鳴釜神事の実際と考察  2

今回は、鳴釜の神事の力の強さが、如実に出た祈祷となりました。
この家は以前に2回(最後が2年程前)伺い、祈祷をさせてもらった家です。その時は、私の領域においては、何ら問題の無い状態でした。少し前までは、大きな百姓さんで、沢山の田んぼが有りましたが、殆んどの田んぼは、高速道路や住宅になり、今は田んぼは無く、アパート経営と、喫茶店に店舗を貸しています。80過ぎのお祖母さんが実権を握り、お金の采配は、まだお祖母さんが握っています。息子はサラリーマンで、月の小遣いは10万円をお祖母さんから貰っています。


 この家のお祖母さんは、信仰心が厚く、家にお祀りしてある、伏見稲荷と庭の地神様の為に、鳴釜の神事をもって神様に感謝の気持ちを捧げたい、という事で伺った事があります。過去2回は、伺う前からこの家の事を思うと、この家の稲荷様(白狐)、地神様(巳神)が、嬉しそうに私達の来る日を楽しみに待っている姿が出て来ます。しかし今回は、伺う前にこの家の方に気を向けても、何も出て来ません。私に入っている巳神を出し、この家の神様の姿を見せてくれる様に頼んでも、何も出て来ません。


 今回、この家のお祖母さんが、私達に祈祷を依頼したのは、この家の息子が、数ヶ月の間に、2千万の借金をしている事が分かったのと、2〜3ヶ月前から、孫(男)が引きこもりになりっているので、何か原因が有れば、取り除いて欲しいとの事で、依頼をして来ました。


 勿論、誰が見ても借金をした、この家の息子が悪いのです。当たり前です。弁解の余地など有りません。私の領域の問題では有りません。嫌な依頼です。しかし、お祖母さん一人が、返済の方法や、孫の事に一生懸命になっているだけで、他の家族は余り気にしていません。何回も電話でお払いの依頼をして来るものですから引き受けましたが、余り乗り気にはなれません。


 私の中に入っている巳神に、何が原因で借金をしたのか、又孫が引きこもりになったのかを聞いたところ、小さな茶色の狐が出て来ました。それも沢山の数です。意地悪そうな表情です。この家の息子が引き入れて来た、と巳神は言います。この家の息子の物欲の強さ、考えの低さ、甘さ、ずるさ等と、一歩外に出れば、外の空間や息子が付き合う人間関係から、同じ様な程度の低いもの同士が同調して、形として野狐の形を取り、家の中に入ってきたのでしょう。孫にしても、今年も大学入試に失敗して、不安定な状態になっている所に、お父さんが連れて帰ってきたものが入ったのでしょう。こうなれば、私の領域ですので、行かない訳にはいきません。


 祈祷の当日、家に着き、先ず、庭の地神様の御社に挨拶に行き、姿を見せてくれるように頼みますが、全く姿を見せてくれません。裏庭の伏見稲荷様の御社に行き、姿を見せてくれるように頼みますが、此方も全く姿を見せてくれません。以前とは全く違います。そして家の中には、息子が引き入れて来た野狐(この時点で一匹の姿になっています)が意地悪そうに此方を見ています。姿を見せてくれないという事は、どちらの神様も怒って、そっぽを向いてしまっています。神様にしてみれば、日々家族を守ってやっているのに、馬鹿な事をしてくれた、と怒っています。一度こうなると、なかなか此方に向かす事は難しいです。素人の方は、神様は何時も人間を守ってくださると思われますが、日々私達が付き合い、私達に影響を与えてくださる神様は、もう少し下の方に居られる神様で、上の世界と下の世界を自由に行き来できる神様です。余り上の方の神様は、私達には関心は無いようです。長くなりますので本題に戻ります。


 この祈祷も順序として、先ず仏壇に向かいましたが、この家の御先祖様は、仏壇祀りは良くしてくれているので、何も不足は無い、と言います。その後、線香の護摩でこの野狐を祓ってみますが、全く効果が無く、むしろ、私達をからかっている様です。線香護摩の途中で、私の中に入っている巳神を出し、もう一度この家の神様に姿を見せてくれる様に頼んだところ、小さな巳神が姿を現しました。この家の巳神です。以前の力強さは有りません。そして嫌がっているようです。又やっとこの家の伏見稲荷、白狐様も姿を見せましたが、後ろを向いて、此方を見ようとはしません。いくら頼んでも、此方を向きません。そしてこの白狐様に、この野狐を祓って(消す)くれる様に頼んでみますと、後ろを向いたまま、尻尾で祓おうとしますが、祓い切れません。祓い切れないのではなく、祓う気が全く無いのです。仕方がないので、我が家の巳神に頼んでみますが、これも動きません。祓おうとしないのです。我が家の巳神も、この家の巳神、白狐様も、相当怒っています。今までで、余り例の無い事です。今までなら、こんな野狐など、一瞬で消えたものです。仕方が無いので、この野狐の大元の神様を呼んでみました。案の定、大きな、茶色い、がらの悪そうな狐が姿を見せました。大元の狐に、何も悪気が有って、この野狐を祓っているのではない旨を告げ、この家の者が困っている旨も告げました。そうすると、大元の狐は余計調子に乗り、野狐と一緒に居座る素振を見せます。


 私は鳴釜の用意をしながら(この時点では、当然火は入っていません)、その大きな、大元の狐に言いました。今から釜を焚く。その前に帰ってくれ。そう言うと、その大きな狐がそわそわとし出します。小さい狐はおろおろし、余計小さくなって、べそをかいている様です。
私が釜を焚いて釜が鳴ると、お前らはどうなるか、自分らで分かるな、わしが言っている意味が分かるな、と脅かしました。大元の大きな狐は、ふてくされたように、小さい狐に向かい、もう帰ろう、と言っている様です。


 いつもの事ですが、私は払う対象が何であろうと、余り言葉を荒げたりせず、そのものに対し、感謝の言葉を言います。帰ってくれて有難う、悪いな、と言います。

 その直後に、この2匹の狐は消えてしまいました。

 今回は釜を焚く前に祓い終わりました。

 当然、釜は大きな音で、長く鳴り続けました。

 
 何故この家の巳神、白狐様が姿を現さなかったのかは、神様のこの家の住人に対する怒りも有りますが、第一の理由は、私がこの祈祷に対し、余り乗り気ではなかった事で、私の方の巳神、この家の神様に対しての、私の気の入れ方が足りなかったものと思います。


 近年、時代を反映しているのか、人々の考えが、お金さえ有れば良い、あれが欲しい、これが欲しい、何でも欲しい、他の人の事はどうでも良い、自分だけが幸せならそれで良い、という考えの人が多いのか、よく狐が作用している祈祷が多いです。物欲的で、考えのずるい、程度の低い、又人からの恨み、妬み、呪詛等が、形としては狐(野狐)の姿として出て来る場合が多いです。神様の狐ではありません。輩(やから)です。いろんな姿をとります。化けます。殆んどの人が騙されます。世間で言う、霊能者と呼ばれる人に良く入っているのが見て取れます。
見破り、祓う(消す)方法は有りますが、少し危険な方に進む事が有りますので書きません。
鳴釜神事の実際と考察