければ、ゆっくり右車線に出て、安全を確認して素早く追い越すのがコツでしょう。市街地に住んでいない限り、自立している高齢者は運転します。でなければ、生活が成り立たないからです。一概に、「止めろ」とは言えないのです。

田舎では、どんなに快適そうな道路でも、無闇にスピードを出すのは禁物です。生活者が居るのを忘れないで下さい。

ひとつ納得できないことがありました。買い物や商用で商店街に来た人たちの多くが、車のエンジンを切らないのです。エンジンをかけっ放しにしドアロックもせずに、買い物しているのや話し込んでいる風を頻繁に見かけました。車を盗む者などいないからか。それにしても、環境への影響を考えていただきたいのですけれど。お金も無駄ですし。(2006/12/25)

第11話 冬の運転
危険がいっぱいです。雪と氷と吹雪です。スピードを出しすぎると、十中八九スリップ事故を起こします。田舎でも、国道に関しては除雪が行き届き、走行不能になることは滅多にありません。でも、その他の道路は除雪事情が悪化しています。大成の私の家へは、道道を通って行きます。移住当時は、降雪が続くと、一日二回の除雪がありました。この数年は、どんなに降ろうが一日一回になりました。除雪予算が足りないとのことです。吹雪の折りは、至る所に吹き溜まりができていて、とても恐ろしい思いをしながら走っていました。冬の運転で注意したいことを、以下に。

(1)絶対にスピードを出さないこと。夏よりも、常に30%ていどはスピードダウンしましょう。40〜50kmが目安です。時速60kmを超えてくると、危険度がぐんと上がります。死亡率も、鰻登りです。車間距離は、夏の倍くらい必要です。

(2)ブレーキは、ゆっくりジワッと踏み込むのがコツ。急ブレーキは、イコール事故です。つまり、急ブレーキを踏まなければならないようなスピードを出してはいけません、ということ。北海道はスタッドレスタイヤが義務ですから、使い方さえ知っていれば、スパイクタイヤと性能はほとんど変わりません。

(3)晴れた日は、太陽が雪に反射して、路肩と路面の境目が分からなくなることがあります。サングラスの使用をすすめます。道路脇には、路肩の位置を示すポールが立っています。これを目標にして、自分の車が道路のどの位置を走っているか、よく確認しましょう。

(4)私が最も嫌いなのは、夜の運転です。それに吹雪などの悪条件が加わると、命がけの走行になります。対向車の無い時は、ライトを遠目にして、路肩を示す表示版をしっかり確認すること。この表示板は、車のライトが当たると明快に光ります。それ以外に目標になるものは何もありません。白の世界。出来ることなら、夜は車に乗らないのが最も良い道です。

(5)夕方から夜、昼間解けていた雪が凍り始めると、悪魔のようなブラックアイスバーンに変身します。一見すると、アスファルトが出て乾いているかのように感じます。が、薄い氷が、鏡のように張り付いているのです。対策は、スピードダウンしかありません。

(6)冬の夕暮れ時、いわゆる薄暮の時刻も、光が弱くなり周りのコントラストが低くなります。路面と路肩(雪の壁になっていることが多い)の境目が分からなくなります。歩行者も発見が遅れる典型的条件です。知人は、この魔の時刻のために、オレンジ色のサングラスを用意していると聞きました。

(7)四輪駆動車の使用をお勧めします。 冬はアイスバーンになっている場合がほとんどですから、発進、坂道登坂などにスムースに対応できる車が良いです。四輪駆動車の欠点は、カーブで急なハンドル操作をすると、不安定になりやすいこと。有利な点は、常に四輪に駆動力がかかっているので、前輪と後輪の駆動バランスがとれていること。たとえば、アイスバーンでの加速時(もちろん、ゆっくりと)でも、簡単に車がスリップすることはありません。

一方、雪の無い地域で一般的な後輪(2輪)駆動車は、アイスバーンでは絶対に加速してはいけません。後輪にのみ加速駆動がかかり、前輪はただ押されるだけです。後輪は前へ行く、前輪はその速度に付いていけない。結果、前輪が(車体の前部が)、右か左に大きく振られます。対向車線にはみ出して、正面衝突という最悪の事態になりかねません。私の長い運転経験からのアドバイスです。

田舎には、ネオンサインとか町の灯りなどありません。市街地を出たら、墨汁の中に入ったかのように真っ暗闇の場所がほとんどです。車の運転ひとつにしても、都会感覚を一掃しなければ暮らしていけません。(2006/12/25)

第12話 田舎はのんびり、安全か?
車に関わることを書いていて、筆の途中で思い出したことがあります。何につけ、田舎の時間の流れはゆっくりしています。おおむね、そう言えると思います。たとえば、次のような話。

移住して間もない頃でした。市街地からの帰り道、前方の道路上に二台の車影が見えました。事故ではなさそうだし、何だろうと訝しく思いながら近づいていきました。二台の乗用車が、センターラインを挟んで止まり、運転手同士が何やらお喋りをしている。町内の知人同士が、たまたま道路で行き会い、車を止めてのやりとりが始まったようです。私は、左側の隙間を抜けて、通って行きました。都会のような交通量の多い場所ではないので、こうした行為も日常生活には何の支障もないのです。まったく同じ経験を、知人からも聞きました。

その他、家の玄関に鍵をかけないのは珍しくない。とくに農村部は、完全に出入り自由な状態です。同じ集落の知人に道で会ったら、「家に入って、お茶でも飲んでてくれや」という会話は普通のこと。他人の家に、家主の居ない間に、お茶飲んで、テレビ見て、帰ってくるのを待っている、酒好きならコップ一杯の焼酎は飲み終わっている。こう出来るのは、お互いの長い信頼関係が築かれているからですね。田舎という文化、人間関係のなかでは驚くことではなく、心にゆとりのある生活スタイルです。羨ましいかぎりです。

黒松内町は、「日本一安全な田舎」をキャッチフレーズにしています。確かにその通りで、犯罪らしい犯罪を、私が移住した頃はまったく耳にしませんでした。車のエンジンかけっ放しやドアロックしない行動には、それなりの根拠があるのです。ところが、数年前辺りから少しづつ世の事情が変わりつつあるようなのです。

2003年だったでしょうか。八月のお盆、町外からの観光客や里帰りの人が集中しているとき、車上荒らしが出没しました。交番の巡査さんが訪ねてきて、最近寿都(すっつ)で車上荒らしの被害が続いています、気をつけて下さい、と言われていたのです。車の鍵を壊し、テレビやカーナビや貴重品をごっそり持ち去るのだそうです。我が家の二台の車が心配になりました。内には大した貴重品はないので心配なし、鍵を壊されるのが嫌で、しばらくロックをしないままにして駐車していました。

そんな時なのですね。朝、奥さまが出勤しようとすると、「CDが無い!!」と呆然としているではないですか。私が確認すると、CDドライブを装着してあった場所が、ただの空間になっている。ヤラレタ、と思いましたね。その他、無使用の牽引ロープと電波探知機がさっぱりと姿を消していました。盗られたものは高価ではなかったことと、車体本体に傷を付けられなかったのが不幸中の幸いでした。

こんな話もあります。町のある青年が、パスポート、多額の貯金通帳、個人情報ぎっしりのパソコンを車の中に入れたまま、ロックしないで一晩駐車しました。翌朝には、車ごと消え去っていたそうです。後に函館市内で車が発見されたそうですが、その青年は、盗難後に新しい車を買わざるを得なくなったのです。その被害と精神的疲労は、同情に値します。

巡査さんと話をしてみると、寿都以外にも長万部でも車上荒らしが多発していたのです。どうやら個人での仕業ではなく、集団で道内各地を泥棒行脚していたとのこと。札幌、旭川、道東地方と、広範囲で被害が出ていたそうです。その一部の犯人が捕まったと聞かされましたが、同じような悪さをする連中がいなくなったとは思えません。

田舎=「のどか、のんびり、安全 」というのは、もはや過去の事になっているのかもしれません。私が住んでいた間にも、全国を騒がすような事件が起きましたし、振り込め詐欺は田舎ほど狙われやすいのかも。その他、ボランティアを装って、難民を助けましょうとか災害被害の募金とか、お金を集めに来る人たちがしょっちゅう来ます。お年寄りだけなら、騙される確率大です。(2006/12/26)

第13話 田舎は静かか
田舎へのイメージは、のんびり、広々、自然たっぷり、静かな等々の枕詞や形容詞がつきます。私も違わず、そのように思っていました。それらの中で真っ先に崩れたのは、「静か」という思いこみ(希望)でした。

春はうららか、日は優し。冬の厳しさから解放されて、私どもは心のタガがすっかり外れておりました。春のお日様は、目覚めが早い。三時半ともなれば、東の空がみるみる明るく、春の光が瞼をこする。それだけなら夢うつつの世界に浸りきり、このまま猫になっても、なんの後悔もない。どっこい、生き物は人間だけじゃない、さまざまなモノがおりますよ。

雪がなくなって、いち早く人家の周囲を活動するのは、鳥たちです。雀や烏は年中馴染みですが、田舎に来たからにはカッコウの初鳴きを聞きたかった。その願いは、いとも容易く実現したのです。99年と2000年は全道的に好天に恵まれ、黒松内も例年より暖かかった。畑の鋤き起こしが終わった頃だったか、「カッコウが鳴いたのを聞いた!」と奥さまが車から降りてきた。私も聞いた。十中の十、間違いない。

一度鳴き出すと、もう止まらない。日の出と競い合うように、鳴き始める。お一人様ではなく、どうも複数であるらしい。隣家のTさんの裏が、小さいながら立派な森である。その辺りだ。カッコウの鳴き声は、言わずと知れた「カッコー、カッコー」である。春靄のゆらゆらした空気を、爽やかにうっとりとあるいは晴れ晴れと、それは聞こえるはずである。世の人々は、そのように思い、そのように願っている。

朝、布団の中で、奥さまが「うるさい、やかましい、寝ていられない」と明瞭なお声を発して、がばっと起きあがった。まだ起床の時間ではない、このままでは寝不足になる、頭に布団を被ってもう一度睡眠に挑戦する。が、無駄であった。もう寝付けるはずもなく、カッコウ様たちとともに窓から注ぐ朝日を眩しく見つめるしかなかったのです。で、カッコウの声ですが、決して「カッコー」ではありません。私どもが聞いたのは、「グゥアッゴーン、グゥアッゴーン、グゥアッゴーン」でした。しかも、頭の上から雨あられ。いい加減にせい。

加えて、ウグイス、セキレイ、ノバト、ムクドリ、オシドリ、ジジュウカラだとか、鳥に詳しくないので列挙できないが、西部劇の見せ場で行われる銃撃戦の銃弾のように飛んでくる。鳥は数が多いので、こちらは手の出しようがないのです。鳥だけではありません。キタキツネは、春に産まれる子猫を狙って、目をギラギラさせて彷徨くのです。しかも、夜になると犬と猫の混じった様な、薄気味悪い声で遠吠えをする。暗闇で睨まれると、けっこう恐ろしい。彼らは、冬でも家の周辺に現れますけれど。

春ゼミ、夏ゼミ、カエル、コオロギなどの小動物も、なかなか侮れない音を発します。集団で鳴き出すと、カワイイを通り越してしまいます。

野生の動物だけではないのです。酪農家の多い町ですから、牛さんたちが、春の日光浴に外に出る。気持ちが明るくなって、声もひときわ遠くに飛んでいく。と思えば、ブタさんも、負けずに嬉しそう。犬さんは、一キロ二キロは平気で散歩に来るし、猫さんだって気持ちが桃色になってフラフラしているし、ときどき意味不明の人間もフラフラしていますし。このように、田舎は決して静かではないのです。

人間だって農作業を始めます。牧草地では、まずはトラックで液体肥料の散布。これが、鼻の粘膜を突くような強烈な有機的臭いを充満させます。 慣れるまでややしばらくかかります。当然トラクターがあちこちで動いていますから、嫌でもゴーゴーという機械音が耳に入ります。これは、意外と早く慣れます。四六時中ではないが、脳髄を横切るような響きがするのは「草刈り」です。小型のエンジンを付けた円盤状の金属カッターが、すごい勢いで回転して、雑草を刈り取ります。田舎では、草刈りは絶対やらなければならない生活の一部なのです。

草刈り機は、一家に一台はあるのではないかと思います。周りが大自然ですから、雑草の種は四方八方十六方、至る所から飛んで参ります。これは防ぎようがない。種は、隙あらば着地してあっと言う間に芽を出して、あっあっと言ったら10cmくらいになる。放置しておくと、家の周囲は完璧に草原となる。やがて家の破壊を始めます。そうならないうちに、こまめに雑草退治をしなければなりません。畑の周囲や道路脇は、面積が広いので機械で作業するしかなく、その音はキーンという高周波金属音ですから、近くなら耳に付いてはなれません。

田舎の人たちは、夜明けとともに動き出すのが普通です。六時などは、けっして早いとは云えません。乳牛を飼っている人は、暗いうちから牛舎で搾乳を始めます。ですから、他家を訪ねる時間も、都会よりはかなり早い。七時頃に、ドンドンとドアを叩かれても、決して驚いてはなりません。寝ぼけ眼で、ふぁーいなどと返事をしているのは、都会暮らしの感覚が抜けない私どものような人間だけなのです。こうした習慣を「ウルサイ」などと思ってはいけない事を、学びました。(2006/12/31)

第14話 行事は住民総出で・その1
都会の町内会と同じように、田舎にも地域の諸行事があります。 私の住んでいた地区は、戸数13と人口が少なく且つ高齢者が多いという事情もあり、それほど頻繁に何かの行事があるわけではなかったと思います。年間通して思い当たるのは、

(1) 町内会の新年会と総会、水道組合の総会、テレビ共同受信施設組合の総会、生涯学習センター新年会
町内会の新年会は、1月3日に地区の会館(大成会館)で行うのが通例です。それに合わせて、総会も一緒に行いますので、合理的です。新年会のご馳走を前に、さっさと総会は終わらせようと、住民のだれもが考えること。決算と予算の確認が主な議題なので、30分くらいで終わります。まれに、会長と会計を決めるのに揉めることがありますが、いつまでも喧喧諤々の議論を続けることはありません。テーブルには各家庭の漬け物が並びますので、その味が楽しみです。食事の支度は、女性陣の仕事です。男どもは、テーブルの前でどっかと座って待っているしかない。情報交換の場でもありますが。

水道組合については、若干の説明が必要です。市街地以外では、上下水道が無いのです。我が大成地区と隣の東川地区は、共同で水道組合を作り、上水道の管理をしています。朱太川(しゅぶとかわ)という二級河川が、太平洋側の山塊から流れ出て、黒松内町を縦断しながら日本海に至ります。その支流の一本から、大成と東川地区は水を取水して、各家庭に配っています。取水と浄水施設は町などの援助資金で作りましたが、その後の日常管理はすべて組合の責任です。

親管(主管)は幹線道路まで引かれていますが、道路から自宅までの配管は個人持ちですので、 かなりの出費になったと聞きました。都会と違い、道路から何十メートルとか何百メートルも引っ込んだ家もあります。町内の何件かは、自分で掘った井戸を使っていますので、そういう場合は水道を使っていないようです。都会では公共施設として当たり前と思われている水道でさえ、少ない戸数で大きな施設を維持管理しなければならないのです。水は蛇口を捻れば出てくるというものではない、とリアルに思い知らされました。

水道代の集金、取水口の清掃などは、住民の仕事です。使用量は、年間8,400円でした。私たちは町営住宅の住民なので、これだけの出費ですが、正式の組合員は施設建設時から、多額の出費をしているようです。私は、三年間ほど水道代の集金係をしました。

テレビの受信組合については、第7話で触れました。水道と似たような事情で、組合を作って施設を建設・管理しています。これが無ければテレビという常識的な文化さえも享受できませんから。

生涯学習センターというのは、全国どこの町にも組織されているはずです。教育委員会が束ねている、地域の組織です。文化という範疇に入る(と思われる)名目のものは、何でも幅広く行います。私たちのセンターでは、運動会、花見、料理教室、施設の視察など、けっこう活発に活動していました。

これらの会や組合は、おおむね1月10日くらいまでに、総会やら新年会を実施します。

(2) 除雪作業
一月から三月の間に、最低二回の除雪があります。主に地区内の公共施設と高齢者世帯で援助が必要な家庭です。公共施設とは、会館(集会所)と大成神社です。その年の雪の降り具合を見て、会長が除雪の日程を決め、各戸に連絡します。重機が二台くらいと、あとは人力です。会館の周囲と屋根に積もった雪下ろし。これは、大半重機でやります。もっとも大変なのが、神社です。木造のあまり大きくない建物なので、放置しておくと潰れてしまいます。しかも、道路から二三百メートルも中に奥まった所にあります。雪の上を歩いて行き、屋根に上り、ワッセワッセと汗だくになりながら雪を下ろします。

女性陣は、その雪をさらに空いた空間に捨てる作業にあたります。雪の多い年は、そうとうに辛い仕事です。村の守り神ですから、住民総出で行うのが仕来りです。一昨年は(2005年は)、二回も除雪をしたように記憶しています。

高齢世帯には、こうした総出の除雪以外に、重機を持っている人が個別に除排雪します。大抵が「助け合い」の精神で行われています。我が家は高齢者世帯ではなかったのですが、除雪用のいかなる機械も無かったので、屋根の落雪が堆くなる建物の裏や駐車スペースのために除雪をお願いしていました。お礼には、ビールや食品を志として受け取ってもらっていました。(2007/1/5)

第15話  行事は住民総出で(その2)
(3) 草刈り
雪が解けてやれやれと思い、春の日差しに気持ちが温かくなる頃、残雪の隙間が空くとたちまち雑草たちが成長を始めます。ツメクサやスギナは、雪を押しのけてでも伸びてきます。雪の下で葉は枯れているが、多年草は根が生きています。これらを放置しておくと、恐ろしい事態になるので、公共施設の周辺は住民の手で除草します。早春は、スギナの成長を抑えるために、主に会館の周辺に除草剤の散布をします。これは比較的軽い労働です。

第二回目は、六月から七月にかけてです。草の伸び具合を確認して、町内会長が住民に号令を発します。このときが最も重労働となります。大成地区には、公園があります。この公園は、町が「町民の住環境整備の為」に造成したもので、真ん中に東屋様の建物があり、エゾヤマ桜などが70から80本ほど植林してあります。ところが、町の意図に反し、公園を娯楽や散歩などに利用する人は皆無です。日常から足を踏み入れ園内の清掃手入れをする人がいないと、雑草は大いばり。傘に使えるくらい大きな蕗が、林を作ります。

草刈りをしないと、そこに公園が存在することさえ分からなくなるというのが現実なのです。

公園は、造成後に町から地区住民に払い下げられた形で、維持管理の責任は私たち住民にあります。その管理の一貫として、草刈りも仕事になるわけです。桜があるので、牧草刈りに使うトラクターが入れません。ほとんどが手作業です。小型エンジンが付いた草刈り機を持って男性陣が次々となぎ倒し、地面に横になった膨大な量の草を、女性陣と私のような軟弱な者たちが手押し車に乗せて公園外まで運んでいきます。夏の日差しが照りつける中での作業は、そうとうに辛いものです。心臓はバクバクするし、腰は痛くなる。

その他、大成会館の周囲から神社の参道沿いの草を一掃します。辛い作業ですが、集まった住民が一緒にお昼ご飯を食べ、ビールやジュースを飲んで、ちょっとした交流の場にもなります。お互いの元気を確認しあい、励まし合うひとときです。

第三回目は、馬頭観音と戦没者慰霊碑などのお参りの前日あたり。毎年八月、お盆が終わる頃と日程が決まっています。一度大がかりな草刈りをしてありますから、これは短時間ですみます。観音様と碑のある場所は、お供え物をしたり、お寺の僧侶が来ますので、当日の朝も念のための作業をします。

第四回目は、地域最大の行事である大成神社祭の前日から。季節は、秋九月。もうそろそろ草の勢いが衰えてきつつあり、すでに草刈りをしたり除草剤を撒いてあるので、長時間重労働とはなりません。むしろ神社の飾り付けなどの方が大変です。

(4) 水道取水口の大掃除
14話に水道組合について書きました。隣の東川地区との共同作業でもあるし、水道組合に加入していない人もおり、誰が参加しなければならなのか、やや不明な点がありました。私は、組合員ではなかったのですが、地区の人に誘われて二三度参加したことがあります。時期は、雪解け後の春。作業は、とても大がかりなもので、女性には無理な重労働です。冷たい川の流れに入り、川底に固定してある鉄の取水板(道路に設置してある下水道の鉄枠を巨大にした形のもの)を、ボルトを抜いて外し、中に詰まっているゴミ、枯れ葉などを取り除きます。取水した水を誘導して、一時的に貯めるコンクリートの部屋が、川の堤防下の地下にあります。

ここも開いて、まず排水ポンプを下ろし、中の水を抜きます。水が無くなってきたら、胴付きズボンを履いた男たちが、大きなブラシを持って中に下りていきます。天井から横の壁、底とガリガリと一年間の汚れを落としていきます。私は軟弱者ですから、とても手出しができず、ただ呆然と眺めていただけでした。

水道のような公共施設を、地区共同とはいえ事実上個人の力に任せてしまうのは、将来住民がもっと高齢化したときを想像すると、なにやら空恐ろしい気持ちになったものです。いったい誰が巨大な施設を管理するのだろう。

(5) 大成神社祭
九月の第一週に行われます。戸数13ですから、私の居た八年間にも、高齢化にともない参加する人が年々少なくなりました。年ごとに寂しさを感じていました。それでも、開拓以来の伝統行事ですから、限られた人数であろうと、神様への感謝は怠りません。

宵宮祭と本祭りの二日間です。この頃は、ちょうど台風が素通りする季節で、しばしば雨にたたられることもありました。宵宮祭の早朝から、草刈り機械の音が響き渡り、これが祭り開始の合図のようなもの。三々五々人々が集まり、社から行灯、提灯、幟などを取り出します。参道の草刈りが終わったら、幟の組み立てと立ち上げ作業です。おそらく、人の背丈の三倍くらい高さがある太い丸太ですから、男手三つは必要です。参道入り口の両脇に二本の幟が立ち、風にはためく風情を眺めていると、昔聞いた祭りの晴れやかでワイワイした音色が聞こえてくるような錯覚になります。

昼食を挟んで、鳥居に行灯を吊し、参道沿いに提灯を下げ、夕方には電気をともす。これで、祭典の準備は完了。こうした作業の間に、ご婦人たちは、お供え物や夕食の準備をすすめています。六時半頃に神主さんが到着、皆が社に入り、祝詞が始まります。一つだけ怖い思いをしていたのは、毎年のように神社の壁の中やごく近くの場所に、スズメバチ様が巣を制作されて、我々を睨み付けていたことです。初めて参加した年には、社の中に飛び込んできたハチが頭の上を飛び回り、その羽音を聞くだけで身がすくむ思いがしました。

三十分くらいで祝詞や神様へのお参りが終わり、集会所(会館)に集まって、住民揃っての会食の時間が一番楽しいひと時でした。こうして秋のお祭りが終わると、冬を迎える準備に入ります。十月の紅葉を愛で、十一月にはいよいよ白い雪が舞い降ります。
(2007/1/13)