あるお地蔵様の例(御社移動の後)
 ある地方に住む方から連絡が有りました。

 話し方から、大変真面目な方と観ます。

 実家のお母さんが急に体調を崩し、入退院を繰り返した後、亡くなったと言われます。

 大変元気なお母さんでしたので、何故急に亡くなったのか不思議でなりませんと言われます。

 お母さんが亡くなる一年程前に、炊事場を改築したと言われます。

 この方のお母さんは大変信仰心に厚く、この家の神仏のお祀りは、全てお母さんが行っていたと言われます。

 炊事場を改築する為に、井戸の位地(埋めたのではなく)を少し移動し、庭に在るお地蔵様の御社を移転させたと言われます。

 勿論、信仰心の有るお母さんですから、工事前、工事後に、般若心経を三回唱えたと言われます。

 庭に祀るお地蔵様は、昔この家に病人が出た時、この領域の方から、「庭にお地蔵様が埋まっているので、掘り出して祀りなさい」、と言われたので、見つけ出して祀っていると言われます。

 石を細工した地蔵様の形ではなく、何か岩に彫り込まれているが、古いものなのではっきりしないとも言われます。

 そしてこの先、この方の家族も、この家に帰って来る予定をしていますので、このまま移り住んでも良いものかと聞かれます。

 早速、この方の実家の住所、名前を此方の巳神様に伝えて、この方のお母さんの障りを聞いてみました。

 妻、「茶色い、丸い形のものに、地神さんが登って行くけど、上まで登ると、つるっと滑って落ちて、又同じ動作を繰り返してるわ」、と言います。

 私、「それ、岩か?」。

 妻、「分からへん」。

 私、「そのものに、何か書いてないか?」。

 妻、「何か書いてある」、と言って、図に示したものを書きました。

 少ないですが、見せてくれたものは、これだけです。(厳密には、まだ沢山見せてくれましたが、その形がどういう意味をなすのか、此方の力不足で解明出来ませんでした)(解明出来ないものは言えませんので)

 この時点では、お母さんの急死の障りは、やはり庭に祀られているお地蔵様を移転させた事にあるとしか分かりませんのでその事をお伝えし、やはりこの地蔵様には、正式な侘びの儀式の様な事をした方が良い旨を伝えました。

 この時点では、井戸を動かした事の障りは、何も感じませんでした。

 後日、この方は、私達が家に来て、お地蔵様に詫びを入れ欲しいと言われます。

 確かにこの時点では、そんなにきついお知らせは入って来てはいませんでした。

 少し気を抜いたかも知れません。

 祈祷の3日前位から、私達の体に、突き刺さる様なものとは違いますが、何か、重いものが入って来ました。

 祈祷の前日、午後6時30分発の神戸六甲アイランドから出るフェリーに乗るのですが、私の体の調子が今一つさえません。

 頭痛がして、血圧が上がって、精神的な安定も欠け、体が重くて仕方がありません。

 結局、病院に行ってから、その足で港まで行った次第です。

 妻の方にも、相当なものの知らせは入っていますが、辛抱している様でした。

 何時もフェリーに乗ると、直に食堂に行きビールを飲みます。

 これで何時もならすっきりするのですが、今回はしんどくて仕方がありません。

 妻の方はトイレの回数が半端ではありません。

 この領域の方は分かるでしょうが、「水」に関係のある障りが体に作用しています。

 トイレに行って戻って来たかと思うと、又トイレに行くという、この繰り返しです。

 結局、妻は一睡も出来ませんでした。

 早朝、目的地の港に着いてのですが、どうも体がしゃんとしません。

 フェリーを降りて高速道路を走っていますと、汗が噴き出して来ました。

 サービスエリヤに寄り、汗でびしゃびしゃになった下着をかえたのですが・・・・、この先の祈祷に関係するものが入って来ているのですが・・・・。

 妻もしどそうにしています。

 一時間弱位で現地に着きましたが、この時点で大分体が楽になって来た様に感じます。

 初めて依頼者の方のお顔を拝見しましたが、予想通り、真面目そうな御夫婦です。

 早速祈祷の準備をし、お母さんが祀られているこの家の仏壇に向かいお経を上げていると、妻が言います。

 妻、「地神さんが、仏壇はどうでも良いから、早くお地蔵さんの方に取り掛かれと言って、(私の)袖を噛んでお地蔵さんの方に引っ張ってる」、と言います。

 そう言われても途中でお経を止めるわけには行きませんので、御先祖様にお経を上げ終り、何か不足は無いかと聞きましたが、この家の御先祖様から来るものは何もありません。

 何も無いという事は、何ら不足は無いと取ります。

 先ず、庭に在る井戸に気を向けますが、私や妻の体には何も入って来ません。

 次に庭に在るお地蔵様の前に立ちますが、此処についても、そんなに強いものは入って来ません。

 この地に着くまでの経過がきつかったので、少し感覚が麻痺しているようです。

 現地に着いて初めてお地蔵様を見たのですが、やはり事前に観た様に、只の岩に何かが彫り込まれているのが見えますが、具体的にはそれが何かは分かりません。

 墓碑ではなさそうです。

 当然、この地蔵様の祀り方は仏式で祀られています。

 お地蔵様に向かい、鳴釜の準備をします。

 お地蔵様対し、御社を移転させた事に対しての侘びの表白を述べます。

 コンロに火をつけます。

 湯が沸騰して来ます。

 お地蔵様に対し、何もしないで御社を移転した事を侘びながら、米を入れて行きます。

 釜が大きな音で鳴り出しました。

 妻、「担架みたいなものに、横たわった人が乗せられて、それを四人の人が担いで出て来たわ」、と言います。

 私、「戸板やろ」、「戸板に乗せられているんやろ?」。

 妻、「担架みたいに見えるけど・・・」。

 私、「担架・・・?・・・」。

 私、「地蔵様から出て来たんか?」。

 妻、「と思う。その方から出て来たから・・・」。

 至る所で地蔵様を見かけますが、何故其処に地蔵様が祀られているのかと考えると、殆んどの場合、その場所で不幸が有り、その鎮魂の形として地蔵様が祀られている事が多いと思われます。

 この家の地蔵様も然りで、遠い昔、この家の敷地で災難があり、人が亡くなった為に地蔵様をお祀りしたと観ます。

 その上に家を建てて生活していたわけです。

 話がそれますが、よく京都の街中で祈祷をしますが、京都という土地は、何処を掘っても人骨が出て来ます。

 京都に憧れて、京都で生活したいという方は多いですが、中々重いものがある土地です

 敏感な方は止めておいた方がと思います。

 釜は鳴り続けていますが、もう何も見えるものはありません。

 私は何時の祈祷でも、事前に御伺いを立てて、相当深く踏み込んだ展開の確信を持って望みます。

 この家の場合も、此処には当然、地神様(水神様)が居るはずです。

 この家の井戸に居られる(神留座す)はずです。

 私、「地神様、この地蔵様の中に残る念、まだあるなら出してください。

 妻、「もう何も無い」、「もう上に上がって何も無い」、と言ってるわ。

 釜は鳴り続けています。

 妻、「何か、光りが走って、地蔵様の中に入って行ったよ」、と言います。

 私、「それは無いやろ」。

 妻、「庭の井戸の方から、地蔵様の方に行ったよ」、と言います。

 私、「地神様、何が地蔵様に入ったのですか?」

 妻、「地神さんの口が、菱形になってるわ」。

 私、「地神様、それは、この家の井戸の神様(水神様)が、空になった地蔵様の岩に入ったという事ですか?」。

 妻、「そうらしいわ」。

 私、「地神様、空になった地蔵様の岩に、この家の地神様が入った、これからは、この地蔵様の岩を、この家の地神様として祀れという事ですか」、と聞きました。

 妻、「そう、と言ってる」。

 私、「この地蔵様を、今度はこの家の地神様として、神式で祀れという事ですか?」。

 妻、「祀れ」、と言ってる。

 妻、「地蔵様の御社の中が、菱形に光ってるわ」、と言います。




 この家の方には、祈祷で展開した意味を説明し、これからは、地蔵様をこの家の地神様として祀って欲しい事を伝えました。

 この時点では、この家の地神様(普通は蛇の形を取る)の御姿は見えませんでしたが、これからは、この家の土地、人(この家族)を守ってくれます。

 この家の亡くなったお母さんも、事前に私達の様な者に頼み、それなりの事をしていれば、亡くなられる事は無かったと思います。

 
 絵の量が少ないのは、やはり相当体にこたえた祈祷でしたので、帰って来てから思い出して書こうとしたのですが、中々思い出せなくてこれだけの絵になってしまいました。










 

 
鳴釜神事の実際と考察