令和2年4月16日(木)午後2時過ぎ、京都伏見稲荷大社、白狐社の前で考える
 令和2年4月16日(木)の夜、緊急事態宣言が全国に拡大されたその日の午後2時過ぎ、私達夫婦は京都の伏見稲荷大社、白狐社、命婦専女神様の前に立っていました。

 時節柄、余り出歩かない方が良いのは承知していましたが特にここ最近の命婦専女神様からの御呼びのお知らせが頻繁に私や妻の方に入って来ていましたし、妻も少しは歩ける様になって来ましたので来させて頂きました。

 京都の伏見稲荷大社にはある事が気にかかり、ここ4〜5年は足を踏み入れるのを躊躇していました

 しかし、家で御呼びすれば命婦専女神様には通じるし、鳴釜神事の祈祷の折には命婦専女神様が来られたりしていましたので余り気にしてはいませんでしたが、確かに、ここ数年、命婦専女神様からのお知らせは頻繁に入って来ていました

 つい一か月程前も、家の地神様には、「一回、伏見稲荷へ行って、命婦専女神様に頭を下げたいのですが、行っても宜しいですか?」と尋ねた事が有りましたが、その時は即座に、ある形を見せて「行くな」という事でしたのでそのままになっていました。

 私としても気になっていましたので、地神様をお祀りする時に命婦専女神様にも同じものをお供えさせて頂いたりしていました。




 そして4月15日の夜、布団に入り目を瞑って命婦専女神様の事を思うと、左の耳から綺麗な音が入って来ました

 命婦専女神様からの、「ちょっと来い」という意味に取りました。

 4月16日の朝、いつもの様に地神様をお呼びすると、「地神さんが大きな姿で出てこっちを向いているわ・・・」と妻が言いました。

 「行って良し」と取り、 「地神さん・・・行きましょか・・・今日、直ぐに行きましょうか」と尋ねると、「地神さんがうなづいているわ」と妻が言いました。

 家を12時前に出て、途中で昼食を取り、伏見稲荷大社に着いたのが午後2時前だと記憶しています。

 普段なら混んでいて苦労する駐車場にすんなり車を止め、地神様に出てもらい、「地神さん・・・命婦専女神様の前に行きましょうか?」と伝えると、「うなづいとってやわ」と妻が言いました。

 この時の地神様の姿は私達がいつも見る形の姿で出て来られていました

 一応、知り合いからは最近の伏見稲荷大社の様子は聞いていましたが見事に参拝客が少なく、殆どの神具店の戸は閉まっていました。

 こんな伏見稲荷大社の光景を見たのは初めてでした。









 そしてコロナ対策の為に各御社の鈴の緒は取り外され、普段なら開いている扉も閉められていました。

 妻の脚の調子を見ながらゆっくりと歩いて白狐社の前に着き、妻は灯篭の土台に腰を掛け、私はいつもの様に白狐社に向かって左隅の位置から「稲荷大神秘文」を上げさせて頂きました。

 何故か、白狐社の正面には立てず、左隅が私の立つ定位置になっています。

 今回妻は命婦専女神様に一生懸命に謝っていました。

 ・・・というのは、一か月ほど前、私が地神様に伏見稲荷大社に行く是非を聞いて止める様に言われた時、妻はぽつりと、「私・・・伏見稲荷は苦手やわ・・・何故か合わないわ・・・あそこへ行くといろんなものが体に入って来て調子が悪くなるわ・・・合わないわ・・・」と言った事が有ります。

 「命婦専女神様には何度も助けて頂いているがな・・・嫁さん・・・解らんのかな・・・」とその時思いました。

 その二日後の夜中、妻は脚の骨折部分は勿論、全身の痛みに襲われました。

 「あ・・・命婦専女神様は怒っておられるな・・・しかし命婦専女神様は妻にその様な事は出来ないはず・・・これは家の地神さんが怒っておられるな・・・」と取りました。

 数時間後、妻が直ぐに命婦専女神様に謝ると綺麗な音が耳には入って来たと言います。

 その後、妻の体の痛みは直ぐに消えて行きました。

 今回、家を出る直前にも、「地神さん、今から私らが伏見に行く旨を命婦専女神様に伝えといてください」と言うと、地神様がうなづいたので、「ああ、これならいつもの様に命婦専女神様の御姿が出る」と安心して伏見稲荷の白狐社の前に立ちました。

 「稲荷大神秘文」を上げ、「命婦専女神様、加古川の高橋克明、幸子です。いつも私達の呼び掛けに答えて頂き、そしていつも守って頂き有難う御座います。・・・・・・・(何故長い間、伏見稲荷大社に来なかった理由をお伝えしました)・・・、しかし・・・・・・・・・・(今回のコロナの件の世間の動きを話しました)・・・、命婦専女神様、どうか御姿をお見せください」とお伝えしました。

 妻、「・・・出てないよ・・・何も見えない・・・」と言います。

 私、「そんな事ないやろ・・・地神さん、命婦専女神様を御呼びしてください」。

 妻、「その地神さんの姿も出てないわ・・・」。

 私、「そんな事ないやろ・・・今さっき出てたやないか・・・。地神さん、姿を出してください」と頼みました。

 妻、「・・・これやろか?・・・下の方に白〜いものと・・・その上?・・・引っ付いている?・・・白いものが二つ出て来てるわ・・・」と言います。

 私、「それ、地神さんと小さい神さんやろ。地神さん、あんたやろ?。地神さんやろ?」と尋ねてみました。

 妻、「何にも変化は無いわ・・・」と言います。

 この白い二つのものを地神様と小さい神さんと観て、再度、白狐社に向かって命婦専女神様の御姿を請いました。

 妻、「
場面全体が明るくなって来たわ・・・」と言います。

 何回もお呼びしていると、「あ、出て来てあったわ・・・細身で澄ましとってやわ・・・」と妻が言いました。

 「え?・・・命婦専女神様が澄ましてるってか?。毛並みは?」と聞くと、「乱れてない・・・綺麗」・・・どちらの稲荷さんも細身で綺麗」と妻が言います。

 「どちらも言うて・・・何体出てるんや?」と聞くと、「二つ出てる・・・二つが向かい合って出てる・・・」と妻が言います。



 それがいつも白狐社の中に居られる御付きの稲荷神だと解ったのですが、この時点で初めていつもは開いている白狐社の扉が閉められている事に気が付きました

 しかし、白狐社の御社の扉が閉まっているのと命婦専女神様の御姿が出ないというのは関係ない事だと思いました。

 しかし・・・「良し、これで行こう。今日は・・・今回はこの形になってるんやろ・・・これで行こう」と思いました。

 この
場面全体が明るい状態の、御付きの稲荷神が出ている状態なら命婦専女神様には通じているだろうと思い、いろいろと話をしてみました。

 そうこうしていると、「言うのを忘れていたけど、
白狐社の前に着いた途端、頭の半分から首の辺りまで垂れていた重い耳鳴りがス〜ッと消えてしまったわ・・・」と妻が言います。

 余分ですが、この領域から来る耳鳴りの音色の種類、形、勢い、重さ、色などを書いておられる方は居ないと思いますので、また機会が有れば書きたいと思います。

 本題に戻りますが、この後も何回か命婦専女神様と私の方の地神様の御姿が出る様に頼んだのですが何も変化が無く、結局、今回はこの場面だけで終わってしまいました

 終わってしまいましたというより、これで十分通じていると思いましたので、私の方から御礼を述べて終わりにしました。

 私、「御付きの稲荷様、今日は有難う御座いました。どうか御姿を隠してください」と伝えました。

 妻、「うん、隠れてあった」、と言います。

 いつもの姿で出ない地神様に、「地神さん、今日はこれで良いやろ。命婦専女神様には十分伝わったやろ。帰りましょう」と伝えました。

 しかし正直に言うと、今回の伏見稲荷行きは命婦専女神様から呼ばれるだけの何かが有ると、何かが見られると期待していたというのが正直なところでした。

 さて、早く帰ろうと思い階段のある方に2〜3歩歩いたのですが、「「しかし変やな・・・何で?、何の理由?で命婦専女神様は私達を呼んだのか・・・」と考えてしまいました。

 何故、先ず出るはずの命婦専女神様の御姿が出なかったのか?、と考えてしまいました。

 命婦専女神様にしても私達の前に御姿を見せようとすれば見せられたはずです。

 そして何故私が長い間京都の伏見稲荷大社にお参りする事を避けていたかというと、急に海外や全国から大量に来る観光客の質の悪さと、それに対しての神社側の対策の脆弱さ、神に仕える神社側なら神霊がどの様な気持ちでこの現状を観ているのかが当然解っているはずです。

 神社の境内で動物の肉を焼く臭いが漂っているなどは素人でもそれが是か非か当然理解出来ます。

 京都の伏見稲荷大社には偉い講員の先生方が沢山居られると思いますがその方達は何を考えておられるのか、私は家に伏見稲荷様をお祀りしていませんし、
私が通じるのは命婦専女神様だけですので偉そうな事は言えませんが、伏見稲荷大社に立った時の以前と違う雰囲気に嫌気がさして長い間御参りすのを避けていました。

 以前からいつも私は白狐社の前に立つ時は御参りの人の流れが切れた時を待って手を合わせていました。

 今までに一度だけ?、命婦専女神様の御姿が出なかった事が有りますが、その時も、地神様を通して事前に私達が行かせて頂く事の了承を取って行かせて頂きました。

 ではその時、何故、命婦専女神様の御姿が出なかったのかというのは、多分、私達が白狐社の前に立つ直前か、または私達が立つその時間に神霊から観ると耐えられない様なものを憑けた、耐えられない様な考えを持った参拝者が来ていた、同時に来る時だったかも知れません。

 白狐社の横の石の階段をその様な考えを持ったものが通っていたのかも知れません。

 しかしその時でも家の地神様は、「あれで十分通じている」と言われた事を覚えています。

 
真の神霊は広い意味の汚いものを忌み嫌います

 今回、妻が、
「白狐社の前に着いた途端、頭の半分から首の辺りまで垂れさがっていた重い耳鳴りがス〜ッと消えてしまった」と言った事から、ひょっとしたら、命婦専女神様はマスコミの遊び道具にされて有名にってしまった伏見稲荷大社に礼儀も知らない沢山の参拝者が大量に来る様になった現状を嘆いておられるのかも知れません

 そしてその様なものが放つ独特な念に命婦専女神様も嫌気がさしてお疲れになっておられるかも知れません。

 勿論、伏見稲荷の神霊の中にはそれこそそういう参拝者を大歓迎する神霊も居られ、そういう神霊の持つ独特で絶大な力を頼って来られる方も沢山居られるというのは少し神祀りをした者には当然理解出来る事ですが、私の主義ではありません。

 そして
最初私達が白狐社の前に立って「稲荷大神秘文」と上げさせて頂いた後、「場面全体が明るくなって来たわ・・・」と妻が言った事から推測するに、やはり命婦専女神様が居られる白狐社にはその様なものからが発する念が充満していたのを私達が上げた祝詞で祓い清めさせて頂いたのかも知れません。

 まあ確かに、この私の推測が幼稚過ぎるのは自分でも理解していますが、その場ではその様に思い白狐社を後にしました。

 駐車場に戻り、車に乗って命婦専女神様に今から帰る事の報告をしようと御呼びすると、「出て来てあったわ・・・」と言います。

 「えっ、命婦専女神様が出て来たって?」と聞くと、「いや、二体の稲荷さんがさっきと同じ様に向かい合って出て来てるわ・・・」と言います。

 「そうやな・・・今日はこの形やな・・・この形で良いんやな」と再認識して伏見稲荷大社を後にしました。

 白狐社を後にする時、「命婦専女神様・・・撮りますよ・・・」とお伝えして写真に撮りました。




 *後日、京都の会社での祈祷の折、命婦専女神様を御呼びさせて頂きましたが、いつもと全く変わらず、沢山の御連れの稲荷様を連れて来られました

 釜が終わって、命婦専女神様が帰られる前に私達が白狐社の前に立った先日の事を聞いてみました。

 私、「先日は失礼しました。命婦専女神様、一つお聞きします。命婦専女神様は昨今の伏見稲荷大社に参る人間の程度の悪さ等を嘆いておられるのですか?」と聞いてみました。

 妻、「何にも言うてないわ・・・じっとこっちを見とってやわ・・・」と言いました。

 
「そらそうやわな・・・そらそうや・・・言われへん」と思いました。




 

 


 

 

 

 
 

 

 



 
鳴釜神事の実際と考察