妻が観た、「(私が)水の底に寝てるわ・・深〜い水の底で寝てるわ・・」の意味
 「某月、某日、(629)」

 「水の底に寝てるわ・・・深〜い水の底で寝てるわ・・・」と急に嫁さんが言うたな・・・。

 「水の底で・・・普通に寝てるわ・・・」と嫁さんが言うたな・・・。

 その時だけ・・・何も言わん地神さんがこっちを見てうなづいたな・・・。

 私が水の底に寝てるんか・・・そうか・・・寝てるか・・・。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・寝てるか・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・寝てるんか・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 そうか・・・寝てるか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

 上記の文章は去年(令和2年)7月下旬の頃、「新 ひとりごと・たまに・ふたりごと・・2 (某月、某日、(629)」に登載させて頂きました。

 その頃から祈祷の実際や某月、某日の更新が少なくなって行ったと記憶しています。

 祈祷(釜焚き)自体は忙しい状態でしたが、「某月、某日、(629)」の登載以前、以後の内容を読み返してみると・・・勿論、登載させて頂いているのはその内の一つに過ぎないのですが、どうも、私自身が疲れ切っていた状態の上に、まあ、これは素人の方を相手にさせて頂いているので当然なのですが、私の説明の仕方も悪いのか、私の言う内容が相手に伝わらない、また、祈祷(釜焚き)を行って何も障りのない綺麗な状態にさせて頂き、其処の神霊も満足されて「さあ、これからこの家の為に頑張ろう」と意気込んでおられる矢先に、その家の方が直ぐに邪を持ち込んで来られる様な事が続いてありました

 相談を寄こされる方には、深く霊視をした内容をお伝えするよりも、一般受けするような軽い内容でお伝えした方が良いのか、しかし、
そんなもので根本的に解明、解決しないのは解かっていますので、どうしたら良いものかと悩んでいました。

 しかし、これに関しては
今でも同じ様に悩んでいます

 霊の本当の実態を知らないで、何事も霊のせいにして事を進めて行かれる方が居られますが、しかし、その様な方向を好んで頼られる方も沢山居られるのも事実としてありますので、いろんな方面から考えて「果たして霊視は必要か否か」という題名で書いていたものもあったのですが、こんなものを書いても何も意味がないと途中で嫌になって放り投げてしまいました。

 数年に5〜6人、占いの方も含め、真面目にこの領域を修業されておられる方から相談を頂きます。

 殆どの方が30〜40代の方です。

 男女、半々の比率です。

 皆さん、本当に真面目にこの領域から人助けをされている、しょうとされている方ばかりです。

 皆さん、殆どの方がその道の先生に付いて勉強をされています。

 そして殆どの方が指導をされている先生に質問をしても、その問いに対する的確な答えが返って来ないと言われます。

 要するに、一般的な答えしか返って来ないと言われます。

 人の為になるにしても、外面的な技術(施術)や話術は教えてくれるが、内面的なものは教えて(示して)くれないのでその先に進めないと言われます。。

 もうその時点では、聞く方も指導をされている先生と同じレベル、またそれ以上のレベルに達しているという事です。

 そして殆どの方が指導を受けている先生が商業的な方向に傾き過ぎていると言われます。

 私はその方々に、「もうこれから先、何も人に聞かないで、自分で考えて、自分の答えを出してください。嫌になる程しんどくて途中で止めたくなりますが続けてください。その様な癖をつけてください。また貴方と考えを同じくする、貴方の考えに賛同する方も現れるかも知れませんが、その様な方は先々貴方に取って決してプラスにはなりません。貴方はずっと一人です。一人で考える癖をつけてください。私は貴方の為には何も出来ません。申し訳ないです」といつもその様な返事をさせて頂いています。

 そんな返事を送らせて頂いた後、「あ・・・えらい事を言ってしまった。何も間違った事はお伝えしていないが、問われる方がしんどくなる様な事を言ってしまった。私がそれで苦労をしているのに、終わりのない苦労を、もっと軽くこの領域を生きる様にお伝えしたら良かったのに・・・」といつも反省しています。

 またこの様な方々にしても、私の様な年代の者とは違い、インターネットでこの領域のいろんな情報を見て勉強されています。

 其処にはピンからキリまでの莫大な情報を見る事が出来ます。

 その様な情報を目にする事も、この様な真面目な方々に取ってはしんどくなってしまうのだと思います。

 話を私の方に戻して、妻の言う、「水の底に寝てるわ・・・深い水の底で寝てるわ・・・」と霊視して言った件ですが、確かにあの時期の前後、季節的なものもありますが(私は夏場は弱い)、私は疲れ切っていた状態にあったと思います。

 肉体的にも精神的にもしんどくて、「もうこの仕事もぼつぼつ・・・」と思う反面、矛盾するかも知れませんが、
やる気は人の何倍もあるのですが、何せ・・・頭の許容量の問題で、許容量が大多数の方のそれよりも小さいらしく、直ぐに一杯になってしまって、一杯になってしまったら少し休ませないと元に戻りませんので、頭を休ませている状態だったと思います。

 今回の題にしても、見出しだけ登載して書く気が起きずに何か月もそのままになってしまっていました。

 そしてその時、妻が描いた絵にしても何処に行ってしまったのか探しても見つかりません。

 その事を妻に伝えると、「私、しっかり覚えてる」と妻が言いますので、今回、新たに描いてもらいました。

 すぐ忘れてしまう妻が、「覚えてる」という位ですので、その意味が有るのかなと思い描いてもらい、それを見て、自分が想像していたものとは全く違うのに驚いたのと、あの時、私は相当ひどい状態だったのだとびっくりしています。

 私はてっきり、青い水の底で普通の状態で寝ているのかと思っていましたが、妻が、
「真っ黒な色で寝ていた」と言います。



 
道理で、何も言わない地神様がこっちを(私を)見てうなづいた意味が、一年近く経った今、解りました。

 
このお役の仕事をしていたら、何が有っても、「しんどいな・・・」と思ったらいけないという事なのでしょう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
鳴釜神事の実際と考察