妻と私の同病カルテ 2018                      Back


平成30年

明けまして、御目出度うございます。

今年も良き年となるように、お祈り申し上げます。

■2018/1/3 お正月は、心が清らかに
大晦日は、娘と孫が遊びに来ました。娘は働いている身なので、なかなか会う機会が少ないです。久し振りにお互いの近況や日々の雑談に花が咲きました。私は、夕刻に六歳の孫を連れて外出。神社にお参りに行きました。初詣をと考えていたのですが、孫が「お母さんに、御守りを買いたい」と言うのです。それで、二人で年末の参拝をいたしました。

正月は、何時もと変わらずの生活です。元旦から奥さまの透析をして、無事に済んだことに感謝しました。年賀状だけは楽しみにしています。どんなに遠くにいても心が通う友人たちがいますので、年賀を見ることで元気な姿を想像できます。年賀状の数が減っているそうです。でも、EメールやSNSなどを含めると、人と人の繋がりは昔ながらではないでしょうか。私達夫婦は、賀状を書くことを楽しんでいるので、あまり苦痛ではありません。

一部ですが、昔からの腐れ縁で遣り取りをする人がいます。そういう関係も年々、何となく自然に解消していくものです。年賀状の数は、半分以下に減って来ました。「義理」「仕事上」などが無い賀状書きは、心がまあるくなります。

今年も、また日本が美しい国であるように願いながら、この雑文を書き続けるつもりです。皆様に苦痛を与えないように努力いたします。どうぞよろしくお願いいたします。ご意見のある方は、メールでご連絡を下さいますように。

今年の元日、札幌は生憎の曇り空でした。初日の出を見られなかったのは残念でした。でも、心は穏やかです。

■2018/1/10 近代主権国家とは何か
今日の読売新聞によると、2015年の慰安婦に関する「日韓合意」について、韓国政府が対応を表明しました。

内容は、以下のようなものです。

(1)合意は公式なもので、日本に再交渉を求めない。
(2)元慰安婦を支援するため日本が拠出した10億円を韓国政府予算で充当し、今後の処理方法を日本と協議する。
(3)日本が、元慰安婦の名誉と尊厳の回復に努力することを期待する。
(4)当事者の意思を適切に反映していない合意は、真の問題解決にならない。

これをお読みになった人は、どう思うでしょうか。

「合意の再交渉は求めない」としながら、10億円の処理を協議する、名誉と尊厳の回復に日本が努力する、当事者の意思が無いものは問題解決にならない、と事実上の再交渉もしくは「合意の破棄」を宣言したようなものです。

その一方で、日本が求めている「慰安婦像」の撤去は進むどころか、世界各地で増殖の一途です。

「合意」は、世界中の人々にマスコミのカメラを通して「不可逆的なもの」として公開・伝えられたものです。国家間の約束であると同時に国際公約でもあります。それを自国の都合で、一方的にねじ曲げる強硬手段に出たわけです。

今日、私は韓国の理不尽を責めようと思ってこの文章を書いているのではありません。そもそも朝鮮(南北を含む)は、我々が理解している近代主権国家なのかどうか、という根本的疑念です。私は、近代国家ではない、と結論します。近代国民国家、主権国家とは、どんな条件を備えた国なのか。

第一に、国民が共通の同胞意識を共有し、主権国家となる意欲と条件(力)を備えていること。
第二に、国内を自国の法体系により、治安を維持する能力があること。
第三に、外国との条約を遵守する能力が存在すること。

韓国の場合、「私達は韓国人である」との強い同胞意識があるのかどうか、極めて疑問です。というのも、韓国が出来た1948年以後、自国の歴史的・文化的アイデンティティーが存在しないことで、「反日」を基本に据えて今日に至ります。「日本との苦しい闘いの末、独立を勝ち取った」という神話を作ったのです。実態は、アメリカに作って貰っただけです。

軍事的には、韓国軍の指揮権がアメリカ軍にあります。これって、主権国家の肝が無いということです。

国内を法律により治めているかどうか。ローソクデモで朴槿恵政権が倒れたのを見ても、法治国家とは言えません。選挙で選ばれた政権は、選挙で信任を受けるものです。信任されなければ、野党に政権が移る。これが普通の近代主権国家の仕組みです。韓国は、政治、行政、司法あらゆるものが、「情治主義(民衆追随)」になっています。

外国との条約、約束事を守れないのは、主権国家としての資格に完全に欠けるものです。それは、韓国の国内政治体制や政権が変わっても、主権国家を主張する限りは、前政権(前政体)の行為を全て引き継がなければなりません。それが出来ないのなら、主権国家を名乗る資格は爪の先ほども無い、ということです。

明治維新後の日本新政府は、幕末に徳川政権が諸外国と交わした不平等条約を全て引き受けました。

韓国は、国民国家でも近代主権国家でもない。1910年の日韓併合以前に戻ってしまった国です。国と言えば国ですが、古代国家が進化しないまま、未だに古代国家のままなのです。中国も同じです。中国と朝鮮の歴史は古代から止まったままです。世界広しと言えども、後進国とか途上国とかはありますが、この二国(地域)ほど進歩が遅れている国はないでしょう。福沢諭吉の「文明論の概略」でも読んでみては如何かと、余計なことを言いたくもなります。

■2018/1/19 在宅透析の効果
奥さまが、定期受診で透析クリニックに行って来ました。ドクターは血液データを見て、「まったく問題無いですね。何も言うことはありません」。以上終わり、です。細かく見ると正常範囲から外れている項目はあります。が、透析患者との基準で見れば、極めて状態は宜しい、との判断です。何時も心配して面倒を見てくれる看護部長さんも、電子カルテを見ながら、「薬は全く出ていないのですね。毎日透析をすると、こういう風になるんだ」と、いたく感激していました。

看護部長さんは透析の専門資格を持つ人ですから、在宅透析の有効性は百も承知しています。でも、実際に患者を見ていると、その効果の程、有効性を再確認しているのでしょう。とても喜んでくれました。私達も嬉しいですね。

在宅透析を始めた一昨年から、毎日早朝から起き出して、花畑作りをするようになりました。体力、気力、そして食欲も普通の人と変わらないくらいになりました。若々しくなった気がします。奥さまの行動に、私が付いて行けないです。

在宅透析は、自分たちで準備し、穿刺し、実行し、トラブルに対処し、機械の管理をしなければなりません。精神的にはストレスになることも多いです。また、体力も必要です。ですが、可能な限り続けてみるつもりです。限界を感じたら、施設・病院透析に戻れば良いと気楽に考えています。透析回数(週3回)は不満ではありますが・・。

在宅透析を希望する人はいるのですが、家族が「危険性」を心配して反対することもあるそうです。それも理解できます。医療の専門家がいない状態で行うので、本人も周りも心配と不安はあるでしょう。誰にでも勧められるものではありません。在宅で行う意欲のある患者さんは、病院などにご相談なさってみてください。体調改善は間違いありません。

■2018/1/26 「共産党宣言」のフェイク
マルクス主義のバイブル的存在が「共産党宣言」という書物です。1848年、マルクスとエンゲルスによって執筆・出版されました。日本の明治維新よりも20年も前です。私が今更ながらこんな古い本を取り上げるのは、現在の左翼思想や左翼勢力(隠れ左翼、リベラルなどとも自称している)の根源であるからです。左翼は、マルクス主義なのです。

第1章「ブルジョアとプロレタリア」の第一行目は、以下の言葉で始まります。

《これまでのすべての社会の歴史は、階級闘争の歴史である。》

マルクス主義の核心ともいうべき「史的唯物論」の歴史観が高々と表明されています。
続いて、同書は以下のように自信満々に語ります。

《われわれの時代、ブルジョアジーの時代は、階級対立を単純にしたことによってきわだっている。社会全体は、敵対的な二大陣営に、互いに直接に対立する二大階級、ブルジョアジーとプロレタリアートに、ますます分裂する。》

現在を生きる普通の人間であるなら、違和感を感じるはずです。理由は、事実と違うからです。
人間の歴史は「階級闘争の歴史」と単純化できるようなものでないことは、少しは歴史を学んでいれば、直ちに疑念を持つはずです。そもそも階級とは何か、マルクスは正確に定義していないのではないでしょうか。身分の違いか?

マルクスは、奴隷制社会、封建制社会、資本主義社会、社会主義・共産主義社会と、人間の歴史は直線的かつ必然的に発展する、と定義しました。では、日本の歴史を振り返ってみましょう。日本は分かっている限り、縄文文化、弥生文化、古代の小国が乱立した時代(古墳時代はここに入るのかどうか)、大和朝廷によるほぼ全土の統一となります。

大和朝廷の成立をもって日本国の誕生、とみるのが多くの常識的歴史家の判断でしょう。このあと、武士の社会に移行し、最終的には江戸幕府の開府で安定した封建社会が成立しました。さらに明治維新へと続きます。

日本には「階級闘争」など無かったことが分かります。権力闘争、戦争、権力者の交代などはありました。が、そこに「支配者が被支配者を抑圧した」「階級闘争で社会が変わっていった」などという事実はありません。ヨーロッパや中央アジアの歴史も、階級闘争史観だけで解釈は不能であります。ましてやチャイナなど、皇帝の歴史ではありませんか。

話を日本に戻します。万葉集を読んだ人は多いと思います。万葉集には、天皇、皇族、貴族はもちろん、女性、防人、農民など名も無き人たちの歌が収録されています。支配者が庶民を一方的に弾圧して搾取していたのなら、どうして万葉集に庶民、平民、女性の作品が存在するのか。これこそ激しい階級対立など無かった証拠ではないでしょうか。

洋の東西を問わず、身分による差別や格差はあったでしょう。現在でも、無いとは言えません。

古代から天皇は、農民や庶民を「大御宝(おおみたから)」と呼んできました。つまり、大切な国民であり、庶民の生活を豊かにするのがは天皇の責任である、と考えてきたのです。古事記、日本書紀にも書いてあります。天皇と農民が階級闘争をして天皇が処刑された、などという話は日本にはありません。マルクスの主張とは、まるで違います。

現代人なら、ブルジョアジーとプロレタリアートの階級対立、などと言われても「何の話だ」で終わりです。

マルクス主義理論には、この手の誤りやフェイクが山のようにあります。追々それを明らかにしていきます。

■2018/2/5 戦争と平和、その言葉の意味
三日は節分、四日は立春。日本列島は未曾有の寒波に覆われているようです。それでも春は近づいています。

サヨクの人たちは、「平和、人権、民主主義」が大好きです。その言葉に酔っている。事実上宗教言語化しています。私から見れば、言葉の意味が分かっているのか、と聞きたい。彼らは、言葉の定義を知らずに使っています。

例えば、平和は絶対善であると信じ、戦争は絶対悪として蛇蝎の如く拒否反応を起こします。戦争と平和を切り離して対立する概念と捉えている証拠です。戦争と平和は対立概念ではなく、表裏一体のものである事を理解出来ません。

小室直樹さんは、数学、経済学を学んだ文明史研究家です。2010年に亡くなり、しばらく著書が絶版になっていました。最近ビジネス社から復刻版が出されるようになり、その幾つかの著書を読めるようになりました。最新版は、「国民のための戦争と平和」です。読んだばかりなのですが、歴史と文明の概念をこれほど明瞭に語ったものは初めてです。今回は小室直樹さんの文章を読んでいただきたいために、この一文を書き始めました。以下に、引用させてもらいます。

《「戦争」と「けんか」はどこが違うか

戦争とは、そもそも何であろうか。多くの人が誤解しているようだが、戦争とは、文明が否定され平和が破壊され、人間の本能が解き放たれて野蛮状態に陥ることではない。

戦争を行うのは、人間だけである。犬も猿も戦争を行うことはない。猿の世界でも、ボスの座をめぐって集団内の権力闘争が行われるし、集団相互間では暴力沙汰もある。しかし、いずれもそのようなものは、「戦争」とは言えない。本能のままに、むき出しの暴力をふるい、相手方をいたずらに痛めつけるのは、「けんか」であっても戦争ではない。
(中略)

戦争は国際紛争解決の手段なのだから、敵を殺すこと自体に意味はなく、紛争解決のために相手の意思を強制できればよい。そのために敵兵を殺すことがあっても、それ自体が目的ではない。ましてや、憎らしいから殺すのではない。

戦争は、人類がその文明史を通じて創造してきた、高度に組織化されたある種のメカニズムではあり、制度である。戦争は、自然の次元にあるものではなく、高度に人工的なものである。

人工的とは、ここでは二重の意味を持つ。第一に、戦争の当事者は主権国家である。私人が勝手に武力を行使すると、それは山賊か海賊である。(中略)戦争ができるのは、高度に組織化され国際法上の責任を負うことのできる主権国家か、それに準ずるものである。つまり、人工的なものである。

第二に、戦争は、そのような主権国家の間でお互いに実力を行使し合うものだが、その実力行使自体が組織的で規範的なものである。戦争の開始、終了などのプロセスには、いちいちルールがある。末端の戦闘にも厳しいルールがある。これが制度でなくて何であろうか。

戦争は、国際社会の法秩序が崩壊することでもない。ましてや、法の空白が生ずるものではない。別個の法秩序によって置き換えられるだけの話である。つまり、平時国際法から戦時国際法への移行である。戦争は高度に文明的な制度なのだ。

戦争がないのが平和、というのは間違い

戦争が文明の所産であることは、すでに述べた。戦争は文明の生み出した一つの制度なのである。平和も、実は、同様に理解すべきものなのだ。戦争も平和も、文明のもたらした制度である。戦争と平和は、同一次元の、二つの別々制度である。両者は、別々の制度であるという意味で、一見、対立概念のように見えるだけである。
(中略)
平和は「自然」のように「そこにある」ものではない。戦争がない状態で、ただ放置しておけば、平和があると思ったら大間違いだ。そんなことでは、文明が退歩して野蛮に戻り、戦争があるよりも情けない状況になりかねない。俗に、平和は勝ち取らねばならない、という時は、このような意味で理解すべきである。》
(1981年初版)

如何ですか。戦争、平和、主権国家、国際法などの言葉があります。これらは人類が長い時間をかけて生み出した文明の一つです。中世ヨーロッパは、キリスト教が権力と権威を独占する絶対専制の状態でした。野蛮の時代です。1610年からの「30年戦争」(宗教戦争)に疲弊したヨーロッパで、ウェストファリア条約が結ばれます。

ここから主権国家が登場し、宗教(立場)が違っても相手を残酷に殺さなくてもよい、戦争にもルールを作ろう、などの考え方が生まれてきます。こうして野蛮な時代から文明の時代へと歴史は動き始めるのです。自由、民主主義、人権、国民主権、国民国家などの概念は、アメリカ独立宣言やフランス革命と切り離して論ずることは不可能です。

蛇足を加えます。ここでは、戦争と平和に善悪の価値観を持ち込みません。それは反文明だからです。

左翼の皆様には、自分たちが使っている言葉の歴史的意味を勉強してもらいたいものです。文明論の観点からいえば、マルクス主義は全体主義の代名詞であります。つまり、反文明そのものです。野蛮な思想でありますね。

■2018/2/10 PSAの値と豪雪
三ヶ月ぶりに泌尿器科を受診してきました。癌マーカーのPSAは0.519。前回よりほんの少し高めでした。と言っても、0.021の差です。誤差の範囲内です。PSAの値がほぼ0.5辺りに落ち着いてきた、ということらしいです。まだまだ様子見が続きます。ドクターは、どんどん上昇するような状態になれば、ホルモン剤などの薬剤を投与するとのことです。

前立腺癌は、死にづらい癌と言われています。いずれ再発、進行するのでしょうが、ますます老人になることもあり穏やかに共存共栄して行くことつもりです。その時が来るのを楽しみにしています。負け惜しみではないです。

日本海側、福井や金沢、富山、新潟などで大雪どころか大豪雪に生活自体が甚大な影響を受けているようです。最近は沖縄を除いてほとんどの地域に雪が降るようになりました。そろそろ雪が降るのは当たり前と捉えて、雪に耐えるインフラ作りを検討してみてはどうでしょうか。とくに幹線道路は拡幅する、一時的に除雪の雪を堆積できるようにすべきです。札幌はそうなっています。夏は二車線でも、大雪の朝は一車線道路になります。本来の車線は、排雪が終了するまでの一時的雪堆積場になります。道が狭くなりますが、通れないよりは遙かにマシでしょう。

家屋の建て方も雪に強い建築方法を一部導入してはどうか。屋根に融雪ヒーターを設置するなどは、とくに高齢者の住む場合は効果的かと思います。市街地を中心に道路ヒーティングを積極的に導入したりなど。坂道だけでも設置すれば、スリップして動けなくなる車が減ると思いますが。緊急車両がストップしては、人間の命に関わります。

雪対策は、非常ににお金がかかります。一地方自治体だけでは不可能です。国家的政策として検討すべきではないかと一考します。生活上の問題だけではなく、国の安全保障にも関わる深刻な問題です。ノウハウはありますから。

■2018/2/19 オリンピックは感動が一杯
平昌オリンピックも佳境に入ってきました。北欧の国々の強さには脱帽ですね。とくにノルウェーは現時点で26個です。選手も国家も誇りをかけて競技に臨んでいるのでしょう。素直に拍手を送りたい。ドイツ、カナダ、オランダも群を抜いた強さです。また、我が日本の健闘振りには、目を見張ります。これほどメダルを獲るとは予想しませんでした。

羽生結弦選手の金メダル、オリンピック2連覇は、どんなに讃えても切りが無いくらいです。昨年11月、右足に大怪我をしてリングに上がれない状態だったそうです。ゆっくりと練習を開始したのは先月でしょうか。子細は分かりませんが、試合に出られるか出られないかのギリギリだった筈です。そして、いきなりオリンピック本番ですから。

私も、スケーティングが出来るのかどうか、しかもメダルを獲れるのかどうか、七、八割は確信が持てませんでした。公式練習も、最初は非常に慎重でしたしね。試合は、ドキドキしながらテレビで見ました。SPの滑りを見て、我が目を疑いました。完璧ではないのかも知れませんが、安定した四回転をしっかり決めて、トップに立ちました。

翌日のフリーは、その美しい舞に惚れ惚れしました。後半のジャンプでバランスを崩すことがありましたが、大きなミス無く滑りきりました。技術点では中国の選手などが上回っていましたけれど、演技構成点は他を寄せ付けぬものでした。羽生選手がボロボロと涙を溢すのを初めて見ました。ここまで来るのにどれ程の苦労があったかのか。本人にしか分からない喜びに違いありません。私も、我が事のように嬉しくなりました。感動しました。

安倍首相との電話では、「後半、やっぱり疲れが出たんですか」と聞かれ、羽生選手は「疲れが出たというよりも、やっぱり足首が持たなかったという方が大きいですかね」と答えています。観戦している者には計り知れない気力で舞台を演じきったのでしょう。リンクを出る前に、右足を抱擁するような仕草がありました。耐えた足への感謝の表現です。

フィギュアスケートは四回転が当たり前になり、羽生結弦選手は「四回転半」に挑戦するとのこと。大試合、大舞台を終えたばかりで、次の目標を語る強い意欲には感服する外ありません。そうは言っても、技術は無限に伸びるものではありません。演技構成点を含めた総合的なものです。むしろ羽生選手は、演技力が今回の勝利をもたらしました。

羽生選手も銀メダルを取った宇野昌磨選手にしても、優雅な舞が勝利の決定力になった気がします。フィギュアスケートは日本人に向いた競技のように思います。日本文化では、子供の時から「仕草」を学びます。それが他国の選手には真似出来ないものだと思っています。浅田真央さんが現役時代の「白鳥のような舞」は、何時までも忘れません。

昨夜はスピードスケート女子500mで、小平奈緒選手が金メダルを獲りました。ヨーロッパやアメリカと比べ体力で劣る日本人が、これらの種目で勝利するのは容易ではありません。小平選手は、二年間オランダに留学して基礎からスケートを学んだそうです。才能、努力、科学的研究が実った成果です。銀メダルを獲得した韓国の選手共々、御目出度う。

二人は友人だそうですね。スポーツを通じて心通わせる人間関係ができることにも感動します。国家と国家の間でも、同じ様な友情・信頼を育むことが出来れば「揉め事」は無くなりますが、こればかりはスポーツの世界とは違います。

国家同士では、揉め事や戦争は避けられません。スポーツは「仲間、友情」を育みます。問題の多いオリンピックではありますが、四年に一度、世界中から選手や応援の人々が集まり交流するのは価値あることだと思います。

■2018/2/28 如月が去って行く
オリンピックの熱狂が一息ついたと思ったら、もはや二月が逃げて行くではありませんか。歳を重ねると月日の移りが早い、と親たちが言っていました。本当にその通り。この歳になると、理解ではなく実感いたします。嗚呼。

日本共産党の綱領を読んでいたら、以下の文章がありました。

《一、戦前の日本社会と日本共産党

(三)日本帝国主義は、一九三一年、中国の東北部への侵略戦争を、一九三七年には中国への全面侵略戦争を開始して、第二次世界大戦に道を開く最初の侵略国家となった。一九四〇年、ヨーロッパにおけるドイツ、イタリアのファシズム国家と軍事同盟を結成し、一九四一年には、中国侵略の戦争をアジア・太平洋全域に拡大して、第二次世界大戦の推進者となった。》


「中国東北部への侵略」とは、満州事変のことでしょうか。「中国への全面侵略戦争」とは、日中事変のことでしょうか。さらに「第二次世界大戦に道を開く最初の侵略国家となった」とは、いったいどういう意味でしょうか。

一言で表現すれば、歴史認識がこれほど貧弱なのかと、溜息しか出ません。何故満州事変が起きたのか、その原因を些かなりとも記述するべきでしょう。当時の満州は張学良という山賊が暴力でやりたい放題のことをしていた土地です。もちろん国家ではありません。張学良にはそんな実力が無かった。だから、山賊とか匪賊とか呼ばれました。

彼ら(蒋介石も含め)は、内乱の続くシナ大陸で反日運動を始めました。ヨーロッパやアメリカよりも日本の方が都合が良かったのでしょう。満州で商売をしていた日本人(朝鮮人を含む)が排除されたり、殺されたりという事件が頻発します。帝国陸軍の中村大尉が殺害されるなど、現地の日本人からは「治安を何とかしてくれ」という要望が殺到します。

度重なる不条理な暴虐に反撃したのが、満州事変です。挑発し戦争を仕掛けて来たのは、張学良や蒋介石などシナ側です。これは侵略でも何でもありません。当時の列強諸国なら、もっと徹底的な反撃をしたことでしょう。日本は、満州から張学良などを追い出し、清朝最後の皇帝・溥儀を帝位に就けて満州国を建国します。

そもそも論から言えば、満州は満州族の故地であり、中国の領土ではありませんでした。当時は無主の地と言われていました。つまり、統治する権力が無い、国家が無い、という状態でした。そこに日本軍が侵攻したからといって、何が問題なのですか、ということです。少なくとも、侵略ではありません。逆に安定した満州国作ったのを評価すべきです。

日中事変も、きっかけを作ったのは蒋介石と中国共産党の謀略部隊だとの資料が現れています。北京近郊の盧溝橋事件は、駐屯していた日本軍に、中国側が一方的に発砲して挑発してきたものです。続いて通州事件が起き、200人以上の日本人が残虐な方法で殺害されました。くどいようですが、挑発し戦争を仕掛けたのはシナ(中国)側です。

反撃に出た日本軍は、多大な犠牲を強いられながら、上海から南京へと侵攻します。本来なら南京城陥落で勝負あったのですが、蒋介石は山奥の重慶に逃げ込み、さらに反日戦争を続けます。だらだらと中国国内に留まった日本軍と政府の中途半端な対応が、ズルズルズルズルと1945年まで続いてしまいました。

元を糺せば、挑発し戦争を仕掛けたのはシナ(中国)側です。日本は、蒋介石や毛沢東やコミンテルンの謀略に引きずり込まれて、撤退するチャンスを失ってしまったのです。ゾルゲや尾崎秀実の画策もありました。少なくとも、日中事変を日本の侵略戦争だと断罪するのは間違っています。防衛戦争をしているうちに負けた、というべきでしょう。

「中国侵略の戦争をアジア・太平洋全域に拡大して、第二次世界大戦の推進者となった」とは、これは如何なる根拠で言っているのか。満州、中国での日本の行動は侵略ではありません。ましてや第二次世界大戦に拡大したとは、言葉遊びもいい加減にして欲しいものです。日米戦争は、アメリカの挑発が原因です。日本は、あの東条英機首相でさえ、日米戦争を回避するために死に物狂いの努力をしたのです。「ハルノート」は開戦の決定打となりました。

日本共産党は、その綱領においてさえも歴史の事実と違うことを書き連ね、嘘の上に嘘を塗り固めるようなことをしています。共産党にとっては、事実関係とか学術的な評価など関係ないのです。自分たちのイデオロギーに合うように事実を書き換え、プロパガンダを発するだけ。こんな政党が存在することが不思議です。

■2018/3/8 病院通いでフラフラに
三月だなあ、と思っていたら、早くも8日です。雛祭りには、家でゆっくり美味しいお菓子でも食べたいと考えていました。松江のお菓子屋さんから届いた雛祭り菓子は、落ち着いた気分で味わう余裕がありませんでした。

整骨院で治療、透析機のフィルター交換、奥さまの歯科受診、呼吸器内科受診、義母との面会などなど、毎日のように日程が詰まっておりました。当然透析も行いますので、老夫婦は心身ともに疲労が重なって、少々ぐったり気味です。無理を重ねるのは後々に響きますので、支障のない範囲で在宅透析を休んだりして柔軟な生活をしています。

三ヶ月ぶりの呼吸器内科受診では、とくに異常は見られず、状態は安定しているのが確認できました。ドクターは、「病気(肺癌)は嘘のように良いですね。大丈夫だと思いますが、じっくり観察を続けていきましょう」と言い、ニコニコと満面に笑みで対応してくれます。ところが、このドクターは来月から他の病院に転勤が決まったとのこと。

この笑顔に励まされて、病気との共存を諦めずに通院していたのです。奥さまはショックだったようです。何時かは異動になるだろうと覚悟していましたが、現実になると、予想以上にガッカリした気持ちになります。二人で、ドクターとの別れを惜しみ、丁寧にお礼の気持ちを伝えて診察室を後にしました。次の担当も良いドクターでありますように。

義母は入院してから、精神状態がすっかり安定しています。とくに直近の出来事は殆どが記憶の彼方へ飛んでいくようですが、過去の想い出はしっかり覚えていて色々な会話が成立します。興奮状態で手が付けられない症状からは脱しています。最近の面会では、自分の年齢と衰えを自覚し受け入れているようで、無茶なことを言わなくなりました。

足が悪いこと以外は、内科の病気が無く、おおむね健康に暮らしています。食欲もありますので、安心です。

私たち夫婦も、年毎に気力と体力が衰えていくのをしみじみと感じます。通院を含め諸々の所用を済ませると、次の仕事に取り掛かるのがとても億劫になりました。どうしても疲れが取れない時は、透析を休み、休息を優先することも試しています。本当は休みたくないのですが、疲労で寝込んでしまうのは本末転倒だとも思い始めています。

啓蟄も過ぎて、本州は春になって来ました。もう少しで桜の季節ですものね。札幌はまだ寒いけれど、微かに春の気配は感じます。不思議にドカ雪はありませんでした。除雪で腰を痛めることもなく、有り難いことです。

■2018/3/13 体調不振、新パソコンは好調
弥生も半ばになり、札幌はプラスの気温が多くなりました。今冬は大半が真冬日で、寒さに怯んでしまいました。急に雪解けが始まり、やはり春近しだなあ、としみじみ感じます。孫の卒園式と入学式が近づいています。

先月半ばから体調が優れません。朝起きたときから体が気怠い、真っ昼間にソファで寝転んでうたた寝する、体がシャキンとしない。無理せずに寝たくなったら寝る、疲れを感じたら休む。そうして何とか凌いでいます。夜の眠りが浅い、若しくは精神疲労か。直接の原因ははっきりしません。若いときなら、体力で乗り切っていたのが、今は不可ですね。

書きたい事はあれこれ有るのですが、今日は疲れない話にいたします。

三月一日、クロネコヤマトさんが新しいノートPCを運んでくれました。東芝ダイナブックVZ82/FSという名前です。この文章は、その真新しいPCで書いています。なかなか期待以上の性能なので、ご紹介したいと思います。

12.5インチ画面(FHD、タッチパネル対応、非光沢)、RAM16GB、インテルcore i7-8550U(4コア8スレッド)、500GBのSSD(SATA接続)、モニター部を360度回転出来るコンバーチブル型。小型、軽量が売り。ざっと、こんな仕様です。

これが来るまでは、ASUS ZenBook3という銘品を使っていました。インテルcore i7-7500U、16GBのRAM、500GBのSSD(PCIe接続)。素晴らしい性能で、デザインの良さ、小型軽量とほぼ文句の付けようがない一品です。ただ、いくつか不満に感じるところがあります。画面が光沢で長く見ていると疲れる、タッチパネルに対応していない、などです。

東芝が春の新製品に、インテル第八世代i7を搭載した小型のパソコンを発売するのを知りました。説明を読んでいると、CPUと基板を冷却する独特の内部構造にしていることが分かりました。パソコンは見た目や仕様書だけでは評価は難しいです。仕様書を見て購入しても、期待するほどの性能が無く、失望し、諦めるユーザーは多いのでは。

性能面から言えば、まず自分の求めるパワーを持ったCPUと十分なRAMが必要です。それと同じくらい注意するのは、パソコンの内部を冷却する構造になっているかどうか。これはしつこいくらいに確かめ、検討すべきです。使っている最中にパソコンの周辺が熱くなるようなものは、冷却能力が低いものです。つまり、100パーセントの性能が出せない。

今回新しい相棒になってくれたVZ82は、検討に検討を重ねて買いました。購入を決定した最大の要因は、CPUとその周辺の冷却能力です。期待に違わず、極めて好調です。画像処理をするPhotshopがスイスイ動きます。RAW画像の表示や現像もとてもスムーズ。タッチパネルで操作出来るのも、大変便利。膝に乗せる時、折り畳めるのも良いです。

ZenBook3のようにSSDがPCIe接続なら満点なのですが・・。実際にはSATAとPCIeの速度差は体感できるほどのものではありまん。気にすることはないようです。こうなるとZenBook3との使い分けです。性能では甲乙付けるのが困難です。ZenBookはデザインの秀逸さが抜群ですし、小さく軽い(900g台)。迷いながら両方を使っていきます。ZenBook3は趣味性が強く、実用ではVZ82です。使う頻度は、VZ。気分転嫁と自己満足でZenBook3。贅沢でしょうかね。

ノートパソコン購入を検討中の読者は、是非冷却性能の良否も店員さんやメーカーに質してみてください。決して安いものではありませんし、買えば数年以上使う物です。店頭で触れて見るのが良いかもしれませんね。

■2018/3/16 官僚とは何だろう
新聞やテレビ、マスコミでは「財務省の『森友文書』書き換え」で大騒ぎ。国会も予算と関連法案などの審議が無視されて、野党の審議拒否が続くなどの異常事態となっています。財務省の「森友文書」書き換えは2015年から始まっているそうです。財務大臣、政府、政治家の知らぬところで、勝手な行動をしていたのが明らかになりました。

まだ事実関係と全体像がはっきりしないので、軽々しいことは言えません。しかし、書き換えは事実であるので、これらの行為は明らかに違法であると思われます。検察がどう判断するのかも興味深いところです。

私は、日本の官僚組織の独特の存在形態に根本的原因がある、と思っています。彼らには(特に旧大蔵省、現財務省)国家・国民の独立、安全、利益に奉仕するという感覚が欠けているとしか思えません。省益、天下り先の確保、法人や民間組織との既得権益拡大、そうした官僚の私的利益が常に優先する慣習が根深く染みついています。

小室直樹氏の「日本人のための憲法原論」(2001年、『痛快 憲法学』として出版)を読んでいたら、まさに今回の見苦しい日本型官僚の本質をズバリと書いてありました。その部分を引用してご紹介します。私ごときがウダウダ言うよりは、正鵠を射る名文です。その一刀両断振りは、文字通り痛快であります。

《さて、そこで現代日本を見た場合、はたして日本の官僚は家産官僚か、依法官僚か。

(注1)家産官僚(絶対王政のもとで、王や皇帝に使えるプライベートな召使い。公私の区別はない。集めた税金は、自分の所有物ともなる。中世ヨーロッパや中国)
(注2)依法官僚(絶対君主制が崩れ、立憲君主制や民主制度が発達するとともに「法に従って行動する官僚」へと変化した。近代官僚は「法律の実行マシーン」でもある)
(中略)


そのくらいなら、まだまだ罪は軽い。日本の官僚の場合、もっともっと悪質です。
家産官僚の特徴は「公のものは俺のもの」で、公私の区別がないことにあるわけですが、日本の高級官僚たちはまさにその典型例。何しろ、彼らは日本経済全体が自分の所有物であるかのごとく錯覚している。

そのいい例が、ついこの間まで行われていた「護送船団方式」なる銀行行政です。
日本の大蔵省(注3 今の財務省のこと)は「1行たりとも銀行は潰さない」という美名の下、ことあるたびに銀行の経営に口を出してきた。預金の利子はもちろんのこと、お客に配るカレンダーのサイズや絵柄まで大蔵省銀行局にお伺いを立てなければ銀行は何も決められない。

つまり銀行の経営権を実質的に握っているのは、株主でもなければ経営者でもない。大蔵省の役人が銀行を事実上「所有」していたのです。

もちろん「銀行のカレンダーは、かくあるべし」なんて国会で決まったことでもなければ、大蔵大臣の言ったことでもない。それらはすべて、大蔵省の役人の勝手な裁量で行われている。そこには法律的な根拠はない。

これは何も大蔵官僚に限った話ではありません。あらゆる官庁の役人は、日本経済は俺のものだと思って、今なお各業界を指導・監督しています。

日本の官僚はあたかも近代官僚、つまり依法官僚のふりをしているけれども、その実は違う。まだ家産官僚の域を脱していない。いや、家産官僚そのものなのです。》

「森友」では、財務省。「加計学園」は、文科省。しかも、こうした官僚は大半が東大出身者で占められます。大学に入った時から入省して、天下りしてからも、彼らのは家産官僚としての連携は連綿と続くのです。「加計学園」も、獣医学部は絶対に作らせないという獣医師会、大学、文部官僚の固い固い岩盤の如き壁と内閣府のせめぎ合いのなかで表面化した現象です。安倍首相と加計学園理事長との問題ではありません。左翼朝日はそれを分かっていません。

官僚の中には、前川喜平氏のような恥知らずもいます。が、個人レベルでは国家、国民のために惜しまず汗を流す人もいます。官僚組織の岩盤と腐敗は正すべきですが、官僚そのものを否定するのも間違いです。近代国家の運営は、官僚無しでは一歩も前に進みません。国民と政治家の知的レベルを不断に高める以外に道はありません。

■2018/3/26 「モリカケ」は官僚問題である
日本のマスコミ(マスゴミとも呼ばれる)は、知的レベルの低さを連日のようにさらけ出しています。マスコミに自社の主義主張があるのは構わないけれど、嘘や偏向、誘導はいけない事ではないですか。「モリカケ」は一年以上も報道され、国会の左翼議員たちが、「疑惑が深まった」「安倍昭恵夫人の証人喚問が必要だ」と同じ質問ばかりです。

財務省の森友学園への土地売却の決済書とその附属文書の改竄前には、近畿財務局が事細かに事の経緯を書き記してあります。簡単に書くと、以下のようになります。

平成25年9月2日  森友学園が近畿財務局に土地取得を要望
平成25年9月9日  近畿財務局が鴻池議員事務所に「7、8年賃借後にOK」と伝達。
平成25年9月12日  近畿財務局が大阪府私学・大学課に 今後の連携について話し合う。

平成26年4月28日  籠池元理事長が、近畿財務局に安倍昭恵夫人と一緒に写った写真を見せる。
平成26年6月2日  近畿財務局が、森友学園に売却を前提として土地の貸し付けをする、と伝える。

平成27年9月5日  安倍昭恵夫人が森友学園の幼稚園で講演。小学校の名誉校長就任を受諾する。この年は、近畿            財務局と森友学園・籠池理事長との間で、土地の賃借契約で激しいやり取りがある。

平成28年6月14日  鑑定の結果、ゴミの撤去費用を除いて、土地価格を1億3400万円と決済する。
平成28年6月20日  近畿財務局と森友学園が、1億3400万円で売買契約を結ぶ。

財務省の改竄前文書には、こうしたいきさつが公文書にしては珍しいくらいにクドクドと記述されています。

平成25年9月12日には、近畿財務局は森友学園へ土地賃借や売却を概ね決めていることが分かります。だからこそわざわざ大阪府私学・大学課とも摺り合わせを行ったのでしょう。安倍昭恵夫人が登場するのは、その後からです。

どう考えても、安倍昭恵夫人が近畿財務局や財務省に強力な影響力を及ぼす立場にはなかったと判断出来ます。むしろ、鴻池参議院議員や北川イッセイ議員などの名が先に出てきています。だからといって議員たちが財務局にねじ込むような政治力を行使した形跡も無い。左翼マスコミと野党は、安倍首相を叩きたいだけなのでしょう。

籠池元理事長は、利用できるものは何でも利用する。近畿財務局との交渉でも、ゴミ問題を盾にとり「まけろ、まけろ。もっと安くせよ」と、半ば脅しのような交渉を続けていたのは明白です。近畿財務局も、ほとほと疲れ果てていたのでしょう。それにしても、決済後に文書の改竄は行政の信頼を失うどころか、絶対にやってはいけない犯罪的行為です。

明日は、佐川前国税庁長官の国会証言の日です。何が語られるか、語られないのか興味深いです。官僚体質から言えば、まず自分の身を守る、官庁の省益を守るのが彼らの発想です。政権や政治家に全く忖度などしないのが、とくに財務省官僚です。自分と省益のために、「安倍首相や官邸の意向を忖度した」などと言いだしかねないですね。

おそらく、安倍首相、昭恵夫人、官邸、政治家などの圧力は無かったことが語られるでしょう。大阪府豊中市という地方の案件に、首相や官邸が関わるなど常識としてあり得ません。財務省理財局も、土地の賃借やゴミ問題と売却などの特別な事情が生じたので、手を掛けざるを得ない羽目になったのです。本来は、近畿財務局の処理範囲の事です。

■2018/4/4 猫と左翼
我が家には、ごくうという黒い雌猫が住んでいる。老猫ではあるが、食欲あり、遊び心あり、至って元気である。腹が減ったら飼い主に食事を要求する。撫でて欲しいときも、何の遠慮もなくすり寄って来る。飼い主の諸事情など、まるで忖度することはない。毎朝の牛乳摂取が習慣になっている。やらないと、いたって機嫌が悪い。

人は「勝手な生き物だ」などと言うけれど、私は生まれ変わったら猫になりたいと願っている。自然に溶け込んで、生きていくのが動物である。人間のように、社会とか世間という煩わしいものは必要ない。生きることには必死であろうが、死ぬことに思い悩むことも無い。我が人生をどう生きるか、などと要らぬ心配事もありはしない。

左翼と言われる人たちがいる。彼ら、彼女らは典型的なヒトであると、私は思っている。猫とは正反対の生き方をしているからだ。猫、動物は「知覚出来る現実」に対応しながら生きている。そうしなければ、生きられないし、子孫も残せないからだ。大脳の機能が人間とは違うのだから仕方がない。だが「現実対応」というのは馬鹿に出来ない能力だろう。

ヒトは巨大な大脳を持つ。これが面倒な存在である。言葉、文字、社会、科学技術、芸術、文明、文化、都市などを産み出してしまった。果ては、人殺しや戦争もする。これも文化である。今更止めるわけにもいかない。第二次世界大戦後に止めようと宣言したのだけれど、一層むちゃくちゃなルール無視の野蛮な状態に回帰しているのではないか。

私は何を言いたいのか。左翼というヒトの頭の中について、仮説を述べてみたいのである。そもそもヒトが動物と違うのは、言葉や文字を持つと同時に自然の現象を抽象化する能力に長けていることである。それがコンピューターの発明であり、宇宙ロケットであり、核とICBMである。古代ギリシャ時代から哲学が生まれて、今も哲学者が数多いる。

哲学とは、すなわち自然分析・思想・イデオロギーである。宗教もイデオロギーの一つであると解釈できる。これは人間にとって、極めて役に立つものである。一見無秩序な自然や現実を抽象化し、論理立てて理解する。科学技術もその流れのなかから誕生したのであろう。思想が自然科学に向いている場合は、大いに役に立つ。

社会分析、人間の倫理問題、意識・精神などについて論じた場合、必ずしも正しい結論に至るとは限らない。100人の哲学者がいれば、100の哲学体系が成立するだろう。正しくない結論を吹聴したのは、近代ではマルクス主義である。この点に関して正面から否定する人は希である。だから、マルクス主義そのものについては触れない。

自然科学の場合は、常に現実と理論の突き合わせ、実験、観察があり、間違いは間違いだと指摘される。よって、正しくない理論は正しい結論に是正されるし、間違いを放置などされない。つまりチェック機能が働くのである。ところがマルクス主義のような社会科学的な思想は、理論としては論破・否定されても、人間の精神の中に生き残るのである。

左翼は、「現実を無視している」と批判されることが多い。マルクス主義を宗教の一種だと理解したらどうであろうか。マルクス主義思想の流れ(変形)を保持している左翼にとっては、「現実イコール左翼思想」なのである。逆にして「左翼思想イコール現実」でも同じ事である。彼らにいくら「現実を見よ」と言ったところで、頭の中は全て現実なのである。

そういう意味では、オカルト宗教の一種ではなかろうか。教義以外は間違いであり、悪なのだから。

「憲法九条が平和を守ってきた」という思想が現実なのである。猫は、決してこんな行動はしない。身に危険が及びそうなら、身構える、敵を威嚇する、必要なら戦う、であろう。猫は、ヒトのように抽象化とか概念化などと、面倒なことはしない。現実に、即対応する。左翼の頭の中では、現実認識と抽象化・概念化・論理化がひっくり返っているのである。

現実認識(自然認識)を抽象化(科学化)することで、本来は人間の生活をより安全に、豊かにするのが筋というものだろう。ところが、左翼は頭の中がひっくり返っているので、やることもひっくり返ってしまう。彼らは「平和」「人権」「民主主義」「自由」を守るために理想の社会を作ると、本気で考えているのである。行動は正反対なのに、である。

大きくなった大脳機能の半分しか使っていないのが、左翼である。実にもったいない話である。だが、左翼ばかりを批判するのは片手落ちであろう。人間には、こうした傾向が誰にもあるからだ。私も学生時代から30歳半ばまでは、左翼思想に浸っていたのだから、他人を馬鹿呼ばわり出来ないことは理解している。だから深く反省している。

ただ、左翼思想は一種の麻薬のようなものでもある。頭の中が気持ち良くなるのである。酒やタバコとさして違いは無いだろう。他人を批判すること、既存のものを破壊することに快感を覚えるようになる。現実(正義)は自分の頭であり、それ以外は排除、打倒、破壊の対象だから、「人生如何に生きるか」などと悩まなくなるのである。

左翼病に罹ると、悩みは少なくなる。革命だとか革新だとか、たとえ浮世離れしたものであっても「生き甲斐」になるからだ。嘘かもしれないが、夢と希望があるのだから楽く充実しているのである。結果、本当の現実を見失うのだが。

病が重くなると、己の社会に対する知識は高度で豊富で他者より抜きん出ていると、勘違いするようになる。そして、他人に対して「大衆」と侮蔑的に言い、上から目線になる。此処まで来ると、もう回復可能率は格段に下がるのである。

■2018/4/11 日本の国会は暇なのか
最近は、ニュースを見るのが実につまらない。大リーグ・エンジェルスの大谷翔平選手が三試合連続ホームランを打ち、投手では開幕二連勝と期待以上の活躍をしている。こうした明るく楽しい話は、ニュースで見る・聞く価値がある。

片や日本の国会は、未だに「モリ・カケ」と財務省、防衛省、文部科学省などの文書問題で大騒ぎをしている。というよりは、アサヒ珍聞やNHKなど左翼マスコミがある事ない事を言い立てて野党を煽っているように見える。正義の味方みたいな振りをして政府を追及する野党も、「政権批判」だけが目的だから真面目な議論をする気持ちはさらさら無い。

劣化左翼によって、日本の国会は世界中の笑いものになっているに違いない。一年以上も「モリ・カケ」をやっても、安倍首相が不当な働きかけをしたとの事実は全く出て来ない。省庁と官僚の文書管理や扱いには、大いに問題がある。が、政権批判をするだけでは何も解決しないだろう。行政の諸問題なのだから、政府も野党も一緒になって知恵を出し合えないものなのか。左翼野党には、そういう発想も能力も無いのだろう。批判だけか。空しいですね。

不思議でならないのは、省庁のみならず愛媛県庁の職員が作った「メモ」なるものが出て来ることである。普通は出るはずもない物ばかりだ。意図的にリークする「間者」すなわち左翼スパイがいるのであろう。私の想像では、共産党関係者の可能性が高い。普段は素知らぬ顔で公務員を勤めていて、ここぞという時に動き出す。スリーパーという。

世界は激しく動いている。シリアの内戦問題と大国の思惑、アメリカの貿易赤字解消と関税障壁、北朝鮮の核とミサイルと拉致問題、中国の南シナ海での軍事拠点化、などなど。目の前に迫っているのが、安倍首相とトランプ大統領の会談である。貿易問題はもちろんだが、北朝鮮の核と拉致問題は、二人の間できっちりと摺り合わせが必要だ。

なのにである。国会では、モリ・カケと文書問題で毎日毎日が過ぎてゆき、北朝鮮とどのように対峙するかを与野党、政府が真剣に議論した形跡は全く無い。これでいいのか、日本の国会は。テレビを見ていると、立民のツジモト議員の顎が日に日に前に突き出してきた。「安倍政権打倒」と言い始めている。いま安倍政権が消えたらどうするのですか。

ツジモトさん、あなたが総理になり、我が日本国家を安全で強い国に導いてくれるのですか。天皇陛下に対して「気持ち悪い」とうそぶくヒトが、国家、国民のために身を投げ出すはずがない。壊すのが目的で生きているのであろう。

左翼の総攻撃に耐えている安倍内閣である。世論調査の支持率が下がろうが、目前に迫っている外交、安全保障問題に全力で取り組んでもらいたい。とくに拉致問題はもうこれ以上待てない状況になってきた。被害者の両親や親族が高齢化し、人生の大半を拉致と向き合い辛い思いをしてきたのである。私は、胸が痛む。

横田早紀江さんと滋さんは、「すでに40年も続く非道で、残虐きわまる、無慈悲な拉致問題に真摯に目を向け、解決しない限り、本当の平和は訪れない、という思いです」(産経新聞「めぐみへの手紙」)と語っている。この悲痛な訴えに、左翼野党はどう応えるつもりなのか。そんなつもりはないのか。彼らには国会議員としての資格がない、と断定する。

■2018/4/13 孫の写真をスマホで撮ってみた
昨年から、スマートフォンのカメラで写真を撮り始めています。花や風景を真面目に作品として創れないものか、と考えて試行錯誤をしています。主に使っているのはASUSのZenfone3 Ultraに内蔵されているカメラです。画素数が2000万もあるので、ズーミングした際に極端に画質が悪くならないのです。二倍ズーム程度なら不安無く撮れます。

近接撮影で花を撮ってみた印象ですが、予想以上に背景をボカせます。一眼カメラよりも近接能力が高いためでしょう。ただ、写り込む背景の広さは一眼カメラほどにはコントロール出来ません。受光センサーが小さく、焦点距離が短いのでやむを得ないです。コンパクトデジカメと言われている製品と比べると、あまり差が無いのではないか・・。

気になるのが「画質」です。一眼カメラのRAWと比較すると、雲泥の差ですね。RAWは光の生データですから、現像の段階から様々な加工・調整が可能です。質感が豊富で、微細な部分の表現力は文句なし。極端な大伸ばしにも耐えます。それと比べると、画像処理ソフトでの手の入れ方にも限界がありますし、どこか尖った感じがします。

そうは言っても、パソコンのモニター上で比べて見て感じることです。A4サイズまでの写真であれば、スマホでも鑑賞に耐えるレベルだと思います。先日、孫の小学校入学式でした。お爺ちゃんらしく、記念写真を撮りました。一瞬迷ったのですが、一眼カメラではなくスマートフォンを手にして撮影です。お互いに気軽に、砕けた雰囲気で撮れました。

大袈裟にならず、孫は緊張しなく、普段の顔付きでした。こうしたところもスマホカメラの良い点ではないでしょうか。直ぐにPCに取り込んで、Photoshopで画像修正し、プリントしました。なかなかシャープに、記念写真としては満足出来るものなりました。JPEG画像ですから、情報量がRAWに比べると少ないのですが、画質が悪いとは言えません。

最近コンパクトデジカメを買う人が減っている、スマホカメラで間に合わせている、などと言われます。確かに納得しますね。極端な高画質を欲しい人でなければ、コンパクトデジカメもスマホもほとんど変わりません。要するに撮れればいいのですから。とりわけ旅行での記念・記録写真を考えれば、スマホカメラは使い勝手が最高でしょう。

新型のスマホカメラは、レンズを二つ装着したものがあります。広角レンズと望遠(標準)系のレンズです。やや遠くの被写体を撮る時、望遠レンズを使えば画質の劣化はありません。その範囲に収まらない場合、デジタルズーム機能を使えばよいかと思います。「写メール」から始まった携帯カメラが、ついにここまで進化しました。びっくり仰天です。

ここからは普通のユーザーは考えなくても良いのですが、私は画質にも執着心があります。スマホカメラのJPEG画像は画像情報量が少ない、大伸ばしには不十分、という欠点があります。これを補うために、「画素数を補間する」手段を使ってみようと考えています。手軽には、Photoshopの基本機能を活用する。これでも構いません。

何時でも身につけているスマホを作品創りにも活用する。今年は、目処を付けたいと燃えています。一眼カメラを常に持ち歩くのは不可能ですし、面倒臭いですしね。あ、そうか。この感覚は、矢張り歳をとった証拠なのかな。

■2018/4/23 カタクリ登場です
昨日、今か今かと待っていた公園のカタクリが開花しているのを確認しました。この数日間、札幌は高温が続いています。と言っても、15度から20度の間ですが。本州各地では、夏日や真夏日が出現しているそうです。桜が咲いたと思ったら、いきなり真夏ですか。これは辛いです。テレビのインタビューに「体が付いていかない」との回答がありました。

スマートフォンカメラで撮影した今年のカタクリを見て頂けたら幸いです。結構な画質ですよね・・。

 

奥さまと二人で眺めるのが毎年の習慣、喜びになっています。ピント合わせが難しかったです。

■2018/4/25 野党はついに嫌党に
産経新聞デジタル版によれば、昨日(24日)も野党6党は「審議拒否」を続けているそうです。



新聞に掲載された写真です。主のいない席が野党、とのこと。財務省の理財局文書「削除問題」、福田次官のセクハラ問題などで、麻生財務大臣が辞任しないので審議に応じられない、と野党は主張しています。もはや子供の喧嘩以下のレベルであります。通常国会には、今年以降の日本政治の行方に関わる重要な法案が幾つもあります。

審議をしないなどと言っている悠長な事態なのかどうか、私のような平凡な国民でも分かります。外交では、北朝鮮の核とミサイルの廃棄、拉致問題が切迫しています。にもかかわらず、野党国会議員のこの体たらくは目に余ります。財務省、文科省、セクハラ問題などは、政策議論と切り離して対処すれば良いのではないですか。

与党と一部野党は、議論を始めようと何度も訴えている。自分たちの主張が通らないなら「出て行かないもんね。あっかんべー」とい言っている野党は、ガキ以下です。以後、嫌党(やとう)と呼びましょう。そもそも国会議員の役割は、議場において真剣に議論・討論をするのが仕事です。それをサボる野党6党は、責任放棄の税金泥棒ではないのか。

希望の党と民進党が合体して、「国民民主党」が出来るらしいです。短くして「民民党」→「ミンミン党」→「眠眠党」とでも呼びましょうか。居ても居なくても、大勢に影響ない。黙って寝ていてくれた方が、政治はいくらか真面になります。

一言。こうした無責任野党を煽り、支えているのは朝日新聞など左翼マスコミであります。罪は深い。

■2018/5/7 五月は「疑惑追及月間」
12時からNHKニュースを見ていたら、立憲民主党のツジモトさんが「五月は疑惑追及月間です」と発言していました。いくらマスコミ向けとは言え、何という志の低いことか。確かに財務省の文書書き換え、文科省の内部文書と官僚の発言、防衛省の文書管理の杜撰さ等々、事実解明と適切な対処が必要なのは明らかです。

が、五月と言えばトランプ大統領と金正恩の首脳会談が世界中の注目です。ましてや日本は拉致被害者の奪還を目指す当事者です。政府、国会、与党、野党 を問わず、一致団結して事に当たらなければならない時ではないですか。そんな事態を迎えているのに、「モリ、カケ」で国会審議を塗りつぶすつもりなのですか。やはり左翼はバカであります。

彼らは、日本に必要の無い存在でしかありません。日本と日本国民の安全保障と利益を何一つ考えない旧態依然とした保守反動勢力であります。イデオロギー(マルクス主義というゴミ箱に捨てられた思想をまだ懐に入れている)に染まったまま、60年代、70年代学生運動の夢にうっとりと浸って過ごしています。世界の絶滅危惧種ではないですか。

世界には左翼とかリベラルと呼ばれる人々、政党はあります。しかし、これほど世界情勢に無関心かつ対応能力の無い集団はありません。ましてや自国の安全保障に無関心だったり、軍隊を保持することに反対するなど、正気の沙汰ではありません。「戦争法」反対、憲法九条を守れ、集団的自衛権反対。紛れもなく中国と北朝鮮の工作機関です。

いずれ国民からそっぽを向かれ、凋落、消滅していくだけでしょう。左翼マスコミも運命共同体ですね。

■2018/5/7 大谷3勝目、コンサドーレが3位です
ばかばかしい話ばかりではありません。今年からメジャーリーグに移籍した大谷翔平選手が、見事なピッチングで3勝しました。野球については詳しくないので、コメントは控えますが、期待以上の大活躍です。嬉しいです。
  
私の地元チーム、J1コンサドーレ札幌が、ただ今リーグ戦3位です。4戦目から10試合負けなしの快進撃です。昨年は後半に勝ちを重ねてJ2降格を抜け出して11位になりました。今年も先ずは降格争いをしないことが大きな目標だろうと思っていましたが、上位争いをする実力を付けてきました。ペトロビッチ監督になり、サッカー戦略が変わりました。

常に攻撃する、攻める、得点する、この意識が選手たちに浸透しているようです。J1では、弱いチームはありません。ほんの僅かの差で勝敗が決します。今年のコンサドーレは、相手に一方的に攻め込まれても、しぶとく粘り得点を与えません。不利になっても集中力を失うことがなく、反撃のチャンスが来るのをじっと待つ意識が高いです。

得点が後半の後半に集中しているのは、その証拠です。相手が疲れて足が止まり始めると、一気にコンサドーレのペースになるパターンです。しかも得点のシーンを見ると、サイドアタックから決まることが多い。攻撃と得点の形を選手全員が理解しているのでしょう。後ろから長いボールが両サイドの選手に入り、そこから中央へという変化もある。

FWの都倉やジェイだけでなく、中盤の選手が常にゴールを狙っているので、相手は的が絞り辛いでしょうね。監督は、先発選手であっても調子が悪かったり疲れていると、控えの選手を大胆に送り出します。これは選手への信頼があるからでしょう。普段は控えに回る選手でも、いつ出てもやれるようにトレーニングしているはずです。コーチ陣の指導や精神面のサポートがあるからだと思います。昨年監督だった四方田さんの力も大きいでしょう。

現在、勝ち点25。J2降格は無いと思います。第14節は、2位のFC東京との対戦です。大いに楽しみです。

■2018/5/9 情報工学から見た日本の左翼
月刊誌「正論」6月号を読んでいたら、筑波大学システム情報系准教授、掛谷英紀氏の「大学政治偏向ランキング」といいう実に興味津々の論文がありました。安保関連法が国会審議されていたとき、反対署名をしていた学者の所属大学と教職員に占める比率などを数値で解析したものです。非常に科学的で、説得力ある内容です。

私が注目したのは、著者が左翼について「定義づけ」をした内容です。以下のように書かれています。

●表向きは「リベラル」を標榜するが、実際には自分および自ら共感を寄せる集団の自由にのみ関心があり、それ以外の人間の自由には関心がない。自由や人権を弾圧する国家に共感を持つことも多い。

●ある種の万能感を有し、自分は常に正しいと考える傾向が強い。そのため、「ダイバーシティ」(多様な人材を活用すること)を標榜しながら、自らの意見と異なる言論をしばしば封殺する。

●反権力や弱者救済を掲げる一方、自ら権力を得たいという欲求が強く、立身出世に執着する。奉仕の精神に乏しく、社会貢献には関心が薄い。

●現実に起きていることよりも自らの頭の中にある理想を優先させる。自分の思想が現実と合わない場合、自らの考えを修正するのではなく現実を非難する。


実に正鵠を射た定義であります。私も含めて、こういうタイプの人に出会ったことがあるでしょう。意見が異なると、会話自体を拒否する、急によそよそしくなる、場合によっては激しく批判してくる。常識が通じないのですね。養老孟司さんが「バカの壁」という本を出し、今も売れ続けるいるそうです。左翼イコール「バカ」との表現しかないのでしょうか・・。

私は、掛谷氏の定義に、一つだけ追加したい思います。以下のように。

●日本人でありながら「日本が嫌い」(反日)、国家の安全保障には全く無関心(自衛隊解体、非武装中立など非現実的主張をする)、社会のあらゆる場所に差別意識を持ち込み国民を対立・分裂させる(男と女、日本人と外国人、性的趣向の違い、普通の人と大金持ち、などなど)。こうした日本型左翼は、未だにマルクス主義思想を後生大事に懐にしまいこんでいる。マルクス主義の変形フランクフルト学派的思想を捨てられないままである。

国会は「モリ・カケ」や文書問題ばかりでつまらないので、掛谷氏の論文をお読みになるのをお勧めします。

■2018/5/24 PSAとスズラン
五月も下旬になりました。言うのも呆れるのですが、光陰矢のごとし。現在は直ちに過去になり、です。

前立腺癌の様子を診てもらいました。PSAの値をグラフにしてくれましたので、見てください。



治療を終えてから二年以上、三年目になりました。二年前には8.010だったPSAが、今回は0.413でした。順調過ぎるくらいに低下しています。放射線治療以外は何もしていないので、ドクターは「順調ですね。放射線が効いています。このままずっと安定する可能性もありますし・・。定期的に様子を観察しましょう」と言ってくれました。

グラフにしたプリントを頂いたので、見てください。もうしばらく安定(大人しく)していてくれたら、私が高齢になるので癌の進行・再発はどんどん遅れていくでしょう。ほとんど心配していないので、成るに任せるつもりで暮らしています。

在宅透析で体調が良好に過ごしている奥さまは、今年も花畑作りに精を出しています。昨年は、公共の花畑一カ所だけの手入れと花育てをしたのですが、今年は何年も放置されている二カ所目の花畑にも手を入れ始めました。雑草、とくにスギナがあらゆる場所を占拠しているので、それを掘り出し根を退治することが最初の仕事です。

体力は大丈夫か、と心配ではあります。奥さまは手を付けると止められなくなって、畑の面積をどんどん拡大しています。それだけ楽しいのだろうなあ、と理解しています。頑張った分だけ花が咲き、一年中美しい風景を見られるのです。今はスズランが満開になりました。スマートフォンで撮ってみましたので、ご覧になってください。



■2018/6/5 「癌が完治」の宣告
奥さまの呼吸器内科定期受診がありました。今年の春に赴任してきたドクターです。もちろん、初対面。2010年以来のカルテを眺めて、「治療を終えてから八年を過ぎましたね。一般的には五年で再発がなければ、完治したと判断します。先生によっては違う場合もありますが。村岡さんの場合は、この病院で対応する必然性はありません」、と仰る。

続けて、「完治していますので、特別な異変があれば治療した病院などに直接行くのが良いと思います。私もこの病院に来て驚いたのですが、緊急時に対処できる設備が無いのです。ですから、ここで経過観察してもあまり意味がありません。現在透析クリニックで常時診ていますので、そちらで全てのデータを保管してもらっては如何ですか」。

「村岡さんのような患者さんは、千人か二千人に一人はいらっしゃいます。普通は、一年、二年以内に再発して亡くなることが多いのですが。次に癌が見つかれば、それは再発ではなく、新たに生じたものと思ってください」。

極めて明快、率直、遠慮なし。三十台後半か四十歳前後か、声の響きの良い女医さんです。治ったと言われれば、反論する材料は何も無い。癌細胞が蠢いているのなら、何処かに転移するなどの再発があるはずです。端的に言えば「もう完治しているので、何時までも通院する必要はない。病歴を透析クリニックで一括管理して欲しい」、ということ。

次回の診察までに考えて結論を出すことにし、診察室を出ました。透析のドクターとも相談することにしました。「完治しています」と断定されるのは予想外でしたので、しばらくの間呆然としていました。嬉しい話なのですがね。

■2018/6/5 ついにコンデジTX1を買いました
私も写真家の端くれなので、一応まともなカメラを所持しています。パナソニックのGX8という銘品です。ミラーレス一眼カメラで、画素数が約2000万画素。ファインダーが上に向かって90度可動します。素晴らしい機能を備えた愛機です。ただ、小さいとはいえ交換レンズを付けると前に大きく飛び出して、肩や首にも負担感はあります。

いつも持ち出す気持ちにはならないものです。収納バッグを準備しなければなりませんから。で、最近はスマホカメラの性能がスマホカメラとは思えなくなったので、この活用を考えています。試行錯誤しているのですが、どうしても対応出来ないのは望遠側の表現です。広角と標準系、二つのレンズを搭載したものはありますが、望遠とはいえない。

どうせ光センサーサイズは小さいのだから、コンパクトデジカメ(コンデジ)はどうかな、と色々調べてみました。ありましたね。パナソニックから2016年に発売された、TX1という優れものが。実は、今年その後継のTX2が発売になっています。そちらを買おうかと思っていたのです。レンズの焦点距離が伸び、ファインダーも大きく改良されています。

ヨドバシカメラに行き、売り場の展示品TX1とTX2を眺めていると、パナソニックの出張社員の女性が「疑問があれば、お聞きください」と話しかけて来る。煩わしいなあ、と思ったけれど、彼女の話を聞いていると不快感は全く無くなりました。若い美女だったというのは関係ない。商品の欠点や良い点を、隠さずに解説してくれたからです。

TX1とTX2 の最大の違いは、 焦点距離です。TX1が25-250mm(35mm判換算)。TX2が24-360mm。美女に、貴女ならどちらを選びますか、と問うてみる。「私は、こっち」とTX1を指す。コンデジの望遠側が360mmも必要ないのでは、というのが彼女の意見です。私にとって無視できない接写能力も、250mm側で70cmである。大きな不満は無い。

価格は、TX1が約6万円、TX2が10万円。この差は大きい。コンデジなんだから、完璧を求めるのが無理というものだろう。性能、価格、大きさなど総合的に判断して、TX1を購入することに決めました。コンデジと言うけれど、この二機種はセンサーサイズが1型という高級品を内蔵しています。4/3型の二分の一はあります。コンデジの一般的センサーサイズは、TX1の四分の一ほどです。画質に関しては、コンデジのレベルを一歩も二歩も超えていると思います。

早速公園に出かけて、野草を撮影してみました。最初はファインダーが小さいので、ずいぶん戸惑いました。30分も使っていると、目が慣れて来ました。なかなか快適でした。ズーミングがレバー式であるとか、反応が手動より遅れるとか、気になる所もありますが、重さは「無い」に等しいです。ずっと首に掛けていましたが、全く負担感はありません。

アングルファインダーが無いので、地面スレスレからの撮影は難しい。これは妥協、諦めるのみです。詳細はまだ不明な点がありますが、PCでRAW画像を見る限り、階調はとても豊かです。シャープさは、4/3型にやや劣るか・・。作品としての写真作りに十分満足出来るレベルです。コンデジ写真だと見抜ける人は、多分いないでしょう。



金属環にストラップを付けて使用しています。なかなか精悍な顔付きです。常に持ち歩いています。

■2018/6/15 「トランプ・正恩会談」をどう評価するか
去る12日、アメリカ大統領トランプ氏と北朝鮮の金正恩が史上初めての会談をしました。「共同声明文書」が出されたのですが、評価は様々です。失敗と断ずるマスコミ・評論家、概ね成功と評価する人。見解は真っ二つに分かれたようです。消極的評価をする人もいますから、三つに分かれたとも言えましょうか。

「共同声明文書」は以下のようなものです。(NHKの日本語訳)長いけれど、全文です。

《トランプ大統領とキム委員長は、2018年6月12日に、シンガポールで、史上初めてとなる歴史的なサミットを開催した。トランプ大統領とキム委員長は、新たな米朝関係や、朝鮮半島における永続的で安定した平和の体制を構築するため、包括的で深く誠実に協議を行った。トランプ大統領は北朝鮮に体制の保証を提供する約束をし、キム委員長は朝鮮半島の完全な非核化について断固として揺るがない決意を確認した。

新たな米朝関係の構築が朝鮮半島のみならず、世界の平和と繁栄に貢献することを信じ、また、両国の信頼関係の構築によって、朝鮮半島の非核化を進めることができることを認識し、トランプ大統領とキム委員長は以下の通り、宣言する。

(1) アメリカと北朝鮮は、平和と繁栄に向けた両国国民の願いに基づいて、新しい関係を樹立するために取り組んでいくことを約束する。

(2) アメリカと北朝鮮は、朝鮮半島に、永続的で安定した平和の体制を構築するため、共に努力する。

(3) 2018年4月27日のパンムンジョム宣言を再確認し、北朝鮮は朝鮮半島の完全な非核化に向けて取り組むことを約束する。

(4) アメリカと北朝鮮は、朝鮮戦争中の捕虜や・行方不明の兵士の遺骨の回収に取り組むとともに、すでに身元が判明したものについては、返還することを約束する。

史上初となる、アメリカと北朝鮮の首脳会談が、この数十年にわたった緊張と敵対関係を乗り越え、新しい未来を切り開く大きな転換点であることを確認し、トランプ大統領とキム委員長は、この共同声明での内容を、完全かつ迅速に実行に移すことを約束する。

アメリカと北朝鮮は、首脳会談の成果を実行に移すため、可能な限りすみやかに、アメリカのポンペイオ国務長官と北朝鮮の高官による交渉を行うことを約束した。アメリカのトランプ大統領と北朝鮮のキム・ジョンウン朝鮮労働党委員長は、新たな米朝関係の発展と、朝鮮半島と世界の平和や繁栄、そして安全のために、協力していくことを約束する。》


文書を読む限りは、特に目新しい事は書かれていません。が、青色にした部分は、注目しておいても良いのではないでしょうか。アメリカが「北朝鮮の体制を保証」し、北朝鮮は「朝鮮半島の完全な非核化」を決意した、とあります。さらに第(3)項目でも、「北朝鮮は完全な非核化に取り組む」と重ねて約束させられています。

今回の会談、「共同声明文書」では、ここに書かれていないことを考える必要があります。アメリカや日本、国連安保理が求めているのは、核兵器と弾道ミサイルの「完全且つ検証可能且つ不可逆的な廃棄」です。この一文が無いので、交渉は失敗だった、との理屈も成り立ちます。逆に読んで、アメリカはこの点を全く妥協しなかった、とも読めます。

金正恩の求める「体制保証」は認めるが、従来から国際社会が求める核・ミサイルの完全廃棄を譲らなかったから、この文書には書いていない、と私は思います。経済制裁の解除や経済援助についても、まったく触れられていません。

トランプ大統領は、日本人の拉致問題を含む様々な要求をしたが、制裁の解除や核・ミサイルの廃棄で妥協や後退することはなかったと読み取れます。あくまでも金正恩の具体的行動が必要だと言っているのではないか。

そもそも今回の会談に至った経過を見れば、金正恩が二度も習近平に会いに行ったこと、文韓国大統領にトランプ大統領に会いたいと発言(伝言)したこと、などなど北朝鮮側からの急接近があったのが決定的要因です。

金正恩には恐怖感があったと思います。ICBMを発射し「核保有国」と宣言したはいいが、強大なアメリカ軍の圧力を感じて震え上がったのでしょう。アメリカ軍は、北朝鮮攻撃の一歩手前まで準備を進めていて、これ以上グダグダ言うのなら何時でもゴーサインを出す態勢になっていました。それを知ったからこそ、金正恩は本気で慌てたのです。

中国に頼ろうにも、北朝鮮のために中国がアメリカ軍と戦闘を交える気などサラサラ無いはず。今後の経過は、米朝の高官同士の実務的話合いで進むものと思います。北朝鮮は出来る限り引き延ばしを図るでしょうが、核とミサイルの放棄から逃げられないでしょう。その代わり、朝鮮半島からアメリカ軍が出る可能性は高まりますが。

拉致問題は、現段階では先行きは不明です。しかし、金正恩が安倍首相との会談を拒否はしない、受け入れる姿勢を示しています。後ろにはアメリカ軍が太い棍棒を引っさげて控えています。今までのように「解決済み」などという不誠実な態度が通用しない状況になったと、私は感じます。日本政府、国際社会の圧力で打開の可能性があります。

外交の世界は、裏が勝負です。表面だけ見ていても分かりません。そして話合いのテーブルの席に、どちらが太い棍棒を持って行くかも、内容を決める要因です。もちろんアメリカの方が、太い棍棒を二、三本持っていたでしょう。

衰えたりとは言え、アメリカを超える超大国はまだ無いのです。軍隊の無い日本が心配になってきます。

■2018/6/20 サッカーWカップ、蘇った日本代表
昨夜は多くのサッカーファンがテレビの前から動けなかったのではないでしょうか。

前評判が悪かった日本代表が、渾身の力でコロンビアに勝利しました。運も味方にしましたが。

開始早々に、香川選手からFW大迫選手へ縦パスが通り、大迫とキーパーが一対一になる。大迫のシュートはキーパーに弾かれる。が、それを拾った香川が二度目のシュート。コロンビアの選手が堪らず右手で止める。

もちろん反則。ペナルティーキックかと思いきや、反則選手にいきなりレッドカードが出る。私もビデオ画像を見ましたが、偶然に当たってしまったのではなく、明らかに手でキーパーのように弾いた。審判が悪質な反則と認定したのは、妥当であると思います。ペナルティーキックと選手の退場で、コロンビアは立ち上がりから混乱した様子でした。

このような状況になったのには理由があります。私は、強敵相手に立ち上がりは守備を重視した闘いをするのかな、と思っていました。他のグループでも、そういう試合が多いです。ところが、日本は自分たちのサッカースタイルを最大限発揮するという意思が強かった。攻める状況になれば、どんどん行く。それが香川から大迫への縦パスです。

ボール回しの上手いコロンビア選手に憶することなく、中盤から積極的にボールを奪いに行きました。奪ったらサイドに展開したり、縦パスを入れたり、それらを組み合わせたり、攻撃することに躊躇が無かった。思い通りに行かず、イライラし出したのはコロンビアです。「こんな筈ではない」という思いが、一層リズムを崩して行ったようです。

前半30分過ぎに、フリーキックから一点を失いました。これは、相手選手の技能を褒めるべきでしょう。

後半は、精神的に優位に立った日本がボールを殆ど支配していました。何度かゴールの決定的場面がありましたが、決めきれなかった。これは日本代表の欠点です。世界最高峰の選手なら、確実に蹴り込んでいたでしょう。

試合は、本田の蹴ったコーナーキックに大迫が頭で合わせ、日本が決勝点を奪いました(後半30分近く)。コロンビア選手は、疲れからすっかり足が止まっていましたね。相手が強くても、自分たちのやり方を貫くのが大事です。勝敗は、強い弱い、時の運など色々な要素で決まります。負けてもいいから、やりたいサッカーを続けて欲しいです。

選手達に、ありがとう。次の試合でも、磨き込んだ技と日本らしい団結力を見せて下さい。

■2018/7/12 西日本の豪雨被害、言葉もない
NHKの報道によると、184人が死亡(警察庁は195人)、60人以上の不明者がいるそうです。

前線の影響で5日から降り始めた雨が止まず、7日には広島県、岡山県での豪雨被害が報道され始めました。気象庁が「数十年に一度の降水量になる」と何度も警告していましたが、これほどの災害になるとは全く思いませんでした。

おそらく現地で暮らしている人たちも、「雨の被害はこの程度であろう」と経験値に基づく判断をした人が多かったのではないでしょうか。どの川が氾濫する、何処で土砂崩れが発生する、浸水の高さは何m、などと具体的な警報ではないので、人間心理として「よもや、まさか」と思うのはやむを得ないと思います。誰かの責任とは言えません。

被災地の映像を見ると、土砂崩れでは巨石がゴロゴロ散乱し、家は押しつぶされ、浸水家屋や道路や畑などに泥水が厚い層をなしています。30度を超える猛暑の中で、家財道具を運び出し、泥を掻き出し、必死の作業をされています。自衛隊、消防、警察、ボランティアなど沢山の人たちが復興に向けて働いています。

断水している地域がまだまだ多いそうです。ライフラインの寸断が、生活基盤を壊しています。政府、自治体、省庁が連携して、一刻も早い対応をお願いしたい。我が身を被災地の現場に置いたなら、いったいどのように行動出来るか、精神力を保てるか、全く自信がありません。想像することが出来ないのですから、情けないものです。

阪神淡路大震災、東北の地震と津波被害、どれもこれもテレビで見るだけです。申し訳ない気持ちになります。私の住む札幌は、悪天候が続いているくらいで、穏やかと言えるでしょう。我が身に災いが降りかかって来なかったことに感謝しなければなりません。被災地の一日も早い復興と日常生活が戻って来ることを祈ります。

関東、東南海地震が発生した予想は進んでいるようです。しかし、今回の様な豪雨災害は、毎年起きる可能性が高いのです。国家の安全保障に関わる大問題です。外には中華帝国の果てしない膨張、北朝鮮の核とミサイルと拉致問題。内には、あらゆる大災害。政府はもちろん、国会議員達はあまりに認識が遅れているのではありませんか。

左翼野党は、政府批判ばかり繰り返さないで、少しは国家・国民の安全と平和を考えては如何ですか。今回の様な事態が発生した場合にこそ「緊急事態法」が必要なのに、「政府の独裁になる」などと筋違いの方向へ議論を持って行こうとします。左翼野党には、日本国家と国民を守るという発想自体が無い。故に、国民の支持が高まる筈もない。

■2018/7/14 サッカーWカップ 世界の壁は厚いが
世界中が熱くなったサッカーWカップも、あとは三位決定戦と決勝を残すのみです。早いですね。

我らが日本代表選手は、最低の目標であるベスト16入りを果たしましたが、ベスト8は叶いませんでした。

ベルギー戦の後半開始間もなく、日本が2-0と先行。ベスト8が一瞬近づいたかと思いました。ベルギーの強烈な反撃が始まりました。日本はあっけなく同点に追いつかれ、アディショナルタイムでまさかの失点。夢破れた瞬間でした。

予選リーグからベルギー戦を観て感じたことは、日本のFWに自力でゴールを取れる選手が現れたことです。乾、大迫、原口です。乾は、二得点とも強烈なミドルシュートでした。誰かに優しいパスを貰って蹴り込みました、という他力本願ではありません。ペナルティーエリアに入ったら蹴る、という不動の強い意識があるから出来たと思います。

乾の弱点は、体が小さいことですか・・。これは仕方がありません。サイドバックの長友にしても、巨人揃いのヨーロッパで活躍しているのですから、必ずしも駄目とは言えません。強い筋力、スタミナ、走力を鍛えてカバーして欲しい。

大迫、原口も点を取るという意識が強い選手ですね。このWカップを契機に一層レベルアップするでしょう。期待しています。FWではありませんが、MF柴崎は素晴らしい能力を見せてくれました。予選リーグ、対セネガル戦でのプレー。中盤をボールを持って迫り上がり、左前線にいた長友へのピンポイントでの長いパス。それを長友が技能的トラップをして乾に繋ぐ。乾が、右足を振り抜いてゴールを決める。柴崎の天才的視野感覚が無ければ不可能でした。

もっとも印象に残っているのは、ベルギー戦です。一点目をお膳立てしたのも、柴崎のスルーパスです。柴崎がボールを持つと、FW原口が迷わずスルスルと動き出す。ベルギーのDFの足が届かないコースで、原口の足下にピタリと合うポールを一瞬で配球したのです。原口は、難なくキーパーと1対1になり、綺麗にゴールに蹴り込みました。

私は、あの場面を一生忘れないと思います。パスを出す判断力、コース、強さ、全てが完璧でした。芸術品というべきプレーです。柴崎は、サッカーを始めた頃から天才的な視野の広さがあったそうです。J1の鹿島にいた時から、ただならぬプレーをするなあ、と感じていました。Wカップという大舞台で、天才力に磨きがかかったようです。

一部の選手を取り上げましたが、サッカーはチームプレーです。日本選手全員の結束力が、ベスト8直前まで迫ったのです。突然監督となった西野朗さんのご苦労は、他人には想像できません。賛否両論が沸き起こった対ユーゴスラビア戦での采配について。批判する人は、感情論に流されていると思います。ルールに従って、日本は闘いました。

西野監督は、コロンビア対セネガル戦を眺めながら、コロンビアが勝利する可能性が高いと判断したのです。ならば、日本は0-1で敗れても、反則点数(フェアなプレーへの評価)の有利さでベスト16入りが出来る。本来なら同点にするために猛攻を仕掛けるのが常道でしょうが、逆にユーゴのカウンターから追加点を奪われるリスクもある。

ベスト16入りのために「苦渋の選択」をした。より可能性の高い道を選択したのです。ベスト16に入ったからこそ、「赤い悪魔」ベルギー戦で、日本は世界を驚かせることが出来たのです。卑怯だ、との批判は当たらないと思いますが。

反則を点数化する新ルールに、私は賛成です。今までは、審判を誤魔化して反則をする「高度な技術」獲得に努力する変な選手が多過ぎました。スポーツは闘い(相手を潰す)の要素もありますが、ルールをきちんと守るというのが基本でしょう。日本選手は言われなくても反則が少ないですね。これは、日本人の歴史的な国民性だと思います。

近くの何とかという国のチームは反則とラフプレーで有名ですけど。国家の信頼を落とすだけですが。

長谷部誠選手が代表を引退するそうです。残念ですが、ご本人の意思です。長い間主将として代表チームをまとめ上げてくれました。感謝し、お疲れさまと申し上げます。奥さまがファンなので、とても残念がっております。

■2018/7/30 左翼がリベラルと自称する訳
ぐずついた天気が続き、今年の北海道はこのまま終わるのかと思っていました。誠に可笑しな台風が日本列島に近づくに従い、気温がぐんぐん上昇しました。昨日も今日も、30度を超える真夏日です。体力を削がれるのが分かります。なんてぼやいていると、35度、40度のなかで生活している皆様には「何を言ってるでえ」とお叱りを受けそうです。

長い長い国会が終わりました。それにしても、今国会は何だったのでしょうか。冒頭から「モリ、カケ」蕎麦屋で始まり、左翼野党の「18日間の夏休み」、最後は内閣不信任決議案ですか。枝野某議員は、3時間40分にもわたり延々と本会議場演説を続けたようです。史上最長記録だとか、NHKが報道していました。そんな記録が自慢できるのか。

かの枝野某議員は、党首討論でも、持ち時間の半分以上を自己主張の演説に費やしたとして、野党の一部からも批判されていました。立憲民主、共産、社民などの左翼野党は、議論をする意思は端から無いのです。安倍総理率いる与党を批判し、貶めることだけが目的で活動しています。かといって、政権を担う意思も無い。

彼らが奇妙なのは、自分たちを「リベラル」「リベラル保守」などと自称していることです。かつては、左翼とか革新という言葉を積極的に使っていたのですが、最近は全く口にしなくなりました。左翼と言われることを嫌っているようです。

リベラルは本来、自由を意味しています。歴史的には、「宗教からの自由」が始まりではないでしょうか。この言葉の意味を掘り下げると際限が無くなるので、これ以上は触れません。左翼と自由は関係無い、とだけ強調しておきます。

ケント・ギルバート氏の近著「リベラルの毒に侵された日米の憂鬱」という本を読んでいます。アメリカではリベラルが雑草の如く繁殖して国を蝕んでいる事実が書いてあります。パトリック・ブキャナン氏が「超大国の自殺」(2011年)で警告を発しているのと重なる内容です。ケント氏は、日本とアメリカのリベラルには、共通するものがあると言います。

アメリカでは、リベラルを次のように認識しているそうです。

「腹黒くて、胡散臭い」
「抑圧的で、批判ばかりで、うっとうしい」
「自分たちだけが絶対的正義と考えていて傲慢」
「口だけ達者な無責任な連中で自分の非を認めない」
「身勝手で利己的だから、自分の自由のためなら他人の自由を平気で侵害する」
「現実を無視してキレイごとばかりいう」

こうした認識は、もはやアメリカの常識になっているそうです。その他、PC(ポリティカルコレクトネス)、ジェンダーフリーなどを振り回して、自分たちと意見の異なる人たちを排除し弾圧しているのは、多くの人が知るところです。

私は何十年もフリーの写真家で禄を食んできたので、左翼、保守に関わらずお付き合いをする人が多くいました。仕事で十数年と良好な関係を保って来たなかで、突然関係がブツリと切れる人がいます。例えば憲法九条問題で、その人は「断固守り通すべき」と言い、私は「日本が占領下で出来たものであるし、国が置かれた環境が変われば変えても良いのでは」と意見が異なることがありました。そうした会話の後、一切連絡を絶たれてしまった経験があります。

自分たちが絶対正義だと固い信念を持っているので、違うものは「許されざるもの」「敵」なのですね。彼らの異様な行動の本質は、マルクス主義、共産主義、隠れ変形共産主義(フランクフルト学派)なのです。ソ連時代のように、暴力革命、労働者階級の独裁、社会主義・共産主義などという言葉を使えなくなった現在、「革新→リベラル→リベラル保守」と呼び名を変えて生き残って来たのです。これからもその姿勢を変えることはないでしょう。

リベラルは、マルクス主義か変形マルクス主義であり、過激な左翼であるのが本質です。それさえ認識しておれば、彼らの言説に騙されることはありません。どんなことがあっても、政権の座に就かせてはいけない存在です。ソ連、中国、北朝鮮のようになりたくなかったら、国民一人一人が利口で賢明であらねばなりません。

■2018/8/6  八月は何故か憂鬱
今日は、広島に原爆が落とされてから73年目です。昼のニュースを見ていたら、例年と同じく平和記念公園の風景と広島市長の「平和宣言」が流れていました。

安倍総理は、以下のように述べました。

《近年、核軍縮の進め方について、各国の考え方の違いが顕在化しています。真に「核兵器のない世界」を実現するためには、被爆の悲惨な実相の正確な理解を出発点として、核兵器国と非核兵器国双方の協力を得ることが必要です》

日本だけが「平和」と「核廃絶」を主張しても、核兵器保有国が有る限り、彼の国たちを含めて議論をしなければ単なる理想を語るだけだ、という意味でしょう。現実に基づいた議論と行動が必要なのです。

毎年不思議に思うのは、「被爆国日本が努力すべきだ」「核兵器の悲惨さを世界に訴えよう」と声高に言うマスコミですが、核兵器保有国や新たに持とうとする(持っている)北朝鮮、イランなどへの批判が出ないのは何故なのでしょうか。被害を受けた日本と政府を追及するかのような姿勢が目立つことに首を傾げたくなります。

特にNHKは、毎年八月になると「戦争特集」を制作して、湯水の如く「悪いことをした軍国日本」を印象付けようとします。もうそろそろ虚構に基づく報道は止めてはどうでしょうか。NHKの「社是」みたいなものだから、無理でしょうか・・。

私は、日米戦争(大東亜戦争)で勇敢に戦った日本兵士に感謝の祈りを捧げます。戦争そのものに善悪はありません。たとえ敗れても、家族や国家を守るために命を投げ出してくれた帝国陸海軍兵士の方々に深く頭を垂れるのみです。また、アメリカ軍兵士にも哀悼の意を表します。戦争が終われば、敵も味方もありません。恨みを言い募るのは、悲しみを慰めることはになりません。隣の某国は異常な存在だと思いますが・・。

日本が闘いに敗れたのは仕方がありません。亡くなった兵士や祖国そのものを否定しようとする風潮が未だに続いていることに、私は憂鬱になるのです。

■2018/8/17 泌尿器科、精神科受診
御盆を前後して病院通いでした。泌尿器科では、前立腺癌のPSA値を三カ月ぶりに測定しました。0.459で、前回より0.046上がっていました。ドクター曰く、「誤差の範囲内ですから、気にしなくても良いですよ。グーンと上がるようだったら薬を使いますから」、とのことでした。計る度に若干の上下動はありますから、私も不安にはなりません。

三十代半ばから持病となったパニック障害は、完治することなく、現在に至っています。これも厄介な病です。他人には理解出来ない症状が突然起きるので、何処が悪いと上手く説明出来ません。同病の人の体験記を読むと、同じ症状で苦しんだことが書かれています。同病相哀れむで、本を読みながら慰められますし、ほっとします。

私の場合は、状態は非常に軽い方ですね。疲労の蓄積や長時間の緊張で、発症します。薬は、メイラックス(夜)とソラナックス(朝)一錠、頓服としてデパスを必要に応じて飲みます。ベンゾジアゼピン系と呼ばれる薬剤です。効果は抜群なのですが、依存性が高いのが欠点です。急に止めたりすると、身体に異常を生じる危険があります。震え、痙攣、せん妄、幻覚、妄想などが現れるそうです。何だか覚醒剤などの麻薬みたいです。

私も長年服用しているので、依存体質になっているのは間違いありません。服用量を減らせないかと主治医に相談すると、「この量ですと、飲んでいないに等しいですから。これで状態が安定しているのは、立派なものです」と褒められて、話はお終いでした。精神科の患者さんには、重い症状に苦しんでいる人が沢山いらっしゃるようです。

念のため、薬剤師さんにも聞いてみました。急に止めるのは絶対駄目。メイラックスかソラナックスのどちらかを一日休み、翌日は元に戻す。そうして体の調子を見ながら、数ヶ月掛けてゆっくり離脱する。「今飲んでいる量は、体にとって問題にならないですから、無理して止める・減らす必要はないと思いますが」、と言われました。

医師も薬剤師も、同じ意見でした。せっかく安定した状態を保ち、生活にも支障が無いのだから、これでそこそこに歩いて行くのが良いのでしょう。一生付き合う病気のつもりでいますから、余計なことは遣らないことにしました。

■2018/8/18 道新の拡販員との対話
ごく最近の蒸し暑い夕方、北海道新聞の拡販員が訪ねて来ました。

正直言って、少し驚ろきました。道新が戸別訪問して購読を求めるなど、今まではほとんどありませんでした。新規転入者などを除けば。北海道の人にとっては、新聞と言えば「道新」ですから、わざわざ拡販のために戸別訪問などしないのが通例でした。それほどまでに、全国紙の朝日新聞、読売新聞、日経新聞を圧倒していたのです。

その中年の男性拡販員と以下のような会話をしました。

「北海道新聞をお読みになったことはありますか。是非、購読をお願いしたいと思いまして」

(私)「読んでいたことはあります。拡販の方がお出でになつたのは初めてです。道新は、圧倒的部数があると聞いていますが・・」

「そうでもないです。最近はどんどん部数が減って、非常に苦しいです。このままではやって行けなくなります。地方では十勝毎日、室蘭民報、苫小牧民報に押されています」

(私)「道新100万部と言われて来ましたし、信じ難いですね。朝日の読者なら変わるのではないですか・・」

「この地域は、頑なな朝日の読者が多いです。何度訪ねても読んでくれません。学校の先生、公務員、大学の先生、お医者さんなどですね。年齢は50代から60代以上です。絶対に変わりません」

(私)「道新は、朝日新聞を追いかけ、その論調を基本にした地方紙です。朝日新聞より過激な内容だ、とも言われる位です。朝日とは相性が良いのでは、と思っていましたが」

「そうでもなくて、全国紙の読者が道新に変わるのは期待出来ないです。それに、若い人たちが新聞を読んでくれなくなりました。訪ねても、ほとんどが読まないと断られます。新規読者の獲得は非常に難しくなってきました」

(私)「若い人たちは、新聞を読まずにネツトのニュースは見ているようですよ。全国紙、とくに朝日はニュースの中身が信用されていないですね。慰安婦、福島第一原発の事故に関わるでっち上げ報道、モリカケの事実に基づかない煽りなど、信頼度は全国紙の最下位になりました。朝日と同じ路線を歩んで来た道新も、信頼性が下がっているのかも知れません。私も道新を読んでいましたが、あまりに偏った内容に息苦しくなりました。商品は内容が勝負ですから、編集部や本社に読者からの意見を伝えて、多様な視点を反映した売れる紙面作りをするべきではないでしょうか」

「無理です。新聞の中身について、私たち販売側は本社に一切物を言えません。言っても、聞いてくれません。何十年もこの体制でやっていますので、絶対無理です」

道新もピーク時から年々部数を減らし、現在は公称100万部を切っているようです。実際にはもっと減っているでしょう。拡販員が目の色を変えるほどの、先細り状況になって来たのが現実です。北海道では絶対的存在の道新も、潮目が変わりつつあります。盛者必衰の理。平家物語ですね。

左翼偏向新聞の論理破綻は明らかです。情緒的な「平和を守れ、戦争反対」「九条を守れ」「愛国教育反対」など現実離れした事しか言えず、ガラパゴス化したメディアは、国民の、とくに若い世代からの信頼を急速に失いつつあります。拡販の方が口にした、青色を付けた言葉がズバリ本質を突いています。読者の意見を聞かない、は傲慢そのものです。日本左翼特有の精神的な病だと思います。

■2018/9/3 体調不良、入院です
災害の多い、夏が過ぎ去って行き、早くも長月です。台風21号が近づいています。今年最強だそうで、NHKが猛烈な強風が吹くと言っています。恐ろしいです。

この身勝手なコラムは、もう半月も更新出来ずにいました。書きたいことは沢山有るのですが、体が意思と乖離して、真面に動かないのです。睡眠をとっているのに疲れが残っている、仕事をする意欲が湧かない、何でも面倒くさいと感じる、歩くのでさえ億劫、体が怠くフワフワクラクラする、などの不快な症状に襲われています。

先週、精神科のドクターを受診しました。ドクター曰く。緊張感が蓄積しています。二年半近くの在宅透析補助者を続けて、気持ちが張り詰めているのではないか。取り敢えず一ヶ月休息を取ること、緊張感を和らげる薬を処方します。

透析クリニックと相談して、奥さまは入院してクリニックで透析をする。私は、在宅透析から離れて心身共に休息する、と決まりました。この文章を書くだけで緊張感が増して来る状態です。自覚症状のあるうちに対処しないと、心が壊れるかも知れません。思い切って休みを取り、健康を回復することに専念します。

体調が改善するまで、当分コラムの書き込みを休みます。ご了承ください。

2018/11/1 復活しつつあります
暦を見ると、霜月ではありませんか。二ヶ月もゴロゴロヨタヨタ、だらけた生活を送りました。九月の一ヶ月間は、文字通り起きたり、寝たり、寝たりでした。朝食を食べたら怠くなる。昼食を食べても眠くなる。そのままベッドに直行、という日々でした。生きているという感覚がありませんでした。

少し体が動きつつあった十月二日、突然激しい咳が出て、微熱と倦怠感に襲われました。病院で受診したら、何と肺炎だと言うではありませんか。ガックリ来ました。原因ははっきりしませんが、体力が落ちて免疫力が低下していたのは間違いありません。意気消沈して、処方された抗生剤をもらいました。

そんなこんなで、更に二週間、ひたすら安静を強いられて家に籠もっていました。不思議なことに何もしないでゆったりと体を休めたのが幸いしたのか、肺炎が治ってからは体の気怠さが無くなり気力と意欲が戻ってきました。一日中、起きております。

外出することからリハビリを開始。食事のためにレストランに行く、買い物に近くのスーパーマーケットへ歩く、義母のお見舞いに車を運転する、などなど。少しだけ疲れを感じる程度に体を動かし始めました。気力と体力は同時に回復します。同じものなのですね。片方だけで突っ走れるものではない、と心底納得しました。

数日前からは、軽いストレッチを開始。併せてステッパーを使って、衰えた足の筋肉を使い始めました。息切れしない程度の軽い運動で済ませています。二ヶ月間かけて、やっと普通の状態に戻りつつあります。残念なのは、今回の事件を振り返り、奥さまと続けて来た在宅透析を諦めることになりました。

■2018/11/30 気が付けば、冬
体調の悪さは、一気に回復することもなく、また一ヶ月が過ぎました。体力は回復しつつあり、運動しても息切れしなくなって来ました。回復程度は八割でしょうか。

この雑文は、基本的に気紛れ、都合の良い時に書き込んで来ました。一回一回の文章が長いので、どうしても構えた精神状態で書いていました。それも疲れる行いなので、もっと気軽にヒョイと思い付いた時、何かを感じた時に、簡略なものにしようと思います。

読む方も楽であろうし、私も日々の生活の記録になるし、文字通り気楽で疲れない程度に楽しみで書く。そんなものに変えて行こうと思いました。ぼちぼちと再開する心積もりでおりますので、よろしくお願いいたします。嗚呼、明日から師走でありますね。北海道の大地震から、後六日で三ヶ月。色々ありました。

2018/12/7 フランス人はデモが好き?
今日は、大雪。札幌は、朝から雪が降り始めて、吹雪になりました。降雪量も10cmを超えているようです。

ルノー・日産・三菱の役員であったカルロス・ゴーン氏が逮捕され、高額の報酬にビックリしています。現時点では容疑者でしかないので、この問題には触れないことにします。判決が出るまでは、犯罪者ではありません。

それよりも気になったのは、ルノーの筆頭株主は、フランス政府だそうです。一瞬、エッと思ったのですが、事実です。民間企業に政府が口出しするシステムが信じられませんでした。超音速旅客機コンコルド、高速鉄道TGB、原発建設などの大型事業には、フランス政府が投資をして後ろ支えをしているのだそうです。社会主義国みたいですね。

最近は燃料税の引き上げに反対する大規模なデモと暴動が、全土で頻発しているとの報道です。年間に3000回くらいのデモは当たり前のようです。気にくわないことがあると、街頭で憂さを晴らす習慣になっているのか・・。産経新聞12月4日付け三井美奈パリ支局長の記事を読み、なるほどなあと納得しました。以下、一部引用します。

《国民の不満がすぐデモに発展するのは、フランスでは日常的な光景だ。革命が生んだ伝統で「民衆の訴え」は権利とみなされ、政府は強硬な鎮圧に及び腰。これに乗じて暴徒がのさばる。

仏紙ルモンドの元経済記者、フィリップ・シモノ氏は「何でも『お上が決める』が当たり前。グローバル市場との隔絶は著しい。これでは外国にそっぽを向かれる」と話す。》

フランス人が街頭に繰り出すのは、それはそれで民主主義の表現だから、イケナイとは言えません。でも、デモと暴動で時の政権が人事不省に陥り、機能不全、崩壊するのは感心しませんね。政権交代は選挙でやりましょう。フランス人の皆さん、韓国の情緒主義だけは真似しないで頂きたいものです。間違っても蝋燭は持ち出さないで。

2018/12/27 平成最後のお正月
穏やかな一日を過ごしています。今夜から大荒れになるとの予報ですが、はてさて、どうなるものやら・・。

神棚に新しい御札を入れ、飾り付けを終えました。お正月です。集合住宅なので、門松を飾れないのはつまらないです。父が生きていた時には、必ず門松を玄関に飾ったものです。と言っても、本州の竹は無いので、トドマツのような自宅の近くで手に入る松の枝を切って使いました。直に釘で壁に打ち付けて、固定していたように記憶しています。

しめ縄、注連飾りも、父が自作していました。その様子を眺めていると、お正月がやって来たという実感が湧き、うきうきした気持ちになったものです。餅つきは、一家総出の仕事です。母や姉たちが大変そうでした。私は、ひたすら出来上がるのを待つだけ。餡がたっぷり入ったホカホカの餡餅を口にするのが、最高の幸せです。美味しいですよ。

両親とも戦争を生き抜いた人なので、日本の伝統を先祖から受け継ぎ、盆・正月などの行事は当たり前にやっていました。私の世代になって、急に古き良き習慣が日本人の生活から失われていったように思います。とは言いつつ、お正月になるとお寺の除夜の鐘を聞き、神社に初詣するの習慣は消え去っていません。民族性は簡単には無くならない。

今年の重大ニュースが、マスコミなどで発表されます。私は、アメリカが中華の覇権主義との闘いを公言したことを選びたい。災害も国民に大きな負担を投げかけたし、心の痛み・苦しみを深くしました。これらは日本人が、自信の手で解決しなければならないことです。東西冷戦と違い、中華との闘いは時間が掛かるでしょう。片や独裁国家でかなり大きな経済力を持っています。経済、政治、外交、人権、軍事、あらゆる面での総力戦になりそう。日本が一番危ない場所に居ますから、これからは戦争を仕掛けられない抑止力を着実に整備していかなければ、と思います。

■2018/12/31 ついに大晦日、一年間ありがとうございました
年末年始はのんびり過ごしたいと思いますが、例年何かに追い掛けられるように忙しいです。北海道は寒波に覆われていて、雪が降ったり止んだり、吹雪になったり、不安定な天気が続いています。今は、空一面が粉ふるいであるかのように、サラサラの雪がフワーッと降っています。見ているだけなら、とても綺麗です。

来年は「消費税10パーセント」の年です。軽減税率だとか、ポイント還元だとか、自動車減税、住宅減税、物凄く複雑で考えるのが面倒くさいです。景気の腰折れを防ぐのが目的なのでしょうが、それなら消費税そのものを止めてしまえば善いのではないですか。まだ10ヶ月先のことなので、突如中止の可能性もあります。私は、増税反対です。

来年もいろいろな難問が起きそうです。それなりの覚悟はしながら、お正月を静かに安寧に過ごしましょう。
つまらない雑文を読んで下さった皆様に、心からお礼を申し上げます。ありがとうござました。


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