大神神社(おおみわ)(三輪明神)での事    2
 この様な結果は重々分かっていたのですが、又やってしまいました。

 私の本来持っている、判断の甘いところが出てしまいました。

 事前に、此方の巳神様にも尋ねていたのですが・・・・・。

 行って良しと取ったのですが・・・・・。

 妻も、「そんなん、ええんとちがう」、と言うものですから・・・・。

 東大阪での祈祷が入っていたものですから、そこから奈良の桜井市は直ですので、ちょうど良いわと思い、祈祷が終わってから行く計画を立てていました。

 確かに祈祷の内容によっては、その後神社等にお参りするのは、何ら問題は無いのですが、今回の祈祷は「邪」がかんでいましたので、当日の朝から、私や妻の体にはそれ相当なものが作用していました。

 ましてや、祈祷の折にその「邪」を手で触っていましたので、余計にこの様な結果が出たのだと思います。

 私の中で決心している事について、此方の巳神様からは了解を得ていましたが、それについて三輪の神様はどの様な判断をされるのかを聞きたかったわけです。

 そして最後に、白狐様の判断を仰ぎ、最終的に決心しようと思っていました。

 祈祷が終わって、阪神高速、平野インターの手前で、今回の三輪行きの件で、此方の巳神様の御姿を仰ぎました。




 妻、「左に此方の地神さんが出て、真ん中に、大きな、立体的で、鱗も厚みがある白い巳神さんが出てるわ」。

 私、「三輪さんや」。

 妻、「でも、此方を見ないで、背中を向けたままやけど」。

 此処で賢明な方なら悟るのですが、私ときたら、「こんな所まで三輪の神様が迎えに来てくれた、、有り難いものだ」、と勘違いしたわけです。

 途中、西名阪道の香芝サービスエリアで食事をしたのですが、そこでも三輪の神様をお呼びすると、白い巳神様が丸くなって来られました。





 あほな私は、益々嬉しくなって来ました。

 天理で高速を降り、一般道に入りました。

 もう少しで大神神社ですが、どうもアクセルを踏む右足の感覚が何時もとは違います。

 アクセルを踏んでも、ブレーキを踏んでも、その感覚が足に伝わって来ません。

 一週間前に、車で横浜を往復したので、そのせいかな、歳かなと思いながら大神神社に着きました。
 
 やはり、少しは気になりましたので、車を止めてから、体に塩をかけました。

 そして、一歩、大神神社の境内に足を踏み入れると揺らぎを感じます。

 他の神社ではよく有る事ですが、大神神社では初めての経験です。

 確かにこの日は、何か行事が有るのか、沢山の方が参拝に来られています。

 又ここで私の判断の甘いところが出ました。

 これだけ沢山の人出なら、中には不浄なものも入って来るだろうと判断しました。

 何時もなら手も洗わずに本殿に進むのですが、今日は手を洗いました。

 本殿の前、少し右側で手を合わせ、今回何故お参りさせて頂いたかを話し、どうか御姿をお見せくださいと念じました。

 念じましたが、今回は中々御姿が見えて来ません。

 此方の巳神様の方からも頼んでいただきました。

 そして本殿の真ん中に、やっと御姿が出て来ました。

 妻、「出て来てあったわ」、「真ん中に大きな巳神様で、その左右に小さい巳神様が一体ずつ出てるわ」、「漢字の「小」の形と同じ格好やわ」、「三つともこっちを向かないで、向こうを向いたまま、背中を向けてるよ」、と言います。





 私は、「どうか此方をお向きください」、と何回も頼みましたが、背中を向けたまま、全く此方を向こうとされません。

 妻、「今日は前ほど透きとおってないよ」、とも言います。

 私、「家の地神さんは、何処に居るんや」。

 妻、「左下やけど、今日は遠く離れて居るわ」。

 私、「地神様、三輪の神様の近くに行ってください」。

 妻、「あかんわ、遠くに居るわ」。

 妻、「今日は本殿の中が黒いよ」、「三輪の神さんの後ろが暗いよ」。

 私は、「お聞きしたい事が有ります、どうか此方をお向きください」、と何回も頼みました。

 妻、「真ん中の巳神さんの胴体が、「く」、の字みたいになったよ」、と言います。

 この段階で、さすがの私も気がつきました。(この時点でも、妻は気がつきません)

 高速道路の入り口では、背中を見せて拒否の態度を取り、「お前達、今日は来るな」、「汚れているので、来るな」。

 それでも三輪の方に車を走らせるので、私の右足の感覚を無くして、「来るな」。

 神社の境内に足を踏み入れると、揺らぎを感じさせて、「汚れているのはお前達で、近づくな」。

 本殿では、それでも気がつかない私達に背中を向けて、「く」の字の形を取り、「帰れ、迷惑だ」。

 神様は汚れを嫌われますが、今回の経験で心底分かりました。

 三輪の神様には、今回の事を侘び、後日お参りさせていただく旨をお伝えしました。

 巳の神杉にも手を合わせ、御姿を請いましたが、此処も全く何も見えて来ませんでした。

 帰りに、一歩境内から離れると、全く揺らぎは無くなりました。

 


 
鳴釜神事の実際と考察