1989年〜(その2) そう、私は浮気もんです!(1)沢登氏をきっかけにして、年数回、稲生座とコタンに行くことになった。
(当初、「蜂の巣ライブ」 と言ってました。)
稲生座はだいたい一日に2グループ、コタンは2、3グループが演奏する。
自分の贔屓のミュージシャン以外のグループを観る事ができるわけです。
熱狂的なファンは自分の贔屓のミュージシャンを観たら帰ることが良くある。
でも自分はもったいなくて必ず最初から最後まで観ていた。
するとね、個性的なミュージシャンがたくさんいることを毎回思い知らされるわけです。
当時、印象的だったのが寺田町さん。
しゃがれた声で闇の奥底にまで葬られるのではないかと思うほどの歌い方。
「バーボンとタバコのヤニで固めて作ったような店で〜」っていう歌詞は稲生座そのものだと感じながら聴いていた。
そして、お店のエミちゃんがピアノで参加していて、これがまた最高でね。
エミちゃんがピアノを弾くと、稲生座の音楽の神様が近くに降りてきたような気がするんだ。
曲がぐんと色づいてくる。
そのうち沢登氏のライブでもエミちゃんがバックで演奏し始めたものだから、いつ出てくるのか心待ちにしていた。
(今でも稲生座に行くと同じ気持ちでいますよ)
当時沢登氏と寺田町さんの時はお客さんが濃かった(笑)。
片手にビールを持ち、演奏が気持ちよいと奇声が飛び、お酒と音楽で酔いつぶれてしまう人。
どこから来たのかわからない外国人さん。
どうも気に入った演奏を聴きつけるとお邪魔するようでした。
そしてある日、沢登氏が最初に演奏することがあった。(1991年です)
だいたいライブハウスでの順番は後輩から先っていう感じですから、沢登氏より先輩の音楽かぁと興味津々でいた。
対バンだったのが、伊太地山伝兵衛商会。
「こんなに渋い歌を歌う人がいるんだ」と「大人やなぁ」と聞き惚れておりました。
沢登氏とはまた違った味のあるミュージシャンを見つけたと、わくわくしながら帰った。
この日のライブ以降、ライブ情報が入ると観にいってました(稲生座はもちろんのこと、横浜 Buddy、池袋 Adm等)。
これが最初の浮気だったかな?
(ミュージシャンの立場からするとお客を取られたことになるもんね)
お気に入りのミュージシャンの対バンは観ておくものですよ。
特にお気に入りのミュージシャンの後に演奏するグループは。
私の場合は大抵、知り合いのライブへ行って、打ち上げがあっても最後のグループまで見届けます。
(知り合いも納得しているんだけれどね)
良心的なミュージシャンだと、前に演奏するグループは、次のグループの紹介、後のグループは前のグループに敬意を表しています。
いわゆる「エールの交換」ですね。
こういったところもライブならではですよ。お互いのことを知って次回のつながりが生まれてくる。
対バンのことを事前に知っておくと、MCのネタにもなるしね。
大抵、対バンの様子はリハのときに聴いているから、記憶の片隅に入れておくと対バンのファンも「最後の曲、ちょっと聴いてみようか」ってなるものです。
(「話すことがないので次の曲」はつまんないでしょ。お客も「俺が観たいのは次のバンド。聴く気がしないので下がれ!」ってなってもいいのかなぁ)
音楽&LIVEHOUSE情報ページ「音蔵(negura)」ホ−ムペ−ジに掲載されている
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