妻と私の同病カルテ(4) (Back)  


■2015/1/2 明けましておめでとうございます。
平成27年を迎えました。札幌の元旦は、降雪なし、風もなし。青空が広がり、カーテンを開けると東の空から初日の出を眺めることが出来ました。暖かい光が部屋の奥まで注ぎ込み、猫たちは陽だまりでぐったりと寝そべっておりました。体の具合が悪いのではなさそうですから、どうぞご安心ください。植物たち、三種類のゼラニウム、ヒメフウロ、シャコバサボテンが満開です。これらも満足そうに新年を迎えました。

本年も、どうぞ宜しくお願い申し上げます。今後とも、私の駄文にお付き合いいただければ幸いです。

大晦日の夜には、三歳半の孫(男)が遊びに来ました。みんなで夕食を楽しみ、穏やかに往く年に身を任せました。ところが、孫が帰らないで泊まって行くことになったのです。「お母さん、ばいばい。明日ね」などと調子よく別れたものの、寝る段になり「お母さんと寝る。うううっ」とぐずり始めました。参ったな。

最初は私のベッドにいたが、泣き止まず。ついで奥様(おばあちゃん)のベッドに移って、しばらくグズグス言っていました。そのうち泣きつかれたのか、静かになりました。翌朝奥様は「寝不足だ、疲れた」とぶつぶつ呟いていました。孫はケロリとした顔をして、ご機嫌な顔。泣かずに夕方まで、私たちと遊びました。

こうして新年を迎えました。良い年になるように祈り、何事にも動じないで過ごしたいものです。

■2015/1/7 芸術と写真
新年からずっと降雪が無く、今朝もうっすらと白くなっているだけでした。除雪に精を出す必要もなく、有り難いことでした。今日の午後二時頃から、突如の猛吹雪になりました。息が苦しくなるほどの暴風雪。天気予報大当たり。

久し振りに、我が意を得たりとの気持ちになりました。美術史研究家である田中英道さんの著書を読んでいて、写真と絵画について触れた箇所がありました。以下に引用させていただきます。

芸術とは現実とはちがうなにか、いわば”想像の世界”を築きあげることです。そこに人間がいるから、それをそのまま写すというのでは作品を創造するモチベーションとはなりません。芸術とは現実を再生することではないからです。

この間の事情は写真と絵画の関係を思い浮かべればよくわかるはずです。人の似姿や風景をそっくりそのまま再現するのであれば写真で十分です。絵画など必要ありません。ところがカメラが発明されたあとも絵画は廃れていません。それはなぜかといえば、やはり現実そのものとはちがう理想像、現実そのままでない希望や期待を込めたいという思いがあるからです。だから絵を描くのです。あるいは、彫刻をつくるわけです。

私は、写真家の端くれの端くれです。写真家としてスタートした時から、「違和感」があったのです。写真に魅力を感じ、写真が好きだから、写真の道に入ったにもかかわらず。その理由は、写真表現における制約の多さでした。とくにフィルムから受ける束縛には、うんざりすることが多々でした。一度固定された画像は殆ど動かし難い。

レンズの再現力は非常に優秀ですから、写したくないものまでリアルに固定されます。記録や複写のような仕事には最適ですが、作者が「ものを見た時のイメージ」とか心の感情・感性などを写し込むのは不可能です。現実と写真のシステムによる縛りが極めて強い芸術表現です。そこを何とか「逃げながら」、創作活動を続けてきました。

田中さんが仰るように、写真表現に「理想像、現実そのままでない希望や期待を込めたい」という本能的な思いを、私は持っていたのです。それ故に様々な工夫をしなければならない、せずにはおれない状況で、創造者としての自分を保ってきたように思います。そういう意味では、写真の制約・縛りも欠点とは云えないのかもしれません。

私が本格的にパソコンを導入し、画像のデジタル化を始めたのは1999年です。当時はフィルムをスキャナーでデジタル画像に変換して、それからPhotoshopを暗室として画像処理、自力でプリントを制作していました。それでもフィルム独特の癖に悩まされていました。パソコンを使ってもすべてが思い通りに表現は出来ませんでした。

2003年になり、デジタルカメラが急速に高画質化し、プロの仕事に耐えられるものが一般化しました。パソコンとデジタルカメラ、この二つが合い揃ったことで、私の写真に対する不満はおおかた解消されました。現実に縛られないで、自分の感情や意識を作品に込めることが可能になった。写真は写真だけれど、写真から古い時代の技術的制約と壁が取り払われたのです。デジタル社会の到来で、写真表現が自由になった。絵画との差を云々する必要もなくなった。

田中さんが「芸術とは、想像の世界を築くこと」と書かれているのを発見し、私は心底合点しました。風景や人物をそのまま複写のように固定するだけではつまらないのです。私にとっては。もちろん写真機能の一つとして「精密な描写と記録」は、特に科学技術に貢献しています。この点は否定すべきではありません。が、これのみではないのです。

写真家の多くは「表現」を重視しているはずです。私も、創造者としての道を探り続けたいと思っています。

■2015/1/9 宗教批判はどこまで自由か
フランス・パリで、「シャルリー・エブド」という週刊誌本社がテロリストに襲撃され、12名が殺害されました。事件はまだ解決していないようです。犯人は、イスラム教徒とみられています。襲われた週刊誌は、これまでも度々イスラム教やムハンマドを風刺する漫画を掲載してきました。編集長は、表現の自由があり宗教批判もタブーではない、と主張してきました。ヨーロッパでは、宗教と政治の分離が進み、キリスト教であっても批判の対象となります。

今回の事件に対し、イスラム教国の多くは批判的です。テロという暴力は許さない、この点では世界の殆どの国は合意が成立します。安倍首相も、テロ行為に厳しい批判をしています。しかし、「イスラム教を貶めるような言動」については、イスラム教国やイスラム教徒は不快に思っています。表現の自由と宗教侮辱は別、と認識している筈です。

私も、パリのテロは許すべきものではない、近代国家の有り様とは相反すると思います。しかしながら、「シャルリー」という週刊誌に全く非はないのか、その点は疑いを持っています。ヨーロッパの人たちからすれば、宗教批判はタブーではない。報道、表現の自由、民主主義が最優先と確信しています。が、イスラム教徒は、どう思うのか。

かつてヨーロッパは宗教戦争に明け暮れていた時代があります。1618年から、「30年戦争」と呼ばれた宗教戦争は悲惨を極めました。事の原因は、カトリックとプロテスタントの異宗教間戦争です。戦争に疲れ、これを終結させるために「ウェストファリア条約」が1648年に結ばれます。条約の趣旨は「他国の宗教に干渉するな」ということです。

こうして、ヨーロッパでは「宗教が違っても、殺さなくてもいいではないか」という常識が出来上がりました。

他国・他民族の宗教を認め合おうという画期的条約です。その後ヨーロッパは、フランス人民革命やイギリス・ピューリタン革命などの混乱を経て自由、平等、博愛、民主主義などの近代思想(国家)が確立されていきます。先ほどの宗教、とりわけキリスト教への批判もタブーではなくなり、政教分離が幅広く定着してきたのです。

イスラム教の世界は、ヨーロッパとは違う歴史があり、異なる歩みをして来たのです。何でもかんでもヨーロッパの基準が正義で絶対正しいとのスタンスで、はたして良いのでしょうか。イスラム教徒はイスラムの聖典とムハンマドに、敬虔で厚い信仰を持っています。彼らの宗教を度外れて批判したり侮辱されるのは、耐えがたいのではないか。

フランス国民も「シャルリー」も、宗教批判や風刺は「表現の自由」であり、犯されることは許されないと考えています。が、「宗教が違っても問題にしない」という常識を作ったヨーロッパ人だからこそ、イスラム教徒の心を斟酌する必要があるのではないか。一切批判しないというのは、近代思想ではないけれど、侮辱的な表現は如何なものか。

「シャルリー」は、表現の自由を高く掲げながらも、他宗教への理解と尊重を一考すべきだと思います。

さて、東アジアを見れば「他国の宗教に干渉しない」という近代の常識が通じない国があります。云うまでもなく、中国と朝鮮(南北)です。「靖国神社は軍国主義の象徴だ」「日本は又も侵略を企てている」などと、宗教を政治の問題に格上げしています。それに唯々諾々と従って来た従来の日本政府、首相たちの阿呆さ加減にもうんざりします。

中韓三国は、近代国家とは云えないので、扱いが厄介です。古代からの皇帝政治と華夷思想がそのままの中国、それに事大してきた自立心の全く無い朝鮮(韓国)。世界の常識が通用しないことを、しっかり認識しなければなりません。

これからも靖国と神道にあれこれ口出ししてくるに違いないが、毅然として撥ね除けるのが最善です。そして、私たち日本国民は、堂々と靖国神社に参拝しましょう。もう「戦犯」はいません。日本の未来が穏やかに平和になるようにと願って、幾多の戦いで散華していった英霊に感謝を捧げ続けることが、理不尽な中韓への回答です。

早くテロ事件の解決を願います。でも、これからも同じような事件が続くように思います。残念ですが。

■ 2015/1/28 「イスラム国という山賊
毎日のニュースは、「イスラム国」に囚われた日本人の去就がどうなるか、という話題に染め上がっています。残念ながら、湯川さんは殺害された可能性が大とのこと。後藤健二さんとテロ犯ザジダ(ヨルダンが収監中)との「捕虜交換」を求められ、その時間が間近に迫っています。たかが山賊、軍閥のような連中に、右往左往させられています。

根深い所まで言い立てれば、キリスト教とイスラム教の宗教対立があるのかもしれません。しかし、「イスラム国」は国家ではなく、山賊、軍閥、ヤクザのようなものです。本当に彼らがアラーのためにジハード(聖戦)をしているのなら、対立関係に無い日本人を拉致・拘束して身代金や捕虜交換を要求する筈がない。やはり、山賊と云うのが正しい。

殆どのイスラム教徒は、彼らの所業を是とは言わないでしょう。宗教、民族、国家の枠を超えて、こうした非道を許さないという合意を作り、毅然と対処する必要があります。「宗教を政治問題にしない」という近代思想は、世界の標準・常識として定着させる努力が必要です。宗教戦争の時代に後戻りさせてはいけません。

少し気になるのは、中国とロシアがひっそりと鳴りを潜めていること。中国は分かる。ウィグル人(多くはイスラム教徒)を侵略し占領し弾圧を続けているのだから、自分のところに飛び火するのを恐れているのでしょう。ウィグル人の中には、「イスラム国」に馳せ参じる者もいるそうです。彼らが帰国して、テロを起こすのは何より怖い。

ロシアは、ウクライナ問題を抱えていて、EU諸国・アメリカと易々と同調出来ない立場にあるからでしょうか。今回の事件にはあまり関与したくない、という姿勢を貫いています。国内の情報統制も厳しくなっているとのこと。

日本国内をみると、民主党、共産党、山本太郎、小沢一郎などの一部国会議員が、今回の事件は「安倍総理が悪い」「政府が悪い」「人道支援の2億ドル支出は止めるべき」などと筋違いの主張を展開しています。民主や共産は、はっきりした左翼リベラルですから、「イスラム国」とテロよりも安倍攻撃に存在価値を置いているので、理解は出来る。

山本、小沢などは、もともとこれと言った信念が有るわけでなし、国家の安全や政治家の立場を理解している輩ではないので、次回の選挙で落選するまで、呆れてながらも放置するしかない人たちです。議員歳費は我らの税金である。そう思うと、今直ぐにでも辞めていただきたいが、「民主的」に選ばれたので仕方がない。民主主義の欠陥です。

後藤さん救出には、もう時間が無い。国家は、日本人の生命と財産を守るという重大責任があります。最後まであらゆる手段、ルートを使って良い結果が出るように心から祈ります。

■2015/1/31 奥様の呼吸器科受診
「一月往ぬる」という言葉の通り、正月を迎え、成人の日が過ぎ、雪かきに追われている間に、早一月は終わりです。皆様はどのように過ごされたでしょうか。奥様の呼吸器科受診が終わりました。結果を報告いたします。

先月の受診で、「右肺の上に小さな影が見えます。来月CT検査をして状態を確認しましょう」とドクターから云われていました。その後の奥様は、「肺癌が再発したかもしれない。手術するなら何処の病院にしようか」などと不安な気持ちになっていました。発病から六年目ですから、再発や再増殖があっても不思議ではないのですが・・。

ドクターの説明は、「先月に比べると、影は三分の一程度に縮小しています。CTの画像で形状を見ると、悪い物ではありません。おそらく何か小さな炎症があったのではないでしょうか。問題ありません」とのこと。私も若干の不安はありましたので、写真を見て説明を聞いて一安心。奥様は、「せっかく覚悟を決めてきたのに、残念」と言っています。

いやはや、可愛くない言いぐさですね。本当はほっとしたに違いありません。まだまだお迎えは来ないようです。

この文章を書いている時点で、「イスラム国」とヨルダン・日本政府との間の交渉は進んでいないようです。たかが山賊ですが、人質を取っているのが強味です。後藤健二さん、ヨルダンのパイロット、二人が無事に解放されることを願います。「イスラム国」にとっては、二人を殺害しても何のメリットも無い筈です。何かの成果を上げることを望んでいるでしょう。交渉がどのように進んでいるのか、成り行きを見つめながら吉報を待ちたいものです。

サミュエル・ハンチントンが「文明の衝突」という著書を書いて、「世界には八大文明がある。冷戦後は、文明の境目で衝突が起きるだろう」と予言的な発言をしています。現実を見ると、世界はまさにその方向に動きつつあるのではないか。とくに欧米が強引に国境線を引いた中東やアフリカが、その中心的舞台になりつつあります。

欧米による植民地支配の残滓、宗教対立、民族対立、これらが複雑に絡み合い国境線が崩れつつあるように感じます。民族独立、近代国家の形成、国際秩序の確立に向けて、人類はまだ一悶着を経験しなければならないのかもしれません。因みにハンチントンは、日本を独自の文化圏として位置づけています。それは正しい。中華世界ではありません。

そう考えると、中国と日本が衝突するのは歴史の必然かも知れないのです。中国は華夷秩序を回復しようとの強い意志を剥き出しにしています。日本は、古代からそれに従わない独立自尊の国家です。日本人は、安倍首相を「軍国主義者、右翼」などと批判したり、「中国と友好を」などと呑気なことを言っている余裕はない筈です。

■2015/2/9 政府批判のためならテロリストも利用
日本人二人が「イスラム国」に殺害されました。世界中から批判の声が上がったのは当然でしょう。怒りと悲しみが冷めやらぬなか、2月6日付け道新の社説は異様なものでした。以下に抜粋します。

〈人質事件の対応 リスク認識が甘かった

首相は「支援は必要」と言うばかりで、自らの発言がもたらす影響を考慮した形跡が見られない。たとえ目的が正しくても、リスクを慎重に評価することは不可欠だ。政府の対応は、その点が甘かったと言わざるを得ない。

岸田文雄外相は(中略)、その上で「空爆を行う有志連合には参加しないが、人道支援を含む広い意味での有志連合には参加している」と説明した。

そんな状況下で行われたのが中東支援演説だ。その中で首相は「イスラム国の脅威を少しでも食い止めるため」と訴えた。単なる難民支援の表明ではなく、イスラム国への対抗心が全面に出ている。

人道支援そのものに異を唱えるつもりはない。だが、この時点で政府は邦人拘束を把握していた。「有志国日本」を強調するリスクについて配慮を欠いたと言える。〉

道新社説子は、安倍首相の演説リスクを強調して「だから、湯川さんと後藤さんが殺害されたのは首相の責任だ」と言っているに等しい。いや、そう言いたいのであろう。イスラム国とは何の敵対関係にもない日本人を拘束し、身代金を要求したり、テロリストの釈放を交換条件にしたり、最後には残忍な方法でこれ見よがしに殺害し、ネットにその映像を流す。この事に対する批判はまるで無いのが、道新の社説である。社説子は、誰の立場に立っているのか。

アメリカ、フランス、アフリカ、中東、東南アジアなど世界中でテロを計画したり、実行している残虐な犯罪者集団への明確な批判をするのが本筋ではありませんか。その点で、道新は「甘い」のであります。「遠慮すれば解放してくれるのでは」「露骨な批判は相手を刺激するので、控えめにしましょうよ」との子供じみた発想しかないのです。

話せば分かる相手なら、軍人でもない日本人を拘束したりはしないでしょうに。「イスラム国」にとっては、異教徒は全て敵なのですから、今回の件でもまっとうな交渉や取引きをするつもりなど端から無かったと理解すべきでしょう。道新社説子は、「イスラム国」を物の分かる相手といったニュアンスで理解しているのが、実におめでたい。

テロリストよりも日本政府や首相を批判する道新。この裏表がひっくり返るような物言いは、どこから発するものなのだろうか。テロリストを強く批判したら自社がテロの対象になるのでは、と恐れているのか。そうであるなら、何とも腰抜けの「ジャーナリズム」でございますね。あるいは、日本国、日本民族、日本文化そのものを破壊するためには、テロリストと手を組んでもいい、との判断なのか。どちらかと云えば、後者なのでしょうか。

元を辿れば共産主義思想に染まった左翼新聞だから、国家を批判する理由になりさえすれば、テロリストでも中国の中華帝国の復活でも、何でもよろしいということでしょう。 この新聞を常に監視しなければなりません。

■2015/2/9 憲法9条は平和を保証するか
またまた、道新の社説を取り上げさせて貰います。こんな一文を書くことは馬鹿らしいのが本音です。

2月8日付けの社説です。以下に引用いたします。

〈自民党の改憲論 9条目当てには乗れぬ

政府・自民党で改憲に向けた動きがでてきた。(中略)憲法は「不磨の大典」ではない。時代や社会の変化に伴って足りない面も出てこよう。論議は否定しない。ただ改正論のその先に9条改憲の狙いがあるのなら安易に乗るわけにはいかない。(中略)戦後70年の平和の歩みを否定する危険な道筋でもある。〉

社説子が言いたいのは、「戦後の平和は、憲法9条があるからだ」「よってこれだけは絶対に変えさせない」ということでありましょう。社説子は、憲法は「不磨の大典」ではない、と仰っている。ならば、どうして9条だけは変えてはいけないのか。道新に限らず日本の左翼リベラルの認識は、「憲法9条」が事実上宗教化していることでしょう。

敗戦から70年。日本が戦乱に巻き込まれなかったのは、覇権国家としてのアメリカが日本列島に駐留しているからです。日米安保条約に基づくものであり、日本はまともな軍隊が無いにもかかわらず、日本に侵略行為を行おうとする無謀な国家は現れませんでした。しかし、好いことばかりではありませ。ロシアは、千島列島の四島を不法占拠。韓国さえもが、竹島を「我が島」だと言い募って占拠中。北朝鮮は、日本人を何百人も拉致して帰さず。

加えて近年は、中国の海洋への膨張・侵略行為が激しくなっています。尖閣諸島や沖縄を我が物にするという意志は極めて強い。明言しています。しかも中国は民主国家ではなく、共産主義と資本主義がごった混ぜになった異様な国です。テロリストの「イスラム国」とどこが違うのか。「話せば分かる」相手でないのは明らかです。

アメリカの基地があるとはいえ、今後は日本を守ってくれるのかどうかが怪しくなっています。アメリカは、中国と経済的繋がりが深くなり、冷戦時代のソ連への対処とは違ってきた事情があります。またアメリカが安保条約があるからといって日本のために軍を動かすかどうか不明になってきました。日本に独自防衛力が無いのも、アメリカの負担になっているのは間違いない。アメリカにすれば、日本が米軍を守れないのにどうして一方的に日本を助けなければならないのか、と不信感を持っているに違いありません。その原因こそ、憲法9条であるのは明白です。

道新社説子の論理は「9条で平和を謳いあげれば、他国は侵略しない」というユートピアのような話で、まるで現実からかけ離れたものです。改憲論議は否定しないのなら、9条とて論議の対象にしなければおかしいのではないか。9条だけは別だと言うのなら、その明確な根拠を示すべきではないか。社説子様、どうぞよろしくお願いします。

国家・国民の安全保障を一顧だにしない左翼新聞道新には呆れるばかりだけれど、彼らの本質はマルクス主義という革命勢力です。挫けず、諦めず、道新をはじめとした左翼リベラルとの思想的戦いを続けるしかありません。

■2015/2/28 如月が去つて行く
明日から弥生です。如月が今日で終わりです。先月も同じことを感じたけれど、今月も逃げて行くのですね。

妻みちこの味覚障害が、信じられないくらいに回復傾向にあります。と云ふか、薬が効果を発揮しているのです。

今月中旬頃から、自分で食事を作りたいと云ひ、買い物から挑戦を開始しました。最初に作つたのは餃子です。久し振りに台所に立ちました。挽肉、キャベツ、長ネギなどを手際よく処理してゆきます。「長ネギの臭いがするね」と云ひながら、皮に包んで、フライパンで焼き始める。エプロン姿の体に切れが出てきたように感じました。

奥さま手作りの料理が食卓に並んで、家の中が明るく感じました。大根の味噌汁も作りました。みちこは、9個も食べました。ふつくらした料理に、心もふつくらします。美味しかつた。数日後、三歳十ヶ月になる孫が遊びきました。夕食を一緒に食べることになり、みちこはロールキャベツを作り始めたのです。キャベツの葉を一枚一枚処理して、挽肉などを巻き込み形を整えなければならない作業です。順調に調理を進めて、夕餉の食卓は暖かい料理が並びました。

親子三人と孫の四人で、久方ぶりに家庭の雰囲気が戻りました。孫が少々喧しいが、私たちが子育てをしていた時もこんな感じでしたからね。その後親子丼、茄子の炒め物、回鍋肉、麻婆豆腐などを作り、順調に調理のメニューが増えています。透析患者ですので、野菜は事前にカリウムを抜くといふ手間が加わるので面倒です。妻の意欲が高まつているのは、私にとつても嬉しいこと。台所が稼働しているといふのは、暖かさが蘇ることなんだと感心しました。

さあ、明日からは春の足音が遠くから聞こえ始めます。雪がどんどん消えていくのが楽しみであり、嬉しい。先月にはオリンパスOM-D EM-1といふカメラを一台買いました。春の訪れは花の季節。待ち遠しいです。雛祭りも、もう直ぐですね。お雛様を飾る時間がないので、箱に入ったままなのが残念。奥さまと娘には何かプレゼントしようかな。

■2015/3/23 オウム事件とは何か
長らく更新しない間に、札幌は殆ど雪が消えかけています。今年の春は早い。除雪でうんざりして、嗚呼雪は嫌だ、と思わないうちに冬が過ぎてしまったように思います。楽をしたのは幸ですが、道東の雪が酷かったようです。

3月20日は、「オウム地下鉄サリンテロから20年」でした。たまたま当日のテレビで「オウム真理教と闘った家族の27年」というドキュメンタリー番組を見ました。あれから20年。いや、未だ20年でしょうか。真相はまだまだ闇の中に埋もれたままになっているのではないか。当時の「被害者の会」会長であった永岡弘行さんの視点から、「オウムとは何だったのか」に迫ろうとした内容で、好番組であると感心しながら見終わりました。

1990年、オウムは政治の世界に進出をもくろみ、衆議院選挙に麻原彰晃ら20人以上が立候補します。結果は、大惨敗でした。当然のことであり、世間は特に大きな関心を持ちませんでした。しかし、麻原は違います。政界への進出を、国家権力やマスコミの謀略で阻まれた、と理解するのです。国民の支持が無かった、とは露思いもしません。

番組では、その後の信者への麻原肉声説法テープが流されます。その内容は概ね以下のようなものです。

「選挙に負けたのは、選管が票を操作したからだ。国家の陰謀である。であるなら、オウム真理教は反社会、反国家、反権力でなければならない」

この発言(説法)を聞いて、私は愕然としました。当時もテレビのニュースで聞いていたかもしれないのですが、それほど深刻に受け止めていなかったに違いありません。麻原は、オウムが国家権力をはじめ全ての社会的権威を否定し、破壊する立場にあることを明言しているのです。そして、その言葉は実行に移されます。ロシアから銃器を入手しようとしたり、VXガス、サリンなどの殺人兵器の本格的な製造を始めます。それを邪魔する者は消す(ポア)。

麻原の思想は、紛れもなくマルクス主義と重なります。麻原がマルクス主義者だとは思いません。が、行き着いた処は同じ地点だったと思います。人間の感情からは、虚無主義・ニヒリズムと云って間違いない。狭い自分たち以外の存在は信じられないのです。全ての存在、社会、秩序に敵意を抱き、破壊することが目的化してしまいます。

マルクス主義は、あれこれと小難しい理論を立てますが、結論は「革命を起こし、独裁政権による全体主義体制を作る。やがては国家、国境を無くし、民族の歴史、文化、伝統を抹殺。一切の統制、管理、その他の組織を無くし、無秩序の混沌とした世界を作る」というものです。見事に麻原の説教・思想と合致するではありませんか。

麻原が愚かなのは、すでに共産主義という誤謬がソ連の崩壊で失敗したのが明らかなのに、ロシア革命時と同じ暴力を用いて日本国家に挑戦しようとしたことでしょうか。マルクス主義者でさえ、既に暴力による権力奪取、国家転覆は不可能と分かっていたのですから。マルクス主義者たちは、民族アイデンティティーと文化の破壊を着々と進めているのですが。この事については、別の機会に考察してみたいと思います。

グローバリズムという言葉が聞かれるようになって久しいです。多くの人たちが何の疑問も無くこの言葉を聞き、使っています。とくに経済界や政治家には多い。「グローバル化しないと世界の孤児になる」などと云いながら。

よく考えてください。グローバル化とは、国境を越えて、金も物も人も動かしていこうという発想です。現にヨーロッパではEUなるものが存在し、ユーロという共通通貨があります。人も物も自由に往来出来ます。EU加盟国は、自国で通貨の発行権がありません。これは明確な主権の侵害であり、金に関しては国境は無いに等しいのです。

マルクス主義思想が現実化しつつある、と私は恐怖に感じています。国家主権が一部であっても制限されるのは、国家破壊が始まっているのです。EU加盟国の政治家たちは、その深刻さが分かっていないのではないでしょうか。ギリシャを見れば明らかです。ギリシャも悪いが、ドイツを先頭に大国が小さな国を食い物にしているのです。いや、正しくは金融資本が国境を越えて、他国の政治や経済をコントロールして、莫大な儲けを吸い上げていると思います。

グローバリズム、国際化、自由貿易、国際機関の合意、などと云う言葉には注意が必要です。マルクス主義思想を隠した左翼リベラル主義者が動いているか、深刻な影響力を及ぼしている可能性が高いからです。東西冷戦が終わり、マルクス主義など過去のものという雰囲気になっています。が、日本でも陰に陽に左翼・リベラルの動きが絶えません。彼らは、「革命」などとは云いませんが、国家を否定し、あらゆる機会と理由を探して政府攻撃を繰り返します。

日本の歴史、文化、伝統、宗教、国家を否定します。彼らこそ、現代版のマルクス主義者です。暴力革命を口にすることなく、文化や歴史を掘り崩す活動を粘り強く継続しています。そして、いつかは共産主義の実現を目指しているのです。オウムも、グローバリズムも目指す処は同じなのです。混沌の無秩序世界です。

■2015/3/30 自衛隊を何と呼ぼうか
弥生三月が終わります。雪解けが早く、家の周囲を散歩していると、クロッカスが咲いています。チューリップも間もなく開花しそうです。札幌に住み始めて、こんなに早い春の訪れを感じるのは初めてです。公園の雪も大半溶けて、地面が乾いています。カタクリが芽を出すのも近い雰囲気です。楽しみですが、忙しなくも思います。

さて、28日付けの道新に、またも下らない精神レベルの低い「社説」が掲載されていました。以下に引用します。

〈「わが軍」発言 自衛隊の役割の曲解だ
安倍晋三首相が国会答弁で自衛隊を「わが軍」と呼んだことが波紋を広げている。

首相は発言の不適切さを認め、陳謝して撤回すべきだ。政権幹部も含め「自衛隊は軍」という認識を根本から改めてもらいたい。

菅氏(官房長官)は「軍隊」の定義は明確でなく「国を防衛する組織を軍隊と言うなら自衛隊も軍隊だ」と説明した。国際法上、自衛隊は軍隊に該当すると考えられていることも反論の根拠に挙げた。

軍隊の定義が明確でなくとも、自衛隊が憲法上軍隊でないことは明確である。国際法上軍隊と見なされるのは自衛隊員の保護のためであり、他国の軍とすべて同じ行動を認めるものではない。

安倍政権が目指す安全保障法制は、自衛隊の海外での武力行使に道を開く。平和主義をねじ曲げる強引な憲法解釈の末に自衛隊員を危険にさらし、命懸けで戦えという態度は無責任と言うほかない。

自衛隊は海外で戦うための軍隊ではなく、あくまで専守防衛の枠内で行動するという基本を再認識すべきだ。〉

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「わが軍」発言が波紋を広げているそうだが、道新の勘違いではないのかな。どこにも波紋はありませんね。

「自衛隊員は軍」という認識は、いけないことなのだそうです。では、道新は自衛隊を何だと考えているのか。ひとつ丁寧なご意見を聞きたいものです。国際的には、自衛隊は軍隊としか見なされないでしょう。核兵器、長距離弾道ミサイル、原子力潜水艦、空母機動部隊こそ持っていないものの、強力な海軍力、空軍力はアジア最強でしょう。

「自衛隊が軍ではない」状態に置いているのは、憲法9条と関連法制です。実態は軍なのに、法的に雁字搦めにされ、軍としての正常な活動が出来ません。外国国家と国民から見れば、「戦闘が出来ない軍隊」なんて信じられないでしょう。文字通りクレイジーなことです。自国を守るための戦闘行為に枠をはめていては、「専守防衛」にも重大な支障があるのは火を見るより明らかです。自宅に強盗が侵入するまて、「じっと待っていろ、抵抗するな」と言っているようなものです。道新の思想は、軍事力軽視というよりは、軍事に対する無知を曝け出すものです。

「自衛隊は憲法上軍隊でないことは明確」と、道新は言いますが、はてさて憲法のどこにそんなことが書いてありましたかね。自衛のための軍隊を持たないとも書かれていないし、自衛の戦争をしない、とも明言していませんが。

第9条
@日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

A前項の目的を達するため、陸海軍軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

如何です。憲法が放棄ないし禁じているのは、「戦争と武力の行使は、国際紛争を解決する手段として放棄する。この目的のために軍隊などは持たない。そのための交戦権も認めない」というものです。自国自衛の軍事力とその行使を放棄したとは書いていないのです。戦後政府が自衛隊を創設したのは、自衛に関しては憲法上可能だったからです。

ところが、何故か自衛隊は軍としての諸要件を与えられることなく、ポジティブリストの法律に縛り付けられています。軍であるには、ネガティブリストにしなければ緊急事態に即応出来ないのです。軍事法廷も必要です。

道新が真に精神レベルの高い報道機関であるなら、こうした問題こそ、道民に報せるべきではないのですか。

さらに道新は「憲法解釈の末に自衛隊員危険にさらし、命懸けで戦えという態度は無責任」と大上段に振りかぶる。これも軍と軍人に対する無知を上塗りするものでしかないですよ。どんな国の軍人であっても、自国を防衛するという最低の自覚と覚悟はあるものです。無いのなら、軍隊・軍人とは云えない。自衛隊員は、自分がいざという時には命を懸けることを誓って隊員になっているのです。道新が忌避する「命懸けで戦う」ことを覚悟した人たちです。

道新の社説子の言葉は、法的には虐げられているにも拘わらず日夜訓練に励み、一朝有事の際には戦う決意をしている自衛隊員を侮辱するものですよ。尊大且つ傲慢な態度です。専守防衛と云えども、軍でなければその任務を果たすことは不可能です。軍というのは、その行動が地域や武装に制約されるものではありません。お分かりですか。

閑話休題。書店でシンシリアリー著「韓国人が暴く 黒韓史」という本を見つけて、読みました。シンシアリーさんは、韓国在住の韓国人で、歯科医です。日韓併合時代に生きた母親から日本語を学び、子供の頃から日本の漫画や書籍を読み親しんでいたそうです。反日韓国の現状と、その精神性を書き続けています。面白い本です。

以下に、本の280ページから一部を書き抜きしてみました。

韓国人は「(自分で)正しい」という主観的な判断を正統性、すなわち「根拠」としています。そして、その「正しい」を確固たるものにするために求めるものがあります。それが、「正しくない」存在、すなわち絶対悪です。絶対悪の反対になることで、自分が絶対善になれます。

韓国にとって、その絶対悪は日本です。民族正統性そのものが反日から始まったからです。嘘をついてでも「日本」を絶対悪とすることで、民族正統性は絶対善として成立しています。

しかし、そんなやり方で「自分」を見つけることはできません。自分が見つけられないから過去ばかり朝気にすることになります。そうやって、どんどん、どんどん、「自己肯定」の仮面を被った「自己否定」の沼にハマッていきます。

この文章を読み、私は思わず膝を打ちました。「韓国」を「日本の左翼・リベラリズム」と置き換えれば、すんなりと通じるではないですか。シンシリアリーさんは、このままでは韓国人の本当のアイデンティティーが確立できなくなると心から心配しています。もし反日が崩壊すれば、何を自民族の拠り所・誇りと出来るのか、危惧しています。

私は、日本に蠢く左翼・リベラリズム(マルクス主義の変形)に属する人たちは日本人としてのアイデンティティーが欠落しているのだと思います。日本国家、民族の歴史、文化、伝統、神話、天皇陛下の存在、そうした日本人の優れたものに共感することが出来ず、破壊することしか思い至らない。だから軍事を真剣に考えようとはしないのです。

今日の国会で、安倍総理は「こんな問題(わが軍発言)で議会審議が進まないのであれば、今後「わが軍」という言葉は使わない」と答弁したそうです。首相も怒り心頭に発っしているはずです。子供的精神レベルの民主党などを相手にするのは、本物の子供と遊ぶより疲れます。そもそも可愛げがないですからね。首相に同情いたします。

■2015/4/17 自縄自縛の道新
4月になり、順調に春の歩みが進んでいました。でも、この数日悪天候が続いて、雨、風、低温です。我が家の近くにある公園で、カタクリが蕾を付けて何日にもなるのに、固く花弁を閉じたまま。寒さに震えています。

本日付の道新社説が、とても面白い。「NHKとテレ朝 自民の聴取は筋違いだ」というもの。書き出してみます。

「自民党の情報通信戦略調査会がきょうNHKとテレビ朝日の幹部を呼び、事情を聴く。
NHKは「クローズアップ現代」のやらせ疑惑、テレビ朝日は「報道ステーション」で元官僚の古賀茂明氏が自身の番組降板をめぐって官邸から圧力があったと発言したことを受けたものだという。

放送事業の許認可権を持つ政権を構成する与党が乗り出せば、呼びつけられた側が萎縮するのは火を見るよりも明らかだ。こうした姿勢はこ報道をゆがめかねない。聴取は筋違いだ。

番組に問題があれば、編集責任のある放送局が自ら究明するのが本来の姿である。その自浄作用を信用せずに、政党がしゃしゃり出ては、報道への介入ととられても仕方あるまい。

報道機関の役割は権力の監視であり、誤りがあれば国民に知らせて、ただすことにある。その機能を脅かす特定秘密保護法が施行され、権力側の「不都合な真実」に迫りづらい状況が生まれている。

民主主義の土台である国民の「知る権利」を狭める・・。一連の動きにそんな意図が透けて見える。」

報道内容に問題の多いNHKとテレ朝に対し、自民党が事情を聴こうという話である。放送や新聞などの報道機関には、公平、中立、公正が求められるのは云うまでもない。何故なら報道機関の社会的影響が極めて大きいからである。フツーの企業と違うのは当たり前である。事実と違うこと、一方的な見解の垂れ流しは決して許されない。

道新は「呼びつけられた側が萎縮するのは火を見るより明らかだ」と宣うている。私は、この一文を読んで、思わず笑ってしまいました。そうか、道新の左翼偏向の報道姿勢を正すには、各政党が編集者や社長を呼んで記事について問い質せばよいのだ。私は、道新の病気を治すには、道新が廃刊になるまで批判するしかない、と半ば気の遠くなる気持ちになることがあります。しかし、ちょっと「事情を聴く」だけで、全ては解決するわけですね。安心しました。

それほど報道機関とは「権力の圧力」に弱いものなのですか。すぐに萎縮して報道内容をゆがめるのですね。道新さま、確かに私は貴社の言質を取りましたよ。都合が悪い、不利になったら、直ぐに方向転換するのが左翼報道機関ということを自ら証言してくれました。「憲法を改正せよ」と叫び始めるのは何時からでしょうか。待っています。

ところで、去る15日民主党がNHKの幹部を呼んで、事情聴取しています。民主党が聴取するのは問題無いのですか。民主党の聴取を不問にし、自民党だけが悪いと云うのは、ダブルスタンダードと云わないのでしょうか。

道新は「放送局が自ら究明するのが本来の姿である。その自浄作用を信用せずに」と仰います。はてさて、私は左翼偏向報道機関に「自浄作用があったかしらん」と今度は小首を傾げました。あっ、首が痛い。昨年来問題になっている「朝日新聞」の「慰安婦と福島第一原発吉田所長」に関わるでっち上げ報道について考えました。朝日は一応「謝罪」はしましたけれど、自ら自浄作用を発揮して誤報・でっち上げの真相に迫りましたか。否ではないですか。

一部の誤りは認めましたが、その真の原因について自らは一切明らかにしない。「第三者機関」なるものに調査を丸投げして、その答申を聞いて「以上終わり」としたではないのか。自らの報道が、どれだけ社会に暗い影を落とし、「20万人のセックススレイブ」と云う虚報は、今まさに世界中にばらまかれ、日本が「悪の国」と思われています。

この朝日のどこに自浄作用があるのでしょうか。道新も一蓮托生の報道を続けて来たくせに、頬被りを決め込んでいることを、私は知っていますよ。道新の云う自浄作用など、一欠片も信用できないと私は思っています。

「報道機関の役割は権力の監視」と道新は云う。一寸待って下さい。どうしてこういう嘘を云うのかな・・。報道機関の基本的使命は、国民に「可能な限り事実を正確にを伝え、解釈や賛否が定まらないものは多様な意見・異見を公平・公正に伝える」ことではありませんか。そのことによって、国民が賢明な判断が出来るように、民主主義が健全に発展するように、多角的な情報を冷静に提供しなければなりません。最もやってはならないことは、特定の思想・立場に立て、国民を特定の方向に誘導しようとすることです。これを、私は偏向報道と云っているのです。道新のことです。

今回の「自民党の事情聴取」に、特定秘密保護法をからめて批判しているのは、噴飯ものです。そもそも特定秘密保護法が「言論の自由」とは何の関係も無いのに、あるかのように危機感を情緒的に煽り、国民に間違った情報を流し続けています。「知る権利」を狭めると、道新は得意顔であるが、その言葉はそっくりそのまま自分に帰るでしょう。

■2015/5/8 「平和憲法」は平和を保証しますか
五月になって、長い連休も気付いたら終わってしまいました。今、八重桜が満開です。季節の移ろいがこんなに早いのは初めての経験かもしれません。ライラックまで咲き始める様子です。何もかも同時と云うのは違和感ありです。

「憲法記念日」の3日の道新が、何時ものように時代からズレた社説を書いておりました。以下、抜粋します。

《平和主義の逸脱を危ぶむ

憲法は大きな岐路に立たされている。武力に頼らない平和主義の精神を未来へと引き継ぐ決意を新たにしなければならない。

歴代政権は憲法9条のもと武力行使を受けた場合だけ自衛のための必要最小限の武力行使ができ、他国を守るための集団的自衛権行使は許されないとしてきた。

安倍政権の方針は海外での武力行使に道を開き、他国の戦争に巻き込まれる可能性が否定できない。戦後の国づくりの原理からの逸脱だ。

安倍首相は軍事的な拡張を図る中国を念頭に「わが国を取り巻く安全保障環境は厳しさを増している」と繰り返す。だが国の安全保障は武力でけではあるまい。

日中は経済をはじめ相互関係にある。人的交流も幅広い。気候変動や大気汚染など、ともに取り組むべき問題もある。
人やモノの交流をさらに深め、緊密化すれば、軍事的対立が国益を損ねる機運が生まれるはずだ。大事なのは力に頼らない共存の視点である。

平和主義の柱である9条の行方が懸念される。

いまの憲法が戦勝国の押しつけだとの主張もある。だが国民主権や基本的人権、平和主義を根幹とする憲法は国民にすでに定着している。押しつけとの主張は意味を見いだせない。

そうであるならば、まず権力に縛りをかける「立憲主義」の確認を求めたい。縛られる側の権力者に都合の良い内容にしてはならない。憲法はだれのものなのか。この点があらためて問われる。》

一つ一つ反論するのはバカバカしくなります。道新は、現憲法を絶対視(不磨の大典化し)して「平和主義」こそが日本の安全を確保する道である、との現実離れしたイデオロギー(宗教)に立ち止まったままなのです。中国の軍事拡張や海への進出には触れますが、軍事に頼らず「話せば分かるじゃないか」との夢想と幻想を抱いたままです。

「人とモノとの交流をさらに深め、緊密化すれば」中国は日本を侵略しないし、平和を保てるのだそうです。「平和主義」とはこんなに簡単なものなのか。ところで、ウクライナのクリミヤ半島をロシアが武力で奪取しましたね。この事実を道新社説子はどのように解釈なされますか。力が弱ければ、あっという間に主権を喪失することを示しているのではないですか。それとも道新は「尖閣諸島」は中国に差し上げてでも武力衝突は止めろ、と仰るのか。

「歴代政権は憲法9条のもと自衛のための必要最小限の武力行使ができ、集団的自衛権は許されないとしてきた」と書いています。これ、事実と違うのではないですか。

1954年、自衛隊が発足。鳩山一郎首相が「憲法は自衛権を否定していない。自衛のための抗争は放棄していない。武力を行使することは憲法に違反しない」と見解を発表。

1960年、岸信介首相のもと、改訂「日米安全保障条約」が結ばれる。岸首相、林修三法制局長官が「我が国は、集団的自衛権を制限的に保有する、制限的行使ももできる」と国会で答弁する。

1972年、田中角栄。「自衛措置は国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処」「その措置は必要最小限度の範囲にとどまるべきもの」「集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」とする。

1981年、鈴木善幸内閣。「我が国は集団的自衛権を国際法上保有、憲法上は行使不可」と政府見解を発表。角田禮次郎内閣法制局長官は「集団的自衛権は一切行使できないという意味においては、持っていようが持っていまいが同じ」と国会で答弁する。

このように大雑把に経過を見ても、政府見解が戦後ずっと変わらずに来たという事実はありません。少なくとも岸信介内閣までは「自衛戦争」も「集団的自衛権行使」も出来る、としてきたのです。突然田中内閣から方針転換され、内閣法制局の見解が変わったのは明らかです。その理由は、私には分かりません。道新はこのように嘘をつく。

安倍首相が「集団的自衛権の限定行使」への解釈変更を行ったのは、内閣見解を元に戻しただけなのですよ。「他国の戦争に巻き込まれる」と危機感を煽るのが左翼マスコミ・道新の常套手段です。1960年安保改定、1992年「PKO協力法」成立の時にも、「戦争に巻き込まれる論」で左翼とマスコミが大騒ぎをしましたが、結果はどうなのですか。

「憲法は国民にすでに定着している」と道新は仰る。ところが、改憲論議がこれほど真正面から、そして堂々と行われるようになったのは敗戦後初めてではないのかしらん。であるならば、「憲法が国民に定着していない」証拠ではありませんか。現憲法は、GHQの占領下(日本が主権を奪われた)で作られたものです。日本に主権は無かったのですよ。

主権の無い国が、憲法を作る資格がありましょうか。あるはずがない。現憲法は、そういう意味でも憲法としての実態と正当性に欠けるものなのです。内容が善い悪いの問題ではありません。そういういい加減な「文書」が憲法としてまかり通ってきたことに、道新は何の疑問も持たないのですか。形式も内容もヒドいもの、それが現憲法です。

「平和主義」「基本的人権」「国民主権」が三本柱と云われる現憲法です。この三点は、極めて問題の多いしろものです。はっきり申し上げれば、日本の国体、歴史、文化、伝統とは相容れないものです。現在の国際法上全否定出来ないことも事実ですが・・。これについては、追々私の意見を述べる機会ががあるでしょう。

「立憲主義」の「権力を縛る」という一点のみを、道新は強調しています。近代憲法では、こうした概念が強くなったのは事実です。権力・主権による横暴を防ぎ、国民の自由と権利を保証する必要が求められたからです。もっと簡単に云うと、国家運営(権力の行使)は憲法に従って行う、ということです。現憲法では「国民主権」ですから、権力を縛ることは、イコール「国民を縛る」ということに繋がってしまうのです。ブーメランが帰ってくるようなものです。

立憲主義という概念は大切なものですが、「権力を縛ること」などと単純化してはいけません。憲法を国家の形(国体)に基づいて制定し、それを国民と政府が共に協力して守り、必要に応じて進化(改正)されることが大切なのです。

道新や左翼は、「政府や権力は悪いモノだ」という前提から出発して考えます。それが左翼リベラルイデオロギーというものです。国家と国民の安全、安心、豊かな生活をどうしたら守り続けられるか。それらを現実に即して考え、知恵を出すという姿勢が根っこから無いのです。だから、中国が南シナ海や東シナ海に進出し、力で領土・領海を変更しようと暴力を行使しているのに、「話し合いで、平和的に」などと不抜けたことをいつまでも言い続けるのです。

戦争を嫌うのも、反対するのも、一般論としては、私も賛成です。しかし、国家の安全のためには、軍事を思考しないのはとんでもなく罪深いことです。国家同士が戦争を抑止出来るのは、軍事のバランスがとれているときです。バランスが崩れた時、弱い国家は何をされるか分かったものではありません。中国と戦争をしたくなかったら、中国に戦争をしようという意欲を持たせないこと。これ以外には選択の余地はありません。中国は民主国家ではありませんよ。

■2015/5/20 風邪を引いていました
せっかくの素晴らしい春だというのに、10日(母のに)から風邪の症状が出始め、何処にも行かず安静を保って過ごしていました。仕事もキャンセルしました。幸いに肺炎になるほと悪化しませんでした。一週間経っても、体が怠い、喉が痛い、微熱が出る、咳が出るなどの症状がダラダラと続いていました。先週土曜日、受診を決断しました。

近くに24時間急患を受け入れてくれる病院があるので、土曜の夕方駆け込みました。胸部レントゲンと血液検査をしてドクターが診てくれました。レントゲンでは、肺炎の心配はない。血液検査ではCRPが少し上昇しているが、深刻なものではない。喉の炎症を抑え、痰の切れをよくする薬を出します、とドクター。私は抗生剤が欲しかったのです。

ドクターは「風邪ですから、抗生剤は必要ありません」と仰る。そこを粘りに粘り、「不安があるし、これから旅行にでますので、何とか数日分の抗生剤を」と拝み倒しました。ドクターは「どうしようも無いな」と呆れた顔をして、三日分の抗生剤(クラリスロマイシン)を処方してくれました。本当にほっとしました。これが効くのです。

夕食後から服用を初めて、昨日朝まで続けました。劇的に効きました。喉の痛みが消えましたし、体の怠さもほとんど無くなりました。一般的に医師は「風邪に効く薬はありません。対症療法の薬で症状を和らげれば自然に治ります」といいます。論理的には、その通り。でも風邪を引くと風邪ウィルスが暴れ回り、体力を奪います。すると、普段は悪さをしない雑菌類が元気づいてきます。ウィルスと菌が連合軍を組んで、人を責め立てるわけです。

抗生剤は直接風邪ウィルスを殺しませんが、雑菌類を殺してくれます。その分体の抵抗軍団は、ウィルス攻撃に専念出来ると思うのです。間接的ではありますが、抗生剤は風邪を悪化させず完治を早めると思います。薬剤師さんにも聞いてみました。その人は「とくに風邪の引き始めに飲むと効果がありますよ」と云っていました。私も同感です。

■2015/5/20 旅に出てきます
二月から、奥さまが「また行ってみたい」と云うのです。それじゃ行こうと即断即決。三月から旅の予定を作り、JTBに宿と旅行券の手配を頼んでいました。すでに全ての手配は済み、あとは出かけるだけです。間もなく出発します。体調が落ち着いて来た昨日から荷物の準備を始めています。大半は整っています。細々した物の再点検です。

風邪の改善を急いだのも、旅が目前に迫っていたから。旅から戻ったら、簡単にご報告したいと思います。週間予報を見ると、現地はおおむね晴れるようです。風邪をぶり返さないように注意して行ってきます。暑いかな・・。

蛇足をひとつ。いよいよ安保法制が本格的な論戦に入りそうです。左翼と左翼マスコミは「絶対に廃案にする」「戦争法案だ。安倍政権の暴走を止める」「戦後の平和主義の大転換」などと事実と違うレッテルを貼り、国民に「戦争の不安」を煽いでいます。平和憲法に反するとか憲法違反だとか戦争に巻き込まれる、などとわめいています。

要するに「憲法9条を守れ、一字一句も変更は許さない」と云っているわけです。では、現憲法が平和主義であることが事実としても「日米安全保障条約」と一体となっての「平和主義」であることを分かっていらっしゃいますか。

ならば、どうして「日米安全保障条約を廃棄せよ」「自力で安全保障が出来るように憲法を改正して軍隊を持て」と主張しないのでしょうか。左翼と左翼マスコミの主張は、論理的にも現実的にも破綻しているのです。憲法を守れと云うのであれば、「日米安全保障条約を一層強固にし、集団的自衛権の行使は全面的に行使せよ」となるのです。

上記のように「日米安全保障条約を破棄し自立した自衛が出来る日本にする」か、「日米安全保障条約でアメリカとの同盟を強固なものにして安全を確保するか」、どちらかしか道は無いことを知るべきです。

■2015/6/3 奈良に行って来ました
約十日に渡る長旅でした。目的地は奈良。奈良県全体が世界遺産みたいなものですから、何度行っても切りが無いのですが、まだまだ見たい処(物)が沢山あります。今回は、薬師寺、法隆寺、明日香が主な訪問先でした。

奈良に滞在していた間は、毎日30度を超える日が続き、頭の毛が焼けるように暑い。歩いていると頭と足下がクラクラしてくるし、日陰を探して一服一服を繰り返しながらの行動でした。奈良のタクシー運転手さんによると「こんなに暑いのは珍しいですよ。まるで七月みたいだ」とのこと。奈良県人でも驚くような「五月の猛暑」でした。

法隆寺は、世界最古の木造建築寺院です。なんと云っても、金堂に安置されている仏像は素晴らしい。釈迦三尊像、阿弥陀如来、四天王像、吉祥天立像、毘沙門天立像。飛鳥時代から平安時代にかけて作られたものです。中央にいらっしゃる釈迦三尊像は、とても言葉にも文字にもなりません。興味のある方は、直接ご覧になってくださいませ。

法隆寺・夢殿の奥に、中宮寺があります。ここまで足を伸ばす観光客は、あまりいないようです。修学旅行の生徒たちで喧噪に包まれている金堂や五重塔周辺とは、空気が違います。ここには是非見ておきたいものがあります。如意輪観世音菩薩です。半跏思惟像と云えば、ピンと来る方も多いかと思います。右足を左足に乗せ、右手を右頬に微かに触れて、体全体は軽く前傾しています。目は開いているのか、閉じているのか、どちらともとれます。

いわゆる「考える人」のような姿勢です。表情は、文字には出来ない微笑みをたたえています。美術的には「アルカイックスマイル」と云うのだそうです。ダ・ビンチのモナリザもこの微笑みですね。でも、かなり意味内容は違うと思います。飛鳥時代の制作で、国宝に指定されいます。厳かな気持ちで合掌してまいりました。それにしても美しい。

同じように、いやそれ以上に評価が高い半跏思惟像が、京都の広隆寺にあります。弥勒菩薩像です。こちらは木地の色がそのままで、明るく柔らかい印象です。光背もありません。彫刻では、日本で最初に国宝に指定されたそうですから、学会や専門家の評価はずば抜けているのでしょう。中宮寺の半跏思惟像は、黒色で光背ありです。

私が見ている限りでは、甲乙は付け難いです。どちらも素晴らしく、菩薩像の傑作です。日本の芸術力に感嘆です。

春日大社で、六月三十日までの特別公開があります。第六十次式年造替記念です。国宝の本殿は、二十年に一度の公開です。今回の目玉は「磐座」、初公開です。タケミカヅチノ命、フツヌシノ命、アメノコヤネノ命、ヒメガミ。この四祭神がいらっしゃる御本殿が見られたのです。秘物中の秘物です。もう二度と見られないでしょう。

これらの神々については、この駄文をお読の皆様が、それぞれお調べになって下さい。私には説明能力がありません。

奥さまは、食欲旺盛。美味しい物にはついつい手が出る、口が出る。透析で水を抜け切らない日がありました。暑さには閉口でしたけれど、体調は良く過ごせました。ホテルやレストランの食事がとても美味しかったようです。

それにしても、北海道は過ごしやすいですね。二日前に28度になりましたが、汗などかきませんでした。

■2015/6/22 また道新が嘘を書いている
今朝の道新社説を読んで、怒りと云うよりは悲しみを感じます。以下にその一部を書き出してみます。

《両国は1965年6月22日、日韓基本条約に調印した。
付属する請求権・経済協力協定では、日本が韓国に無償3億ドル、有償2億ドルの「経済協力金」を支払うことで両国間の財産・請求権問題が「完全かつ最終的に解決された」と確認した。

植民地支配への謝罪や賠償は盛り込まれず、韓国内は激しい反対運動が起こったが、朴正煕大統領の軍事独裁政権がお抑え込んだ。

韓国で民主化のうねりが高まった90年代に入り、従軍慰安婦問題をはじめとする歴史問題が一気に噴出したのは、条約で植民地支配についてきちんと清算できていなかったことを示している。

それでも日韓関係が深刻な緊張状態に陥ることなく発展する土台となったのは、歴代首相らの談話や政治文書である。

慰安婦問題を反省、謝罪した93年の河野洋平官房長官談話、植民地支配への「痛切な反省と心からのお詫び」を表明した95年の村山富市首相談話、小渕恵三首相と金大中大統領が「未来志向的な関係」をうたった98年の「日韓パートナーシップ宣言」などだ。

だが安倍首相は第2次政権発足と前後して村山談話や河野談話の見直しに言及、13年暮れには靖国神社参拝で対立を決定的にした。

今後の日韓関係改善に向け、安倍首相がこの夏、発表する70年談話は極めて重要である。

日本外交の根幹を成す村山談話の核心部分の変更は、韓国のみならず国際社会から歴史修正と受け取られ、日本の信用を損なう。きちんと引き継ぐべきだ。》

ご覧の通り、至る所に嘘が散りばめられた文章です。これが「社説」と称するものですか。道新の知性が問われていますよ。いやいや、道新にとっては知性など問題ではない。左翼という立場を揺るがせに出来ないのですから。

日韓基本条約でお金は払ったが、「植民地支配への謝罪や賠償は盛り込まれ」ないので韓国内で反対運動が起きた。このように道新社説子は仰るが、では何のための「基本条約」締結なのでしょうか。両国間の問題が「完全かつ最終的に解決された」と宣言されているように、これ以上は両国間に問題は無いし、今後も問わないことを確認するためです。

植民地支配というが、この定義には問題があります。そもそも日本は韓国をヨーロッパ型の植民地にしたのではなく、併合して日本の正式な領土として、日本の法律を適用し、日本の一地域として安定化しようとしたのです。これを後付けで「植民地支配」と呼ぶのには首を傾げます。もちろん当時の国際社会では、全く問題にはなりませんでした。

日韓基本条約締結で、日本としては出来うる最善の事をしました。併合時代に韓国国内に残して来た個人財産、インフラ施設、鉱工業施設などの請求権を全て放棄したのです。これは韓国に対する最大級の「善意」だと思います。ですから、当時の韓国は「謝罪や賠償」などを求めなかったのではないですか。すでに問題は何も無いのです。

それを有るかのように云う道新は、日韓基本条約を否定する立場にいらっしゃる訳ですね。

「従軍慰安婦問題をはじめとする歴史問題が一気に噴出したのは、条約で植民地支配についてきちんと清算できていなかったことを示している」、こう社説子は追い討ちをかける。嘘に嘘を重ねるとは、このような行為です。まず、従軍慰安婦などという言葉を使うこと自体、この新聞の知性の欠如を示します。従軍慰安婦など、歴史的に存在しません。

慰安婦は、あくまで慰安婦であります。「従軍」を意図して付着させることで、当時の軍が女性を強制連行して性的な慰めものにしたのではないか、という印象操作をしています。新聞が不正確な言葉を使うべきではありません。

日韓基本条約締結の時点では、「従軍慰安婦問題」など全く話題にもなっていないことを正確に伝えるべきですよ。

「日韓関係が深刻な緊張状態に陥ることなく発展する土台となったのは、歴代首相らの談話や政治文書である。

慰安婦問題を反省、謝罪した93年の河野洋平官房長官談話、植民地支配への「痛切な反省と心からのお詫び」を表明した95年の村山富市首相談話、小渕恵三首相と金大中大統領が「未来志向的な関係」をうたった98年の「日韓パートナーシップ宣言」などだ。」

これも事実と違います。むしろ河野談話や村山談話が出てからの方が、慰安婦問題、歴史問題が政治問題化して両国間の棘として固定化しています。元を辿れば、1982年9月2日付けの朝日新聞の記事です。吉田清治という大嘘つきが「済州島で朝鮮人の若い女性200人を強制連行した」と発言したことを掲載。さらに、1991年8月11日付けの大阪本社版にて「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」との、植村隆元記者の捏ち上げ記事が、火に油を注ぎました。

慰安婦問題とは、朝日新聞が火の無いところに煙を立て、それに韓国が呼応して日本批判を始めたのがきっかけです。それに慌てた日本政府が、十分な調査もせずに「兎に角謝罪して事を納めよう」との安易な発想で対応したので、さらに問題を複雑困難にしてしまったのです。河野談話と村山談話は、事実で無い事を固定化したうえに、日韓の関係を抜き差しならぬまで悪化させたとんでもない代物です。それを持ち上げる道新は、日韓関係を破壊したいのでしょう。

安倍首相は、おかしな物はおかしいのではないか、調査して事実関係を明らかにしよう、と云っているだけですよ。首相の靖国神社参拝は、日韓関係の悪化とは何の関係もない。そもそも日本の首相が戦争で命を落とした英霊に感謝と敬意を表するのは日本の国内問題です。韓国や中国からとやかく云われる筋合いのものではありません。

内政干渉ではないか、と批判の一つも出来ないのですか、道新は。韓国や中国の言い分を宣伝するのが役目の新聞ですから、こんなことを云っても無駄なのでしょうね。ご自由にやって下さい。私も自由に批判いたします。

安倍首相の「70年談話」では、村山談話を引き継ぎ、侵略と謝罪を云うべきだと主張する道新です。そうしなければ国際社会から「歴史修正と受け取られ、日本の信用を損なう」そうです。戦闘行為は70年前に終わったのです。昭和27年、日本はサンフランシスコ講和条約を締結して独立を回復しました。これをもって、日本の戦争は終了しました。

いつまでも戦争について責任を追及されたり、頼まれもしないのに永遠に謝罪を繰り返すなど、そんな国は世界中探しても何処にもありません。人間も国家も、今現在を生きながら未来を見つめて前に進むものです。戦争から学ぶべきものは沢山ありますし、反省も必要です。しかし、謝罪のために今があるのではありません。いい加減にしましょう。

左翼というものの不思議さは、イデオロギーの絶対化、特殊な観念の理想化、現実無視ですね。私の人生体験を振り返りながら、日本の左翼、リベラリズムについて考えてみたいて思います。次回から執筆開始します。

■2015/7/31 元少年Aと「絶歌」に思う
前回の書き込みから一ヶ月以上経ち、明日からは八月です。私はこの間、何をしていたのだろう。札幌は、例年になく蒸し蒸しした天気が続いています。「これが夏か?」と思っています。気温は25度から30度と、結構高いです。

話題としては少し遅れ気味かもしれません。元少年A「酒鬼薔薇聖斗」が出版した「手記」、「絶歌」を読みましたので、感想を書いてみます。被害者の親が出版差し止めを願い、販売する書店があったりなかったり、大いに話題になりました。言論、表現の自由などとの視点から論じるのは、事の本質を見誤るものだと思います。

元少年Aはこう書く。

中学校の正門に着くと、門の前に自転車を停め、ビニール袋から淳君の頭部を取り出し、
さてどこへ置こうかと思案をめぐらせた。
水色の正門の真ん中がいいか? 白塗りの塀の、中学校の名前の入ったプレートの真下にするか?
いろいろと悩んだ挙句、僕は門の真ん中に頭部を置き、二、三歩後ろに下がって、どう見えるかを確認した。
その瞬間、僕の世界から、音が消えた。
世界は昏睡し、僕だけが独り起きているようだった。
地面。
頭部。
門。
塀。
塀の向こうに聳える校舎。
どの要素も、大昔からそうなっていたように、違和感なく調和し、融合している。
まるで、一枚の絵画、映画の中のワンシーンのようだった。
(中略)
校舎南側の壁沿いに二本並んだナツメヤシの葉が、降りかかる月の光屑を撒き散らすように音もなく擦れ合っている。
呪詛と祝福はひとつに融け合い、僕の足元の、僕が愛してやまない淳君のその頭部に集約された。自分がもっとも憎んだものと、自分がもっとも愛したものが、ひとつになった。僕の設えた舞台の上で、はち切れんばかりに膨れ上がったこの世界への僕の憎悪と愛情が、今まさに交尾したのだ。
告白しよう。僕はこの光景を、「美しい」と思った。
薄い夜霧のドレスを裂いて伸びてくる月の光の切っ先は鑿となって、闇の塊の中から、この世あらざる絶望的に美しい光景を彫り出していた。
もう、いつ死んでもいい。そう思えた。自分はこの映像を作るために、この映像を視るために、生まれてきたのだ。
すべてが、報われた気がした。
…………………………………………………………………………………………………………………………

私は、この文章を読み、胸が悪くなってきました。もっと前の頁には「猫を殺す」場面が克明に描写されています。普通の神経の人であるなら、ここら辺りで読み続ける意欲を失うでしょう。まさに異常な場面が展開されてゆきます。

「この光景を『美しい』と思った」、と元少年Aは云います。仮にそうだったとしても、大人になり「更正」した筈の人間がこのような露骨で赤裸々な描写をし、心情を露骨に開陳できるものでしょうか。死者への、遺族への、労りや配慮や思いやりというものは微塵も感じられないのです。殺人と性に陶酔していた少年Aのままではないのか。

文章自体が事実の表現にふさわしくない。こう私は感じています。あたかもミステリー小説を読んでいるような表現です。文学的表現とでも云いましょうか。しかも、元少年Aは、その書きぶりに酔いしれているようにみえます。

282頁には、次のように書かれています。

…………………………………………………………………………………………………………………………
大人になった今の僕が、もし十代の少年に「どうして人を殺してはいけないのですか?」と問われたら、
ただこうとしか言えない。

「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」(中略)

でも、これが少年院を出て以来十一年間、重い十字架を引き摺りながらのたうちまわって生き、
やっと見付けた唯一の、僕の「答え」だった。
…………………………………………………………………………………………………………………………

なぜ人を殺してはいけないのか。その理由を述べるのは簡単ではありません。しかし、「あなた自身(殺人者)が苦しむ」からというのは理由にはならないでしょう。殺された人はもっと苦しみます。遺族は生きている限り苦しみます。殺した側が「苦しい」などと言い訳をするのは、実におこがましいのではありませんか。元少年Aの答えは、この程度のものだったのです。遺族の意思を無視し、自分の思いを世間に公表することを優先させたのです。自分のために。

最後の頁には、以下のようにあります。

自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの「生きる道」でした。僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした。
…………………………………………………………………………………………………………………………

「生きる道」はこうする(本を出版する)しかなかった、と元少年Aは云います。本当にそうなのか。私は、元少年Aが手記や謝罪文を書くこと自体を批判、否定はしません。が、「出版」という手段で、残忍な行為を公にしたことに疑問を感じるのです。罪を負った人も、負わない人も、社会の中で生きていく限り、世間への配慮や自己抑制は絶対に必要なものです。自由とは自己抑制と一体のものなのです。元少年Aは、それが分かっていない。考えたのは「自己救済」だけなのではないか。元少年Aが、この本によってさらに「のたうちまわる」ことにならないか。

さて、「安全保障関連法案」が参議院で審議中です。と云っても、民主党や共産党は「反対」「安倍を潰せ」「憲法違反だ」などと言いつのり、法案の中身や肝心の日本を取り巻く安全保障環境の劇的な変化について真面目な事実に基づいた議論がされない状態が続いています。日本の政治家の知的劣化がここまで進んでいるとは、絶望的ですね。

■2015/8/21 オーバーナイト透析
みちこが、先々週から「オーバーナイト透析」に挑戦しています。夜10時頃から翌朝6時頃まで、おおよそ8時間かけて透析するのです。この六年間は、ずっと「3時間の透析」でした。本人の感覚では、透析後「非常に疲れる」とのことです。短時間で蓄積した毒素や水を引いてしまうので、体が悲鳴を上げていたのでしょうね。

透析の疲労感を翌日まで引き摺り、自由に出来るのに気力が湧いてこず、家で何となくゴロゴロして過ごすことに不満を感じていたようです。ネットでオーバーナイト透析というものがあるのを知って、札幌市内でやっている病院を探していたようです。今年になって新しいクリニックがオープンしたのを知り、是非やってみたいと言い出しました。

で、先々週からそのクリニックに行き、トレーニングを始めました。初日は、3時間。次回から30分ずつ延長して、長時間透析に体を慣れさせていまきす。今週は、6時間、7時間、8時間と進んで来ました。順調であれば、来週から完全にオーバーナイト透析に移行の予定です。オーバーナイト透析は、睡眠中に透析をするので、気がついたら終わっていた、という人もいるそうです。逆に、夜間まったく眠れずにオーバーナイト透析を諦める人もいるとのことです。

みちこは「眠れそうだ」と云っていますが、来週になってみないと分かりません。オーバーナイト透析の利点は、ゆっくりゆっくり血液を循環させるので、毒素の抜けが良い、体の負担が少ない(疲労感が減少)、服用する薬の量を減らせる、などです。不利な点は、兎に角時間が長いこと。一晩病院にいる必要がありますから。

私の行動スケジュールも変わりますね。夜クリニックに送り、朝迎えに行く。朝は、朝食を出してくれるので、透析後ゆっくり食事して、シャワーでも浴びて、帰ってもいいようです。3時間透析は、1時間の流量が300ccから600cc。それが150ccから多くても300cc程度です。本人の希望通り、疲労感から解放されることを祈っています。

■2015/8/31 日本左翼の奇妙さを考える(1)
8月最後の日となりました。札幌は秋の気配が深くなり、花々は秋のそれらに移りつつあります。夏は去り・・。

6月の書き込みで、日本の左翼について書いてみます、と云いながら、二ヶ月も経ちました。どのように分析し、どのように解き明かしたらよいか、ずっと悩み続けていました。左翼という言葉と概念が生じたのは、おそらくフランス革命の後だと思います。しかし、そこまで遡っていたのでは話は尽きないし、私に深い知識が無いのが問題です。

基本に立ち返り、現実的な問題を取り上げ、具体的に左翼(サヨク)を考えるのが、私に出来ることのように思います。

左翼の概念は、「常に社会変革を求め、革新的・革命的な行動を目指す人々。思想的には社会主義・共産主義を信奉するか同調する人々。その行動は概して急進的である」といったものでしょう。一口に左翼といっても、世界的には様々なバリエーションがあります。なお、左翼の対概念は右翼です。保守は、右翼でも左翼でもありません。

くどいようですが、私は日本の左翼(今後サヨクとします)について書いていきます。本当に不思議な存在ですから。

サヨクが主張するスローガン、論理は以下のようなものを特徴とします。

(1)日本の大東亜戦争前と戦後をバッサリと分断。「戦前は全て悪、戦後に民主的な国になった」とする。
(2)現憲法を絶対普遍とし、一字一句の変更にも反対する。(私は、現憲法を憲法と認めませんけれど。)
(3)国家の安全保障を一切考慮しない。軍事に関する問題を議論のタブーとする。

(4)基本的には反米主義である。日米安全保障条約を認めない立場は、社会党時代から変わっていない。
(5)子供に道徳教育をすることに反対です。(道徳教育とは、社会人としての常識を教えることなのですが・・。)
(6)日本の国旗と国歌が大嫌いです。(国旗も国歌も、日本の歴史を反映して自然に出来たものですが。)

(7)朝日、NHKをはじめとして、大半のマスコミがサヨク病に罹っています。それだけならまだしも、サヨク的立場に異議申し立てをしたり、疑問を持つことを許さない。言論の自由を抹殺することに日々勤しんでいます。

(8)マスコミ以外にも、大学の教職員、小中高校の教職員にもサヨクが深く浸透しています。ここでも学問と研究の自由、言論の自由を抑圧しています。あの東大や京大がサヨクの根城になっているのは事実です。

(9)外国人(主として在日朝鮮人)に参政権を与えようとしています。(これは「憲法違反」ではないか。)
(10)「従軍慰安婦」、「南京大虐殺」など、ありもしないことをでっち上げる。それを国際社会に宣伝し、国連に持ち込んで批判させたりする。中共や朝鮮が喜んで利用する。(よほど日本が嫌いとみえます。)

(11)サヨクは、既得権益をしっかり構築しています。マスコミ職員や公務員や大学教職員などは、その地位がサヨクからサヨクに引き継がれ、異論を持っていそうな人間は人事などで排除されます。常に社会変革を目的とするのが左翼なのですが、このような事実から、彼らは極めて反動的な行動をしていると思われます。(だからサヨクと呼びます。)

(12)自分たちの気に入らない者には罵詈雑言を平気で浴びせます。「安倍に言いたい。お前は人間じゃない。たたき斬ってやる」。30日、国会前での安全保障関連法案に反対する集会での、山口二郎法政大教授の発言です。これは単なる悪口と言うよりは、ヘイトスピーチではないのかな。「死ね」などとの言葉も飛び交っているようです。

(13)戦争反対、徴兵制反対、子供を戦場に送るな、平和、人権尊重と声高に叫びます。その一方で自衛隊員には武器の使用を認めず、侵略への交戦権も否定します。これでは、「自衛隊員はさっさと死んでしまえ」と言っているに等しいのです。矛盾したことを平気で、かつ残酷に言い放つのがサヨクの人たちです。

上記の事柄について、一つ一つ私の意見を書き続けていこうと思います。時間がかかりそうです。私は、右翼ではありません。自分では「保守」だと自覚しています。サヨクに反発して右翼になると、コインの裏表と同じ関係になります。左翼と右翼はいつでも入れ替わり可能ですから。保守は、主義ではなく態度です。福田恒存の言葉です。

■2015/9/7 日本共産党の体質
ちょっと寄り道をして行こうかと思います。日本のサヨクついて語るには、その総本山である共産党に触れないわけにはいきません。一言で云うと、「嘘つき、ご都合主義、人間社会破壊の集団」であります。以前にオウム真理教について書いたことがありますが、本質的には彼らと変わらない。違うのは「平和路線」で革命を目指していること。

共産党を外側からしか見ない人は、憲法擁護、平和志向、弱者の味方の党と思っているかもしれません。しかし、歴史をみれば、その危険な本質は何も変わっていないのが分かります。マルクス主義が登場するのは、19世紀。日本が明治維新を成功させ、富国強兵策で欧米列強の侵略と植民地支配に抵抗、独立を守りました。欧米の技術や思想を取り入れるのは彼らに追いつき追い越す為に必要なことでした。が、同時にマルクス主義も呼び込んでしまいます。

20世紀、大正から昭和になると、日本中にマルクス主義の思想が浸透します。とくに大学人や知識人にその傾向は強かったのです。1914年、第1次世界大戦が勃発。その隙をうかがうように、1917年、ロシアでレーニン率いるボルシェビキが権力を握ります。間もなくコミンテルン(世界共産党)が設立され、世界各地に革命を輸出し始めます。

日本では、1922年、コミンテルン日本支部として日本共産党が設立されます。因みに1921年には中国共産党が結成されます。コミンテルンは、マルクスの予言に反しヨーロッパ諸国での革命が不可能になり、標的をアジアに移します。

日本共産党は、設立の当初から日本の歴史や文化に依拠しない、ソ連やコミンテルンの意のままに動く謀略、国家破壊団体だったのです。日本政府は治安維持法により彼らの動きを徹底的に抑え、戦争が終わるまで活動を封じました。治安維持法と特別高等警察(特高)を悪の権化のように云う人がいますが、革命と赤化を防いだ功績は認めるべきです。

戦後にGHQによって解放された共産党による暴力、テロは占領下で非常に活発化します。朝鮮半島では北朝鮮に朝鮮民主主義人民共和国、大陸には毛沢東の中華人民共和国が相次いで誕生します。ついに北朝鮮が南に侵略を開始、1950年に朝鮮戦争が勃発します。流石のマッカーサーも驚いたようです。「日本を民主化する」つもりで意気込んでいたら、あっという間に周囲は共産化され、日本国内も左翼が跋扈し革命的雰囲気が醸成されてしまったのですから。

マッカーサーは、旧日本軍人の援助を受けて仁川の上陸作戦を成功。共産勢力を鴨緑江まで追い詰めます。しかし、こんどは中国軍が朝鮮戦争に介入。大勢力の軍を南下させ、アメリカ軍を押し返します。38度線で「休戦」となります。

マッカーサーは朝鮮戦争の作戦でトルーマン大統領と対立し、更迭されます。アメリカに帰国したマッカーサーは上院
軍事外交委員会でこのように証言します。「(日本が)戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」(1951年)。マッカーサーは日本の立場を痛いほど理解したのではないでしょうか。

朝鮮戦争の激戦をとおし、アメリカは日本の再軍備(自衛隊創設へ)と共産化を阻止する方向に転換。1952年、サンフランシスコ平和条約を締結して日本を独立させる方向へ舵を切ることになります。すでに東西冷戦が厳しくなりつつあり、アメリカも日本も自由主義陣営の一員として協力する道を選択したのです。これは正しいものでした。

一方、共産党は今一歩というところで日本革命の夢を潰されのです。内部分裂を何度か繰り返しながら、暴力革命路線を放棄し、「平和革命路線」に転換します。議会を通して権力を奪取しようという方法しかなくなったわけです。しかし、これはあくまでも方便であり、マルクス主義を放棄したのではありません。戦前を「絶対主義的天皇制」と今でも規定し、将来は天皇を抹殺する方針はそのままです。社会主義独裁から共産主義社会の実現を掲げているのです。

女性議員を積極的に擁立してソフトなイメージを作り、弱者に寄り添う施策を強調したり、民主青年同盟(民青)や青年サークルで若者に近づき共産党への入党を促す、「親切」を売りに医療機関を全国各地に作り票田を拡張する、「九条の会」のような市民団体に党員が入り込み組織を乗っ取る、新日本婦人の会を隠れ蓑に女性層に浸透する、など。

次回は、もっと具体的な話を書いてみます。外からは絶対に見えない話ですので、お楽しみにしてください。

■2015/9/15 民主・岡田代表も集団的自衛権に賛成
デジタル版産経ニュースを読んでいたら、以下のような記事があり、びっくりしました。安保関連法案に強行に反対している民主党の現代表や元統理が、「集団的自衛権を認め、必要なら行使すべき」と主張していたのです。

《14日の参院平和安全法制特別委員会で、民主党の岡田克也代表ら歴代代表が以前、「集団的自衛権の行使を容認すべきだ」と主張していたことが明るみに出た。質問に立った自民党の佐藤正久氏が“暴露”した。民主党議員らはなぜか反発して議場はヤジに包まれ、審議は一時中断した。 佐藤氏は、岡田氏の発言が掲載された平成15年5月の読売新聞と「中央公論」17年7月号、野田佳彦元首相の著書「民主の敵」から発言を抜き出してパネルに示した。佐藤氏の求めに応じ、石川博崇防衛政務官がパネルを読み上げた。

「日本を防衛するために活動している米軍が攻撃された場合、日本に対する行為と見なし、日本が反撃する余地を残すのは十分合理性がある。今の憲法は全ての集団的自衛権の行使を認めていないとは言い切っておらず、集団的自衛権の中身を具体的に考えることで十分整合性を持って説明できる」(岡田氏、読売新聞) 「仮に集団的自衛権を憲法なり、法律なりで認めるとしてもきちんと制限を明示したほうがよいだろう。いずれにせよ、より具体的な形で議論すべきだ。最後にはその時々のリーダーが政治生命をかけて決断しなければならない」(岡田氏、中央公論)

「いざというときは集団的自衛権の行使に相当することもやらざるを得ないことは、現実に起きうるわけです。ですから、原則としては、やはり認めるべきだと思います。認めた上で乱用されないように、歯止めをかける手段をどのように用意しておくべきかという議論が大切になってくるわけです」(野田氏、著書)》

私は、岡田氏と野田氏を褒め称えるもつもりはありません。そうではなく、過去にこのような発言をしておきながら、今現在の立場との整合性をご本人たちがどう考えているのか、ということです。とくに岡田氏の豹変ぶりは、理解の範囲を超えています。仮にご自身の主張と立場が変わったのであれば、それを披瀝したうえで、理由を明確に説明すべきではありませんか。安保法制が国民に理解されていない、と盛んに強調される岡田氏です。

であればこそ氏は、自らの主張の変化について国民に説明すべきではないのか。過去のことには頬被りをしても平気、ということなのか。不誠実きわまりないと思いますが。今国会を見ていると、党利党略、政局優先、自己保身優先が目に余ります。国家と国民の安全と平和を真剣に考えることも無く、国民の不安を煽ることばかり。政治家の劣化はここまで来たのかと、ため息しか出てきません。共産党や社民党のように議論どころか、最初から廃案ありきの政党が連日反対集会の主役になって演説しています。外で喋らずに、国会で真面目に議論して下さい。議員の資格なし、です。

それにしても、産経新聞以外のマスコミは、どうしてこの重要な事実を報道しないのか。そりゃ、そうですよね。自分たちに都合の悪い事実ですから、知らない振りして「パス」ということなのでしょう。こちらの劣化も酷いです。

■2015/9/26 十五夜お月さん
参議院で、国会議員とは思えない品位のない行動を見せられ、唯々ため息をついていました。山本太郎という愚かな人間がいるのは知っていましたが、これほどとは。本会議場で、喪服に数珠で「独り牛歩」ですか。選挙で国民の信託を受けている国会議員は、法案の議論を誠実に行い、議論が尽きたら採決する。これが民主国家の約束事です。

議論どころか、最初から安全保障法案に反対し、いたずらに時間を長引かせた野党、とくに民主、維新、共産、社民、山本太郎と仲間たちの罪は深い。議論もしない、対案も出さない、国会外のサヨクの反対集会にばかり足繁く通い、「戦争法案だ」「徴兵制になる」「自衛隊のリスクが高まる」などとデマを流し、国民に不安を煽るばかり。

こんな議員や政党は要らない、と私は思います。もっと真面目にやってくれませんか。こんなことをしていては、いつまで経っても、国家と国民の安全保障をどうするかが曖昧になり、国民が現状を正しく理解できません。

と、怒り心頭に発しつつも、季節は秋です。先日、孫のソウスケが散歩で拾った真っ赤なナナカマドの実を持って来てくれました。花や植物や季節に関心を持てるように成長してきたのです。祖父としての幸せを実感いたしました。

愛妻みちこは、長時間透析とオーバーナイト透析に大分慣れてきたようです。透析終了後の疲労感は、全く無くなったそうですから、挑戦して善かったと思います。オーバーナイトの時に、十分な睡眠をとれる時とそうでない時があります。昨夜は、隣のおじさんがガタンゴトンと騒音を立てて、早朝三時頃に目覚めてしまったそうです。午後から、ベッドに入って不足分の睡眠を取っている最中です。私まで、眠たくなってきました。

お彼岸は今日が明けですね。そして十五夜お月さんは、明日でしょうか。ススキは飾れないが、団子を食べましょう。

2015/9/26 共産党は嘘つきである(1)
志位委員長が反安倍「国民連合政府」を作ろう、と民主党や維新の党に呼びかけています。私は、またも共産党のご都合主義が現れた、と驚きもしません。かつて、1970年代の遅くない時期に「民主連合政府」を作る、と云って我々若者を「夢と希望」に引きずり込んだのを想い出しました。この時はどの野党も共産党に同調しませんでした。

今回も、民主の岡田代表が前のめりになって「話を聞こう」などと云っていますが、うまくいかないでしょう。そもそも野党間で理念も政策も一致するものがないし、野党の離合集散と混乱が始まるかもしれません。

共産党は、本音と建て前がまるで違う政党であることを知るべきです。具体例として、北海道民医連という組織をあげます。分かり易く云えば「共産党が経営する医療機関」です。北海道勤労者医療協会(道勤医協)、道北勤医協、道南勤医協、道東勤医協、十勝勤医協、オホーツク勤医協などが主な加盟団体です。その他、福祉施設なども設立、加盟しています。最初は、共産党診療所がありました。それを北海道勤医協に移行、さらに道東、道南、道北などの勤医協を設立して全道に組織を拡大、カバーしてきたのです。その上部組織として道民医連が出来ました、目的は何か。

建前では「親切で安心できる勤労者の立場に立った医療」が看板です。しかし、執念を燃やしながら全道へ組織を拡大していったのは、別の目的があります。民医連と勤医協の拡大は、すなわち共産党の拡大と表裏一体なのです。私は、共産党員から「選挙に勝つために、勤医協を作るんだよ」と聞いたことがあります。経営の見通しが無いのに、新しい協会を作ったり、病院を建設したために、赤字に見舞われて倒産寸前に至ったこともあります。共産党員に募金を呼びかけたり、全国の勤医協や民医連系から財政支援を受けて辛うじて立ち直りました。共産党はしぶといのです。

では、病院の中はどうなのか。幹部は全て共産党員です。医師としてどんなに優秀であっても、重要幹部にはなれません。なぜなら、医療機関であると同時に共産党の一組織であるからです。民医連や勤医協の情勢分析と方針は、共産党の中央委員会総会決定、党大会決定に基づいて決められます。間違っても、そこから外れることはありません。

病棟は看護師が中心であることは、どこの病院も変わりないでしょう。が、勤医協の場合、看護師であり且つ共産党員であることが最も重視されます。師長(課長)と主任(係長)は、十中八九共産党員です。まれに主任が非共産員であることもありますが、師長だけは現場を押さえるために共産党員です。実力がなくても師長の任に着くことは珍しくありません。そのため、非共産党員の看護師と微妙な軋轢が生じる事もしばしばあります。

こういう組織、人事体制であるのはほぼ間違いない。では、職場が民主的に運営されているかどうか。一見民主的な装いをしています。看護師のカンファレンスは頻繁に開かれますし、仕事上の諸問題については発言は自由です。医師も「真面目な人」が多いので、看護師の会議に参加し、患者の状態把握や対処には熱心で、看護師と協力的です。

しかし、こと勤医協の運営や方針に関する発言は御法度です。ましてや批判的な意見など言おうものなら、師長のみならず看護部長や事務長などから監視の対象となります。「反勤医協的」「反共産党」と見做されたら、どんなに優秀で現場の指導力があっても、出世することはありません。そんな状態になると、優秀な看護師ほど黙って職場を去っていきます。くじけずに頑張ろうと思っていても、希望しない職場配置(異動)などの嫌がらせが待っています。

病院によって違いはありますが、選挙になると病院の職員は一斉に「選挙態勢」に突入します。「票読み」の対象は、もちろん患者さんです。過去に受診した人、今も通院中、入院中の人は真っ先に声をかけられます。そうした指示は各職場の上司が行うわけですから、明明白白な「組織選挙」です。病院の施設や敷地が選挙事務所になります。

強制では無いと云いながら「協力」を求められ、嫌と断れない職員がたくさんいるのも事実です。共産党や職場の党員といざこざを起こすと、虐められたり職場を追われる圧力をかけられる危険がありますので、黙って従う人が多いようです。とくに選挙になると、病棟では「赤旗しんぶん」の読者拡大をさせられることもあります。当然、党員の職員は、日常的に患者を対象に拡大工作をします。入院患者は「お世話になっているから」と、「一ヶ月読者」になることが多いです。断れない雰囲気を醸していますので。患者さんは、票と読者の絶好の狙いどころになっています。

共産党は言葉では綺麗事を並べますが、内部では民主も自由も否定する独裁的行動をとっているのです。だから私は云うのです。共産党は嘘つきだと。ソ連、中国、北朝鮮の独裁をみてください。共産党が内部でやっているのは同じ事です。患者の個人情報を選挙運動に使って平然している。法律違反ではないのか。とくに見逃せないのは集票マシンになっているだけでなく、カネが共産党に流れているのです。法に引っかからないようにやっていますが。

2015/10/3 共産党は嘘つきである(2)
神無月になり、札幌は秋がいっそう深まっています。夜間の冷え込みが強くなり、ストーブに点火しました。

共産党は、口を開けば「憲法を守る」「平和を守る」「戦争反対」「民主主義と自由を守る」と云います。この党は設立の時点から、コミンテルン(国際共産党)の日本支部であり、日本国民のための政党ではありません。「天皇制」を廃止する(天皇家と皇室の人々を処刑する)ことを第一に掲げ、暴力革命で社会主義独裁政府を作ろうとしました。

そんな党が平和、民主主義、自由を掲げているわけですが、本当に信用できるのか。私はまったく信用していません。何故か。共産党の組織運営を見ていれば分かります。共産党には、「綱領」と「規約」があります。規約では、「民主集中制」なるものを組織運営の基本原則としています。一般人が聞くと、「民主的手続きで物事を決めたら、少数派は多数に従い行動するという約束事」だろう、と理解するでしょう。共産党では、その常識は通用しません。

共産党の組織がどうなっているか、簡単に説明します。支部、地区委員会、都道府県委員会、中央委員会、これが基本的組織系列です。共産党は、党内民主主義の徹底を計る。みんなで決めたら、党員は団結して目標達成に一丸となる。このように内外に云っています。では、本当に民主的な組織運営がされているのかどうか。

党大会が数年に一回開かれます。ここで決められたことは、次の党大会まで党の大方針として組織全体を動かします。党大会の実態はどういうものなのか。中央委員会の委員長、副委員長、書記局長など常任幹部会と幹部会(最高指導機関)で党大会の決議案が決められます。それが中央委員会にかけられ、「討議」の結果、正式の案となります。

決議案は「しんぶん赤旗」に掲載され、全機関と党員に伝えられます。決議案は全党員が読了する義務があります。支部では、党員の読了率を上げることと、討議が重要課題です。ところが、これが口で云うほど簡単ではないのです。そもそ赤旗日刊紙(日曜版という週刊紙もある)を購読していない党員がいます。これでは読みようがない。

支部は党の一番下(基礎的)の組織です。職場、学校、大学、居住地などあらゆる処に三人以上で組織されます。

支部討議の実態は、「読む」ことに労力を使い果たし、もはや内容を理解して討議するレベルではないのです。何となく「理解」したつもりで、支部総会でそのまま承認して終わりです。上部機関の地区委員会総会に出席する代議員を選出して、支部総会は任務終了。決議案に対する異論など、全く出ないもしくは出せないのが本当のところです。

地区委員会総会も似たり寄ったりです。地区委員長から決議案報告がされますが、代議員から厳しい質問や提案などは滅多にありません。圧倒的に、決議案を賞賛する立場からの意見が多いのです。結局は、都道府県委員会総会への代議員選出が主な目的になります。シャンシャン大会ですね。地区委員会とは、行政に沿って組織されます。大都市の場合は、区毎。たとえば「中央地区委員会」のようになります。地方なら「旭川地区委員会」のように地域が広い。

都道府県委員会総会は、地区委員会から選出された代議員で開催されます。都道府県委員会の委員長が、決議案報告をします。都道府県委員会の委員長は中央委委員という全国的役職についていますので、下部組織よりは格調高くやります。ただ、中央委員ですから決議案に否定的な見解を述べる筈もなく、肯定する立場からの「説明」です。

ここでも、支部ほど酷くはないが、喧々諤々の論争はありません。そもそも「綱領」に反するような意見を云うことを代議員自身が思ってもいないことであり、結局は中央委員会から降りてきた決議案を大筋肯定して終わりです。最後に党大会への代議員を選出して、目出度くお開き。上の組織にいくほど、中央の決議案を熱烈に支持します。

こうした経過を経て、党大会が開かれます。党大会の代議員発言の要旨は「赤旗」に掲載されます。おおむね肯定、支持する意見ばかりです。部分修正を求める「過激な」代議員もいますので、案に若干の加筆、修正がなされて正式の決議になります。これは直ちに「赤旗」に掲載されます。全党員への読了が中央委員会指示として出されます。とくに支部の中は、大会決定を有り難く押し頂いて、必死に読了運動に取り組みます。「決定が正しい」と信じて疑わない。

共産党は、党大会は「下からの討議を積み上げて、民主的に方針が決定される」と外部に宣伝しています。が、以上の事実から「下からの討議」などまったく無いのが本当です。先に中央委員会の「決議案」がボンと出されるのです。それに従う方向で「下からの総会」を積み上げているだけです。上意下達も甚だしい。そもそも党員が中央の決定や党大会決議案に疑問を持つことさえもしません。出来ないのですね。党員になった瞬間から洗脳されていますので。

民主的な組織どころか、全体主義体制と云うべきです。どこにも自由、民主主義はありません。共産党は、中央委員会決定、党大会決定に反する意見を持つこと自体否定されます。もしもそのような党員がいたら、「反党分子」とか「裏切り者」などのレッテルを貼られます。内容によっては、上級機関から査問、聞き取りなどをされます。最悪は除名ですね。除名されるくらいの人間なら、共産党と共産主義のイデオロギー洗脳から抜け出せるはずです。

共産党の云うところの「民主集中制」とは、「上への集中」のことです。民主主義は存在しません。

だから、私は「共産党は嘘つきだ」と云うのです。ソ連、中国、北朝鮮をご覧下さい。共産党の本質は、あの姿の中にあります。若い女性党員を議員にしてソフトに訴えかけますが、将来日本を「人民共和国」にする政党です。

2015/10/15 共産党は嘘つきである(3)
今月になってから気温が急に低下して、寒い日が続いています。そのため、紅葉の訪れも慌ただしい。我が家の周辺では、ナナカマド、ヤマザクラ、ハルニレ、モミジの色づきが早く、今が見頃と云ってもよい。近くの森は全体が黄色になり、あれよあれよという間に秋の華やかな色彩で覆われています。ハルニレは、もう葉が落ち始めています。

前回は、党大会決定なるものが「上から党員に押しつけられもの」でしかないことを書きました。その補足になりますが、共産党の役員がどう決まるかも興味のあるところです。基礎組織である支部は、一般党員の集まりです。サークルに毛が生えた程度のレベルです。党歴の古い人、やや弁舌の爽やかな人、人柄の善い人などが支部長や副支部長になります。世間の基準とあまり変わりません。マルクス主義の理論に精通している人が、なるわけではありません。

その上部組織の地区委員会からは、少し様子が違います。地区委員会は、地区委員長をトップに、地区常任委員会、地区委員といった役員がいます。地区委員から、常任委員会や委員長が互選で選出されます。地区委員になるのは、党内でもかなり鍛えられた人たちです。支部長が必ずしも地区委員と云うわけではありません。

地区委員は、地区党大会で決められます。各支部の大会代議員が出席し、中央委員会の決定をどのように実践するかを話し合い、新しい地区委員を選出するのが目的です。「地区委員候補名簿」というものが、出席者に配布されます。地区委員会が推薦する「候補者」です。名前と簡単な経歴が記載されているだけです。この名簿を承認するかしないか、そのための選挙がおこなわれます。投票コーナーで、認める人には丸印、嫌な人には×印を付けます。

こんな具合の選挙ですから、反対投票をする代議員はほぼ皆無。そもそも名簿を見ても、地区委員にふさわしいのか否なのか、判然としません。波風が立たないように(惰性で)、承認の丸印を付けるしかないわけです。云うまでもなく、投票前に名簿候補者が「私はこう考える、こう党運営をします」などと支持を訴える演説や呼びかけはありません。代議員の中から「私が地区委員になりたいから、ぜひ立候補します」などという人がいる筈もない。

役員を選挙で民主的に選んでいます、というのが共産党の建前ですが、実態はこんなものです。上が決めたことを下は黙って追認しているのが共産党です。党に入るときに、「綱領」と「規約」を認めることを求められるので、党内で党の方針(「綱領」の方針)に異論を述べることなど端から認められないのです。役員も皆、上が決めるのです。

役員の選出以外に、支部党員からの発言があります。ただし、これも「予定されたもの」です。大会前に地区委員会から発言して欲しい党員(支部長などが多い)に打診があります。「成功した活動例」を全党の教訓とするために、地区党の中で目立った活動をした支部からのポジティブなものが選択されているのです。上手くいっていない支部は、この報告に学んでいっそう奮起するように、との景気付けです。だから、失敗例とか支持されない話などは無いのです。

「このようにして赤旗を〇〇部増やしました」「選挙で○○と訴えたら、Aさんが投票してくれました」などと云う話ばかりです。党の大会決定、綱領に沿った党活動だけしか討議の議題にはなりません。共産党が、国家の安全保障、経済政策、福祉医療、外交などについて真剣に党内議論をしているものと、一般国民は思っているに違いありません。

地区委員会や都道府県委員会レベルでは、そういう高度な政治的議論は殆ど無い。中央委員会決定の徹底、選挙と組織運営、赤旗や党員をどうやって増やしていくか、その程度の話で汲々としているのです。天下国家の話というハイレベルの議論など聞いたことがありません。共産党の組織拡大しか頭にない。国民と国家など、視野の外ですから。

地区委員会から都道府県委員会、中央委員会は、ほぼ同じようなものです。都道府県委員会の役員も、都道府県党大会で、常任委員会から新しい都道府県委員の「候補名簿」が配布され、承認の為の「選挙」が行われるだけです。民主主義が聞いて呆れる。中央委員会の党大会で、代議員の発言が「しんぶん赤旗」に掲載されます。私が知っている限り、国家国民のために党がどういう政策を打ち出すべきか、などの堂々とした話は読んだことがありません。

役員は上部組織が決める、党の方針は中央委員会の最高幹部たちが決める。上から下に向かって作られているのが、共産党の組織です。党内に、普通の人が考えるような民主主義と自由はありません。その党が、民主主義と自由を守る、平和を守る、憲法を守る、弱者の立場に立つ、などと放言しているのは、何とも滑稽であり欺瞞でしかありません。

蛇足になりますが、地区委員会以上の機関には「専従職員」がいます。地区なら数人から、中央委員会は数百人規模でしょうか。彼らの給料の安さは半端ではありません。おそらく大学出のサラリーマンと比較して、その50から60パーセント程度ではないかと推測します。とくに地区委員会レベルでは極度に安い。遅配などしょっちゅうらしいです。

生活がおぼつかないので、夫婦共働きが普通ではないでしょうか。私が知っている共産党員が「食っていけないから、党に頼んで妻を勤医協の事務に雇ってもらった」と云っていました。民医連・勤医協は共産党の隠れ蓑であるだけでなく、党専従職員や民青(共産党の青年組織)専従の天下り団体でもあります。お互いに利用し合っているわけです。

2015/10/19 共産党は嘘つきである(4)
札幌は、イチョウが黄色く色付き始めました。もう少ししたらピークを迎えます。イチョウの黄葉で北海道の紅葉は最盛期となり、雪を待つ晩秋から初冬に入ります。一日、一日、寒さが厳しくなっています。

つい先日、共産党の志位委員長が「国民連合政府」の樹立に関連して、「日米安全保障条約を認める。有事の際には米軍の出動を依頼することもある。急迫不正の事態には自衛隊を活用するのは当然」(15日、記者会見での発言)などと表明したそうです。安保法制を破棄する「連合政府」を作った場合の、共産党の立場だそうです。

第一回目の記事で、私は「共産党のご都合主義だ」と批判しました。というのも、1970年代に「民主連合政府」の樹立を掲げて、同じようなことを主張していたからです。志位委員長の見解は、共産党の綱領や政治方針とはまったく異なるものです。自己矛盾を感じないのでしょうか。心底、不思議です。政権に有り付く為なら手段は選ばず、なのです。

共産党の目指すものは、革命です。現在の憲法を、本当は否定しています。例えば、天皇と皇室については、「民主化の不徹底」として、将来「廃止」する方針です。考えてみてください。同党は、「憲法を守る護憲政党」だと云っている筈です。ところが、現憲法に書いてあることを否定する改憲勢力です。これが正体なのです。嘘つきですよ。

綱領では、社会主義・共産主義の実現を高々と掲げています。自衛隊と公安調査庁の廃止、日米安全保障条約の廃棄、資本の社会化(私有財産の全面否定)、などなど。いくら「当面の連合政府向け政策」であっても、日米安全保障条約を認め、自衛隊も活用するとは、虫が良すぎるとは云えませんか。そこまでして選挙に勝ちたいのですか・・。

本音では、共産党のイデオロギーや社会主義革命が国民に受け入れられないことを、知っているのではないでしょうか。にもかかわらず、古くさい共産主義を捨て去ることが出来ず、自らの夢に陶酔しているのです。個人的な趣味なら誰にも迷惑はかかりませんが、こと国家の安全保障と国民生活に直結するのが政治です。私たちにとってははた迷惑なこと、極まりありません。共産党が心から国家・国民を思うのなら、自民党とも会話をしてみては如何ですか。

2015/11/9 共産党は嘘つきである(5)
霜月も半ばになりました。札幌は、いつ降雪があっても不思議ではない気温になりつつあります。寒いです。

共産党の最大の特徴は、現実としっかり向かい合うことが出来ず、イデオロギーから物事を判断することです。思考回路が演繹なのです。演繹を大辞林で調べてみますと、「諸前提から論理の規則にしたがって必然的に結論を導き出すこと」と書いてあります。共産党は、マルクス主義という諸前提が絶対で、その論理に従った方針を立てるのです。

人類の歴史が、「原始共同社会、奴隷制、封建制、資本主義社会、社会主義・共産主義社会と変化するのは必然」と今でも信じているのです。昨日NHKスペシャルで「縄文・奇跡の大集落」という番組を放送しました。縄文文化は、一般的に世界の四大文明と云われてきた諸文明よりも早く、土器の制作と使用を始めました。青森県の三内丸山遺跡では、クリの計画栽培をし、巨大な木造建築物を作り、数百人規模の人々が暮らし、計画的な街作りをし、長期の安定した社会を作りました。とくに土器の実用性を超えるデザイン、土偶の神秘性、ヨーロッパ人でも心引かれるようです。

その後、日本社会は弥生時代にスムーズに移行し、神武天皇が橿原で即位し、大和という国家が誕生します。その後大和朝廷の政権が続きますが、一度たりとも奴隷制社会にはなっていません。やがて武士の社会に移行。鎌倉幕府、戦国時代を経て、徳川幕府という安定政権が誕生します。典型的な封建制社会のもと、日本の文化は豊かに発展します。

日本社会の歴史を振り返るだけで、マルクス主義イデオロギーが破綻しているのは明らかです。しかし、しかし、それでも共産党はマルクス主義という教義(宗教)を捨てる気持ちはないようです。国民連合政府とか民主連合政府を利用して、やがては社会主義革命を実行するという夢を抱き続け、かつ政治方針として断固主張しているのですから。

共産党は、1922年の創立以来「帝国主義戦争反対、絶対主義的天皇制反対、平和と民主主義」を掲げて国民の先頭に立ち果敢に闘ってきた、と党史などで自画自賛しています。私は、はてな事実と違うのではないか、と思います。共産党はコミンテルン日本支部として立ち上がったものの、特別高等警察の取り締まりで、組織は事実上壊滅します。

捕まった共産党員たちは、思想転向するものが多く出ました。非転向の党員たち、例えば宮本顕治のような人は、逮捕・収監されて日本が敗戦に至るまで優雅(当時としては)な生活を送ります。徴兵され戦死の心配もなかったのです。特高警察は悪の権化であるかのように言われますが、日本の共産主義革命を防いだという、功績は評価するべきです。

治安維持法と特高警察は、今の価値観からは反民主的と言われます。しかし、当時の社会状況を無視して評価するべきではありません。特高警察は、共産主義から日本を守るのが本来の役目なのに、綴り方を研究していた真面目な先生方や大本教などの新興宗教にまで弾圧の手を広げてしまいました。帝国憲法の趣旨にも反する違憲行為です。この点は明確に言っておかなければ、公平さを欠くというものです。軍部もそうですが、官僚化していたのでしょうね。

話を元に。共産党は、マルクス主義という教義から物事を解釈しますから、現実分析では自分たちの思想に合うものしか見えません。教義を証明する、教義に合致する事実だけを恣意的に拾い上げます。日本の安全保障について、彼らはどれほど真剣に考えているでしょうか。ロシア、中国、北朝鮮までもが核兵器を持って、日本をぐるりと取り囲んでいるのです。この事実をどう見るのか。日本の防衛力が不足していると判断すれば、領土を盗りに来るでしょう。

30年前と比べると、軍事バランスが著しく崩れているのが分からないのでしょうね。分かろうとすらしない。安保法制に反対というのなら、共産党の安全保障政策を明確にして下さい。「対話で」などとは、冗談がきつ過ぎます。

2015/11/9 共産党は嘘つきである(6)
上記の続きです。思想・イデオロギーに絶対的価値基準を置くと、政治や経済のみならず、文化の面でも歪んだ発想に転落するものです。私は写真家ですから、その経験から、ひとつ記憶に焼き付いていることを書いてみます。

日本リアリズム写真集団(JRP)という団体があります。1963年創立。ちょうど「60年安保」の直後です。岸内閣を倒して、革新(革命)運動が盛んになっていく時代です。写真界では、土門拳、木村伊兵衛、田村茂らのリアリズム写真が写真界の先頭を切っていました。アメリカが、北ベトナムへの爆撃を開始したのが1965年。イタイイタイ病など、全国で環境汚染と「公害」が問題となっていました。京都を始め、全国で「革新自治体」が生まれていきます。

この団体は、そういう時代背景で結成されますが、実態は共産党の文化部門と言った方がよろしい。私は「70年安保」世代ですから、リアリズム写真集団に惹かれていったのは自然なことでした。大学を卒業して数年経ってから入会しました。主要なメンバーと運営者たちが大半共産党員だと知ったのは、少し経ってからですが。

この団体の組織は、共産党とよく似ています。本部は東京。各都道府県と主要な都市に支部が置かれます。三人以上で支部結成になるのは、共産党そっくりです。毎月「支部例会」を開いて、作品の講評をします。それは善い。評価をする基準が、「何の目的で、何を訴えるのか、その社会的意義は」などの観念的な議論が中心になり勝ちでした。

素直に、綺麗なものを綺麗と言えない。某かの撮影意図と意義を問いただしたり、問われたり。政治臭さが漂った雰囲気になったものです。風景や動植物の写真は、軽く見られる傾向がありました。ドキュメンタリー、政治問題、戦場、公害、原発などが高く評価される傾向が強かったですね。私自身は、段々違和感を感じるようになっていました。

あるとき、北海道にもよく来ていた大幹部と話しをしていたときのことです。その幹部が、ある人の作品を評価しながら「彼は共産党に入っていないから、突っ込みの足りない写真になっているのじゃないか」と言ったのです。流石に、私は唖然としました。その言葉にはまったく同調する気持ちにはなれず、思想を問題にすることに反発しました。

これこそ、写真という芸術表現さえも、「演繹」的な発想でしか捉えられないマルクス主義者(共産党)の歪んだ精神構造ではないかと思います。沢山の無限の事実があります。それらに優劣や善悪はありません。しかし、芸術表現にさえもイデオロギーという絶対基準を持ち込み、作品の「創作と評価」を圧迫束縛して平然としているのです。

まるで旧ソ連、「中華人民共和国」、北朝鮮と同じではないですか。文化に全体主義を持ち込んで、何も疑問に思わない。そういう人たちが共産党です。口では自由、民主主義、人権、平和を叫びながら、やっていることは全く逆のことです。だから、共産党は嘘つきだというのです。後に、私はこの団体から足を洗ったのは言うまでもありません。

■2015/11/20 旅に出てきます
突然ですが、旅をしてきます。紅葉を観たいと思い、予約のホテルも取れたので、二人で出かけます。詳しい報告は、帰ってからここに書かせていただきます。風邪には注意して。昨年長崎で酷い目にあったので、今年は何も無いように願っています。ただ今、集合住宅の改装中でもあり、私たちは此処にいない方が良さそうです。

■2015/12/7 帰ってきました
11月29日、京都から帰って来ました。予想通りに激しい人波に押されながらの寺社見学となりました。今年の京都は、あまり紅葉に冴えが無い。どこかボヤーッとした印象でした。美味しい京都の懐石料理を頂き、おおむね満足な旅となりました。我が家は、ただ今リフォームの最終段階にあります。私たちが居ない間に急ピッチで工事が進みました。

が、まだ最後の作業に二、三日かかりそうです。荷物がバラバラで、何処に何が在るか、まったく不明。常用しているデスクトップパソコンも稼働していない状況です。旅の報告をしたいのですが、家の中が一段落するまで、ご猶予をお願いいたします。家の中が新築みたいになり、気持ちがわくわくします。いやいや、年末が迫って来る・・。

■2015/12/28 京都、旅の報告
旅から戻り、早一ヶ月です。それどころか、もう平成27年が終わろうとしています。月日の流れは、年々早い。

今回の京都では、欲張らない、無理をしない、生活リズムを崩さない、しっかり食べる、この四点を厳守しました。もちろん旅そのものが非日常ですから、疲れはしましたが、クタクタになるほどのこともなく無事に帰宅しました。

京都に入ったのは、11月22日の午後です。近鉄名店街「みやこみち」のお蕎麦屋さんで昼食。うどんも出してくれるので、奥さまは大喜びです。ホテルにチェックインするにはまだまだ早いので、駅近くの東寺を訪ねました。

秋期特別公開で、幸に宝物殿を見られました。圧倒されるのは千手観音像です。高さ6mもあるとのこと。三体の笑う如来像があります。お顔がとても大きく、私は不覚にも小さく笑ってしまいました。威厳のある如来像が一般的ですけれど、こちらは親しみを感じるし、仏様の慈悲の心を余すところなく表現されていて、私の好みの仏像です。

金堂には、薬師如来様が月光、日光両菩薩様を従えてどっしりと鎮座しています。光背も素晴らしく、合掌して深々と頭を垂れておりました。五重塔は、近くに寄ればその大きさに口があんぐりとなります。高さ55mとのこと。未だかつて倒壊した記録がないそうです。西日があたり、塔に赤みが差して微妙な陰影が出来ます。しばし眺めていました。

二日目は、広隆寺へ。近くには東映の映画村があります。このお寺を訪ねた訳は、ただ一つ。弥勒菩薩半跏思惟像にお会いするためです。霊宝殿に入る。この中には、四十八体もの仏様がおられます。まさに宝の山といって善いでしょう。半跏思惟像は、奥の中央に静かにおいでになります。像高約123cmと小柄です。しかも、体が女性のように細身ですから、目立たないとも言えます。丁寧に合掌して、仏様と向き合いました。感激と感動で、言葉になりません。

五月に奈良の中宮寺で弥勒菩薩半跏思惟像に始めてお会いして以来、私の心を離れないのです。中宮寺の仏様も素晴らしいのですが、光背を背にしない広隆寺の半跏思惟像は、より一層優しさ、微笑みの不思議さを感じます。飛鳥時代の作品らしく、制作過程の詳細な事実は判明していないとのこと。慈悲の心が形になると、こうなるのですね。

さて、広隆寺の斜め向かいに「大映通り」があります。かつて映画撮影が盛んだった頃には、有名な俳優さんたちがお昼ご飯を食べに闊歩していたそうです。今は、正直閑散とした印象です。私たちは、敢えてそこで昼食を摂ろうと決めました。「手打ちうどん ほそ井」という小さな店があります。ご夫婦で経営されています。小麦粉は日本産、だし汁に独自の工夫を凝らしています。塩分は普通の半分に抑え、だし汁の味で濃厚さを感じさせています。

うどん好きの奥さまは、今日も大喜び。天ぷらうどん定食を美味い美味いと言いながら、完食です。汁を飲みたそうにしていたけれど、透析をしている体です。欲望を必死に抑えておりました。ちょっと可愛そうです。

三日目は、観光タクシーを頼み、嵐山から高雄方面まで行ってみました。運転大好き、案内大好きという面白い運転手さんが案内役です。桂川に架かる渡月橋は有名です。ご存じの方が多いかと思います。車が交差して走るのは到底無理な幅です。案の定、橋の上は観光客が肩も触れ合わんばかりにゾロゾロ歩いています。運転手さんは「観光タクシーだけは、この橋の通行が許可されている。私は渡りますから」と言うなり、グイとハンドルを切って橋に乗り入れる。

まさに「殿のお通りじゃ、下がれ下がれ」という時代劇そのものの行為です。私たちは後部座席から周囲の風景を眺めていますが、橋上の観光の人たちは「何だ、こんな狭いところを。お前ら非常識ではないか」という表情で、タクシー内の私たちを覗き込んだり、睨んだりする人がいました。いやはや、誠に申し訳ありませんが、お許しを。

映画のロケに使われたり、観光案内番組で紹介される「竹林」も通りました。見事なものです。彼方此方に竹林はありますが、あれだけ絵になる綺麗なものは見たことがありません。「絶対観たい」と言っていた奥さまは、大感動です。途中で車を降りて、運転手さんが「少し歩いてみてください。空気が綺麗で体調が善くなりますよ」と仰る。言われたとおり、空に向かって高々と伸び上がる竹林内は酸素がたっぷりで、心のゴミまで取れそうです。来て、善かった。

高雄の神護寺まで行ってみましたが、此の一帯はすでに紅葉の季節は過ぎていました。高地に登ってきたので、気温も低く、ひどく寒い。神護寺参詣は諦めて、市内に戻る。昼食は、京料理です。運転手さんが個人的に知っている店らしく、観光案内書には載っていないと思う。前菜からデザートまで、九品が次々と運ばれてくる。六品目に鍋が来た。これを食べ終わったところで、私たちのお腹は「もう限界です」と言っている。でも、まだ来る。元々意地汚い性格だから、無理に無理を重ねて、口に放り込んでいく。全コースが終了したら、そのまま寝てしまいたくなりました。

まだ観光は終わらない。運転手さんは、「絶対お薦めなのが、永観堂です。これから行きますから」と言うので、ただ従うのみ。拝観料を払い、境内へ。なるほど京都市内では最善と言えるほどの紅葉風景であります。ただし、人人人、人が津波のように途切れることなく続いています。中庭の池周辺が素晴らしい。しばし燃える色の鮮やかさに見とれる場所がありました。周りの雑音さえ気にしない境地になれば、これほどの場所は少ないのではないか。

その他、左京区聖護院にある八つ橋本店、御金神社など印象に残る場所を訪ねることができました。やや疲労あり。今年の京都は、暖秋で紅葉が善くない、とどの運転手さんも仰っていました。確かに色が薄らぼんやりしているかな。

四日目は、静かな寺でゆっくりしたいと思いました。建仁寺を選択。臨済宗のお寺で、紅葉で有名なところではないので人は少ないだろうと予想。行ってみて、大当たり。静かなお寺です。観るものは豊富です。拝観者に開放されている場所は全て撮影可能なのもびっくりしました。法堂(ほっとう)の天井画「双龍図」は一見の価値あり。平成十四年、小泉淳作。風神雷神図屏風は複製品にもかかわらず、やはり観てよかったと思います。庭も素晴らしいです。

五日目は、天台宗真如堂へ。観光客は居るには居るが、境内の静かさを壊すほどではなく、私たちもゆっくりと観て歩けました。門を潜ると、三重の塔があります。これが善い。東寺の巨大で風格たっぷりの塔とは違う性格です。威圧感が全く無く、直ぐ側に歩いて行き、軽く見上げるのに丁度よいのです。手で撫でたくなるような優しさがあります。

さらに、三重の塔の周囲にはモミジが植えられていて、紅くなったモミジの葉と塔のバランスが美しいですね。何でも大きければ善いというものではない、そう感じました。境内の茶店で頂いた暖かい甘酒が、体を温めてくれました。

午後は、東福寺。紅葉で有名なお寺です。混んでいるだろうとの予想は、ピタリと当たりです。門から観光客がズラリと並んでいます。建物をゆっくりじっくり観ようと思っていましたが、人並みが途切れることなく、観る場所さえ無いのです。もう諦めました。取り合えず紅葉を眺め、通天橋という木製の歩廊橋が価値あるものだと確認しました。中国人の観光ツァーがバスで入り込んで来るので、混み合い方が尋常ではないのですね。仕方が無い。

京都最後の日。泉涌寺に行ってみることにする。昨日行った東福寺の隣です。こちらは、ある意味穴場かもしれません。殆どの観光客は東福寺で疲れ果てるはず。こちらまで足を延ばす人は少ないようです。御座所が見所です。京都御所にあった御里御殿を明治天皇が、此の地に移設したとのこと。皇族や侍従たちが使う部屋ですから、一部屋一部屋がそれぞれ特徴があり、気品があります。屏風、襖に描かれた絵は超一流の作品です。自然を描いたものが多いのですが、意味が込められていて、その部屋の使用目的ときちんと合っています。ぜひ観ていただきたいと思います。

天皇がお使いになる玉座の間は、一際いいですね。贅沢さではなく、品格の良さに感心します。御産の間というのがあります。皇后陛下がお使いになったというのですが、どんな風だったのでしょうか。想像力を働かせてみて下さい。この夜は、京都タワーの真上に満月の月がポカリと浮かんでいました。最後に善いものを見せて貰いました。

自宅に戻ったのは、29日でした。先に書きましたように、家のリフォーム中で、てんやわんや。旅の疲れを癒やす暇もあまり無く、今月10日までじっと我慢の日が続きました。依頼したのは私たちですから、骨を折って工事をしてくれた皆様に感謝しています。今は落ち着きを取り戻し、このようにパソコンに向かっています。快適になりました。

今年も間もなく終わり、新しい歳を迎えます。まだまだ世の中は騒々しいに違いありません。が、心の中には、清浄と安寧の場所を作りたいと思います。みな様、どうぞよい年末年始をお迎え下さい。



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