私見・・鳴釜神事の御神米について思う事
 あくまでも私見として読んで頂けたらと思います。

 パーマ屋上がりの、何の専門的な資格も修業もした事のない者の勝手な私見として読んで頂けたらと思います。

 私達が普段行う鳴釜神事に使った米(御神米)を御下がりとして食べた場合、果たしてそれが美味しいのか?というと、それはその時の神事の質によって異なってくると思います。

 私は神事の後、「一回蒸された米ですので微妙な味がして決して美味しくはないですが、もったいないので食べてください」とお伝えしています。

 確かに、鳴釜神事に使った米は一度働いた米(仕事をした米・音の形を取って働いて頂いた米)ですので、どの様な種類の仕事をしたのかによってその後の味が違って来る、決まって来ると思います。

 純粋に、其処に神が降りて来ただけに働いた米(御神米)なら、それは有難く、素晴らしく美味しい味や匂いがすると思いますが、それは私の焚く釜ではありませんし、私にしても経験した事がありませんので解りません。

 以前、明石市で美容室をしていた時のお客さんの中に、ある大きな宗教団体の教会をされていた方が居られましたが、その方が度々、其処(神殿)にお供えした御下がりを持って来てくださっていたのですが、果物、お菓子、パンなど、見事に味が変わってしまったというより、味が抜かれた、誰かが、何かが美味しい所だけを食べた残りかすの様で全く美味しくなく、大変失礼な事と思いながらも捨てていた事がありました。

 それと同じ様な体験が子供の時分にもよく経験していました。

 村の薬師堂や公会堂の祭壇の様な所に御供えした御下がりが全く不味いものに変わってしまっていた事をよく覚えています。

 以前私は年間を通して、海釣り、川釣りなど、相当な回数、魚釣りに行っていましたので分かるのですが、魚でも然り、同じ場所で同じ種類の魚を釣ってそれを食べても、極偶に、その中に全く味のしない(不味い)魚がありました。

 何かが作用していたと思います。

 試しに、これを読んでおられる方が御自分の家で祀る神霊に御供えした御下がりを食べて不味いと思われる方は居ないと思います。

 居られたとしたらこれは大変な事になります。

 私は釜を焚いた後の蒸篭や網に残った(引っ付いている)米(御神米)などを洗わずに蒸篭ごとビニール袋に入れて持って帰っています。

 これは神事が終わった後でもう一度その家の台所(流し)を使わせて頂くのにも気を使うのと、蒸篭の中に残った米を家に持って帰って庭に撒いてやると雀が喜ぶ事もあって洗わずにそのまま持って帰る様にしています。

 普通、蒸篭や網に残った(引っ付いている)米を集めると片手の手のひらに軽く乗るくらいの量はあります。

 問題は、その米なのですが、勿論、その時の季節、温度、湿気なども大いに関係すると思われますが、祈祷を終えて帰って来てビニール袋から蒸篭を取り出した時、米の腐った異様な臭いがする場合と、そこそこ腐敗した臭いと、全く臭いがしない場合があります。

 それは祈祷地から私の家までの距離、時間に余り関係なく、その様な現象が起こります。

 例えば、祈祷地から片道30分〜1時間半くらいの時間をかけて帰って来た時の場合でも、米の腐った臭いがきつい場合と、そこそこ腐敗した臭い、全く臭いがせず、ただ米を蒸した匂いだけの場合もあります。

 去年(R2年)の7月、片道650キロを走り現地に着いて、その日は其処で一泊して、明くる日に祈祷をして、その晩は途中(東京)で泊まり、二泊三日かけて三日目の夕方に家に着いて、その明くる日にビニール袋から蒸篭とざるを出したのですが、蒸篭や網に引っ付いていた米は何の腐敗も臭いもなく、真っ白なさらさらの状態で良い匂いがしていました。

 この家は御主人に四国の石鎚山の龍神様が守護神として付いておられます。

 今年の8月にも祈祷をさせて頂きましたが、この家の神霊は金色の光で出たまま、祈祷が終わるまでの3時間以上、最後まで光っておられました。

 そして真夏の暑い中、今回も二泊三日の行程で帰って来て、明くる日にビニール袋から蒸篭を取り出したのですが、今回は少しだけ臭いがしていました。

 前回も、今回もそうですが祓い消すものは在りました。

 在りましたが、前回はその対象の類がそんなに強く、癖のあるものでは無かったのでしょう。

 前回は米(御神米)が働くに値するものではなかったのでしょう。

 しかし上記した例は極稀で、大概の所は祈祷が終わった蒸篭を家に持ち帰ってビニール袋から取り出すと、何とも言えない複雑な臭いがするものです。

 広い意味の祓いの時の蒸篭の米は汚いものと対峙して汚されたもので、決して綺麗なものではないと思います。

 神社など、大勢の前で焚く場合でも、鳴釜を施術する者の考えが、ただ単に、その神社の神霊に対して「有難う御座いました」という気持ちで焚けば、それは美味しい米(御神米)として頂けると思いますが、施術する者がその神社の神霊に通じ、そして何らかの願いをかければ神霊もそれに答えて働かれると思いますので、その時の米(御神米)は微妙なものになって来ると思われます。

 上記したものはあくまでも私見です。
 

 

 

 

 


 

 

 

 
鳴釜神事の実際と考察