これ程一般に名が知られた神様も少ないと思います。
この神様については、それこそ知識だけは誰にも負けない、という方が沢山います。
これは私が、この神様について経験した事です。
私も名前だけは知っていましたが、巳神を祀り始めた後も、全く興味が有りませんでした。
巳神を祀って数年位経つと、私自信は全く興味が無かったのですが、何かが変わって行くという感じがします。それと一緒に、何か焦りの様なもの、何かしなければいけない、という意思の様なものが感じられます。
この領域の先生の所に行きますと、「もう眼に入ったな」、とも言われます。
この領域の先生は、「あんた、もうせなあかんで(この道に入れ)、ええかげんに言う事聞かんと、命とられんで(命が無くなる)」、と言われます。
上記の事が有ってから数年後、何のきっかけで知ったかは忘れましたが、鳴釜の神事というものが有り、今では、殆んど完璧にこの神事を行える人が居ない、という事を耳にしました。
ある日、この領域の先生の所に用が有って、ほんのついでに、この神事の事を聞きますと、「あんた、する気になったんか、教えたろ」、と言われます。
私は、「先生、鳴釜を知っているんですか」、と聞きますと、
「鳴護摩言うんや、私も昔はしとったが(していた)、これはきついんや」、「女では無理やし、これやっとったら(続けていると)、体に来るんや(疲れる)、下手したら倒れる」、「ちゃんとしたもんが入っとかんと(正統な神が、体に入っていないと)無理や」、と言われます。
先生は、「私も人に教えるのは、あんたが初めてや、娘にも言うてない」、「これを教える方も、責任が有るんや」、「ええ加減な人に教えたら、それこそ、教えられた方が駄目(体を壊したり、良い生き方をしない)になる」、「あんたも、人に教えるのは、気をつけよ」、と言われます。
先生は、「そやけど、鳴護摩はお不動さんが要るねん、これは絶対に要るねん」、「火を使うやろ」、と言われます。
ここに至って、私は初めて、「お不動さんが要るんか」、と思った次第です。
私は何も分からないまま仏壇屋に行きました。
店員さんに、お不動さんはどれですか、と聞きますと、少し怪訝な顔をされました。
お不動さんは怖い顔です。
私は、これは無理だ、私の好みではない、私の好みの顔ではない、と思いました。
この時の私の程度は、こんなものです。
数件の仏壇屋を回りましたが、皆怖い顔で、しかも相当な値段です。
この値段では無理です。私には、そんな余裕は有りません。
ある日インターネットで検索してみますと、沢山の不動明王が出ています。
ある輸入業者のサイトに、私好みの、悪の少ない、優しそうな、値段の安い不動明王が出ています。
私は以前仏壇屋さんに、中国から輸入してきた仏像に、日本の職人が、ほんの少し手を入れると、十倍の値段になる事を聞いていましたので、早速この不動明王を購入しました。
値段は、2万9800円です。
仏像は決りました。次は仏像を入れる、厨子です。
約70センチの不動明王を入れる厨子は、想像を絶する値段です。
到底無理です。
私はホームセンターで、1,280円のカラーボックスを買い、内側に金色のスプレーで色を付けました。
これで十分です。
次は、このお不動さんに、お正念を入れる作業ですが、私は兵庫県の西宮の、ある寺に頼みに行きました。
月曜日ですので、参拝者は私一人だけです。若いお坊さんが一人、此方を見ています。
私は今でも、同じ様な事を思いますが、お坊さんという人は、何故、あんなに偉そうにしていられるのか、という事です。それも宗旨によって違いが有ります。可笑しな事です。
私は直に決めました。
お正念は、私自身が入れます。その方が自然です。
後日、鳴釜の神事を行い、不動明王に魂を入れました。
毎朝、この不動明王に対し、お経を上げました。
しかし、私の中では、巳神が第一です。
何をするにしても、何を頼むにしても、巳神です。
この生活を20年位続けていますと、ある祈祷時に、霊視している妻が、「あれ、炎が見える、家のお不動さんが来てるよ」、と言います。
私はお不動さんに、「この目の前に姿を見せた邪を、縄で縛ってくれ」、と念じ、私の手から縄が出る場面を描くと、妻が、「縄が出て、縛っている」、と言います。
又ある祈祷時には、姿を見せた邪が、余りにも言う事を聞かないので、私も腹が立ち、こいつを刀で切ってやれと思い、不動明王の剣を念じ、手刀を振り下ろすと、妻が、「上から光の様なものが下に走り、二つに切れて、からんと落ちて消えてしまった」、と言います。
私は、「そうなんや、やっぱり、居るんや」、と思いました。
私はその時点まで、巳神以外は何も信じていなかったものですから・・・・。
形だけはお祀りしていましたが・・・・。
私は毎日不動明王様の前で線香護摩を焚きます。
それこそ不動明王様を、命をかけてお祀りしている方には、叱られるかも知れませんが、私は何の要求も無しに、この動作を毎日繰り返していました。
今日でも同じ事の繰り返しです。
ある朝、線香護摩において、五大明王の真言を唱えました。
中央の上部、奥深い所に、真っ赤な炎が一つ、手前に白い(図に示しているのは黄色ですが、白鉛筆というものが有りませんので)線で、四角い形が出て来ます。
私、「これが結界か」・・・・。
私、「やっぱり、有るんや」・・・・。
すーと、奥に向かい消えていきました。
余談になりますが、私達が不動明王様を呼ばない場合でも、伏見稲荷大社の白狐様が、この相談事には不動明王が必要と思い、私達の目の前にお不動様を出現させた事も有ります。この事は少し長くなりますので、ここでは書きません。