田舎暮らし体験記 第1章                     Back

第1話 「去った人」の話も聞こう
田舎暮らしを目指している皆さんは、移住先の自治体広報・受け入れ制度、移住者(先住者)との対面、現地視察、新しい仕事のスタイルの検討など、さまざまな情報を積極的に収集しているものと思います。

私が黒松内町に移住した頃は、同町の三つの小学校が廃校になった翌年ということもあり、自然や文化芸術に関わる人たちが廃校舎を借りて仕事を始めていました。また、新規就農者の受け入れ制度も充実していて、かなりの新町民が入って来ていました。「ブナ北限の里」をアピールする町の施策が活発でした。

しかし、町の生活に慣れ、新住民のそれぞれを知るようになると、「黒松内が大好き」という人だけでなく、いつの間にか町を去っていく人たちも少なからずいることが分かりました。その理由は単純なものではなく、まさに人それぞれなのですが、
(1) 「住みたいけれど、住み続けられない事情が生じた」
(2) 「最初の情報や生活のイメージとまったく違っていた」

大別すると、この二つの理由でしょう。「住めなくなった」あるいは「住みたくないと思った」具体的理由には共通点があるように思えます。私は家庭の事情から「住めなくなった」のですが、移住にあたっては、検討項目に<「田舎暮らしを止めた人」「都会へ戻った人」の意見と体験を聞くこと>を是非入れておく事をお勧めいたします。移住前は、とかく「良いこと」ばかりが耳に入りますし、田舎でゆっくりのんびり気儘に人生を送りたいという希望が沸点に高まります。そういう時こそ、冷静な判断をする絶好の機会なのです。

私は、黒松内町では比較的快適に過ごしたと思っています。その体験を、できるだけ主観的判断を避け、事実に基づいて記述していくつもりです。善悪、黒白を断定するようなことは極力避けながら、淡々と筆を運んでいきます。(2006/12/10)

第2話 場所と環境
移住の場所と環境を考慮しない人は、まず皆無でしょう。しかし、一度や二度の視察程度では、なかなか全体像を把握するのは難しいものです。私が住んだ黒松内町は、北緯42度あたり、北海道・渡島半島の付け根にあります。札幌市から見ると道南に近い位置なので、年間の平均気温はやや高めであろう、と高を括っていました。ところが、予想(期待)と現実は違うものです。

結論を言うと、札幌よりも寒く、かつ降雪量も多かったのです。平均気温の比較、札幌市が8.5度C、黒松内町は7.0度C。平均降水量の比較、札幌市は1,100mm、黒松内町は1,430mm。というデーターが発表されています。私は、移住以前に、北限のブナ林などの取材撮影で何度かこの地に通い、若干の土地勘もあるつもりでしたが、見事に裏をかかれました。

黒松内町が特殊な自然環境にあることを、しっかり認識していなかった私の判断の甘さがありました。日本でもこの町だけではないかと思いますが、日本海と太平洋に接している極めて珍しい地形なのです。日本海の寿都(すっつ)湾から太平洋の内浦湾にかけて、北西から南東方面に斜めにのびた土地です。黒松内低地帯と呼ばれ、太平洋側がやや高く、日本海の寿都湾になだらかに傾斜しています。この低地帯の両側は山岳地帯に挟まれ、あたかも狭い廊下が延びているように見えます。

このような地形ですから、日本海と太平洋の気候特色が、ともに現れるのが面白いのです。春から夏は、太平洋側から発生した霧が流れ込んできます。長万部(おしゃまんべ)町の静狩峠辺りの海で霧が生まれ、東栄、大成、東川、豊幌などの集落は朝から霧に覆われる日が多くなります。日照時間が短く気温が上がらないので、ストーブを焚く日も少なからずあります。霧と雨の中間のような、体にまとわりついてくるような「霧」を、地元では「ジリ」と呼んでいます。

一方、日本海側の作開(さっかい)地域は、良く晴れた日が多く、気温も高くなります。春は、日本海へ日本海へと足を延ばすことが多かったのです。真っ青な青空と海は、心を解放してくれますし、春の喜びを両腕一杯に与えてくれます。花たちは見事な咲っぷりですし、ブナ林の新緑も早めにやってきます。

冬は、圧倒的に日本海の影響力が押し寄せてきます。 分かり易く言えば、雪がどっさり降る、ということ。北海道の豪雪地帯と呼ばれる倶知安町(くっちゃん)に負けず劣らずです。降り始めたら、これでもかこれでもかと、除雪する気力も体力も尽き果てるほど止むことがありません。朝起きて、玄関のドアを押したが、雪溜まりの山に塞がれて開けられなかったことが何度もありました。車の車輪が、一夜のうちに埋まっていた、などは珍しくないですね。

基本的に、一年を通してあまり好天に恵まれない町です。同じ後志(しりべし)地方に属する隣町の蘭越町(らんこし)、島牧村(しままき)などでは立派な米が採れますが、黒松内町はまったくと言ってよいほど作付けできません。餅米の栽培は行われています。ですから、農業の中心は、酪農とジャガイモなど低温に強い作物に限られます。

こうしたことは、一年間四季を通して住んでみて分かったことで、一度や二度の訪問では実感できないものでした。(2006/12/13)

第3話 北海道の太平洋岸地域
黒松内町は春から夏に霧が発生して気温が低いことを述べましたが、こうした気候は同町だけではありません。北海道の太平洋岸は、千島列島から南下する寒流と太平洋を北上する暖流(黒潮)がぶつかり、渡島半島東部から胆振、日高、釧路、根室にかけて、霧が産まれやすく日照時間の少ない地域が多いようです。

気象庁がまとめた、2006年6月〜8月の主な都市の日照時間と平均気温です。
札幌市-552h/20.2℃
函館市-394h/19.2℃
室蘭市-371h/17.5℃
苫小牧市-319h/17.2℃
浦河町-367h/17.2℃
広尾町-348h/16.1℃
釧路市-345h/15.9℃
根室市-349h/14.5℃

ご覧のように、札幌市と比べると、太平洋岸の市町村は曇り日が多く気温が低いという事実が分かると思います。北海道の内陸やオホーツク海側は、いずれも日照時間が400時間を超えています。最高は、網走市の570時間でした。

私の移住体験記から少し外れます。北海道と云えどもその面積の広さだけでなく、地形や気象も様々です。私は中央部の旭川市の隣町、鷹栖町で生まれました。雪が多く寒さが厳しい記憶がありますけれど、春から夏にかけて霧が出る風景などまったく見たことがありませんでした。むしろ、とても暑かった。大学を出て北海道に戻って来て、取材で全道を歩くようになって、やっと我が故郷の全体像を認識して、その多様性にひどく驚いたものでした。

どうしても違和感を感じたのは、道東地方でした。釧路、根室、中標津、別海などの町を訪れた時、雨や霧に出会わなかったことが無いと言ってもよいくらい。真夏の八月、冷たい雨の下でガタガタ震えていたことがあります。道北・旭川や道央・札幌しか生活圏にしていない者にとって、春から夏の北国は天国のように感じます。可憐で美しい花花の色と香り、淡い新緑が眩しい山々、軟らかいけれど日に日に強さを増す光、生命が萌えあがるのを見ながら、心が最も弾む季節なのです。

この6〜8月に、霧に覆われ気温が低い場所があるなど、私は想像だにしていませんでした(無知故に)。しかし、そういう場所だからこそ得られる貴重な自然や産業があることも知りました。有名な釧路湿原は、霧と冷涼な気候なしには存在しません。豊かな湿地帯があるから、タンチョウツルも命を繋ぎ、人間と一緒に生活できるのです。鳥や大型動物、水生昆虫など、命の宝庫たりうるのです。

黒松内の霧から、太平洋地域の気象の話になってしまいました。次回からは、話を元に戻します。(2006/12/15)

第4話  家庭菜園で挫折?
1999年の三月、私たちは大きな夢を抱いて黒松内にやってきました。間もなく雪も解ける季節、畑で家庭菜園をやろう、と密かに(おおっぴらでも構いませんが)計画していたのです。無農薬で露地植えのトマト、キュウリ、ナス、ジャガイモ。可能なら、加えてカボチャ、大豆、シシトウなども。隣家にTさんという老夫婦がおりました。我が家の裏に大きな土地を所有して、ご夫婦で、まるで農家のように広い土地を耕し、家庭で消費する野菜類はほとんど自給しているように見受けられました。

「猫の額ていどの土地を貸してもらえませんか。野菜を作りたいのです」。こうお願いして、子どもの砂遊び場に毛が生えたほどの土地を拝借しました。四月下旬、雪が解けて土の表面が乾いたころ、手押しの耕耘機を借り、まずは畑作りです。長年の夢でしたから、気合いが入りました。労働意欲だけはありましたが、一時間も経たぬうちに息切れがしてきました。慣れぬ仕事は、焦ってはいけません。雑草が土中に鋤き込まれるまで、三回は耕耘機を往復させました。

T奧さんに、「 トマトを育てたいと思っています。いつ頃苗を植えたら良いでしょうか」と聞きました。T奥さんは「あれ〜、トマトは無理だよ。実は成るけれど、赤くならないから」。私は、何を言われているのか、一瞬意味が分かりませんでした。私は、旭川市の隣、鷹栖町で生まれ、父が米を作っていたので、農家の暮らしは幾分知っています。手がつけられぬ腕白の私にとって、トマトは夏のおやつでした。植えさえすれば、勝手に大きくなり真っ赤な実を付ける、と何の疑いもありませんでした。お腹が空くと、いつでも好きなだけ取って食べていました。

その子どもの頃の懐かしい味を、また楽しみたいとおもっていたのですが。T奥さんの説明を聞いて、やっと納得しました。トマトが赤くなるほどに気温が上がらない、ということでした。トマトやキュウリを育てるには、ビニールハウスを建てて、温度を上げてやらなければなりません。私たちには、それほどの時間的金銭的余裕もなく、結局トマトの夢は儚くも忽ちにして挫折したのでした。

Tさんは、ミニトマト、ナスなどを植えていましたが、当然ハウスの中で育てていたのです。春から夏にかけ苗の生育に十分な気温にならないので、カボチャやピーマン、シシトウなども、耕した土に黒いビニールを敷いて(土を保温する目的)、ビニールに穴を開けて苗を植えているのが普通のようです。こうすれば、保温と同時に雑草除けにも役立ちます。

私は、ビニールを敷くのも面倒だったし(買わなければなりませんし)、露地植で育つものは何かを聞き、「ジャガイモは大丈夫だよ」とのお墨付きのもと、メークイン、キタアカリ、男爵の三種類のイモを植えたのでした。その他、T奥さんの薦めでカボチャと大豆とナスを植えました。カボチャと大豆は、雑草にも強くすくすくと育ちました。売り物にはならないが、我が家で食べるには十分な出来。でも、ナスは失敗でした。黒ビニールをケチったのと、追肥が足りなかったのと、雑草除りが十分でなかったのです。

八月下旬、テントウムシに葉っぱを食われながらも、ジャガイモは大きく育っていました。初めての大収穫に、感激感激。連日イモづくし、食卓はあの手この手の芋料理。自慢げに、札幌に住んでいる娘たちの家に持っていったら、「そんなに食べきれない」と言われる始末でした。秋になって、「無くなったから、持ってきて」と言われると、得意満面で運んでやりました。(2006/12/16)

第5話 買い物
引っ越した当日からしなければならない事。なんと言っても、食料の入手です。私たちが住み着いたのは、黒松内町の大成(たいせい)という集落にある町営住宅。黒松内の市街地までは、車で約15分。距離にして15km。駅前周辺に商店街があって、食料品や日常生活用品に不自由はなさそうです。お目当ては、スーパーマーケット。一番大きいのは、A-Coopだと思います。都会にある普通のお店風で、食料ならほとんど手に入ります。

観察して分かったのは、やや品揃えが少ないこと。特殊な食材は期待できそうになかった。町の人口、すなわち買い物客の人数に左右されることなので、やむを得ないと納得します。野菜に関しては、時々ですが、新鮮さが失われた商品が見受けられました。また、加工食品で、賞味期限切れの商品が棚に並んでいて、びっくりしました。食べても、たぶん害は無いのでしょうが、都会のスーパーではありえないことでした。(今現在も並んでいるかどうかは不明。当時の話です)

スーパー様の店は、個人商店でも、二三店舗あります。それぞれ置いているもののバリエーションが違い、品揃えを楽しめました。全般的に共通なのは、値段がやや高め、という事実。Kストアーでは、定価そのままで売っていました(他の店でも同様)。都会のお店なら、可能な限り廉価にするのが当たり前で、お客さんも定価の商品に手を伸ばすことはないでしょう。

営業日には、気をつけなければなりません。土曜、日曜が、お休みの店もあるからです。調理中にちょっと不足の品を買ってこよう、という融通が利かないので、金曜日には週末の準備を終えてしまうのが生活のコツなのです。あるいは、冷凍庫を買って、何週間分も買いだめするという手があります。農家では、この方法をとっている人が多いようです。

コンビニエンスストアーは、セイコーマートが一件のみ。この種の店は、都会と同じシステムで動いていますので、常に新鮮なものがあります。近くのお年寄りたちは、スーパーマーケット代わりに利用しています。野菜や肉の鮮度が安心ですし、弁当やお菓子や果物もあり、雑貨類も手に入るからです。ただし、安いとは言い難いです。夏は、観光客の利用が多く、いつも賑わっています。

次に近いのは、長万部町にある「つしま」というスーパー。大成からは、海沿いに車で約25分。都会の(郊外の)スーパーに負けないくらい品揃えがあります。お総菜、弁当、酒類、新鮮な魚など。店舗入り口では、お焼き、たこ焼きなどの出張販売もやっています。時には、auが携帯ショップを開いていることもありました。買い物客が多いだけに、価格は全般に安く、お買い得の商品が並んでいます。

その他、あれもこれもと購入を考えると、車で一時間の移動をしなければなりません。道南の八雲町(やくも)には、ダイエーがあります。太平洋に沿って東進すると、伊達市があります。たしか、ポスフールがあります。国道5号を北上すると、倶知安町に「コープさっぽろ」があります。いずれも大型店で、衣料品から電気製品まで入手できます。

ほとんどの家庭で車を所有しているので、たとえ一時間かけてでも、まとめ買いに出かけるようです。 そうした方が合理的、ということなのです。別の見方をすると、車が無いと生活できない、という厳しい現実があるのです。(2006/12/17)

第6話 続買い物
元黒松内町民の方からメールをいただきました。私の知らない事実があり、興味深く読ませていただきましたので、その内容をかいつまんでご紹介します。お仕事の都合で、私より数年早く転出されたそうです。

(1)二三十代の若い人は、生協などの宅配を利用しています。品揃えが多く、無添加・低農薬食品など安全性の高い商品を選べるから。それでも不足する分を、セイコーマートで買っているようでした。セイコーマートについて、札幌の知人が、「まるでスーパーみたいな使い方をするんだね」と驚いていました。

(2)日本海側から岩内町(いわない)方面への道路が改良され、買い物エリアが岩内から共和町(きょうわ)まで広がりました。八雲、倶知安、伊達、岩内辺りが、買い物の主な町です。いずれも、およそ一時間圏内。

(3)衣料や生活雑貨は、多くの知り合いが通販を利用していました。私も、黒松内在住中は、「通販カタログ」が愛読書に加わりました。

(4)物価が高いのには驚きました。日用品がメーカー定価で売られていました。札幌なら198円の歯磨き粉が、250円前後でした。ガソリンも高かったです。近隣では、長万部町内が一番安いです。

(5)黒松内町内の店で、客への応対が悪いのが気になりました。「いらっしゃいませ」と言ってくれるのはマシな方で、ろくに返事もしてくれない店では、とても不愉快な気持ちになったことがあります。

以上のような内容でした。私の体験とともに参考にしてください。我が家も、市街から遠かったこともあり、「コープさっぽろ」の宅配を利用していました。ガソリンスタンドについて一言。あらためて気づいたことですが、地方の町村に行くと、地元のJAスタンドとENEOSしか無い場合がほとんどです。JAは理解できますが、何故ENEOSばかりなのでしょうか。その理由を、未だに知りません。

札幌と比べると、10円から20円違うことがあります。とくに2006年のガソリン高騰の折は、黒松内町内では高くて買うことができませんでした。若干遠いけれど、長万部町内まで行って給油していました。地元の人たちも、公然と「長万部に行って入れる」と言っていました。長万部町は、他町村と比べ、めちゃくちゃ安いのです。これも謎です。安売りで有名な「モダ石油」のスタンドがあるからでしょうか。私の記憶では、札幌よりも5円から10円も安いことがありました。(2006/12/19)

第7話 新聞・テレビ・インターネット
朝起きたら新聞を読みたい (見たい)、というのは人情というもの。長く、インクの臭いが漂いそうな朝刊が、ポストに投げ込まれるのを当たり前として生活してきたので、さて新聞購読を頼もうと、新聞店に電話をしました。迂闊でした。大成は市街地から約15kmも離れているので、配達地域に入らないのです。郵便で送ります、との回答です。郵送料は、たしか一通40円です(当地で確認を)。単純計算で、月に1,200円かかる。しかも、新聞が届くのは、当日の午前11時前後です。朝、新聞を読むという願いは、すぐに一蹴されてしまいました。

しばらくの間、セイコーマートまで車を走らせ、直接購入していました。しかし、これも最善ではありません。欲しい新聞が売り切れて、読めない日があるし、往復30kmのガソリン代は高価すぎます。結局、新しい新聞(形容詞が変ですが)を読むのは諦めました。

私は、出張で月に三回は札幌に行っていましたので、娘が購読している「北海道新聞」を十日分ずつ譲ってもらい、黒松内まで持ち帰って古新聞を読んでいました。新しいニュース(これも変)は、テレビの報道番組を見て、世の流れに置いて行かれないように必死に努力していました。不思議なもので、そういう生活にもいつの間にか慣れてしまいました。

テレビも、最初事情が分からずにいたのですが、大成地区と東川(ひがしかわ)地区の住民が組合を作り、視聴用のアンテナを近くの山の上に建てて共同管理しています。VHFとUHFは受信できますが、衛星放送は駄目でした。私の住んだ地域は、黒松内の中で最も電波の受信状況が良くないらしいのです。地形の関係と思いますので、これはやむを得ません。テレビ共同受信施設使用料を、年に7,000円か8,000円支払っていました。(早くも記憶が曖昧になっています。スミマセン)

テレビの電波が届かない場所なので、携帯の使用も非常に不安定でした。悪天候になったり、雪が家の周りを封じ込める季節になると、携帯の表示が「圏外」と出ます。とくに電子メールは、受信にも送信にも苦労しました。少しでも電波の強い場所を探して、私と奥さまは家の中を、東西にウロウロ南北にウロウロ、手を目一杯天井に向けて揚げてみたり床に下げてみたり、何とも滑稽な姿でした。メール一通送るたびに、ふーっと溜息をついていたものです。

インターネットも、ADSLのような高速なものは利用できません。市街地から遠い、すなわち電話局の基地局から遠い、信号が減衰して使えない。私は、最後までISDNで我慢していました。最近のHPは、動画などの重いデーターが使われていますので、ISDNではダウンロードできないのです。ただし、黒松内市街とそこに近い一部の地域では、ADSLの利用が可能です。札幌に来て、高速インターネットを使えるようになったので、その有り難さを痛感しています。(2006/12/20)

第8話 情報伝達
第7話では、公共的情報メディアについて実情を記しました。そもそも情報とは、最も原始的と言うか根源的と言うか、それは口コミュニケーションであることは疑いありません。文字のない時代は、すべて記憶と口から口への伝達でした。田舎生活の中では、この原始的な方法が最も早かったりするのです。しかも、よもやと思うほど広範囲に広がります。

どこどこの誰それが病気になった、 結婚するそうだ、死んだそうだ、雪で屋根が潰れたそうだ、子猫が十匹生まれたが八匹狐に食われたそうだ、豚が遁走したそうだ、浮気がばれて離婚だそうだ、あの店の料理は不味いそうだ、今度来た医者はヤブらしい、などなど日常生活で生起し興味をそそる事は、まことに素早く広範囲に伝わります。場合によっては、隣町まで到達します。

たしか、2004年頃だったと記憶します。秋になるとあちこちで熊と人間が衝突しますが、北海道はヒグマの天下ですから、至る所で「熊出没注意」の看板が立てられます。私たちの住む大成地区の高速道路近くにヒグマが現れて、駐在所から、町内に注意を喚起する旨が発せられました。その情報の中に、「通報したのは、看護婦さんだ」というのが入っていたらしいのです。

私の奥さまが職場に出勤したら 、寮母さんから「通報したのは村岡さんでしょう」と言われて、返答に困ったとのことです。若干解説が必要です。まず、私の奥さまは、看護師です。黒松内町大成に住んでいました。その条件と熊情報が合体し、通報者=看護婦さん=村岡看護婦、という図式(情報)が完成したのです。無理からぬ事と思いますが、やや早とちりというもの。通報した看護婦さんは、町外の人で、黒松内町を観光か所用で通過中だったと聞きました。情報の一部が抜け落ちて伝わった結果、あらぬ話になったものでした。

もう一話、2005年のことです。2004年末まで、添別(そいべつ)という地区にFagus Point(ファーガス・ポイント)という喫茶店がありました。添別ブナ林に隣接する場所で、ブナ林の風が心地よく吹き渡り眺望は夢のようでした。そのため、道内各地から訪れる人が多かったのです。しかし、経営していたご夫婦は、家庭の諸事情から閉店して、建物を残したまま転居されました。

明けて2005年の春、雪が解けた頃。私の奥さまが出勤すると、同僚の看護婦さんから「村岡さん、ファーガスの後に引っ越したんだって」と言われました。さすがの奥さまも、目がくるりと一回転し、次の言葉が出てこなかったそうです。この話はどうして出来上がったのか、定かなことは今でも不明です。が、町内の主要な場所では、まことしやかに語られていたのは間違いないのです。

私が想像するには、ファーガス・ポイントの ご主人が店の前と幹線道路からの入り口に「K・M STUDIO」と書いた看板を貼り付けて去って行ったので、スタジオ=写真スタジオ=村岡のスタジオ=村岡が引っ越した、という方向に物語が完成したと思います。事実を確認すればすぐに分かることなので、この話はすぐに立ち消えになったのでした。火のない所に、煙が出た。

このように、田舎生活では、日常の情報が想像以上に早く広範囲に伝わる便利なシステムがあり、町の行政とか人の動きなどは何となく伝わってきます。だれかが教えてくれますので、つんぼ桟敷になることはないでしょう。ただ、時に情報の中身がねじ曲がったり、不正確なものが加わったりする欠点がありますので、重要と思う問題は自分の耳で調査・確認するのが大事です。(2006/12/20)