妻と私の同病カルテ(3) 戻る
■2014/1/16 遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。
年末に書き込んでから、早くも半月以上。寒の入りで、寒さの真っ最中ですね。札幌も寒いです。猫たちだけは、温々としている。
義母がついに一人暮らしできなくなったのを、昨年ご報告しました。クリスマスから年初にかけ、毎日義母の家に通い、様子を見ながら過ごしました。正月気分を味わう余裕はありませんでした。ケアマネジャーは年末から休みですし、どこにも相談するところが無く、私たちも精神疲労が積み重なってきました。あちこち探していたら、4日から外来を開始する病院を近くに見つけました。ほっとしました。
受診して事情を詳しく話したところ、直ぐに入院を勧められました。幸いベッドが一床空いていた。6日、入院。一人にしておけない状況だったので、感謝の極みです。慌ただしかったけれど、急いで入院の準備をして、吹雪の中病室に入った時は肩から大きな荷物を下ろしたような気持ちになりました。医師、看護師などの専門スタッフが常時近くに居るだけで安心感があります。
最初義母は、緊張しているのか、落ち着かない様子でした。しかし周囲がゆったりしているので、徐々に環境に慣れてきたようです。今日訪ねてみとる、本を読んだり、リハビリ室から貰った塗り絵をしたり、家庭に居た時の表情に近づいてきました。もう少し、というところ。これから認知症の進み具合を見ながら、この病院の療養病床に入るか、他の施設に移るか、ゆっくり検討することになりました。
この間は毎日毎日、私たちも緊張と不安でいっぱいでしたので、精神疲労が貯まりました。私も眠れない日が何日か続き、体調を崩しそうになっています。一昨日から軽い風邪気味です。昨年の肺炎を経験しているので、体を冷やさないように生姜糖を飲んだり、葛根湯を飲んだり、必死に抵抗力増進に努力しています。高熱が出たり、寝込むような症状はないので、このまま過ぎてくれるように祈っています。もう肺炎は、こりごりですから。
こんな切羽詰まった状況のなかでも、日本の現状について考えることもあります。ずっと日本の左翼を批判してきましたが、不思議なことに気付きました。元々左翼というのは、現状を激烈に変化させること、即ち革命的志向が強い人たちのことです。ところが日本の左翼は、「日本国憲法」を絶対不可侵の聖典として、これを守り通すことが使命だと信じているようです。これって、保守反動のする行為ではないのか。日本の左翼は、どこか変です。
マルクス主義思想の解明もしたいし、日本独特の左翼思想の可笑しさにも気づいてしまいました。今年は、これについても私の私見をここに書き散らして行こうかと、年頭にあたり考えています。今年も、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
■2014/1/26 その後の義母の様子
この数日間、雪が降らずに快適に過ごしました。今日は、朝から小雪が舞い、夕方には吹雪になっています。明日の朝は、除雪に追われそうです。北海道に住んでいるのですから、文句は云えない。私の風邪も、悪化しないでいます。外出から帰ると、必ずうがいと手洗いを徹底しています。その他体調をみながら、葛根湯を飲んだり、ショウガを食べたりと、注意を続けています。
義母の様子です。病院生活には、かなり順応したようです。認知症は、急激な進行は止まったようですが、少しずつ前へ進んでいるように感じます。「退院して新しい家が見つかったら、またデイケアに通いたい」「私は、身の回りの事は全部自分で出来ているから」「 高齢者住宅は、入る時に二千万円くらいかかるらしいよ」などと言っています。
入院する前には「もう一人暮らしは無理だから」と言っていたのに、退院したら元のような生活に戻りたいという気持ちが湧いてくるようなのです。病院にいると、食事、洗濯、掃除といった家事の基本的なことは全てスタッフがやってくれているという事実を忘れてしまうらしいです。足が悪く自立歩行が出来ず、認知症にもなっているのに・・。私たちは、黙って聞いているしかない。
そんな母の姿を見ているみちこが、とても辛そうです。自分の体の管理もしなければならないし、母の処遇について早急に結論を出さなければ、気持ちが不安になります。精神的に参っているようです。現状の義母の状態から判断すれば、グループホームしかないかな、と考えています。病院の相談員の協力を得て、入居できる施設を出来るだけ早く探すつもりです。
■2014/1/26 日本共産党を考える(1)
マルクス主義とはどういう思想なのか、どのように説明しようか、ずっと悩んでいました。というのも、マルクス主義批判は世界中で行われ、実践的にも破綻したものなので、今更私如きがあれこれ能書きを垂れる必要はないのです。にもかかわらず一言述べなければならないとの思いは強く、何をどのように語ればよいのか頭の中を整理できなかったのです。
学者ではないし、抽象論議をしても不正確になりますし、現実的な話なら私にも出来そうだと思いました。それに日本の具体的な話題でなければ、よほどの物好き以外は読む気にもならないでしょう。で、日本共産党という誰でも知っている政党の姿を取り上げるのが最も的を射たものになるに違いないと判断しました。まずは、日本共産党の「綱領」を読んでみてください。
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一、戦前の日本社会と日本共産党
(一)日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ、日本と世界の人民の解放闘争の高まりのなかで、一九二二年七月一五日、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として、創立された。
当時の日本は、世界の主要な独占資本主義国の一つになってはいたが、国を統治する全権限を天皇が握る専制政治(絶対主義的天皇制)がしかれ、国民から権利と自由を奪うとともに、農村では重い小作料で耕作農民をしめつける半封建的な地主制度が支配し、独占資本主義も労働者の無権利と過酷な搾取を特徴としていた。この体制のもと、日本は、アジアで唯一の帝国主義国として、アジア諸国にたいする侵略と戦争の道を進んでいた。
党は、この状況を打破して、まず平和で民主的な日本をつくりあげる民主主義革命を実現することを当面の任務とし、ついで社会主義革命に進むという方針のもとに活動した。
(二)党は、日本国民を無権利状態においてきた天皇制の専制支配を倒し、主権在民、国民の自由と人権をかちとるためにたたかった。
党は、半封建的な地主制度をなくし、土地を農民に解放するためにたたかった。
党は、とりわけ過酷な搾取によって苦しめられていた労働者階級の生活の根本的な改善、すべての勤労者、知識人、女性、青年の権利と生活の向上のためにたたかった。
党は、進歩的、民主的、革命的な文化の創造と普及のためにたたかった。
党は、ロシア革命と中国革命にたいする日本帝国主義の干渉戦争、中国にたいする侵略戦争に反対し、世界とアジアの平和のためにたたかった。
党は、日本帝国主義の植民地であった朝鮮、台湾の解放と、アジアの植民地・半植民地諸民族の完全独立を支持してたたかった。
(三)日本帝国主義は、一九三一年、中国の東北部への侵略戦争を、一九三七年には中国への全面侵略戦争を開始して、第二次世界大戦に道を開く最初の侵略国家となった。一九四〇年、ヨーロッパにおけるドイツ、イタリアのファシズム国家と軍事同盟を結成し、一九四一年には、中国侵略の戦争をアジア・太平洋全域に拡大して、第二次世界大戦の推進者となった。
帝国主義戦争と天皇制権力の暴圧によって、国民は苦難を強いられた。党の活動には重大な困難があり、つまずきも起こったが、多くの日本共産党員は、迫害や投獄に屈することなく、さまざまな裏切りともたたかい、党の旗を守って活動した。このたたかいで少なからぬ党員が弾圧のため生命を奪われた。
他のすべての政党が侵略と戦争、反動の流れに合流するなかで、日本共産党が平和と民主主義の旗を掲げて不屈にたたかい続けたことは、日本の平和と民主主義の事業にとって不滅の意義をもった。
侵略戦争は、二千万人をこえるアジア諸国民と三百万人をこえる日本国民の生命を奪った。この戦争のなかで、沖縄は地上戦の戦場となり、日本本土も全土にわたる空襲で多くの地方が焦土となった。一九四五年八月には、アメリカ軍によって広島、長崎に世界最初の原爆が投下され、その犠牲者は二十数万人にのぼり(同年末までの人数)、日本国民は、核兵器の惨害をその歴史に刻み込んだ被爆国民となった。
ファシズムと軍国主義の日独伊三国同盟が世界的に敗退するなかで、一九四五年八月、日本帝国主義は敗北し、日本政府はポツダム宣言を受諾した。反ファッショ連合国によるこの宣言は、軍国主義の除去と民主主義の確立を基本的な内容としたもので、日本の国民が進むべき道は、平和で民主的な日本の実現にこそあることを示した。これは、党が不屈に掲げてきた方針が基本的に正しかったことを、証明したものであった。
五、社会主義・共産主義の社会をめざして
(一五)日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる。これまでの世界では、資本主義時代の高度な経済的・社会的な達成を踏まえて、社会主義的変革に本格的に取り組んだ経験はなかった。発達した資本主義の国での社会主義・共産主義への前進をめざす取り組みは、二一世紀の新しい世界史的な課題である。
社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である。社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される。
生産手段の社会化は、人間による人間の搾取を廃止し、すべての人間の生活を向上させ、社会から貧困をなくすとともに、労働時間の抜本的な短縮を可能にし、社会のすべての構成員の人間的発達を保障する土台をつくりだす。
生産手段の社会化は、生産と経済の推進力を資本の利潤追求から社会および社会の構成員の物質的精神的な生活の発展に移し、経済の計画的な運営によって、くりかえしの不況を取り除き、環境破壊や社会的格差の拡大などへの有効な規制を可能にする。
生産手段の社会化は、経済を利潤第一主義の狭い枠組みから解放することによって、人間社会を支える物質的生産力の新たな飛躍的な発展の条件をつくりだす。
社会主義・共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる。「搾取の自由」は制限され、改革の前進のなかで廃止をめざす。搾取の廃止によって、人間が、ほんとうの意味で、社会の主人公となる道が開かれ、「国民が主人公」という民主主義の理念は、政治・経済・文化・社会の全体にわたって、社会的な現実となる。
さまざまな思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される。「社会主義」の名のもとに、特定の政党に「指導」政党としての特権を与えたり、特定の世界観を「国定の哲学」と意義づけたりすることは、日本における社会主義の道とは無縁であり、きびしくしりぞけられる。
社会主義・共産主義の社会がさらに高度な発展をとげ、搾取や抑圧を知らない世代が多数を占めるようになったとき、原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会への本格的な展望が開かれる。
人類は、こうして、本当の意味で人間的な生存と生活の諸条件をかちとり、人類史の新しい発展段階に足を踏み出すことになる。
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日本共産党の歴史観と将来の日本をどのような道に引きずり込もうとしているのかを明確に書いてあります。綱領全体は非常に長い文章なので、核心部分だけを抜き出しました。全文をお読みになりたい人は、共産党のホームページにありますので、熟読していただきたいと思います。次回からは、上記文章を中心に私の見解を書き続けるつもりです。
■2014/1/31 日本共産党を考える(2)
今日で一月が終わりです。義母への対応と除雪で、あっという間に一ヶ月が過ぎようとしています。充実しているのかしていないのか、不思議な感覚です。毎日某かの行動をしているのですが、何をやり遂げたのか、全く実感が無いですね。疲れは感じる。みちこの味覚障害は、薬を変えてみましたが、大きな改善はない。最初に使っていた薬の方が合っているかも。
日本共産党「綱領」の批判を一歩一歩始めます。まずは、以下の部分から。
「当時の日本は、世界の主要な独占資本主義国の一つになってはいたが、国を統治する全権限を天皇が握る専制政治(絶対主義的天皇制)がしかれ、国民から権利と自由を奪うとともに、農村では重い小作料で耕作農民をしめつける半封建的な地主制度が支配し、独占資本主義も労働者の無権利と過酷な搾取を特徴としていた。この体制のもと、日本は、アジアで唯一の帝国主義国として、アジア諸国にたいする侵略と戦争の道を進んでいた。」
当時というのは、戦争前という意味でしょうね。「絶対主義的天皇制がしかれ」と言いますが、現在のまともな歴史家や政治研究家なら絶対にこんな言葉は使わないでしょう。一刀両断にすれば、大間違いです。当時は旧憲法があり、日本は立憲君主制の国でした。今と同じように、国会があり、選挙があり、内閣が機能していました。天皇が全権力を握っていたなどというのは事実に反します。内閣は天皇を輔弼する役目を持ち、天皇は内閣と議会が決めたことにノーとは云いませんでした。
「国民から権利と自由を奪う」というのも、嘘です。大正デモクラシーから昭和にかけては、新聞の報道、政治家の民主化運動などが大いに盛り上がった時代です。だからこそマルクス主義思想が日本に雪崩れ込んで来たし、日本共産党が結成されたのです。国民に政府を批判する自由はありましたし、軍隊の青年将校さえも反政府クーデターを起こしたほどなのですから。
地主制度があり、小作農民が貧しい生活を強いられていたのは事実です。労働者は無権利で過酷な搾取を受けていた、という
論も話半分に受け止めていた方がよいでしょう。国民全体が無権利で、過酷な搾取を受けていたのなら、どうして大正デモクラシーのよう風潮が巻き起こるでしょうか。小説、絵画、音楽、学問など文化面でも、さまざまな活発な動きがありました。
アジア諸国にたいする侵略戦争への道を歩んだ、というのも如何なものか。そうではなくて、当時の日本は西欧列強から自国を防衛することに必死でした。地政学的な事情から、やむなく朝鮮併合(1910年)、満州国建国などを推し進めました。これはロシアやソ連から日本を守るために、当時としては当然の行動だったのです。正しいとか正しくないとかの次元ではありません。
明治維新から大東亜戦争に至る過程で、日本はどんな世界環境に置かれていたのかを、歴史を遡りその現場に視点を置いて理解しなければなりません。現在の論理、思想で判断しては真に歴史を理解したことにはなりません。日本共産党は、そうした基本的な観点がすっぽりと抜け落ちているのです。紋切り型の歴史判定と嘘で、時代を塗り固めることにしかなりません。
最大の欠点は、「日本がどんな国柄なのか」について、まったく触れようともしないことです。日本は神話を持った、おそらく世界で唯一の国です。神話から神武天皇につながり、それが絶えることなく連続しています。そうした日本建国以来の歴史や文化については、日本共産党はまったく関心が無いようです。こんな政党に、日本民族の未来を託すことは絶対に出来ません。
自由民主党の綱領には、まことに不十分ではありますが、以下のように書かれています。
「我々は、日本国及び国民統合の象徴である天皇陛下のもと、今日の平和な日本を築きあげてきた。我々は元来、勤勉を美徳とし、他人に頼らず自立を誇りとする国民である。努力する機会や能力に恵まれぬ人たちを温かく包み込む家族や地域社会の絆を持った国民である。」
共産党の綱領には、このような日本民族と国家への暖かみのある文言が一つも入っていません。
彼らは、日本が大嫌いであり、隙さえあれば革命を成就することを狙っているのです。日本が中国の一部になることにを願っているのでしょう。
■2014/2/19 みちこ、北大と呼吸器内科受診
先日、北大の神経科に行って来ました。前回処方された薬が、全く効果無く、三週間ばかり不調の日が多かったのです。今回は、今まで使用した薬で最も副作用が少なくて効果があったと思われるリボトリールを再開し、さらにテグレトールを追加しました。服用した翌日の朝は、口の中から耐えられないよう変な味は無くなったとのことです。食事も抵抗感が減りました。
この組み合わせが上手くいってくれればありがたいのですが。まだ期待しています。食事の苦痛から解放されるだけでも好い。元の健康だった時には戻れなくて、不愉快と苦痛がなくなれば、食べる楽しみと生きる喜びを感じられます。
呼吸器内科も受診しました。今回はCTの画像を撮りました。ドクターによると、昨年の8月と比較すると腫瘍部が1cmほど大きくなっている。内部にあった空洞は完全に消失している。胸壁が僅かながら厚くなっているよう見える。右肺葉部に小さな影がある。これが何であるか、画像だけでは断定出来ない。痰があるのかも知れませんし・・。腫瘍が異常細胞であるのは間違いないが、はっきり癌細胞と断定された訳でもない。また痰の採取をして、中の細胞検査をします。出たときに、提出して欲しい。
腫瘍が少しずつ大きくなっていることに、みちこは「いよいよかも知れない」と云います。現時点では、これと云ってはっきりした癌による症状は見られないし、体調に異変があるわけではない。ドクターも、もうしばらく様子を見ましょう、との見解でした。
高齢の母親が、昨年のクリスマスから痴呆症状が現れ、一人暮らしが出来なくなっています。今は病院に入院しているので、日常生活に不安はありませんが、施設に移ることも含めて今後の生活環境を決定しなければなりません。心配事が耐えないので、みちこは自分の病気と先行き(身の処し方)だけを考えていれば好いという事にならない。辛い時間が暫く続きそうです。
■2014/2/19 日本共産党を考える(3)
今回は、共産党綱領の以下の部分について
「 (三)日本帝国主義は、一九三一年、中国の東北部への侵略戦争を、一九三七年には中国への全面侵略戦争を開始して、第二次世界大戦に道を開く最初の侵略国家となった。一九四〇年、ヨーロッパにおけるドイツ、イタリアのファシズム国家と軍事同盟を結成し、一九四一年には、中国侵略の戦争をアジア・太平洋全域に拡大して、第二次世界大戦の推進者となった。」
「一九三一年、中国東北部への侵略戦争」とあります。侵略戦争と、随分乱暴な決めつけをしていますけれど、当時の時代背景から云えば、侵略とは違う次元ではないか。そもそも満州は清朝を建国した満州族の故地であり、中国の歴史的領土ではありません。また、日ロ戦争で南満州の権益は日本に譲られており、清朝も世界も承認していたのです。当時の満州全域を統治する権力は存在せず、軍閥、匪賊、山賊の類いが各地に跳梁跋扈して、日本人が多くの被害に遭っていたのです。
一つは日本人居留民の生命、財産、安全を守ることが必要だったこと。二つには、清朝最後の皇帝溥儀(ふぎ)が、故国に満州族の国家建設を望んで、日本に助力を求めていたこと。最後に、日本軍の暴走、独断専行があったこと。当時の関東軍参謀・石原莞爾
が政府の意思を無視して軍事行動を展開し、張学良を追放。溥儀を皇帝に据え、三二年満州国の建国を宣言しました。
こうした幾つかの理由が重なって、満州事変から関東軍の満州制圧、満州国の建国へと進んだのです。が、当時の時代背景からは、日本の居留民を守るための軍事行動は決して侵略ではありません。ヨーロッパ諸国もアジアなど世界中で同様の事をしていたので、特別日本だけが「悪いこと」をしたとは云えません。自国民保護を名目に軍事進出して、そのまま現地に居座るのは、むしろ欧米各国の得意技でした。例えばアメリカは、ハイチ占領、ハワイ併合、フィリピン強奪など、堂々と侵略しています。
少なくとも日本は、関東軍(陸軍)の暴走があったとは云え、満州を独立国にしました。そして、
独立国家として立派な国にしようと、この地に渡った日本人は真剣に努力したことを否定してはならないと思います。植民地だとは、考えてもいませんでした。
私の個人的な意見です。満州事変から満州国の建国、そして満州国を豊かな国にしようと働いた日本の行為を、私は「日本の侵略、植民地化だ」などとは思えません。しかしながら、この関東軍の行動は、当時の感覚・世界情勢から云っても、間違いだったと云わざるを得ません。何故なら、この後日本は西欧諸国と無用の対立を起こし、泥沼の日中戦争に引きずり込まれ、遂には大東亜戦争(太平洋戦争)に突入していくのです。満州問題を起こしたのは、軍部の世界情勢を見ない無謀な行動でした。
共産党は「
一九四一年には、中国侵略の戦争をアジア・太平洋全域に拡大して、第二次世界大戦の推進者となった。」と述べています。これは、まったくの嘘です。第二次世界大戦の真の推進者は、ドイツとイギリスとアメリカです。日本は世界情勢を的確に捉える上での甘さ、とくにアメリカとソ連の陰謀を見抜く力がありませんでした。日本は寧ろ被害者と云っていいのではないか。
ルーズベルト米大統領の日本への石油全面禁輸は、日本にとって決定的なダメージでした。こうならないように、どうして政府一丸となって戦争を回避する行動がとれなかったのか。当時は、とくに陸軍が統帥権なるものを振りかざして、政府を牛耳り、反対意見を押しつぶし、事実上独裁的な行動をし、国内では全体主義的な体制を作っていきました。本当に悔しいです。
日本共産党の歴史観は、底の浅いものであり、私がここに書いたような事実や世界情勢の分析も考慮もなく、ひたすら日本を悪者にしているだけです。「日本は侵略国家だ」という歴史観が大前提にあるから、歴史の真のディテールが見えないのです。
■2014/2/24 日本共産党を考える(4)
何日も降り続いた雪が止み、昨日から気温が上がってきました。今日は、日差しの有る所でプラス3度です。
今回は、以下の部分について、考察してみます。
「 侵略戦争は、二千万人をこえるアジア諸国民と三百万人をこえる日本国民の生命を奪った。この戦争のなかで、沖縄は地上戦の戦場となり、日本本土も全土にわたる空襲で多くの地方が焦土となった。一九四五年八月には、アメリカ軍によって広島、長崎に世界最初の原爆が投下され、その犠牲者は二十数万人にのぼり(同年末までの人数)、日本国民は、核兵器の惨害をその歴史に刻み込んだ被爆国民となった。」
何度も云いますが、日本の戦争は善悪二元論で「侵略戦争」と片づけることには無理があります。この戦争で多くの人命が失われたのは事実です。戦争とは云え、誠に悲しいことです。特に第二次世界大戦は、非戦闘員である無辜の民が戦火に巻き込まれて命を失いました。戦争末期には、東京大空襲で10万人、広島と長崎への原爆投下で20万人、沖縄は地上戦が行われて日本人は19万人が死亡、内10万人近くが民間人と云われています。ヨーロッパ戦線での犠牲者数も酷いものでした。
共産党の認識は、こうした悲惨な犠牲を作ったのは全て日本の侵略戦争が原因だった、というものです。果たしてそうなのか。東京大空襲は、B29による計画的な焦土作戦でした。最初から非戦闘員である東京市民の殺害を意図したものだからです。広島と長崎への原爆投下も、すでに降伏準備に入っていた日本に、軍事的目的ではなく「核の実戦実験」を行ったのです。
アメリカは、ドイツ・ヒトラーのユダヤ人「ホロコースト」を批判する資格はあるのか。断じて無い、私はそう思います。アメリカは、日本人への人種差別観と東アジアにおける権益を確保するために日米戦争を画策し、実行したのです。日本人を永遠にアメリカに歯向かえない奴隷にするのが、彼らの最終目標でした。だからこそ、東京大空襲であり、原爆投下だったのです。
アメリカの行為は、国際法に照らして、論ずるまでもなく「違法であり、犯罪です」。彼らは自らの犯罪を正当化するために、日本が侵略国家であり、帝国主義の悪魔の国であるとしなければなりませでした。日本が侵略国家で悪者であれば、自国を正義の国、民主主義国家であると合理化できるからです。東京裁判は、それを「裁判」という形式を作って実行したに過ぎません。
日本共産党の歴史認識では、東京大空襲や原爆投下や沖縄での民間人殺害などをまったく批判もしない。こんな悲惨な結果の原因は侵略国家・帝国主義の日本が悪いという勧善懲悪でバッサリと切ってしまい、アメリカの腹黒さや裏の意図など全く理解していないのです。大東亜戦争の原因となった「石油の全面禁輸」「蒋介石への軍事援助」「ハルノート」などには、一言も触れていないのは、日本に戦争責任があり、アメリカは民主主義をもたらした解放軍という子供じみた認識しかないからです。
今は日米安全保障条約反対、沖縄から基地をなくせ、アメリカ言いなりの安倍政権、などと反米的なことを言っています。 それなら自由と民主主義のお手本で、日本を絶対主義的天皇制から解放したアメリカをもっと大歓迎しても好いのではないですか。
私は、反米主義者ではありません。ただし、東京大空襲と原爆投下は犯罪であり、許容できません。いつの日か、謝罪してもらいたいと思っています。1945年と比べ、現在は世界の情勢は大きく変わりました。東西冷戦が終わり、アメリカも絶対的な力が低下しています。アジアの情勢は風雲急を告げています。アメリカとは、過去のいきさつはあれども、友好国、同盟国としてお付き合いしていくのが、日本国家の選択肢でしょう。かといって、言いなりになることはありません。対等の付き合いをするのです。
■2014/2/26 日本共産党を考える(5)
連日暖かい日が続いて、雪解けが順調です。幹線道路は、路面が乾燥しています。やっと寒さの山を越えたようです。
今日は、以下の部分を検討します。
「
ファシズムと軍国主義の日独伊三国同盟が世界的に敗退するなかで、一九四五年八月、日本帝国主義は敗北し、日本政府はポツダム宣言を受諾した。反ファッショ連合国によるこの宣言は、軍国主義の除去と民主主義の確立を基本的な内容としたもので、日本の国民が進むべき道は、平和で民主的な日本の実現にこそあることを示した。これは、党が不屈に掲げてきた方針が基本的に正しかったことを、証明したものであった。」
反ファッショ連合軍とは何か。アメリカ、イギリス、ソ連、蒋介石政権などのことでしょうか。共産党の歴史観の可笑しいところは、第二次世界大戦を「ファシズムの枢軸国と民主主義の連合軍との戦い」と解釈していることです。これは、戦後に世界中で喧伝されたことで、戦勝国の一方的な理屈に過ぎません。とくに日本をドイツ・イタリアと同列に扱っているのは、歴史の事実をねじ曲げるものです。日本は軍部が内閣を牛耳り、全体主義的体制を作りましたが、ドイツのファシズムとは違います。
ドイツとイタリアはファシズム体制を築き、ヨーロッパ諸国を軍事侵略し、ナチによるユダヤ人大虐殺をやりました。日本が戦争に入ったのは、ドイツ・イタリアとは明らかに事情が異なります。日本は自己防衛のために立ち上がったのであり、他国を軍事侵略し他民族を虐殺するのが目的ではありませんでした。日本は、中国大陸で蒋介石と毛沢東(本当は、ソ連とコミンテルン)の陰謀で日中戦争に引きずり込まれ、アメリカからは経済封鎖・石油の全面禁輸を受けるなど、望まぬ戦争に踏み出さざるを得なくなってしまったのです。私は、日本とドイツを一緒にするな、と云いたい。
日本は、ひたすら石油が欲しかった。仏印に軍を送って、南方の石油を確保するしか道がなかった。それでもアメリカとの戦争回避のためにぎりぎりまで交渉を続けたのです。アメリカは、毛頭戦争回避の意思はなく、如何にして日本を追い詰めるかを考えました。最後通牒とも云える「ハル・ノート」を突きつけたのが、その結果です。中国大陸から全面撤退せよと迫られて、はい分かりました、と云えないのが当時の世界情勢だったのです。満州の権益を放棄すれば、日本の安全が危機に晒されました。
アメリカの目的は、大陸における独自の権益を確保したい、それには日本が邪魔である。さらに、日露戦争で日本が、世界最強のロシア海軍を破ったことに戦慄を覚えました。アメリカは「黄色いアジアの猿」が東アジアの覇者として立ち現れたことに、元来持っていた人種差別感覚が激しく沸騰しました。日本人移民への差別と弾圧をみれば、彼らの憎悪の深みが分かります。そして、密かに対日戦争のシナリオを研究し、その準備を着々と進めていたのです。日米戦争の本質は、アメリカの西への拡張主義と有色人種への蔑視がない交ぜになって、日本を粉々にしなければならないという悪意にあったと思います。
共産党は、アメリカ軍を始めとした連合軍を「民主主義の旗を掲げた解放者」と位置づけているようです。まったくもって欺瞞に溢れたアメリカ、イギリス、ソ連のプロパガンダをそのまま踏襲している、まことに情けない歴史観です。アメリカが本当に民主的な国であるなら、日本を占領したGHQがやったことを思い出してみると宜しいのです。神道禁止令、GHQの気に入らない書物の焚書坑儒、憲法の押しつけ、NHKを使って「日本が悪い戦争をし、アジアの人々を残虐に苦しめた」という嘘の放送を流し続けて日本人を洗脳したこと、公職追放、財閥解体、靖国神社の焼却計画、などなど。
極めつけは、「東京裁判」です。戦勝国が一方的に敗戦国を裁くなど、国際法上も許されるものではありません。判事は全て戦勝国側の人たちばかり。しかも、「人道への罪」などと、かつて何処にもあり得ない罪を創作して「A級戦犯」なるものをでっち上げました。戦争は、国と国の戦いです。個人に責任を負わせないというのが国際法の常識です。それを無視し、戦勝国側が絶対善であると勝手に宣言できるものではありません。また「敗戦国が絶対悪である」、そんな屁理屈も通るものではありません。戦争になるには、双方の国に言い分があります。そして、戦争の結果についても双方に責任があるのです。
戦争が終われば、戦勝国と敗戦国が生ずるだけであり、戦争についての善悪を決める事は出来ません。戦後の日本人、とくに左翼はこのことを理解しない。左翼の中の左翼である日本共産党には、こうした歴史の常識さえ分からないのです。
アメリカは民主主義国家のお手本で、日本を民主化したという認識を未だに持ち続ける日本共産党です。戦争で、日本を守るためにたくさんの若者が死にました。彼らの死を、共産党はどう理解しようとしているのか。靖国神社に祀られている英霊に、感謝の気持ちを持つことは出来ないのか。自国のために命を捧げた人々を、犯罪者扱いしか出来ない政党、それが共産党です。
■2014/3/24 義母がやっと新居に
1月から病院に入院していた
義母が、やっと新しい住処に移りました。三月二十日です。その後病状は急激に悪化することなく、比較的安定して推移していました。本人は、病院より「自分の家」に帰りたいという思いが強いので、私たちはグループホームという選択肢から方針変更しました。近くの介護サービス付き高齢者住宅(サ高住)を探しました。結果、見つかりました。
しかも、我が家から車で十分程度という近さです。
決して安くはない費用(月16万円位。サービスの内容で変わります)ですが、義母の年金と貯蓄を少しずつ取り崩せば、何とかやっていけると判断しました。義父が残してくれた遺産(預金)がこのようにして役に立つことになりました。様々な苦労から解放されて、残りの人生を安寧に過ごして欲しいと願っています。
両親は五島列島出身。義母は中国で生を受け、青島、天津などで青春時代を過ごしたそうです。天津は日本租界やフランス租界があり、とても良き土地だったと思い出を語っていました。租界暮らしなので、中国人との接触はあまりなかったみたいです。日本本土に比べ、物不足に悩んだ経験はないし、厳しい戦争の渦中に居たという認識もあまり無く成長したのでしょう。所謂ハイカラな生活に馴染んでいたのですね。お兄さんと映画を観たり、食事に出かけたり、電蓄を聞いたり、当時として優雅です。
義父と結婚したのは、昭和18年か・・。義父は兵器廠に勤務する軍属でした。関東軍の後方で物資や兵器の補給・修理などをやっていたみたいです。当時義母はタイピストとして勤務していて、同じ職場ではないけれど、上司の紹介で二人は結婚したとのことです。結婚して間もなく、義父は現地招集されて、兵役に就きます。新婚生活は極々短い、数ヶ月です。
昭和20年、敗戦。義父は、武装解除した部隊の兵士を日本に帰国させる任務に就き、家庭に帰る余裕は全くなかったのです。この間に、第一子長男が生まれていますが、義父は顔を見ていないどころか、名前さえ付けていなかったと義母は云っています。義父は、義母よりも一足先に日本に帰還します。義母は小さな息子、母、叔母と共に、満州を出発。朝鮮半島経由で日本に帰ります。この時は悲惨な事が沢山あったとのこと。小さな子供や病気の人や老人は途中、列車の中で次々と亡くなったそうです。
無蓋列車に乗っての移動だったそうです。無蓋、つまり屋根の無い列車です。今の私たちにはとても想像さえもできません。いや、そんな列車に乗せられたら、一日も耐えられるかどうか。鉄砲の弾が頭の上をかすめて飛んで行くことが珍しくなく、すっかり慣れてしまったと、何度も語っていました。よく聞く話ですが、朝鮮半島経由の引き揚げ者は、38度線を越えるのにとてつもない苦労、命懸けの苦難を超えてきたそうです。北朝鮮は、早く亡くなった日本人の遺骨返還に協力すべきですね。
というように、戦争をくぐり抜けて生きてきた義母ですので、平和な時代、少なくとも日本はそれに恵まれているので、最後まで心安らぐ日々をこのまま過ごしてもらいたいものです。その為には日本を、戦争に巻き込まれないしっかりした国にしなければなりません。「憲法を守れば平和が続く」などと観念論を呪文のように言い続けるサヨクの馬鹿馬鹿しさにはウンザリです
■2014/3/30 日本共産党を考える(6)
三月下旬になり、気温が上昇。時折雨が降ったりして、雪解けが日に日に進んでいます。
日本共産党批判も第六回目、いややっと六回目にたどり着いたところです。個人的で困難な事情が降りかかって、思うように思考を巡らせたり、パソコンに向かう余裕が無かったのです。読者がどれだけいるのか分かりませんけど、ご容赦願います。
今回は、「綱領」の以下の部分について、私なりの考察と批判を述べさせてもらいます。
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五、社会主義・共産主義の社会をめざして
(一五)日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる。これまでの世界では、資本主義時代の高度な経済的・社会的な達成を踏まえて、社会主義的変革に本格的に取り組んだ経験はなかった。発達した資本主義の国での社会主義・共産主義への前進をめざす取り組みは、二一世紀の新しい世界史的な課題である。
社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である。社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される。
生産手段の社会化は、人間による人間の搾取を廃止し、すべての人間の生活を向上させ、社会から貧困をなくすとともに、労働時間の抜本的な短縮を可能にし、社会のすべての構成員の人間的発達を保障する土台をつくりだす。
生産手段の社会化は、生産と経済の推進力を資本の利潤追求から社会および社会の構成員の物質的精神的な生活の発展に移し、経済の計画的な運営によって、くりかえしの不況を取り除き、環境破壊や社会的格差の拡大などへの有効な規制を可能にする。
生産手段の社会化は、経済を利潤第一主義の狭い枠組みから解放することによって、人間社会を支える物質的生産力の新たな飛躍的な発展の条件をつくりだす。
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「日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる。」と、堂々と「社会主義革命」の実行を述べています。日本の社会を資本主義から社会主義にひっくり返すというのですから、穏やかな話ではありません。社会主義(共産主義・マルクス主義)は、すでに理論的にも実践的にも破綻したものです。
共産党は、そうした歴史の事実にまったく目を向けようとはしません。社会主義革命がロシアで起こり、何がなされたか。云うまでもなく、「労働者階級」の代表と称する共産党によって、世にも恐ろしい全体主義国家が生まれました。言論の自由は無くなり、社会主義に批判的もしくは同調しない者は、次々に粛清されました。国家全体が牢獄と化したのです。
中国はどうだったか。毛沢東が紅衛兵を使ってクーデターを起こし、何千万という人々が粛清されたり、無実の罪で殺害されました。現在の中国も、改革開放で資本主義システムを導入したとはいえ、本質的には共産党による一党独裁が続いています。法による国家運営ではなく、人治主義により、共産党の意思一つで「黒が白になり、白が黒になる」社会なのです。
「これまでの世界では、資本主義時代の高度な経済的・社会的な達成を踏まえて、社会主義的変革に本格的に取り組んだ経験はなかった。発達した資本主義の国での社会主義・共産主義への前進をめざす取り組みは、二一世紀の新しい世界史的な課題である。 」などと、共産党は「発達した資本主義から社会主義を目指す」事が目新しいことのように主張します。
ロシアや中国が遅れた国家体制から革命をやったから、あのような共産主義・全体主義国家になり、民主主義が無視されたと云いたいのでしょう。問題はそんなところにあるのではない。共産主義・社会主義の理論を実行に移せば、必ず全体主義国家が生まれることは、歴史が証明しています。さも真新しい事を云っているように見せかける、極めて欺瞞に満ちた屁理屈です。
共産党は、「社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である。社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される。 」 とも述べています。つまり、生産手段を全て共産党が没収する、と云っているのです。「社会化」と耳障りの良い単語を使いますが、権力を掌握した共産党が生産手段を独占し、個人の自由で自主的な生産活動は許さないと云っているのです。
SONY、 Panasonic、 UNIQLO 、三菱、三井、IHI、トヨタ、日産、ゼネコン各社、銀行、などの大手企業は次々に解散させられるでしょう。中小企業も概ね接収されるに違いありません。日本の生産手段を持っているのは民間企業です。その存在を許さないのですから、日本は紛れもない全体主義国家になります。企業は、生産手段を持っているだけでなく、生産の為の高い技術力、運営管理システム、開発研究、優れた人材など、一朝一夕では作る事の出来ない貴重なものを積み上げています。
こうした何十年、何百年に渡って発酵され蓄積されたものを、あっと云う間に国家のモノにし、破壊するのが共産党の目指す「生産手段の社会化」というものの実態です。企業が長い時間と試行錯誤を繰り返して作り上げたシステムを、共産党のような経営のノウハウも経験も無い革命家集団がコントロール出来るはずが無い。常識のある人には、議論の余地がないでしょう。
旧ソ連の実態を振り返れば明らかであり、現在の中国も大きな企業は大半が国営で、汚職に塗れています。金儲けは出来るけれど、革新的な技術開発が出来ません。故に、かの国では他国の技術を泥棒したり、勝手にコピーして使うのが当たり前。
「生産手段の社会化は、人間による人間の搾取を廃止し、すべての人間の生活を向上させ、社会から貧困をなくすとともに、労働時間の抜本的な短縮を可能にし、社会のすべての構成員の人間的発達を保障する土台をつくりだす。」、これも何を言っているのか、全く意味不明です。「人間による人間の搾取」と云うけれど、我々は搾取されているのでしょうか。現実離れした古い思考と論理でしかありません。現代社会は、資本家と労働者階級などと単純な区分けが出来ない社会です。
論理の出発点が間違っているのだから、お話にならないですね。「社会から貧困をなくす、人間的発達を保証する」
。共産党一党独裁の社会が、貧困をなくし、人間的発達を保証するとは、夢にも考えられません。そもそもどんな社会においても、完全な平等や完全な無貧困は実現できません。あくまでも「観念」であり、「理想」でしかない。大事なのは、貧困な人がいても、その人が貧困のために命を失わないように「思いやりある社会」を作り上げることです。その方法は、国や民族によって違いがあります。
次に共産党は、「経済の計画的な運営によって、くりかえしの不況を取り除き、環境破壊や社会的格差の拡大などへの有効な規制を可能にする。」と仰る。「経済の計画的運営」が人間の歴史で、かつて成功したことが一度もありません。ソ連や中国を観察していれば、問答無用の事実です。人間は欲望を持ち、常により良い生活を目指す生き物です。金儲けだけではなく、心の充実も求めます。文化・芸術や科学、未知の物への強い好奇心、などなど。人間は、「計画」など出来る生き物ではありません。
人間は、観念的な自由・平等や無貧困より、心の奥からわき出て来る知らざる物への飽くなき好奇心、向上心、欲望に価値を求める生き物ではないですか。だからこそ、いかなる社会においても貧富の差、不自由、不平等が生じるし、その事を否定はしないのです。大事なのは、貧しさ、不自由、不平等、もしくは弱さのために命を落とさないこと。そうした人々が、社会全体によって優しく支えられるシステムが構築されることです。こうした柔軟性は、社会主義のよう全体主義国家では、絶対に不可能でしょう。
「生産手段の社会化は、経済を利潤第一主義の狭い枠組みから解放することによって、人間社会を支える物質的生産力の新たな飛躍的な発展の条件をつくりだす。」、この一文も事実を全く無視した空論です。現在の社会は、「利潤第一主義」だと評価していますが、はたしてそうなのか。利潤第一主義の社会なら、経済的敗者は直ちに死に直結します。事実はどうですか。
日本政府は、苦しい国家財政の中でも福祉・社会保障の為に莫大な支出をしています。来月から上がる消費税も、社会保障の充実が目的です。年金だけでは暮らせないお年寄り、障害や病気で十分な収入が無い人、などには生活保護制度があります。高齢者の医療費は一割負担に軽減されています。日本国家は、社会主義国家ではないけれど、一人一人の国民を大切にしたいという確固とした意思を持っています。もちろん十分では無いことは確かですが、国民の多くは理解しています。
共産党の夢見る社会主義社会が「物質的生産力の新たな飛躍的な発展」を作り出すなど、決してあり得ないでしょう。社会主義社会が、人間の欲望や好奇心や向上心を権力で押さえ込む限り、そこには暗いどんよりした絶望が覆うだけでしょう。
残りの後半部分は、次回に。「綱領」を読んでいると、観念主義の塊に見えます。彼らは、唯物論者だと自称しますけれど。
■2014/4/9 日本共産党を考える(7)
何かを批判したり疑問を呈するには、それなりの根拠と思考論理を構築しなければなりません。で、私がこうした作業を行うのは、とても苦労と疲労が伴います。気儘に書き始めた呟きなのに、心労の種になってしまいました。でも、不十分は承知、それなりの過ちもあると自覚しながらも、やり遂げるつもりです。今回は、以下の文章を検討します。
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社会主義・共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる。「搾取の自由」は制限され、改革の前進のなかで廃止をめざす。搾取の廃止によって、人間が、ほんとうの意味で、社会の主人公となる道が開かれ、「国民が主人公」という民主主義の理念は、政治・経済・文化・社会の全体にわたって、社会的な現実となる。
さまざまな思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される。「社会主義」の名のもとに、特定の政党に「指導」政党としての特権を与えたり、特定の世界観を「国定の哲学」と意義づけたりすることは、日本における社会主義の道とは無縁であり、きびしくしりぞけられる。
社会主義・共産主義の社会がさらに高度な発展をとげ、搾取や抑圧を知らない世代が多数を占めるようになったとき、原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会への本格的な展望が開かれる。
人類は、こうして、本当の意味で人間的な生存と生活の諸条件をかちとり、人類史の新しい発展段階に足を踏み出すことになる。
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「社会主義・共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる」。これを読むと、まさに神(God)の理想世界が実現するかのようです。「資本主義時代」と素っ気なく云いますが、マルクスやレーニンの時代と現在は同じ資本主義とは云えないのではないか。第二次世界大戦以後は、戦争や露骨な領土侵略が出来ずらくなり、経済もグローバル化著しく、資本主義経済の新しい形態を世界が模索している最中です。
共産党の云う資本主義は、産業革命から冷戦終結後あたりを指しているように感じます。人類史を振り返れば、経済はずっと「資本主義的」であったし、グローバルなものでした。例えばローマ帝国時代は、商業経済がグローバルに発展し花開いたとは云えないでしょうか。私が云いたいのは、人類の経済社会と人々の結び付きは、古代から「資本主義的」であり、それ自体が悪ではないということです。古代社会から産業革命前を、経済学では「資本主義」とは呼びませんが、人間活動の視点からは「資本主義的なもの」と認識しても良いのではないか。現在の高度で複雑な経済も、過去の経済の延長である、と私は思います。
政治形態は、絶対王政、封建制、個人権力者の独裁、民主制、立憲君主制、共和制などなど様々な形がありますが、経済に関しては古代から本質的な変化は無いと思います。産業革命後は、急速な科学技術の進展が梃子になり、複雑で暴力的でコントロールが難しくなりました。経済学という学問分野が必要になるくらい、人々が経済に絡め取られるようになります。
共産党は、「資本主義自体が悪い物だ」という前提から、資本主義を廃止し社会主義社会を作るという発想です。人類が経済、すなわち資本(貨幣)を利用して、人間社会の生活システムを構築してきた事実は否定すべきではない。むしろ人間が持つ欲望や向上心や冒険心や未知への好奇心をより良く発展させるには、こうした社会・経済システムが相応しいと私は思うのです。
共産党でさえ「資本主義社会の価値ある成果」と云っているではありませんか。革命で資本主義社会を破壊するのではなく、資本主義を如何に穏やかに、戦争に導かれないように制御するか、建設的なシステムを考えるのが、人間的な道と思います。
「搾取の廃止によって、人間が、ほんとうの意味で、社会の主人公となる道が開かれ、『国民が主人公』という民主主義の理念は、政治・経済・文化・社会の全体にわたって、社会的な現実となる 」 。搾取などという概念は、現在の社会・経済では通用しない。「金持ちと貧乏人、もしくは適当に金を持っている」などとは云えますが、資本家階級が労働者階級を搾取しているという単純な話ではありません。とくに金融資本は、世界中何処にでも移動し、あっという間に消え去ったりもします。金持ちであっても、その本人が資本家階級で、他人を搾取していると思ってもいないでしょう。労働者も、搾取されているとは云いません。
「搾取の廃止によって、人間が、ほんとうの意味で、社会の主人公となる」とは、全く意味不明です。搾取があろうが無かろうが、社会の主人公は人間です。文章自体がヘンなので、国語力の問題かもしれません。麻生さんを嗤ったり出来ませんね。
さて、「国民が主人公が、民主主義の理念」と、共産党は仰る。そもそも論になりますが、民主主義とは何でしょうか。古く遡れば古代ギリシャのポリス(都市国家)で誕生した政治形態です。全ての住民が政治に参加し、その合意(多数決)によって物事を決定するという方法です。フランス革命では、自由・平等・博愛が大義名分として主張されますが、民主主義の概念が結合していることは疑いがありません。現在は、自由、平等、民主主義、基本的人権が最も進んだ絶対理念だと信じる人が多いですね。
賢明な読者なら、「民主主義が絶対的に正しい理念」というのは怪しいことを知っていらっしゃる筈です。民主主義は、健全に働いている時は良いのですが、一歩間違えると「衆愚政治」「大衆迎合」のロクでもない結果をもたらすからです。ナチスがどのように生まれたか。当時最も民主的と云われたワイマール憲法下のドイツで、民主主義によって合法的に誕生したのです。
ヒトラー政権が、第二次世界大戦のトリガーを引き、ユダヤ人や心身障害者の絶滅を計画し、且つ実行したのを忘れましたか。
確かに「国民が国の主人公である、主権者である」というのは、これからの時代に否定は出来ないし、そうあるべきでしょう。だからと云って、民主主義が理想であるとか「絶対的に正しい理念だ」とは云えないし、常に疑いの目で眺める必要があります。共産党のように、国民主権(国民が主人公)と民主主義を不可分のものと捕らえる限り、いつまた全体主義国家が生まれないとも限らないのです。政治家も国民も、「間違いを犯すかも知れない」という自省と謙虚さをを持つことの方が大切なのです。
「さまざまな思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される。『社会主義』の名のもとに、特定の政党に『指導』政党としての特権を与えたり、特定の世界観を『国定の哲学』と意義づけたりすることは、日本における社会主義の道とは無縁であり、きびしくしりぞけられる。」と、共産党はソ連や中国や北朝鮮との違いを必死に強調します。
それにしても、この文章は自己矛盾の塊ではないのか。社会主義社会建設自体が特定のイデオロギーであり、強力な指導党がなければ実現できません。「社会主義は、特定の世界観ではない」と共産党は仰るのでしょうか。共産党からすれば、自分たちが政権を取っても、「社会主義思想を押しつけたり、反対意見を弾圧しませんよ」と云いたいのでしょう。しかしですよ、綱領の中でこういう事をわざわざ強調して書かざるを得ないのが、自己矛盾なのです。逆に云えば、共産党と社会主義社会に反対する者には、常に弾圧の危険が待っているということではないですか。社会主義社会自体が、一種の全体主義国家ですからね。
ここまで書いて、やや疲労感が漂っています。文章も長くなってきましたし、残りは後日にしたいと思います。
■2014/4/30 日本共産党を考える(8)
びっくり、びっくり、今日は四月の最終日。光陰矢のごとし、光陰流水、こうした日本語の表現がピッタリです。季節の巡りも、日々感じます。札幌では、やっとエゾヤマザクラが咲き始めました。レンギョウも、鮮やかな黄色い花をびっしり付けて開花しています。近くの公園に定着しているカタクリ、毎年楽しみにしていますが、今年は綺麗に咲き揃いました。見ると、子供たちが小さな一枚葉を広げて地上から出ています。種が拡散して広がり、一気に増殖しそうな感じです。早く花を見たいものです。
共産党綱領への批判、最終回です。前回の後半部分、以下の文章を検討します。
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社会主義・共産主義の社会がさらに高度な発展をとげ、搾取や抑圧を知らない世代が多数を占めるようになったとき、原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会への本格的な展望が開かれる。
人類は、こうして、本当の意味で人間的な生存と生活の諸条件をかちとり、人類史の新しい発展段階に足を踏み出すことになる。
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「国家権力そのものが不必要になる社会」、「抑圧も戦争もない」、「真に平等で自由な人間関係」というのが、共産党が主張する共産主義社会なのだそうです。簡単に云うと、「無政府状態になり、誰もが自分勝手に行動する社会になる」ことですね。冷静な読者は、こんな状況を考えるのはどんなに馬鹿馬鹿しいことか、すぐに気づく筈です。人間の歴史を振り返れば、人間とはどんな生き物か。人間は「社会的動物」と云われます。最小単位が「家族」、最大単位はおそらく「国家」です。
無政府状態で自由を与えられた人間は、「万人の万人に対する闘争」を開始するでしょう。それが人間です。世は混沌とし、無秩序と殺し合いが絶え間なく繰り広げられる、そうなるのは間違いない。人間が登場してから、争いの無い時代はありません。だから人間は、個人ではなく、「家族」、「家族の集合体」、「氏族」、「民族」などと集団を少しずつ大きくし、一人一人が安全に暮らせるシステムを構築してきました。集団同士がぶつかり、殺し合いになるのが戦争です。際限の無い戦争は、17世紀まで続きます。
1600年代には、ヨーロッパで「30年戦争」と呼ばれる悲惨な戦争がありました。カトリック教徒とプロテスタントの殺し合いです。もちろん民族の違いも複雑に絡みます。その結果、殺し合いにほとほと疲れ果てたヨーロッパ人たちは、「ウェストファリア条約」を考えだしました。「宗教が違っても、そんなに殺さなくてもよいのではないか」、という発想です。違いを認めようということです。
17世紀に至って、やっとヨーロッパ人は、「戦争にもルールを作ろう」と少し理性的になりました。以後ヨーロッパでは、他民族絶滅に至るような悲惨な戦争を止めるようになります。現在でも基本的にはウェストファリア体制が続いていますし、「ハーグ陸戦協定」(1899年)が採択され、戦争の定義、捕虜の扱い、使用してはならない武器・戦闘方法などが細かく決められました。
こうして人間は、際限の無い無秩序な争いを止めて、少しずつ人々が安全に安心して暮らせることが大切である、と認識を高めて来たのです。現実には、第一次世界大戦から第二次世界大戦以後、この約束事を無視する傾向が生じています。ルール違反とも云うべき「戦争して、他国の政治体制を根本からひっくり返す」ようなことが行われています。
そうではありますが、大きな流れとしては、「人間は、戦争をしない方が良い」という考えが主流になり、どの国もおおっぴらに「戦争するぞ」とは云えなくなりました。東アジアの一部に、その常識が通じない悪いヤツがいますけれど。第二次世界大戦後は、植民地支配は事実上無くなりましたし、他国への侵略を企図する国は、少なくとも先進国にはありません。
マルクス主義の考える「共産主義社会」では、再び人間の無秩序が復活します。何万年何千万とかけて、人間が一歩一歩作り上げて来つつある「出来るだけ戦争をしない、安全に暮らそう」というルール・契約を更に高度なものに作り上げていくのが最善の道だと、私は思います。共産党は、「人間とはどんな生き物か」という本質を考えない人たちです。「理性主義」というのでしょうか。「人間の正しい理性があれば、理想が現実になる」という非現実的で間違った思想にどっぷり浸かっているのですね。
釈迦は「ダンマパタ」に、以下のような言葉を残しています。
「心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するままにおもむく。その心をおさめることは善いことである。心をおさめたならば、安楽をもたらす」
「心は遠くに行き、独り動き、形体なく、胸の奥の洞窟にひそんでいる。この心を制する人々は、死の束縛からのがれるであろう」
釈迦の言葉の方が、「共産党綱領」よりも遙かにリアルで真実を突いています。人間は
「心をおさめ、制する」ために、今後も限りなく努力を続けていくでしょう。それは、無政府状態や無秩序で実現するのではなく、「心を制する」ことによって実現します。
とりあえず、これで共産党綱領への考察は終わります。しかし、こうしたマルクス主義や「理性主義」「理想主義」に心を絡め取られている人々、サヨクと云われる人たちは、決して己のイデオロギーを変える事はありません。これからも日本国家を粉砕して、革命を目指すのでしょう。私は、道新、朝日、人権派文化人などのサヨクにささやかな抵抗を続けるつもりです。彼らは、日本人であるくせに、日本を愛せない、誇りを持てない、精神的な病に罹っています。危険な存在であり、放置はできません。
■2014/5/30 肝機能が低下
前回の書き込みから、一ヶ月です。一ヶ月前は、連休直前というのに寒くて寒くて、ストーブ無しでは暮らせない日々でした。やっと暖かくなって来ました。昨日は、みちこと一緒に北大病院神経科を受診してきましたが、北大構内は33度もありました。今年初めての真夏日でしょう。帰りには、ランドクルーザーのエアコンを入れないと、汗が噴き出るほど暑かった。
みちこの味覚障害は、なかなか改善せず。薬の効果が、はかばかしくありません。最初は効いていても、だんだん効果が無くなってしまいます。そうこうしている内に、甲状腺ホルモンが低下する副作用が出ました。チラーヂンという甲状腺ホルモン薬を飲んでいます。副作用を抑え、味覚障害からくる鬱状態と気力の減退を改善するためです。しかし、あまり効果がみられず・・。
昨日は、血液検査もして、甲状腺ホルモンの値が正常に戻ったことを確認しました。が、また問題が生じました。肝機能が低下しているのです。γ‐GTが145。参考値が10以下ですから、放置できない値です。北大のドクターは、「内科を受診して、肝臓の状態を調べるように」との指示をしてくれました。味覚障害治療の新しい薬を試したいけれど、肝臓機能が悪いと無闇に薬を処方するのは危険という判断です。北大では、前回と同じ薬を処方してくれましたが、肝臓の検査をやらなければなりません。
みちこにすれば、透析のために、一日置き週三回の通院でも辛いのに、
毎日のように病院通いとなっています。精神的には、厳しいのがよく分かります。「死んだ方がましだ。生きていても楽しくない」と口にすることがあるのは、余程辛いに違いない。
でも、みちこは「積極的に死のう」とは思っていないようです。今日も透析に出かけて行きました。本当に死にたかったら、透析を止めるか、カリウムを大量に摂取すればよいのです。見ているのも辛いけれど、もう少し粘り強く治療に挑戦して欲しいです。
今年の春は、寒かったけれど、昨年より雪解けは早かった。近くの公園には、何時ものようにカタクリやニリンソウが咲きました。とくにカタクリは、昨年より綺麗な色でしたね。みちこと二人で、小さな春を楽しみました。みちこの気力か落ちていることもあり、彼方此方出かけることもしないうちに、春の妖精たちは去って行きました。六月第一週迄は、まだ新緑が楽しめます。
■2014/5/30 日本国憲法とヨーロッパの歴史
盛んに「集団的自衛権の憲法解釈」が論じられています。安倍内閣が、「集団的自衛権はあるが、行使できない」などという日本国政府(内閣法制局)の馬鹿げた見解をまともなものにしようと汗をかいているのは、私にも理解できます。現実に対応した行動を進める、という意図でしょう。しかし、こんなことは何時までも続けられるものではないと思います。憲法の解釈変更には、いつか限界が来るでしょう。最終目標としては、憲法の改正あるいは新憲法の制定に至るか、どちらかしかありません。
集団的自衛権云々よりも、私は現憲法に書かれている概念が如何なるものなのかを、今考えています。私も学校で習いましたが、「国民主権」「基本的人権」「平和主義」が日本国憲法の三本柱だそうです。かつては爪の先ほども疑いなく、これを信じていました。しかし、これらの概念が全てヨーロッパ発のものであることに気が付きました。ならば、ヨーロッパの歴史を知らなければ、この三本柱の意味も理解出来ないのではないか。私の素朴な疑問です。で、戦後否定された「帝国憲法」を読んでいます。
現憲法を絶対守るというサヨクと憲法改正を云う保守系派の人々の論争が賑やかになっています。けれど、どうして帝国憲法の話が土台にならなのでしょうか。サヨクはもちろん全否定しているから、「持ち出すこと自体が悪」ですから、分かります。一方保守政党と云われる自民党が、何故帝国憲法を議論の先頭に置かないのか、私には不思議で仕方在りません。
今後、少しずつですけれど、ヨーロッパの歴史の中で生まれた国家、人権、民主主義、自由、平等、国民主権などの意味を書いてみたい。また合わせて、帝国憲法がどのように作られ運用されたかについても、明らかにしたいと思っています。いつ終わるとも知れぬ長い作業になりそうで、私自身も躊躇しますが、期限の無いのを幸いに無謀な挑戦をしてみます。
■2014/6/18 長雨で鬱陶しいけれど
7日、8日と二人で大沼国定公園に行ってきました。みちこは、外出する気力が無くて鬱々としていましたが、「行ってみたい」と前向きになったので、迷わず出かけました。北海道の天気が崩れ始めたのは、ちょうど7日です。幸いにも、私たちは雨に当たらずに初夏の大沼を楽しめました。その風景は、HPのトップページに掲載しましたので、ご覧になってください。
天気は、「蝦夷梅雨ではないか」と騒がれるほど不安定な毎日です。今日までの12日間、雨が降らなかった日は無いのではないか。例年の札幌らしくないですね。今頃は、リラ冷えも去り、暖かい(時には暑い)日差しが一杯に降り注ぐのですけれども・・。
大沼国定公園では、何時も利用しているホテルに入りました。夕食はフレンチ料理。今回は、少し不満がありました。前菜が美味しくなかった。例えば「サンマのフライ」が出て来たときは、二人して首を傾げてしまいました。何時もなら、さっぱりした新鮮な野菜を優しく味付けしたものがあったのに、どれもこれも味がくどいし、食材も食欲をそそるものではなかった。残念です。
久しぶりに遠出して、気分転換できたのが好かったと思っています。森の空気が、とても美味しかったですよ。
■2014/6/18 呼吸器内科受診
今日は、みちこの呼吸器内科定期受診の日でした。胸部レントゲンと血液検査のデーターによるドクターの見解。二ヶ月前と比べて、腫瘍部の拡大などは見られない。腫瘍マーカーも横ばいか、少し低下している。誤差の範囲でしょう。2012年のPET CT検査以来、一時的に腫瘍の拡大かと思われたが、ずっと安定した状態が続いています。 (ちょっと首を傾げる仕草)このまま様子を観察して、もしも異常を感じたら何時でも検査します。また二ヶ月後の八月に受診して下さい。
と、こんな調子で特別な会話は無く、受診は終了しました。みちこは、「まだ死ねないようだね」と呟いています。でも、悪化していないのが分かり、内心ほっとしているのではないかと思います。覚悟はしていても、本当に死にたいなどと思わないのが普通でしょうから。私も、安心しました。みちこ、昼食は病院レストランの醤油ラーメンを食べました。これも久しぶり。
■2014/6/18 最近気に入ったスマートフォン
私は、古くからのauユーザーなので、ずっと浮気せずにau端末を使い続けています。auが初めて発売した台湾製のスマホから現在の物まで、かなり色々な端末を使ってきました。ただし、韓国製ものは感覚的に惹かれるものがなく、使ったことはありませんでした。昨年発売になったサムスンのGalaxy note3は、店頭で見て、ちょっと興味を持ちました。画面が大きい。5.7インチ という巨大な画面の割には、端末自体は意外と小さい。新品を買うつもりはなく、オークションで格安入手してみました。
普通に利用するには、実に使い易いです。画面が大きいと、目が疲れないし、文字入力も容易です。それまで使っていた4.3インチのXPERIA VLが、もの凄く小さく感じました。私がスマートフォンを使う目的は、普通の携帯電話としての機能と合わせ、新聞、キンドル版の書籍、雑誌などを読むことです。ですから、大きな画面のスマホが以前から欲しかったのです。
Galaxy note3は、その目的に応えてくれる機種の一つです。ただ、新聞を読むときは、かなり不満を感じました。画面の横幅が狭いので、拡大した画面を大きくスライドする必要があります。書籍は、問題無いですね。それと、見た目のデザインは悪くないのに、手にとってみると、何となく感触が貧弱なんですね。その他、防水機能が無いのも不満でした。性能は悪くないし、ソフトウェアのチューニングもなかなか良いのに。結局、この端末は二ヶ月ほど使い、売却される運命となりました。
XPERIA Z1(5インチ)を買い、今年になりXPERIA Z Ultra(6.4インチ)を買い、二台持ちで使っていました。この二機種は、とてもイイですね。Z1は、携帯電話として文句なし。Z Ultraは、タブレットよりはずっと小さくて、且つ新聞、雑誌、書籍を読むには十分な画面の大きさです。二台持ちの欠点は、持ち歩きにそれなりの負担があることです。とくにZ Ultraは小さなバッグがないと持ち歩けない。ポケットに入れて気軽に外出、というのはやや無理筋と思います。大丈夫と云う人もいますけれど・・。
XPERIAは、性能、デザイン、画面の美しさ、全てに大きな欠点は無い。流石に日本のブランド品という感じです。
私は、欲張りな性格なのか、「画面が適度に大きく、携帯にもぎりぎり可能」というスマホがどうしても欲しいなあ、「一台で間に合うスマホがないものか」と思い続けていました。XPERIAを二台も持ち贅沢だ、と云われそうですけど。通信料も馬鹿にならないしね。
ふと思ったのは、Z Ultraを購入するときに横目でチラリと眺めていた韓国LGのG Flexです。本体が妙に曲がっているのです。それに、Galaxy note3より一回り大きい。曲がっているのに違和感があり、最初から検討外にしていたのです。が、何となく気になり始めて、スペックを調べてみると、悪い機種ではないらしい。画面が公称6インチ。画面横幅を慎重に調べてみると、Galaxyよりも4mm程度は広い。Z Uitraよりは7mm狭いが、これなら新聞を読むためにギリギリの範囲に入っているのではないか。
auショップに行き、じっくりと眺め、触れて、「うん、これは使い易いじゃないか」との結論になりました。防水機能が無い、SDカードを挿入出来ないという欠点はあるけれど、「一台で、携帯電話機能、新聞閲覧、読書が可能な唯一の端末」なのです。迷わず、機種変更で一台購入しました。スリープ状態を解除する時、画面を二回タッチするとロック画面になるなど、使い勝手に工夫が凝らされています。電話に出るとき、画面をスワイプしなくても、端末を耳に当てるとすぐに会話が可能です。憎い機能ですね。
画面は有機EL且つフルHDでないので、色調が汚く感じるし、解像度も荒いです。有機ELだから、画面を曲げて設計できたのでしょうから、痛し痒しですが。画面が曲がっていると、意外と視認性が良いし、電話の時は回線電話受話機を持っている感覚です。持ち歩くときに、曲がっているのがだんだん気にならなくなりました。慣れでしょうね。ポケットにもすんなり入ります。
今月になってからは、G Flex一台で間に合っています。XPERIAが可哀想ですが・・。デザインは日本的ではないけれど、LGの努力は評価したいと思います。実は、韓国製端末の半分位は、日本製の中間財が使われているのですよね。日本の技術が無ければ作れない、というのが実情です。ブランドは韓国ですけど、自分の使用目的に合えば、拘ることは無いと思います。
■2014/6/20 W カップ/対ギリシャ戦
今朝7時から観ましたよ、テレビの生放送。コートジボワール戦は評論する値も無い、というのが私の感想でした。今日の試合は、日本のやる気と本気度が伝わってきました。結果は、0 - 0 の引き分けですが、前回よりはずっと良かった。
驚いたのは、ギリシャがあれほど守りを固める、云っては悪いが消極的な戦術の戦いぶりとは予想外でした。ボール保持率は、圧倒的に日本だったし、時々強烈なカウンターはあったけれど、「強い」という印象はありませんでした。問題は、日本のサッカーがまだまだ完成度が低い、と感じたこと。あれだけ攻めていながら、ゴールラインからペナルティーエリアでの工夫が無い。
左サイドの長友は、積極的に攻撃参加していたが、センタリングはことごとく相手に跳ね返されました。もっと深くペナルティーエリアに切り込み、マイナスのボールを正確に出して欲しい。また、ゴールライン辺りにいる選手に、遠目から長くて早い縦パスを入れて、ワンツウで崩すという場面も少なかった。フォワードは、ギリシャがゴール前を固めて空きスペースが無いのだから、思い切ってペナルティーエリア内にドリブルで突破を試みる積極性が欲しかった。ゴール前で消極的で、工夫が足りない。
確かにゴール前は固められていて、スペースが少なく、裏を狙うのが難しい状況なのは分かるけれど、少し遠目からミドルシュートをガンガン打っていくなどもやるべきではないか。相手を引き出して、守備陣形を崩さなければ、チャンスは訪れない。残り1試合に賭けるしかないわけだが、どこまで修正、進歩できるか。期待しています。ガンバレ、ニッポン。
■2014/7/2 集団的自衛権と戦後の新しい船出
7月1日は、日本国家にとって記念すべき日付となるでしょう。まともな国、独立国家としてへの最初の一歩を踏みだしました。さて、当日の「北海道新聞(ドウシン)の社説を以下にご紹介します。このサヨク新聞が如何なる思想で取材し、記事を書いているのか、その本質が明瞭に現れています。はっきり云って、子供の作文以下でしょう。
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真の平和主義取り戻そう(7月1日)
自衛隊が創設されてちょうど60年となるきょう7月1日は、後に日本が平和主義を捨てた日として記録されるのだろうか。
安倍晋三政権が集団的自衛権の行使を認める憲法解釈変更を閣議決定する。戦争の反省から出発した、専守防衛を柱とする日本の安全保障政策の大転換である。
この60年間、自衛隊は他国民を1人も殺していないし、1人の戦死者も出していない。それは憲法9条があったからだ。(♯1)平和主義を国民は支持し、自民党政権もそれに基づいて国政を担ってきた。
集団的自衛権行使を認めれば、日本を敵視していない国を自衛隊が攻撃したり、日本が攻撃の標的になったりしかねない。
「国民を守るため」という首相の説明と裏腹に国民の命は危険にさらされ、国際社会における平和国家としての信頼も損なわれる。(♯2) 安倍政権は年末の日米防衛協力指針見直しに向け、集団的自衛権を実際に行使するための法整備を秋の臨時国会で行う方針だが、断じて認められない。
首相の「積極的平和主義」というまやかしを排し、真の平和主義を取り戻す。きょう7月1日を、その最初の一日としたい。
首相は集団的自衛権行使を容認すれば「抑止力が高まり、戦争に巻き込まれなくなる」という。
だが日本はこれまでも戦争に巻き込まれず、曲がりなりにも平和を維持してきた。それは米軍の抑止力があったからというより、憲法の歯止めがあったからだ。(♯3)
日本は1991年の湾岸戦争や2001年からのアフガニスタン戦争、03年のイラク戦争に加担を求められた。その都度9条の制約との整合性を議論しながら、結局それぞれ戦後のペルシャ湾での機雷除去、インド洋での給油、「非戦闘地域」での復興支援を選択し、1人の犠牲者も出さなかった。
戦後日本が獲得した平和国家のイメージは外交上の資産でもある。日本はほとんどの国と敵対関係をつくらず、世界で広く親日感情を築いた。それが企業活動の基盤となり、経済発展につながった。(♯4) 解釈改憲による集団的自衛権の行使容認は、これら9条が日本にもたらす恩恵をすべて奪い去る。
首相は集団的自衛権の行使が「必要最小限なら認められる」と強調する。だが行使するかしないかは二つに一つだ。実際の戦争に限定などあり得ない。
これまでは9条を理由に米国の参戦要請を断れたが、今後は難しくなる。り自衛隊が戦争の泥沼に引きず込まれる可能性が一気に高まる。
(♯5)
中国や韓国との関係は一層、冷え込むだろう。(♯6)中国と北朝鮮は日本の安保政策転換を軍拡の口実にし、東アジアの安保環境はさらに悪化しよう。
首相はこれらの懸念について国会や国民への説明を避けたまま、戦争できる国づくりを着々と進めている。
最終的に目指すのは改憲による国防軍創設である。
東アジアの安保環境の変化が日本にとって不安要素になっているのは確かだろう。しかし、摩擦が生じているときこそ、対話を通じて互いに抑制した対応をする環境を整えることが第一だ。(♯7)
憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。今こそこの決意を生かすときだ。諦めてはならない。(♯8)
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赤文字の部分について、簡単に反論をしてみます。それぞれ(♯1〜8)として表記しておきます。
(♯1)について。「1人の戦死者も出していない。それは憲法9条があったからだ」、と自信たっぷりです。天下のマスコミがこんな嘘を言っていいものだろうか。自衛隊が他国と交戦することなく、また日本が戦争地域にならなかったのは、冷戦時代が長く続いて、アメリカ軍が日本列島に強力な軍事基地を保持し続けてきたからです。如何にソ連であっても、日本の米軍基地を攻撃したり、日本列島に軍事侵攻することは出来なかったのです。そんなことをすれば、破滅的な原爆ミサイルが飛び交うこと必定です。
世界最強のアメリカ軍によって、日本の平和は維持されたのですよ。つまり、東アジアにおける軍事抑止力、軍事バランスがしっかり確立していた成果なのです。憲法九条の存在など、全く関係ない。アメリカ軍がいなかったら、日本は間違いなくソ連の属国になるか、全面占領されて極東の1州になっていたでしょう。ヨーロッパでも、大戦争は起きませんでした。この事実について、ドウシンはどのように説明されますか。ヨーロッパ諸国は、軍隊を保持し、核武装して、戦争を回避したのです。
(♯2)
について。「平和国家としての信頼が損なわれる」と主張しています。世界の多くの国が、「日本が平和主義を国是としている」 ことは理解しているでしょう。しかし、「信頼している」とか「尊敬している」などと仰るのは、これも事実と違うのではありませんか。むしろ「頼りにならない国だ」と影でうそぶかれているでしょう。湾岸戦争の時、国連安保理がイラクのクウェート侵攻を許さないと決断し、多国籍軍を結成してクウェートを解放しました。日本は130億ドル超の資金提供をしたものの、クウェートや他の諸国からは何の感謝もされませんでした。この事実について、ドウシンはどのようにお答えになりますか。
(♯3)について。これは(♯1)と同じことの繰り返しです。何が何でも、「憲法九条が平和を守った」と言い募りたいようです。論理的にひっくり返った主張ですが、サヨクの間では、こうした思想が蔓延してしていて、もはや事実を見つめることが出来ないのでしょう。「平和、平和と叫んでさえいれば、自然に平和になる」という有り難いカルト宗教ですね。
(♯4)について。 「世界で広く親日 感情を築いた。それが企業活動の基盤となり、経済発展につながった。」。この文章を読んで、私はひっくり返りそうになりました。極めて悪質な嘘ですね。戦後の高度成長を担った企業と死に物狂いで日本の経済成長を支えた企業戦士たちに失礼であり、かれらを冒涜するものですよ。日本が経済成長出来たのは、アメリカが軍事的に日本を支えていたこと、日本人の「絶対復興してみせる」という強い気概、戦前から蓄積されていた高度な技術力があったからです。
世界が親日になったからとか、日本を信頼したから、などとお目出度い発想しかできないのか、ドウシンは。 日本が経済成長するに従って、アメリカなどは「日本の経済成長を抑えにかかってきた」という事実は見えないのですか。日本が成長すれば、その割を食う国が生まれます。当然そうした国からは、某かの嫌がらせも生じます。世界の国々は、イイ人ばかりではありません。
(♯5)について。 「自衛隊が戦争の泥沼に引きずり込まれる可能性」、はて、どうしてこういう論理展開が出来るのか。今回の憲法解釈の変更目的は、「日本一国では、自国防衛が難しい現実が急速に高まり、我が国の安全保障、軍事抑止力を確かなものにする」というものです。アメリカの戦争について行きます、といっている訳ではない。むしろ極めて抑制的で(例えば、軍事力の発動に国会の承認が必要)、これでは緊急事態が発生した時に、迅速に対応できるかどうか、私は不安です。
内閣が目指しているのは、日本の国防力、安全保障環境の高度化、抑止力の強化で、侵略や戦争を仕掛けることを敵国に諦めさせることです。自衛隊が海外に出て、例え同盟国の要請があっても、日本に敵対的でない国と交戦する可能性はゼロですね。そもそも、内閣の発表した文書を読んでも、どこにも「戦争に引きずり込まれる」ような事態は想定していませんよ。
(♯6)について。「中国や韓国との関係は一層、冷え込むだろう」と、ドウシンは鼻高々です。はてはて、関係を冷え込むようなことをしているのは、どちらのお国でしょうか。中国のシュウさんも韓国のパクさんも、日本とは会談しないとずっと言い続けています。片や安倍総理は、何時でも無条件に話し合おうと、何度も呼びかけています。ドウシンは、日中、日韓が冷え込んでいるのは「安倍首相に責任がある」とでも言いたいみたいです。ドウシンは、中国と韓国の諜報機関なのでしょうか。
ベトナム、フィリピンが領土・領海を巡り、激しくぶつかり合っています。この原因を作っているのは、果たして何処の国なのか。両国を含め、東南アジア諸国は「日本は経済力も軍事力もあるのだから、もっと我々に手助けして欲しい」と言っています。日本と関係が冷え込んでいるのは中国と韓国だけ。他は、インドもオーストラリアも、日本に期待を寄せているのですけどね。
(♯7)について。「 東アジアの安保環境の変化が日本にとって不安要素になっている」。何と素晴らしい。ドウシンもこれくらいの事は書けるのですね。で、普通ならこの事実を基に「不安要素を取り除く為に、安保環境を安全なものに変えていこう」というのが、常識的発想です。ドウシンは違うのです。「対話を通じて」と、とんでもない方向に結論を導いていくのです。
対話をしようと云っているのは日本側。それを拒否し、尖閣諸島に毎日のように艦船を進入させるのはどの国か。ありもしない「従軍慰安婦」をでっち上げ、世界中にデマを振り蒔いて友好を壊しているのはどの国か。「対話が出来ないのは安倍総理の責任だ」とドウシンは主張しているようなものです。やっぱり、サヨクドウシンは日本破壊教の一派でしかありません。
(♯8)について。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」、ですか・・・。現実に世界中の国々が「平和を愛し、公正と信義」を持っているのなら、日本の憲法は何の問題もないでしょう。世界の現実は如何でしょうか。つい最近は、ウクライナからクリミア半島をロシアが武力で奪取しました。世界の現実は、こんなものです。ましてや共産主義独裁の中国が、信頼できる国でしょうか。ドウシンは信頼しているのでしょうね。竹島を乗っ取っている韓国には、ドウシンは抗議しないのですね。
はっきり云わせてもらえば、ドウシンは反日本、国家粉砕を狙っている新聞です。かつての全共闘のようです。
下に、本日付のドウシン社説を参考までに載せておきます。反論するのもバカバカしく、嗤ってしまいました。
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集団的自衛権の行使容認 日本を誤った方向に導
く(7月2日)
この閣議決定に強く反対する。
安倍晋三内閣が、歴代政権が行使できないとしてきた集団的自衛権について、行使できると憲法解釈を変更した。
変更の根拠は1972年の政府見解である。ところがこの見解は集団的自衛権の行使は憲法上、許されないと明記している。
限定的な行使だと言いながら、有効な歯止めはない。国連安全保障理事会決議に基づく集団安全保障措置も、直接の言及がないのに参加できるという。
なし崩し的に自衛隊の海外での武力行使に大きく道を開く内容だ。政府は憲法の解釈変更と言うが、憲法の破壊に等しい。
安倍政権はこれを、国会議論もほとんどせず、わずか1カ月余りの与党協議だけで決めてしまった。暴挙と言わざるを得ない。
今回の決定は、とても歴史の審判に堪えられない。憲法の平和主義をねじ曲げ、国を誤った方向に導く。
■結論だけを置き換え
首相は閣議決定後の記者会見で「現行の憲法解釈の基本的考え方は、何ら変わらない」と述べた。
しかし、憲法解釈見直しの論理は破綻している。
72年の政府見解は、憲法9条の戦争放棄や戦力不保持に触れた上で、憲法前文が平和的生存権を、13条が幸福追求権を定めていることから「自国の存立を全うするために必要な自衛の措置を禁じてはいない」として、個別的自衛権の行使を認めている。
一方で、平和主義を掲げる憲法は「自衛の措置を無制限に認めていない」とも指摘し、行使は必要最小限の範囲にとどまるべきだとして「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」と結論づけた。
閣議決定はこの見解の一部をつまみ食いし、結論だけをまったく逆に置き換えた。こんなことがまかり通るなら、時の政権の判断でどんな憲法解釈でも可能になり、法の支配が有名無実化する。
■集団安保にも道開く
政府は、国際法上の集団的自衛権行使全てを容認したわけでなく《1》国民の幸福追求権が根底から覆される明白な危険がある《2》他に適当な手段がない《3》必要最小限度―とする「武力行使3要件」で限定していると強調する。
だが時の政権が「明白な危険」を都合よく判断すれば、事実上、あらゆる事態を「要件に該当する」と認定し、集団的自衛権を行使することができる。
実際、政府は中東地域のシーレーン(海上交通路)での機雷掃海など、集団的自衛権の8事例すべてで行使が可能としている。
そればかりではない。集団安保への参加にまで道を開いた。公明党の同意を得るため「参加できる」とは明記していないが否定もしておらず、政府は「3要件を満たすなら憲法上許容される」との立場だ。
他国を「守る」集団的自衛権に対し、集団安保は複数の国が制裁措置として一つの国を「攻める」ものだ。同じ武力行使でも次元が異なる。
しかも首相は「これまでの政府の憲法解釈と整合しない」として、参加を明確に否定していた。国民を欺いたと言われても仕方あるまい。
■駆け付け警護可能に
集団的自衛権の陰に隠れ、与党協議でうやむやになった自衛隊の海外での武器使用基準緩和や、多国籍軍への後方支援拡大も閣議決定された。
武器使用について、政府はこれまで憲法で禁じる「海外での武力行使」に抵触する恐れがあるとして、正当防衛や緊急避難に限定してきた。
この基準を緩和し、国連平和維持活動(PKO)に参加する自衛隊が、離れた場所で襲われた他国のPKO要員らを武器を使って守る「駆け付け警護」などを可能とした。
これまで「他国の武力行使との一体化」を避けるため「非戦闘地域」に限定していた後方支援も、「現に戦闘行為が行われている現場」以外なら一体化しないとの新基準を打ち出し、戦地での武器・弾薬の提供もできるようにする。
自衛隊の海外での活動が常態化する中、自衛隊員が戦闘に巻き込まれ、死傷する危険性が格段に高まる。到底認められない。
集団的自衛権をめぐる憲法解釈は、国会での長年の議論の積み重ねで定着したものだ。その根本的な変更について、国会への説明を怠った首相の責任は重大だ。一方、国会の側も政権をチェックする役割を果たしていない。
政府は秋の臨時国会以降、実際の集団的自衛権行使などに向けた法整備を行う方針だ。憲法を無視した安倍政権の暴走を国会が食い止められなければ、将来に禍根を残す。
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■2014/8/3 札幌暑し、みちこの味覚は
七月後半から暑い日が続いています。夏ですから、当然のこと。今年は30度を超える日が多く、「おお、夏だなあ」と実感しています。せっかくのアジサイが、日照りが多いためにギラギラの太陽光でしか観られない。時々雨になり、しっとりと水滴が付いた花びら、葉から雫がしたたり落ちるょうな時こそ、この花の美しさが際立つのですが。仕方がありません。
みちこの味覚障害は、相変わらず大きな変化は無し。先月中旬からパキシルを止めて、漢方薬の黄連解毒湯を服用しています。二週間ほど飲んでいますけど、これといった効果は見られません。数日前から、堪りかねたみちこは、以前に透析科から貰って残っていたパキシルを飲んでみました。「飲まないよりは、ずっと楽だ」と云っています。効かない効かない、と思っていたパキシルですが、味覚異常を和らげる効果はあったようなのです。次回の受診時に、またドクターと相談するつもりです。
先月末、私の高校の同級生でサッカー部の仲間だった友人が亡くなりました。昨年見つかった胃がんが原因です。当時同じサッカー部のキャプテン(私が尊敬していた仲間)も、数年前に鬼籍に入り、同年齢の友人を二人失いました。まだ若い。しかし、死は年齢に関係なく、突然やってきます。今こうして生きている自分が不思議ですが、命がある限り、出来ることを一所懸命やっていこうと思います。先日彼岸に渡った友が、電話口で「健康に気をつけて、やってくれ」とか細い声で呟いた。別れの言葉です。
■2014/8/15 みちこの味覚、その後
昨日、北大神経科を受診しました。 漢方薬が全く効かないこと、ガバペンとパキシルが味覚異常を和らげることを伝えました。みちこは、「最初は元のように何でも美味しく食べられるようになりたいと思いましたが、今は和らぎがあり、我慢できない苦痛が無くなるだけで良いと考えるようになりました。最善は求めません」と自分の気持ちの変化を率直に云いました。
ドクターは、「そうですね。『苦痛を和らげる』というのを治療の落とし処とするのは、悪くありません」と同意してくれました。話はとんとん拍子に進み、漢方薬は止める、透析後にガバペンを頓服薬として使用、日常はパキシルを使う、という結論でまとまりました。みちこは、薬を頻繁に変える状態よりも、効果がありそうな薬を固定して服用したいと希望していたので、ドクターと意見が一致して好い方向に向かいつつあると感じています。今日は、コカコーラを「美味しい」と云って飲みました。
■2014/8/15 敗戦の日、日本人の心は
新聞、テレビのようなマスコミは、今日8月15日を「終戦記念日」と呼びます。私は「敗戦の日」と云います。「終戦」などと云う言葉には、全く深刻な意味が無い。無機質であります。無責任と云ってもいい。日本人が何時から終戦と云い、事実を糊塗するような風潮になったのか。私は知らないが、苦々しい思いでいます。いつの間にか、日本人の精神が麻痺しているのである。
日本が日米戦争に敗れた、この事実をしっかり認識しない限り、日本人の精神力が復活しないだろうし、自らの歴史の真実と誇りを取り戻すのは不可能だと思います。今日は、左翼の人たちが「平和を守れ」「戦争反対」と日本中で叫んでいます。私も、平和と戦争反対には大賛成です。左翼の方々と同じです。違うのは、「どう平和を守り、戦争をしないか」という手段ですね。
左翼人は、ひたすら「憲法九条を守れ」「九条が平和をもたらした」と云います。これが嘘であることは、これまでも述べてきました。日米安保条約と強大なアメリカ軍基地があるから、東アジアで軍事バランスが確立し、日本は他国から攻められませんでした。しかし、最近は中国軍の強大化、ロシアの動向の変化、アメリカが「世界の警察は辞める」と云い、明らかに冷戦当時とは異なる環境に移行しつつあります。こうした現実を一顧だにしない左翼は、十年一日同じ感情を喚くだけ。無責任きわまりない。
私は、日米戦争で亡くなった人々の心情と決意と祖国を思う気持ちに、何と云って言葉をかければよいのか。紡ぎ出す言葉が見つかりません。尊崇の念、哀悼の意を表する、こんな在り来たりの言葉では不足です。戦争末期、九州の特攻基地から飛び立って行った若きパイロットたち。沖縄に展開するアメリカ軍に打撃を与え、本土を防衛し、自らの妻子、兄弟、親たちを守るために自分の命と引き替えに「神風」となる決意をした人々。彼らを「愚かな者」とか「狂信的だ」と云えますか・・。私は云えない。
ところが、左翼人、サヨクマスコミは、何が何でも否定的に描こうとします。愚かな戦術だった、軍国思想に染められていた、無駄死にだった、などなどと・・。死者への冒涜ではないのか。確かに、批判されても仕方のない戦術だったかもしれない。しかし、自ら命を投げ出すことを厭わず、祖国の復興と平和を願って散華した人々は、神になったのであり、批判の対象ではない。
私は、毎年この日が来る度に思います。日本は、「何故アメリカと戦ったのか、戦わざるを得なくなったのか」。さらに「アメリカは何故日本と戦ったのか」と。こうした、複眼的な視点からあの戦争を見つめなければ、歴史の真実は何一つ見えないし、日本が高々と掲げた大東亜戦争という言葉の意味すら理解できません。「あの戦争は、悪い日本の侵略戦争だった」史観を払拭しなければ、日本人の精神は何時までも敗戦国のままです。いや、敗戦国であることすら気が付かない。
■2014/8/30 呼吸器内科定期受診
二ヶ月ぶりに、呼吸器内科を受診しました。腫瘍の大きさが、どう変化しているか心配でした。ドクターはCT画像を見ながら、「サイズは殆ど変化ないですね。腫瘍マーカーも横ばいです。今ある腫瘍が、癌の再発なのかそうでないのか、断定するのは難しいです。この一年半、腫瘍に大きな動きがないけれど、癌でないとも言えないし、元の患部に何らかの細菌が付着して悪さをしているのかもしれませんし・・・・・。再発と判断するには、その速度がやけにゆっくりしているんでよすね・・・・」、と何度も首を捻っていました。
「個人的には、癌の再発と言うには、可笑しいかなと・・・。記録を読むと、最初に治療した病院では、癌細胞のタイプを確定していないのです。緊急性を要する状態なので、当時としては最悪を考えて、最善の治療をしたのです。癌腫が分かっていれば、その後の再発可能性や腫瘍拡大のスピードなどを予測出来るのですが・・・。今となっては、難しいことです。」
StageWとされた癌で、5年生存率10パーセントと宣告されて、今年は五年目。確かに、ドクターが不思議に感じるのは当然かもしれません。私たち夫婦も不思議です。腫瘍があるのは間違いないけれど、これからどう変わっていくのか、益々誰にも分からないようです。でも、生きているのを感謝しなければ。治療を終えた後、何時不測の事態になっても慌てないよう、対応準備と覚悟はしていましたから。
それよりも、みちこの味覚障害は、完治しないような気がします。これまでも様々な薬を試してみましたが、決定打は無いようです。緩和してくれる薬は、ガバペンみたいです。特に透析が終了した後に服用すると、効果がみられます。ガバペンにパキシルを組み合わせた処方で安定化させるのが、今のところベターな方法かと思っています。みちこ、今日は歯科受診でした。
■2014/8/30 パソコンを組み立てました
一昨日、札幌駅前のツクモに行き、デスクトップパソコンのパーツを買い込んで来ました。このカルテは、出来上がったばかりの新品ホヤホヤPCで書き込んでいます。今まで使っていたPanasonicAX2に不満がある訳ではありません。写真の処理に、私はアドビ社のPhotoshopを使っています。最新バージョンCC(2014)をAX2にインストールしたら、何と何と、全く起動しません。
Adobeのサイトをよくよく調べてみたら、ビデオカードに問題がありました。AX2の場合、i7-3667UというCPUにHD Graphics4000というビデオカードが内臓されています。昨年までのPhotoshoCCであれば、何の問題も無く、軽々動作していました。新しいバージョンになったので、Adobe Creative CloudからダウンロードしてCC(2014)を入れたけれども、ウンともスンとも云わない。
新バージョンのCC(2014)は、3D画像編集機能を思い切り強化したので、CPU内蔵のビデオカードでは間に合わないらしいのです。年間契約で購入しているソフトなので、新しいものを使えないのはバカバカしいのです(毎月3000円支払っている)。それじゃ、と一大決心して、外付けビデオカードの付いた強力なパソコンを作ってしまえ、と重い腰を上げたわけです。
Windows98の頃から自作していたので、やれる自信はありました。大きいパソコンは嫌なので、ASUSのmicroATXマザーボードZ97を選択。合わせて、GIGABYTE GeForce GTX 750ビデオカード、CPUはintel i7-4790K、16GBメモリー。普通の人にはオーバースペックな構成となりました。組み立ては、当日の内に終わりましたが、箱が小さいので組み込みに苦労しました。
昨日は、Windows7をインストール。デバイスドライバなどのインストールに思いの外時間がかかりました。いよいよPhotoshop CC(2014)のインストールへ。いやーっ、どきどきしました。 でも、すんなりとダウンロードされてインストール完了。おっかなびっくりショートカットアイコンを押すと、ササササーッと起動して。モニターの中から「こんにちは」と挨拶されました。
久しぶりのパソコン自作にちょっと戸惑いがありましたが、新バージョンのPhotoshopに大いに満足しています。新パソコンは極めて快調です。ソフトが新しくなると、ハードも新しくしなければならない。ちょっと辛いですね。
■2014/9/4 朝日の気持ちになり
道新には殆ど掲載されていませんが、朝日新聞が所謂「従軍慰安婦」問題で「訂正記事」を書きました。ポイントは二点。
(1)
吉田清治氏の著書「私の戦争犯罪」で、朝鮮・済州島で200人の若い女性を慰安婦として強制連行した、と書かれていた。しかし、済州島での調査や研究から事実とは認められず、それを報道した朝日の記事は誤りだと認めた。
(2)「女子挺身隊」と「慰安婦」を、当時の研究不足のため「混同」したのは誤り。 1991年の植村隆元記者の以下の記事
< 日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、(後略) >
は、「意図的な事実のねじ曲げなどではありません」、と記事の誤りは認めない。
朝日は「検証」「訂正」記事の動機付けを、次のように書いています。(杉浦信之編集担当役員の署名
)
<慰安婦問題が政治問題化する中で、安倍政権は河野談話の作成過程を検証し、報告書を6月に発表しました。一部の論壇やネット上には、「慰安婦問題は朝日新聞の捏造だ」といういわれなき批判が起きています。しかも、元慰安婦の記事を書いた元朝日新聞記者が名指して中傷される事態になっています。(後略)>
「従軍慰安婦問題」の詳細をご存じない方もいるかと思います。事の発端は、80年代に吉田清治と云う詐欺師が、済州島で慰安婦狩りをして、若い女性二百人を強制連行したと著書に書いたこと。それを、何の検証もしないまま(裏取りをしないままに)繰り返し繰り返し記事にして、「酷い日本軍」「可哀想な朝鮮人従軍慰安婦」と垂れ流したのが朝日新聞です。
91年、朝日記者の植村隆が、女子挺身隊と慰安婦が同じとの前提で、元慰安婦の証言を「スクープ」。自分の義理の母(朝鮮人である妻の母)が行う「慰安婦発掘と日本に謝罪を求める運動」を援護射撃する記事を書き、慰安婦問題という火に油を注いだのです。以後、従軍慰安婦問題は韓国が日本を攻撃する最大の材料になり、今日に至ります。アメリカでは、韓国系と中国系のアメリカ人がタッグを組み(日系議員も一緒になり)、「慰安婦像」建立の反日運動が各地で起きています。
朝日は、どうしても頬被り出来ない部分については、渋々間違いを認めました。それも、30年も経ってからです。火付けの主役が朝日なのに、「いわれなき批判」を受けている、元記者が中傷されている、などとよくもヌケヌケと言えたものです。まるで他人事のような振りをしています。こういうのを、居直りと云うのでしょうね。報道機関として、良心の欠片も無い。
私は、朝日の立場になって考えてみました。
私(朝日)は、左翼の先頭に立つ身です。如何なることがあろうとも、日本政府と国家をぶっ潰すという気高い正義の立場を崩す訳にはいきません。しかし、このままでは、左翼としての立場が不利になりかねません。普通のまっとうな国民から批判を受けるのは非常に拙い。また、保守陣営から厳しく追及されるような材料を持ち続けると、今までの努力が水泡に帰します。
安倍政権打倒という目標達成にも、大きな障害になります。何とか今のうちに、攻撃される問題は小さくしておかなければいけない。「嘘も百編言えば、本当になる」と云うけれど、「慰安婦問題」はなかなか難しい。産経だけでなく、読売、毎日までが朝日批判を始めている。うちの報道に嘘があったのは一部認めて、問題を「女性をセックス奴隷にした」と論点を変えよう。
国連のクマラスワミ報告書が「慰安婦は性奴隷」と認めているし、アメリカ議会でも日本が謝罪すべきだと勧告しているし、慰安婦像建設の運動がアメリカ始め世界に広がりつつある。これらを最後の砦にして、誤魔化せる嘘はそのままに、海外の反日勢力と連携を更に強化して、今の苦境を脱しましょう。戦術として、二枚舌三枚舌は当然のこと。まだまだ頑張ります。
不安なのは、慰安婦問題以外に、福島第一原発事故で「命令に反して、職員が撤退した」とスクープしたのが、実は嘘だったとバレ始めたことです。吉田元所長の聞き取り調査書が、これ程早く公になるとは思っていなかったのです。何とか取り繕う方法を考えなければ・・。河野談話の検証から、新談話を出す動きが国会で起きているのも気にかかります。拙いです。
元来、風見鶏のように一貫性が無いのが、我が社の特徴です。戦時中は、最も国民を戦争遂行に煽りましたし、ポツダム宣言受け入れを知っていたけれど、最後まで一億総火の玉などと書いてました。戦後は、GHQに忠誠を誓い、左翼の雄として生き残ることにしたのです。かなり成功しました。とくにインテリがこぞって朝日に執筆したがるのが有り難かったです。
今さら「左翼を止めました」、と云うのはプライドが許さないので、如何なる手も使いましょう。韓国、中国だけでなく、アメリカやヨーロッパのリベラル派との連携は大事です。国内の味方が少しずつ減っている、反朝日の国民が増えているのは一番の不安材料です。ところで、植村隆くんは、今年から札幌の北星学園大学の講師をしているが、負けずに頑張って欲しいものだ。
■2014/9/18 朝日にも秋風が
子供の時分には、「嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれるよ」と、周りの大人たちに云われたものです。基本的に多くの日本人は、こういう感覚が身についています。いつの時代にも犯罪者、詐欺師はいるけれど、それを是とする日本人は希です。
前回の拙文を書いた後、朝日が「福島第一原発事故と吉田元所長証言」に関わる記事を撤回、謝罪する記者会見をしました。私がちょいと触れておいた問題だったので、朝日の意外と早い反応に驚きました。政府が遺族の意思を確認して、証言記録を公開したのが大きな理由でしょう。また、他のメディアからも証言内容の報道が始まり、拙いと思ったのでしょうね。
会見では、他社マスコミから「慰安婦問題」についての質問が相次ぎ、「訂正が遅れたことについて」謝罪しました。しかしながら、慰安婦問題の根底になる吉田清治証言が嘘であるにも関わらず、「広義の意味での強制性があった」とする立場を翻すことはありませんでした。やはり、朝日に反省という言葉は無いのでしょう。真実を多面的に公平に報道するべき報道機関として、完全に失格です。一発レッドカード、退場。サッカーの試合なら、文句なくこうなっている筈です。
朝日を始め左翼マスコミや文化人と呼ばれる人々の特徴は、間違いや嘘が明らかになっても「論点をすり替える」という特殊技能を発揮することです。吉田清治証言の嘘、「河野談話」(1993年)の成立過程のいい加減さ、「元慰安婦証言」が転々と内容が変化し信頼性に欠ける、などの事実があるのに、朝日はあくまでも「従軍慰安婦」の「広義の強制性こそが本質だ」と論点を移動して居直っています。慰安婦問題と朝日の報道内容について、謙虚に全面的な検証をするつもりは無いらしい。
嘘が30年経って、ついに隠し通せなくなった。朝日の「信頼」にも、国民からの冷たい秋風が吹き始めたと、私は思います。反日、反国家、反国民を戦後一貫して推進してきた売国行為に、天罰が下り始めたのです。これで誤魔化せると思ったら大間違い。朝日にとって、本当の苦悩はこれから始まります。唯一信頼回復の道は、謙虚な自己検証と自浄行動だが・・・はて。
蛇足になりますが、道新の姿勢についても一言。朝日の「慰安婦と福島第一原発吉田証言」問題が世間を騒がせているのに、道新はこのニュースを小さく報道しただけです。黙りを決め込んでいる。朝日以上に朝日的な道新が、いったいどうしたのか。朝日に味方して、何故反撃の狼煙を堂々と上げないのか。やはり、道新にとっても都合の悪い事態に至って来たのか・・。
朝日を報じるということは、道新自らの報道姿勢を省みる必要がありますからね。我が社のことではありません、当社とは関係ありません、と当面は逃げの態勢に入ったらしい。朝日に追随どころか、朝日の上前をはねる程の左翼新聞が、頭を抱えて台風が去って行くのをひたすら待っているイメージです。「嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれるよ」、私からの一言です。
■2014/10/16 肺炎、そして入院
時間の流れが速すぎて、まったく追いついて行けません。一ヶ月近くも更新が出来ませんでした。
火曜日に、みちこは入院しました。原因は、肺炎です。日曜日の午後から、「寒気がする。熱がある」と云い、ベッドで横になったり、ゴロゴロしていました。夜になると、39.9度という高熱になり、ハアーッハアーッと荒い息づかいになり、とても苦しそう。こうして一晩過ごしました。翌月曜日の朝方は、37度から38度。解熱剤を使っても改善は見られず。病院に電話すると、直ぐに来院するように指示され、緊急の外来受診をしました。ドクターの判断でCT検査をしました。
その結果は、右肺葉が肺炎になり、真っ白になっている。胸水があり、肺の一部が水に浸かっている。炎症反応も、9と高いレベル。ドクターは、入院した方が良いと思いますが、と仰る。みちこは、「入院したくない。家に居る方が気楽だし」と抵抗する。ドクターは、困った顔をして「強制入院はさせられませんからね・・・」と云う。私も、困ってしまった。
当日は、透析と抗生剤投与をして、帰宅しました。しかし、流石のみちこも自信がなくなったらしく、「明日入院させてもらおうかな・・」と言い出しました。私は、ほっとしました。透析のドクターに電話して、みちこの状態と気持ちを伝えたら、明日入院の準備をして外来に来てください、とのこと。夜は、かなり咳き込みが強く、高熱が続いていたようです。私もみちこも、熟睡出来ませんでした。朝から入院用の荷物作りを、気力を振り絞ってやりました。見ていると、とても辛そうで。女性の荷物は、私には準備出来ません。みちこの頑張りを、声を出さずに応援するだけです。必死になってやり遂げました。
外来に行き、緊急入院の態勢となりました。抗生剤の点滴、胸部X線撮影、血液検査などをして、午後に入院となりました。熱発して体調は悪いけれど、食欲の減退はありませんでした。検査の都合で昼食が抜きになり、夕方には「お腹が空いた。アイスモナカが食べたい」と云ってくれました。買って来たアイスに貪るように齧り付いていました。夕食も全量摂取。
昨日は、結核菌が出ていたら困るからと個室に隔離されていました。これは、あくまでも念のための対処。出入りする看護師さんたちは、もの凄く大袈裟なマスクをして慎重に入ってきます。私は何も付けないでいたら、師長さんに「マスクをして下さい。でなければ、面会出来ません」などと脅され、怒られました。絶対大丈夫だと思っていたので、ちょっとムカ付いた。
今日は、痰の検査結果から結核の疑いは晴れて、マスク無しで入室可能でした。私は、密かにニンマリしてました。四日間続けて抗生剤の投与があった為か、体温は37度台に収まって、炎症反応も5まで低下しました。経過は今のところ順調そうです。ドクターは、このまま回復に向かえば来週退院出来る、と踏んでいるようです。思惑通りに行くか、どうか・・。
独り暮らしが三日目となりました。この間バタバタしているので、寂しいという気持ちは無かったけれど、今夜辺りからどうなるか分かりません。猫たちとの生活も悪くないが、人の声がしないのは、ふと変な気分になるものです。今日は長女が来てくれて、久しぶりに一緒に食事して、珈琲を飲み、彼女の悩みや近況をゆっくり聞けました。私の気持ちも明るくなりました。
■2014/10/19 順調に経過
奥さまの見舞いに行って来ました。抗生剤(ピスルシン)の効果が出ています。今朝は、36度台後半まで体温が下がって来ました。顔色が良くなったし、体の切れも通常に近くなっています。しかし、肺炎が完治したわけはないので、油断は禁物です。
テレビドラマを二時間観たり、小説を読んだり、気力が戻りつつあります。でも集中力が長続きしないようです。食事をしたり、新聞を読んだ後は、疲れが出て、直ぐにベッドで寝てしまうと云っています。40度近い高熱にうなされ、肺が真っ白になったのですから、そのダメージは大きい。熱が下がって来ただけでは、元に戻らないでしょう。もう少し時間がかかりそうです。
■2014/10/19 道新はまだ嘘を垂れ流すのか
今日の道新社説を読んで、またかと、呆れるやら失望するらや、言葉がない。が、こんな子供だましのような駄文を放置することは、日本の社会をますます軟体動物のようにしていまうので、敢えて一筆書かせていただきます。
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《閣僚の靖国参拝 自覚と責任欠いている》―19日付け「北海道新聞」社説
(略)高市早苗総務相、山谷えり子国家公安委員長、有村治子女性活躍担当相がきのう、秋の例大祭に合わせて靖国神社を参拝した。 (中略)
11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に合わせた中国や韓国との首脳会談実現に向け、さまざまなレベルで対話努力を続けている最中である。
(中略)
自らの利益を優先して国益を損ねている。猛省を促したい。
高市氏は参拝後、「(中韓との)外交関係になるような性質のものではない」と述べた。
だが、中国政府は首相の真榊奉納などについて「靖国神社をめぐる日本国内のマイナスの動きに重大な関心と断固たる反対を表明する」と強く反発した。
中国や韓国との首脳会談の調整に悪影響が出た場合、どう責任を取るつもりなのか。
(中略) 山谷氏は参拝後、「国のために尊い命をささげたみ霊に感謝の誠をささげた」と語った。
だが靖国神社は先の戦争を肯定、美化する歴史観を持ち、東京裁判のA級戦犯を合祀(ごうし)している。
政府の指導的立場にある閣僚の参拝は、侵略戦争の肯定と受け止められても仕方がない。憲法の政教分離原則にも抵触しかねない。(中略)
今後、仮に中韓との関係改善が進んでも、首相や閣僚が靖国神社に参拝すればその度に逆戻りしてしまう。靖国参拝に代わる新たな戦没者追悼のあり方を、今こそ真剣に検討するときではないか。
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ようするに道新は、「閣僚の靖国神社参拝は悪いことだ」、と主張しているのです。この社説中で最も問題なのは、「靖国神社は先の戦争を肯定、美化する歴史観を持ち、東京裁判のA級戦犯を合祀(ごうし)している」との部分です。こういう歴史の事実と違うことを、何も恥じらうこと無く書き散らすことが如何に罪深いか。社説氏よ、もっと歴史を勉強しては如何かな。
「当神社は、戦争を肯定し、美化するためにあるのだ」と、靖国神社がこのように宣言しているのですか。私は、寡聞にしてそのような話はまったく知りません。明治二年東京招魂社が創建され、それが靖国神社の始まりです。明治12年、靖国神社と改称されました。明治天皇は、この社に参拝した時、以下のような御製をお詠みになりました。
「我が国の 為をつくせる人々の 名もむさし野に とむる玉かき」
我が国の為に命を捧げて散っていった人々への尊崇の気持ちを表し、その功績を末永く称えて、亡くなった御霊を慰める。靖国神社とは、このような施設であります。戦争を肯定・美化するなどと云う意味は、どこにもありません。幕末から大東亜戦争までに、日本国の国難にあたり勇敢に命を捧げた人々(男女、身分、功績に関係無く)約247万柱が祀られています。
もう一つ、道新のとんでもない誤認があります。社説では、東京裁判のA級戦犯が祀られている、とのこと。では、東京裁判とは何か。A級戦犯とは何か。これを明らかにしなければならないのではないのか。東京裁判は、事実上マッカーサーの指示で行われました。しかし、戦勝国が敗戦国を一方的に裁くなどというのは国際法上も許されないことであり、かつ事後法(平和への罪や人道上の罪などを戦後になってでっち上げる)により、戦争前に遡って罪を問うというトンデモ裁判です。
韓国は、今現在もそういう普通で無いことをやっています。かの国は、世界常識から外れていますからね。
A級は、「平和への罪」だそうです。東条英機元首相たちが、この罪で処刑されました。
東京裁判自体が、まったく正当性の無い、むちゃくちゃなものです。A級戦犯、C級戦犯(人道上の罪)は、とくに酷い。昭和27年、サンフランシスコ平和条約を結び、日本は取りあえず独立を果たします。翌昭和28年、国会は「A級戦犯を含め、全戦犯刑死者を公務死」と全会一致で認めました。さらに昭和30年には「戦犯問題の全面解決を求める決議」がなされました。そして昭和33年には、全員が釈放されました。
ですから、昭和28年の段階で、日本から「A級」も含めて、戦犯はいなくなったのです。この事実は重いのです。なにしろ当時の与野党全ての国会議員が賛同しているのですから。また、民間でも日弁連(今は左翼の集まりですが)が同趣旨の「赦免に関する意見書」を出しています。「戦犯」が公務死となり、遺族年金なども支給されるようになりました。
所謂「戦犯」が、靖国神社に戦争犠牲者として合祀されたのは昭和53年です。これを最初に報道して、あたかも問題があるかのように騒ぎ立てたのは、誰もがご存じの朝日新聞です。賢明な読者ならお分かりでしょう。問題で無いものをも「問題だ」と火をつけて、韓国や中国にご注進報道をする。そして騒ぎ出した中韓両国と手を取り合って日本攻撃をするのです。
靖国神社に対する認識の間違い、東京裁判を全肯定し「正しい裁判」と絶対視、そしてありもしない「戦犯」が合祀されているのが問題だと断定する。朝日も酷いが、道新の左翼ぶりは全国の地方紙の中でもトップクラス。嘘もいい加減にしなさい。
「中韓との関係改善が進んでも、首相や閣僚が靖国神社に参拝すればその度に逆戻りしていまう」、と道新さん。何を馬鹿なことを。日本と中韓の関係が悪化しているのは、まるで日本が悪いと主張している。くどいようだが、関係悪化をやっているのは中韓両国ではないか。尖閣は中国の領土だ、靖国参拝は軍国主義の復活だ、従軍慰安婦問題を謝罪せよ、などなど。無理難題をふっかけ、日本が低姿勢でいることを好いことに、言いたい放題やりたい放題。その中韓の言い分を丸呑みしなければ、友好関係が築けないと主張する道新は、いったいどの国の新聞なのか。やはり売国左翼、日本破壊新聞である。
続いて、道新は「靖国参拝に代わる新たな戦没者追悼のあり方を、今こそ真剣に検討するときではないか」と仰る。ちょっと待って下さい。靖国神社は戦争を肯定・美化するものではない、東京裁判は不当であり無効である、「A級戦犯」はもういない、これらの事実から「新たな戦没者追悼」を検討するという主張の土台が崩れ去っている訳です。もはや検討する根拠は一つもありません。議論は、これで終わりです。「宗教分離の原則」なども、靖国神社とは全く無関係です。
靖国神社は、どんな宗教を信じていても日本国の為に命を落とした人を平等にお祀りしています。そして、合祀と同時に神となります。遺族の方が、キリスト教徒であればキリスト教式で、仏教徒であれば仏教式で、回教徒であれば回教式で、お参りして構いません。日本神道は、他宗教を排除しないのです。包容力豊かな宗教であることを強調しておきます。
政教分離と云いますが、道新はその意味が分かっていないに違いない。宗教団体(教団)が政治に関与しない(一体化しない)、という意味です。政治家が神社に参拝したり、キリスト教会でお祈りしたり、お寺にお参りする、等々を禁じているのではありません。またその国々により、宗教の日常生活における文化的な存在の仕方は様々です。アメリカ大統領が就任の宣誓で、聖書に片手を置いて決意を表明するのは当然のこと。これを政教分離に反するなどとの批判はあり得ません。
日本は歴史的に神道の国です。戦没者の御霊慰霊に、神社(神道)をその場とするのは当然のことです。道新には、社説氏が主張される「新しい戦没者追悼施設」の具体案をご提出いただきたいものです。きっと無理だと思うけれど・・・・。
■2014/10/24 みちこ退院しました
みちこは、19日まで炎症反応が低下、体温も36度台で推移し、順調に回復しつつありました。当日夜に、また気管から出血がありました。肺炎の悪化が心配されますし、癌治療の跡と腫瘍がどうなっているか、この機会に気管支鏡検査をしましょうとドクターから提案がありました。私たちも検査をしてはどうか、と思っていましたので、同意しました。22日に検査をしました。
その結果、出血の場所が放射線治療をした部分であることが判明しました。同時に腫瘍の状態を見ましたが、大きな変化が無いと分かりました。今回の肺炎の原因となった患部が分かり、腫瘍が再発状態には無い(落ち着いている)。もしかして癌が動き出したのか、と若干の不安がありました。それが解消されて、ほっとしました。今後も再出血がある、と認識しました。
で、今日はついに無罪放免、退院となりました。朝から見事に秋晴れ、絶好の退院日和です。いつもより忙しい行動で、奥さまを迎える準備をし、パタパタと病院に向かいました。みちこは、フラフラしながらも必死になって荷物を整えて待っていました。支払いを終え、車に乗り込むと嬉しそうな様子で外の風景を見つめるみちこです。10日ぶりの外の空気だから。
少しだけ遠回りして、綺麗に色づいた街路樹の紅葉を眺めながら車を走らせました。とくにイチョウが例年以上に美しい。北海道大学のイチョウ並木が見頃だと報道されているけれど、私たちの住む近くもなかなかの紅葉美なのですよ。幸せです。
■2014/11/13 旅に出て来ます
慌ただしく、出発の準備を終えたところです。旅に出るきっかけとか顛末は、帰宅してからお知らせします。みちこが「行きたい」と云ったのが始まりです。のんびり旅の予定なので、無理せずに行って来ます。この間、みちこの味覚は安定していて、ピザやコーラをとても美味しく頂けるようになっています。旅の料理も楽しめるといいな。
■2014/11/23 やっと帰って来ました
昨夜7時、ヨレヨレになって旅から帰りました。行った先は、長崎県の五島列島・五島市です。昨夜はこんこんと深い眠りに入り、起きたのは8時半でした。まだ疲れが取れません。旅の内容と感想などなど、日を改めて書きます。今夜も寝ます。
■2014/12/8 ちんたら旅報告(1)
やれやれ、今年も師走になりました。ほぼ毎日のように「仕事」があるので、充実感はあります。が、この一年これをやった、という達成感が感じられません。追われるように、今年も一年が過ぎ去りそうな気持ちです。札幌は、七日の朝に本格的な降雪となりました。朝の時点で、20cmはありましたでしょうか。駐車場の除雪に初めて出動しました。もしかして、根雪か・・。
北大で処方されている薬が効いて、奥様の味覚障害がかなり改善して来た秋のある日。「五島に行ってみたい」と云いだしたのは、奥様です。「食べるのに苦しんで、何処にも出かけたくない。生きているだけだ」という引きこもり状態が長く続いていたので、この一言は私の決断を早めました。すぐに旅行の計画書を作り、旅行代理店に行き、JR切符とホテルの予約を頼みました。ホテルが決まった時点で、「旅行透析」の病院を探し、次々に予約を申し込みました。これって、なかなか大変。
切符やホテルの予約標が届いたら、もう躊躇している暇はなし。旅行の持ち物一覧を作り、必要な物を揃え、バッグに詰め込みます。奥様にとっては、透析生活に入って初めての長旅になります。その日が迫って来ると、「行けるだろうか・・」と少し不安な気持ちが起きたらしい。が、もうキャンセルは出来ないので、「準備は万端、大丈夫だよ」と励ましました。同行者の私がぐらつく訳にはいかない。平然としていました。変わっているのは、全行程新幹線で行く、ということ。列島縦断です。
13日、7:30発、函館行き特急に乗車して、旅は始まりました。函館を過ぎると、北海道新幹線の真新しい線路や駅が見えてきます。いよいよ念願の超特急が北の大地を駆け抜けるのか、という感慨が湧いて来ました。津軽海峡があるために、本州の人からは、「化外の地」と見られてきました。今でも、北海道の人(一部ですが)は、本州を「内地」と呼ぶ習慣があります。
東北新幹線で、東京。東京から新大阪。新大阪から神戸の三宮。これが初日のルートです。三宮着が夜の8時半なので、やや疲れました。新大阪から乗った「特急はくと」が面白かった。座席が木製で、室内はクラシックなデザインで統一されています。終着駅は、鳥取です。私たちは、たった二駅しか乗らなかったけれど、もっと乗っていたいような気持ちになりました。
ホテルにチェックインしたのは、九時近く。朝早かったのがたたり、疲れが出てきました。当日は、直ぐに就寝。(続く)
■2014/12/10 ちんたら旅報告(2)
昨年の降雪記録を調べてみたら、12月13日から雪が降り始めています。今年は、一週間早く冬に突入しました。
何故神戸に行ったかと云うと、透析のためです。一日置きに通院しなければならないのは、何処に居ようが変わりなし。午前中は、北野異人館街を散策しました。以前には立ち寄らなかった場所を歩きました。高野山真言宗不動院は、巨大なムクノキの枝枝が小さな境内を覆い尽くしている。北野天満神社にも立ち寄る。急な階段を上らなければならないので、少々辛い。
昼食を食べようと思い、適当にふらふらしているとインド料理専門店がある。奥様が「何とか食べられる気がする」と云うので、ドアを開けて中に入る。経営者は、正真正銘のインド人である。ランチメニューを勧めてくれる。ナンとサラダと三種のカレーである。「あまり辛くないから、大丈夫よ」とマスターらしきインド人が丁寧に説明してくれる。ナンが美味しそうなので、お勧めに従い、注文する。なるほど、全く辛みはなく、むしろほっこりと甘みがあるほど。奥様も、安心した表情で食べ始める。
「お腹が空いた」と云っていた奥様、カレーの香辛料や味に拒否反応なく、どんどん口に入れている。ナンもパクパク。私よりも早いくらいのスピードで食べている。「美味しい、ナンが気に入った」と嬉しそうにしている。私も嬉しい。満腹になる。
この後、市内のクリニックで透析。何事も無く、終了。夕食は、三宮駅の近くでお好み焼きを食べる。これも全量摂取する。お腹が空いた、何か食べたいと口に出すようになり、極めて順調な旅のスタートとなりました。食べられることが最高なのです。
翌日、のぞみ97号で博多に向かう。博多からJR線かもめ17号に乗り換え、長崎を目指す。有明海を望みながら、ゴトゴトと列車は進む。穏やかな海だ。海苔の養殖だろうか、海のあちこちに施設が見える。午後1時前に、列車は長崎駅にゆっくりと停車する。改札を出ると、大きなショッピングセンターがある。奥様は、お腹が空いたと云っている。レストラン街で、ウロウロして、迷ったあげくインド料理の店に入る。神戸での美味しいカレーとナンが忘れられず、もう一度食べたいという気持ちから。
でも、くだんのナンの味ではないし、カレーも日本風カレーであり、奥様は少しがっかりした様子でした。全量摂取です。ホテルのチェックインには少し早いので、タクシーで大浦天主堂に行ってみる。拝観料300円を払い、建物の内部に入る。明治時代に建築されたものだけに、全体がしっかりした構造で重厚な印象をうけました。驚いたことに、内では結婚式が執り行われている真っ最中。新郎新婦が笑顔で記念写真を撮影しています。俺たちももう一度華やかな結婚式をしてみたいね、などと出来もしない駄弁を呟いていました。あはは・・。坂道を下って行くと、民家の庭先に、紫色の大きなヒルガオが咲いていました。
北海道では見られない風景だね、と又二人で感心して眺めていました。お洒落なカフェがあったので、海を望みながら珈琲タイム・一服の時間とする。奥様は、アップルパイとアイスクリームを注文。実は、アップルパイは奥様の大好物だったのですが、味覚障害発生以来、一度も食べたことが無いのです。本人に食べたいとの欲求が生じたのですから、素晴らしいこと。見ていると、美味しい美味しいと云いながら、これも全量摂取です。夕方四時過ぎ、ホテルにチェックイン。翌日は、五島です。
■2014/12/10 衆議院選挙と道新
衆議院が解散となり、12月2日公示、投票日が14に迫って来ました。もう選挙は最終版というところ。世論調査では、自民党優勢とのことですが、選挙は水物と云われ、開票してみないと分かりません。調査の信頼度は高い、とのことですが。
さて、我らの道新(12月10日付け)の様子を見てみました。
一面
「秘密保護法が施行」の三段見出し。「卓上四季」という朝日の「天声人語」を真似たコラムには、
こんな一文が。
「特に、何が秘密なのかも「秘密」になりかねない点が不安だ。対象が拡大され、不都合な情報が隠される恐れがある。秘密を探ろうとしていないか、おしゃべりまで聞かれるかもしれない。国民は萎縮し、息苦しさを増す。国家機密はあるだうが、そこまでして守るべきはどんな情報なのか」
三面
全面が秘密保護法に反対する記事で埋め尽くされています。
「秘密法運用なお不透明」、「監視態勢の整備も遅れ」、「手続き煩雑」「根回し困難に」の大見出しが並ぶ。
六段を使った社説は、「特定秘密保護法 あらためて廃止を求める」、と大上段に振りかぶる。
社説子はこう述べる。
「秘密保護法のの数ある欠陥の中でも特に問題なのは、対象となる秘密情報が@防衛A外交Bスパイ活動防止Cテロ防止―と広範かつ曖昧で、政府が都合の悪い情報を恣意的に隠せることだ。」
「秘密保護法は(中略)、国民主権や基本的人権という憲法の基本原則を脅かす。この法律はできる限り早期に廃棄されなければならない。」
十一面
半分以上が「読者の声」欄。「政治に『ダメよ』本腰で(大学名誉教授 93)、「自民の一党独裁 許すな」(81)
二十九面
「特定秘密保護法施行 札幌の2人に聞く」「今後の安保政策を注視」「廃止へ世論盛り上げを」
三十四面
「南兵士と沖縄の人々」との連載記事 「青酸配り自決手助け」
三十五面
「知る権利 冬の時代」との大見出し。「秘密保護法施行」
「際限ない情報隠しに」「廃止へ徹底的に闘う」
「官邸前 怒りの声」「若者が抗議活動」
こうした記事で、三分の二が埋め尽くされる。
道新の政治的立場は分かります。朝日と同じで、報道機関というよりは、政治プロパガンダ団体というのが正しい。しかも、筋金入りの左翼であります。左翼ということは、その根っこにはマルクス主義という悪魔のイデオロギーが宿っています。日本を破壊、分裂、消滅させたいとの思いは、我々の想像を超える激しいものです。こうした反日マスコミを侮ってはなりません。
秘密保護法に関しては、「不安だ」「恐れがある」「かもしれない」「息苦しさを増す」などと情緒的な言葉で批判を繰り返すだけです。すなわち、論理的に「こういう事実があるから、この点が問題なのだ」と明確に読者を説得する根拠を持っていないのです。読者の不安を煽り、読者に何となく「悪いものかもしれない」との感情を抱かせるのが目的なのです。
「車は、事故を起こす不安がある」「飛行機は、墜落する懸念がある」。よって、「直ちに製造を停止すべきだ」。こう言っているに等しいのではないか。この世にある物、何でも不安、恐れ、懸念の無いものなど無い。感情、感覚を煽っているのです。
これを、別の言葉では謀略とも云います。特定秘密保護法では、外交、安全保障、スパイ活動、テロ防止の四分野が対象です。項目もしつこいくらいに細かく指定されていて、私などは「これで、本当に役に立つのだろうか」と疑問です。際限のない情報隠しなど出来る訳がない。こうした法律は普通の国なら必ず整備しています。何故なら、安全保障に直結するからです。
日本だけではなく、EUやアメリカも一国だけで自国の安全保障を確実にするのが不可能になり、必ず相互に守り合う形が、第二次世界大戦後は普通になりました。そこで重要なのが友好国同士がお互いに情報交換をして、安全を脅かす危険を早期に察知したり、相互援助の内容を統一しておくことです。しかし、A国からB国にもたらされた情報が、あっという間に第三国に筒抜けになるようでは、友好国同士が信頼関係を築けず不信感を持つようになるでしょう。それは、あってはならないことです。
何でもかんでも秘密にするのではなく、上記四点に限っての話なのです。しかも、適当な時期に公開することが原則になっていますから、永遠に秘密になどなりようがない。さらに、公務員等が対象で、一般国民には殆ど関係ないことです。
日本の左翼の困ったところは、安全保障・国家防衛という視点が全く無いことですね。「国家は要らねえ。国家は敵だ」という思想に支配されている人たちですから、彼らに何を言っても通じない。会話にならない。悲しい人たちですね。
■2014/12/11 ちんたら旅報告(3)
7時40分、長崎港発のジェットフォイルという高速船に乗るのがこの日のスタートとなります。二人とも前日から、やや緊張気味でした。日常生活では、この時間はのんびりと朝食を摂っている時間です。
とんでもなく早い時間なんです。ベッドから出たのが、5時半。簡単にシャワーを浴び、奥様は化粧をして、荷物の準備をして。一時間くらいあっという間に過ぎる。6時半、朝食の為レストランへ。ここでも慌ただしく口に放り込んで、一度部屋に戻る。歯磨きなどしてから、7時にホテルを出る。
予約してあったタクシーでフェリーターミナルへ駆けつけ、チケットのチエックを受ける。九州商船の船です。163t、45.6ノットという高速で海上を疾駆する。飛び魚のような船、という感じでしょうか。約1時間半で福江港に到着。乗り心地は快適です。
前日に予約していたタクシーが、ターミナル前で待っていてくれました。運転手兼観光案内は、勘市さんという中年男性。概ね5時間半で福江島を一周することになりました。私たちが、何故五島列島・福江島に来たかという理由。奥様の母親の実家が福江にあったのです。母は93歳という高齢ですし、五島の話を聞く機会も少なくなりました。自分の出自、古里はどんな処なのか、以前から見ておきたい、確認しておきたい、との気持ちがありました。旅に出るなら、福江にと決めたのでした。
明神堂、堂崎教会を見て、岐宿(きしゅく)という小さな町に入りました。此所が、義母のご両親が住んでいた町です。小さな郵便局、商店がぱらぱら、神社やお寺もあります。昔に比べると、人が少なくなり寂れたそうです。義母によると、若いときの父(奥様の祖父)は床屋を経営していたそうです。色々事情があり、中国に渡ります。義母は、青島や天津で暮らすことが多かったとのこと。天津で義父と出会い、結婚。一児をもうけるも、敗戦となり、夫の実家がある北海道に引き揚げて来たのです。
菩提寺がある筈ですので、勘市さんの案内でそれらしい寺を訪ねてみました。住職にお会いしましたが、「谷川さん(義母の旧姓)という人は知らない」と云われました。仕方ありません。お墓は随分前に撤去されているし、住職も変わっているし、親戚の人も今は何処にいるかも分からなくなっています。お寺に隣接する墓所を見せてもらいました。海が見えます。
寺は、やや小高い丘に建っていて、見下ろすと民家がずっと海まで続いています。静かな海です。義母が「五島は好いところだよ」と言っていました。そのイメージを二人で共有することが出来ました。古里と血の繋がり、理屈で割り切れない深いものに触れたように思います。奥様がこの地に戻ることはないけれど、五島列島の歴史は血として受け継がれると思います。
続いて水の浦教会を訪れました。白いマリア像が鮮やかで、心に残ります。やがて昼食の時間となりました。三井楽(みいらく)という町にある「道の駅」にタクシーが入っていく。レストランで昼食。バイキング方式で、自由に好きなだけ食べられる。奥様は、お腹が空いたと云い、トレイにどんどん盛っていく。勘市さんが、「五島の饂飩を食べてみたら」と薦めてくれる。
一見すると「冷や麦」みたいな印象だった。実際に食べてみると、「美味しい」と二人で頷き合いました。饂飩らしい腰の強さがあるし、非常にさっぱりした味なのです。油断していると、幾らでも口に入りそう。香川の饂飩も美味しいけれど、比較しようの無い「美味しさ」なのです。土地柄の違い、文化の違い、住民が長い歴史の中で作り上げた郷土の食べ物に感銘しました。
午後の観光は、全て勘市さん任せ。主に海岸沿いを車は走る。海が、海に見えない。まるで湖か池を見ているようです。この日の天候も影響しているのかも知れないが、凪の状態。波らしい波は無い。大瀬崎灯台を見下ろす展望台。映画のシーンを見ているかと思う。井持浦教会では、奇跡の水と呼ばれる「ルルドの水」を飲んでみた。崖の斜面から湧き出る水は、甘い。
ずっと南下して、空海が立ち寄ったと云われる大宝寺が楽しかった。密教の寺院ですが、境内には神社もある。神仏混交の典型的な空間です。七福神も居るし、お地蔵さん、如来様、観音様、何でもいらっしゃる。見ているだけで幸せになりました。
福江市街に戻り、勘市さんは、武家屋敷街をゆっくりと走ってくれました。石畳の立派で落ちついた町並みです。五島の領主や武士たちの息づかいが聞こえて来そうでした。完成はしなかったそうですが、福江城跡も素晴らしい。石垣は、戦の為と云うよりは「美」を作り出す為に建築されたと思える程です。日本人の美意識は、防衛という厳しさの中にも生きている。
こうして福江島を一周して、再び港のターミナルに戻ってきました。四時頃になっていました。帰りの便が出るまでに少々時間があります。お土産店を覗いて歩いてみたら、かんころ餅と鯖寿司を発見。勘市さんが、五島の名物はかんころ餅で、家庭で作るものだと、教えてくれました。鯖寿司は、ある会社が研究を重ねて開発したもので、「美味いが、高い」と云っていました。
私たちは、鯖寿司一本と餡入りかんころ餅を買い、夕食にすることに決定。確かに鯖寿司は四千円近い。ホテルに戻ってから、、お茶を飲みながら食べてみたら、美味しいの美味しくないの、とっても「美味しい」のです。高いだけの価値はある。鯖独特の臭みが全く無く、甘い味がする。もう一本買ってくれば良かった、と後悔したのです。かんころ餅も美味しいですよ。
海を見ていて印象に残ったのは、湖のように静かな海なので、風景が穏やかで美しい。その環境を生かして、マグロやヒラメの養殖事業が行われていること。驚きました。宝の海です。そんな穏やかな場所に平成24年、台風避難を口実に百隻もの中国漁船が小さな玉之浦港に押し寄せて来たのだそうです。彼らは、「日本の海は、俺たちの海」と何の躊躇も無いらしい。
この夜から、少し喉がイガイガするなあ、と感じていました。翌朝、「うん?、風邪かな」と体に異常を感知しました。(続く)
■2014/12/12 ちんたら旅報告(4)
翌日は、七時起床。喉のイガイガが強くなっているし、痰が出始める。これは、間違いなく風邪の症状です。ホテルの朝食を摂って、部屋でごろごろすることにしました。この日は、奥様の透析です。無理して出歩く予定は、最初から無かった。11時になって、重い腰を上げる。電車通りを歩き、中島川を渡る。急な坂道になり、登り切ると長崎県庁があるらしい。坂がきつい。
昼前だが、昼食とする。クラシックな喫茶店に入ってみる。カレーライスのランチがあるので、奥様は興味津々です。この旅が始まって毎日のようにカレーを口にしている。全く受け付けなかった時期が長かったので、食べているのが不思議なくらいです。この日は、珈琲も少し飲みました。珈琲は、癌の治療後飲んだ記憶が無いので、五年ぶりなのではないか。万歳。
午後一時前に予約の病院に入り、奥様は透析の準備に。私は、だんだん風邪の症状が強くなってきて、微熱もあるかもしれない。県庁の近くに築町(つきまち)商店街があるので、坂道を下りながら歩いてみる。小さいながらドラッグストアがある。風邪の引き始めなので、葛根湯が効くかなと思い、一瓶購入。「萌華」という珈琲専門店の看板が目を引いた。とにかく一休み。チョコレートケーキとブラジルを注文。他にお客が居ない。ぼんやとり外を眺めて暖かい珈琲をすする。体が重いなあ。
築町商店街は、昔懐かしい町並みです。八百屋、魚屋、菓子店、花屋などなど、昭和時代の風情が残っています。「県庁新築移転反対」という垂れ幕みたいなものがある。県庁が無くなると、この小さな商店街は大打撃だろうなあ。
支払いをする時、マスターが「ご旅行ですか」と声をかけて来る。札幌からと伝えると、此方の様子を想像出来ないらしい。ずいぶん遠い処、という印象なのかな。長崎は坂の町なので、最近は高齢者が「上の方から、海側のマンションに移る人が増えています」と仰っていました。納得できますね。坂道を荷物を持って歩くのは、健康な人でも楽ではありませんから。
ホテルに戻り、夕方まで横になっていた。奥様の透析が終わるのを見計らって、迎えに行く。夕食は、イタリアンの店に入る。奥様は食欲旺盛。ピザの4分の3、パスタ半皿をぺろりと食べる。私は、食欲減退している。無理して食べないことにする。
このまま、風邪気味の状態で旅を続けるのかと思うと、ちよっと憂鬱になる。でも、高熱が出ないので、不幸中の幸いか。
今泊まっているホテルは、入り口から細い通路があり、奥まった所にフロントとロビーがある。通路の左側に植物が植えられている。最初に見た時は、我が目を疑いました。ツゲ科のフッキソウではないか。白い花が咲いている。嘘じゃないかと、何度も確認した。間違いない。北海道では、「春の花」スプリングエフェメラルと相場が決まっている。長崎では初冬の花なんだ。
■2014/12/17 ちんたら旅報告(5)
風邪を引き寄せてしまった翌日は、全くのフリー。長崎市内の観光に充てることにする。私の風邪が悪化しないよう、朝食後はホテルで体を休める。午前11時から行動開始。大浦天主堂の近くにあるグラバー園を見に行く。ずっと前に来た時は無かったと思うのですが、動く歩道が二基も設置されていて、何の苦労も無く最高地点まで行ける。私たちには大助かり。
旧三菱第二ドッグハウスに入って、二階から市内を展望する。長崎の港と海際からせり上がる住宅街の風景が、どこか異国情緒を含んでいる。絶景なり。「こういう風景が、だーい好き」と奥様は大喜びしている。この人は、結婚した時から「高い所が好き、ジェットコースターが好き」と仰っている。この点では、私と正反対。私は、高所が大嫌い。頭がくらくらして来ます。
坂道を下りながら、グラバー邸に入って見学する。建築場所といい、設計といい、当時の大富豪の力を十分に感じます。グラバーは幕末に来日して、経済人としてだけでなく、明治維新の志士たちとの交流がありました。良くも悪くも、維新に影響を与えた外国人の一人です。そういう意味では感慨深い。建物は、日本様式も取り入れていて、好感を持てました。
午後は、平和公園を訪ねてみました。ここは爆心地を含んだかなり広い場所です。修学旅行の高校生たちが沢山来ていました。中国人を慰霊する碑がありました。説明文を読むと「戦時中に強制連行されて来た中国人が原爆で亡くなったことを慰霊するために建てられた」という内容でした。私は疑問を持ちました。強制連行ではなく「徴用」もしくは「出稼ぎ」ではないのか。
この碑を建てたのは本島等元長崎市長です。在任中(1990年)にピストルで射撃され、重傷を負った人です。これには理由があります。1988年の市議会で、「天皇の戦争責任はある」「(天皇が)終戦をもっと早く決断していれば沖縄戦も広島、長崎の原爆投下も無かった」と述べたのです。当然反発も強まりました。そうした騒然とした中で、テロ事件が起きたのです。
私は、テロ行為をするような人間を絶対に肯定しないし、行為自体も否定します。しかし、本島氏という人間を肯定することも出来ません。歴史の事実、帝国憲法の規定からも、天皇が戦争を始めた訳でもないし、その計画を立てたのでもない。当時の米英蘭中などの圧力が強まり、日本の政治家と軍部が開戦を決定したのです。天皇は、それを否定出来ない立場でした。
ましてや「天皇が終戦を遅らせたから、沖縄戦と原爆があった」という見解は、暴論でしかありません。まるで事実と違うのではないか。戦争を知っている筈の本島氏が、なぜこのような見解を持つようになったのか、私は理解に苦しみます。終戦の決断が出来なかったのは、天皇ではなくて、当時の政治家です。彼らは、何度も集すれど決断出来ず、最後は御前会議で天皇の意見を求めるという無責任な態度でした。意見を求められた天皇陛下が、「ポツダム宣言」受け入れを決めました。
本来ならば、天皇を補弼する責任のある政治家が断固として躊躇無く決めるべきことを、天皇に頼ってしまった。それだけ当時の政治家の質が悪かったと云うことです。開戦に至る経過をみても、外交力、決断力、あらゆる面でだらしのない政治態勢になっていました。明治の元勲たちが率いていた時代とは比べようもない体たらく。戦争に負けるような政治態勢でした。
本島氏には、本島氏なりの信念があったのかも知れません。しかし、歴史の事実をねじ曲げてはいけませんね。
私たちは、遅い昼食を食べ、夕方にはホテルに戻りました。奥様も疲れた様子で、ベッドで寝てしまいました。私も動いた為か、少し熱が出て来た様子。ベッドにごろりと横になり、目を瞑っていました。夕食は、長崎のぬ豚饅頭を食べました。
翌日は、奥様の透析の日。私の風邪がなかなか回復に向かわないので、ホテルの近くにあるクリニックを受診しました。ドクターは、慎重に胸の音を聞き「肺に異常は無いです。風邪の症状です。抗生剤を処方します。旅行中ですから、無理をしないようにして下さい」と言ってくれました。薬局で、クラビットを四日分貰う。奥様は、ホテルのレストランでカレーを食べる。
私よりもずっと食欲あり。羨ましい。この日は風邪の症状が最悪。体がだるく、微熱もあり、ちょっとした坂も胸にきつい。奥様を透析の病院に送り、帰りは年寄りのようにだらだらと歩きながら、眼鏡橋を見に行く。中島川にたどり着く。おお、見事に眼鏡である。アーチ型の石橋が美しい。聞いてみると、眼鏡になるのは「引き潮になり、川の水位が低くなった時だけ」とのこと。
二つのアーチ型石橋が、川面に対称に映り込んで眼鏡型になる。これが、「眼鏡橋」の正体。橋自体が眼鏡なのではない。
私は、幸運だったらしい。この時間帯に来なければ、観光案内書に載っているような風景は見られないのです。夕方透析を終えた奥様を迎え、二人で眼鏡橋を再訪してみましたが、川の水量が増えて全く眼鏡にはなっていない。残念です。夕食は、新地中華街に行き、初めての中華料理を頂きました。奥様は、五目焼きそば。私は、スープ饂飩。体が温まり、スープも美味しく、とても満足しました。最後に食べた胡麻饅頭が良かった。こうして、長崎の最後の夜は過ぎてゆきました。
■2014/12/24 ちんたら旅報告(6)
今夜は、クリスマスイブです。日本のあちこちで、色んな交流があることでしょう。家族、親戚一同、地域の友人知人、職場の仲間、恋人たち。正月の前夜祭みたいになったのが、日本のクリスマス。心を温め合う絶好の機会です。楽しんでください。
長崎旅行で、特筆しておきたいこと。ここ北海道は極めて四季がはっきりしていています。落葉広葉樹の世界です。春になると木々が芽吹き、花が咲きます。夏は濃い緑に覆われます。秋には、大半の広葉樹は落葉します。その直前に、目がキラキラするような素晴らしい紅葉の世界を披露してくれます。私たちは、それを楽しみに秋を心待ちにして過ごします。
長崎は、常緑樹の世界です。ということは、年中木々の緑があります。ですから、北海道のように紅葉を楽しむ(こちらでは、「モミジ狩り」とも云います)ことは出来ません。穏やかな、冬でも花が咲き続ける気候です。雪が無いので、生活は楽ですね。
翌日は、東京に移動です。長崎から福岡にJR特急で戻り、のぞみ26号でひたすら東京へ。新横浜辺りから、新幹線の窓に雨粒が付くようになり、やがて糸を引くような強い雨に変わりました。東京駅に着いて、八重洲口へ。タクシー乗り場は、なが〜い行列が出来ています。40分近くも待ちましたか。やっと私たちの乗車番がきて、とにかくホテルに走って貰いました。
二人で夕食にでも、と思って出てみましたが、とてもじゃないが外を歩けるような状況ではない。空から落ちる水が、路面を激しく叩きつけている。隣のコンビニに行くのも不可能。ふと見ると、ホテルのレストランが開いている。和食の店なので、メニューが多様ではない。奥様は、刺身の定食。私は、牛肉のステーキ風の定食。何も食べられないよりは幸運だったのです。
長崎のクリニックで処方して貰った抗生剤が効き始めて、ずいぶん体が楽になってきました。喉の痛みは消えています。
翌日は、奥様の透析日。午前の予定です。タクシーで、築地にあるクリニックを目指す。予約通りに透析出来そうで安心。約三時間、築地で珈琲を飲んだり、横浜在住の友人に電話をして暫くぶりの雑談をして過ごしました。12時半過ぎに透析終了。二人で昼食とする。偶然にイタリアン料理の店に出くわす。躊躇なく入店する。ランチを注文。トマトソースと鶏肉のパスタ、山盛りのサラダ、パン。これで、僅かに千円なり。奥様はよほどお腹が空くのか、サラダ以外は全量摂取しました。野菜サラダには、カリウムがいっぱい含まれており、これを摂り過ぎると「突然死」することがあります。透析患者の辛いところです。
満腹になり、気持ちも落ち着き、まだ時間がたっぷりあるので、軽い観光をすることにしました。あまり長距離・長時間は無理なので、皇居と靖国神社を訪ねてみることに決定。タクシーを拾って、行き先を告げ、目的を説明。運転手さんは私たちと同じ位の年齢でしょうか。手慣れた要領で、時々解説を加えて、私たちを案内してくれます。まずは、皇居の周りを一周。様々な角度から皇居の風景を眺めます。広くて、緑がいっぱいです。都心も都心、東京駅の直ぐ傍にこんな大自然があるなんて・・・。
ゆっくり車を走らせてくれましたので、お濠や石垣の美しさに改めて感心、感動しました。最後は、靖国神社へ。入り口の前で待っていて貰い、私たちは第二鳥居前から入場。神門、中門鳥居をくぐり、拝殿の前へ立ちます。御霊に心を込めて、お詣りさせて頂きました。中門鳥居と神門の間、参道の両脇には桜の古木が沢山植えられています。桜の名所ともなっています。
沢山の参拝者が訪れ、人並みが途切れることはありません。やっと靖国参拝が普通のことになったのですね。今でも、靖国神社が軍国主義の象徴だ、などとアホみたいなことを云う人がいます。いい加減に歴史の事実を眺めてみてはどうですか。
こうして東京の短い時間も終わり、いよいよ札幌に帰る日が来ました。翌日の東京発はやぶさ11号で、ひたすら新青森へ。新青森から特急列車で函館、函館からスーパー北斗11号で札幌へ。定刻より3分遅れで札幌に到着。我が家に着いたのは、夜7時頃でした。猫たちが待ち構えたいたように傍に寄ってきます。「やっぱり我が家が一番だね」と、二人で云い納得していました。この夜は、9時にベッドに倒れ込みました。朝までぐっすり。深い眠りに入って、夢も見なかった。
「疲れた」とか「我が家がいいね」と云いながら、舌の根も乾かぬうちに「次は何処に行こうか」、などど話合っている「懲りない夫婦」なのでした。透析しながらも旅を楽しめる自信が付いた奥様です。来年も、無理しないのんびり旅を計画しようかな。
■2014/12/29 左翼とはそもそも何なのか
十二月二十九日。事実上、一年が終わったようなものです。義母の異常状態から始まり、あっという間の一年間。昨年はお正月気分が全く無かったので、2015年の新年こそはボーッとして、心穏やかに過ごしたいと思っています。
左翼とかリベラリズムと呼ばれているのは、一体何なのか・・。元を辿ればマルクス主義であることは、間違いありません。では、マルクス主義とは、その核心は何なのか。最近はそのことが心に引っかかり、夜も眠れない。もとい、寝ています。
私の個人的な体験を振り返ると、大学に入学した1969年、所謂「70年安保」の真っ最中、東大安田講堂での全共闘と機動隊の激しい攻防を目の当たりにしました。私は「機動隊と渡り合い、石を投げ、アスファルトを引きはがし、国電の砂利をかっさらい、ゲバ棒で殴り合う、大学校舎を封鎖して教授を吊し上げる」などの行為が実に子供っぽく感じて、同調する気はありませんでした。その代わり、マルクス主義の正当理論を掲げていた「民青、共産党」に心引かれたのです。
資本論、イギリスにおける労働者階級の状態、共産党宣言、空想から科学へ社会主義の発展、フォイエルバッハ論、反デューリング論、国家と革命、などの書籍を読むと、未熟な学生やインテリは一発でマルクス主義の信奉者になります。分かり易いのです。資本論は難解と言われますが、読めば大筋は把握できますし、難解なのが却ってインテリに受けるのです。
書き方が、ヨーロッパ人らしい論理性で貫かれ、物事の善悪、黒白が非常に明快なのです。労働者階級は悲惨な被詐取者で、資本家階級は残忍な搾取者。このような筋立てですから、学生、インテリ、正義感の強い人間ほど虜に成りやすい。
マルクスとエンゲルスによると、人間社会は原始共産制から始まり、奴隷制、封建制、資本主義と常に階級闘争の歴史だったと見立てます。被抑圧階級が、革命によって抑圧階級を倒し、新しい社会制度に移行してきた。よって、労働者階級が団結して、資本家階級を倒す社会主義革命によって、労働者階級は解放される。社会主義社会では、反革命を抑圧するために、労働者階級による独裁が当分の間必要不可欠だ。こうして、悪い資本家階級は、善である労働者階級に取って代わられる。
物事を単純にしか把握出来ない若者には、とても魅力的で、一気に人間社会の本質を理解した気分になってしまいます。
私は、当時を振り返りながら思うことがあります。論理的な明快さを持ったマルクス主義にグーッと引き込まれながらも、微かな心の曇りがあることに気づいていました。当時は、敢えて無視してしまいましたが・・。それは、暗い虚無主義もしくは厭世主義ではないでしょうか。人間という生き物に対する限りない不信感です。マルクスとエンゲルス(レーニンも含めて)は、人間同士は信頼で結びつけない、と思い込んでいたのではないか。故に、直線的に「革命」という発想になってしまうのです。
聖徳太子が著した「十七条の憲法」には、以下のように書かれています。(「日本書紀」)
「一に曰く、和らぎを以て貴しと為す。さかふること無きを宗とせよ。人、皆な党あり。亦達れる者少なし。(中略) 然れども上和らぎ、下睦びて諧へば、事を論(あげつ)らむに、則ち理(ことわり)自ら通えり。何事か成らざらむ。」
このように日本では、古来から「和」を尊いものとし、何事もよく話し合って決めなさい、という倫理感が確立しています。当たり前ですが、人と人がお互いを信頼するという前提が無ければ、このような「和を尊ぶ」などという発想は成り立たない。ヨーロッパや中華世界では、こうした日本的な精神世界が熟成することはありませんでした。民族と民族が武力でお互いを制圧、支配、時には絶滅などの攻防を繰り返して来たのですから、「和」よりも「相手を制する」ことが優先課題なのです。
相手を信じられない、他民族には常に警戒を怠らないという歴史背景から、精神的に虚無主義に傾き易いのではないか。マルクスの思想には、ヨーロッパの歴史が反映されているように感じられます。マルクスは、お金持ちを「敵」としてしか認識出来なかったのです。可哀想な気がします。日本の歴史では、階級闘争も無いし、革命も無い。私は、マルクス主義は人を不幸にする思想だと思います。敵を作り、攻撃し、ついには滅ぼし、自らを守る為に独裁・粛清も厭わない。不快な思想です。
日本人なのに、日本が嫌いで、日本を破壊する行動を続ける「リベラリスト」「進歩的知識人・マスコミ」。彼らは、マルクス主義を前面に押し立てることは不可能になり、「反原発」「フェミニズム」「反安保」「反米」「反自衛隊」「反靖国」「反集団的自衛権」「反秘密保護法」「反格差社会」などなど、何でも「反」を付け、「市民」を隠れ蓑に各地で「運動」を続けています。
自分の祖国である日本に誇りを持てず、ただただ破壊行為に走る。彼らとかつての全共闘、マルクスが重なって見えます。
■2014/12/31 良い年をお迎えください
本当に、2014年(平成26年)が終わります。大晦日ですね。善いこと悪いこと、様々な事を受け止め、何とかやり過ごしてきた一年です。奥様の味覚障害に苦慮した前半。後半になって薬が聞き始め、食べられる物の幅が広がりました。お陰で二人で長い旅を出来ました。薬の副作用があり、眠気や虚脱感に襲われることがあります。でも、食べることに喜びを感じられるようになりましたので、出入り計算をすれば、好い方向に向かっていると感謝しなければなりません。
左翼リベラリズム、道新の批判を飽きもせずやり続けています。これからも、心が折れないようにしながら継続したいと思います。マルクス主義という亡霊は消えたわけではありません。形を変えて世界中で蠢いています。変異を繰り返すウィルスのようなものです。人間世界に不信感を醸成し、人と人を分断し、対立を煽り、文化や伝統を破壊していく猛毒なのです。
今日の札幌は好天に恵まれて、青空が広がっています。積もった雪も、少し溶け始めています。新年をこのまま穏やかに迎えられたら幸せです。天気予報では、荒れるとか・・。明日には明日の風が吹く。良い年になることをお祈りしましょう。
来年からは、この乱れ書を新しい章に移して書き始めたいと思います。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
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