祖母
28歳の時に連れ合いが亡くなりました。
6歳の女の子と4歳の男の子が残りました。
家には亡くなった主人の両親が居ます。
農地改革以前の時代です。
極限の生活ながら、主人の両親を見送り、子供は一人前の大人になりました。
やがて息子に嫁が来て、2人の男の孫が出来ました。
2人の孫も成人し、結婚し、曾孫が3人出来ました。
一人息子が結婚した後は、波風も立たずに平凡な人生を送りました。
84歳の春に人生を閉じました。
その3年後に、一人息子も亡くなりました。
祖母が亡くなって、今年が32年目の春になります。
私がこの領域の入り口に立った頃、祖母とはよく話をしました。
朝の1時間は、この祖母との会話の時間でした。
親父はいくら呼んでも出て来ませんでした。
3年程経つと、祖母との会話はぱたっと途絶えました。
いくら呼んでも出て来ません。
上での修行に励んでいるのでしょう。
一人でラジコン飛行機を飛ばした帰り、少し上り坂になった加古川の堤防で信号待ちをしていると、信号機の赤の向こうに夕日が沈みかけています。
今年ももう直、加古川の川祭りの花火が始まります。
私の実家は花火会場から10キロ近くあり、途中に建物や堤防が在り、家から花火は見えません。
今でこそ車で移動すれば直に会場に行けますが、昔は会場の近くの人達だけが花火を楽しんでいました。
私が小学2〜3年生の時、二階で一人、団扇を持って花火会場の方を見ている祖母が居ました。
私が、花火は見えるのかと聞くと、前に建つ家々の間や、庭の柿の木の枝の間から、10分に1回位の割で見えるよと言います。
微かにそれらしい光の色が見えます。
一番高く上がった花火の片鱗です。
勿論音などは聞こえません。
信号待ちをしながら、西の空に沈む夕日と、昔祖母と柿の木の間から見た花火とが重なって、祖母の顔が浮かんで来ました。
早くに主人を亡くし、苦労をして生きて来た祖母にとって、あんな花火でも幸せを感じたのか、又あの花火を見て、余計に悲哀を感じていたのか、、今も分かりません。
明日が祖母の祥月命日にあたります。
そして私の本業の定休日でもあります。
「おばあちゃんを呼んだろ」、と思いました。
あくる日、私と妻は仏壇の前で、「おばあちゃん、生前は有難うな」、と言い、「おばあちゃん、1回姿見せてみ、見たいねん」、と言いました。
正信偈を上げました。
正信偈が終わる頃、妻が言いました。
「輪っかが出てるよ」。
私は、もう修行がすんだのか、と思いました。
阿弥陀如来の三道です。
いろんな説が有りますが、もう祖母は修行を終えたな、と思いました。