私見・・・代々養子を取らなければ絶える家の事を考える
 何故、その家が養子を取らなければ絶えてしまうのかについては、殆どのこの領域の方が書いておられる様に、先祖の因縁、先祖供養の問題、家系の因縁、家系の問題、健康上な問題などに起因したものである場合が多い事は確かです。

 そしてそれは、時期的に観て、因縁や問題の解明、消除、医学的治療等で養子を取らなくても可能になる場合もありますが、私が経験する殆どのケースは、もうその時期を逃した手遅れの場合も多く経験する事は確かにあります。

 しかし、問題は何故、そこまでして養子を取って家を守りたいのか、家系(苗字)を絶やしたくないのか、という理由にあると思います。

 代々、養子を取ってまで家を絶やしたくないという理由には、先ず金銭的、物質的に裕福なものを失いたくない、守りたいという意思(低い欲)が其処に働いているからだと思います。

 貧乏で財産も無い家を、養子を取ってまで守って行きたいという人も少ないし、誰もその様な所に養子に入る方も居ないと思います。

 貧乏な家で代々養子を取っておられるという例は余り聞いた事がありません。

 中には情に絆(ほだ)されて養子に入られた方も居られるとは思いますが、やはり其処には、「欲」というものが働いて養子に入る流れになった方のほうが断然多いのではないかと思います。

 実際の経験上、財を成した裕福な家には、その家をその様に導いた何かの作用を観る事が出来ます

 自分一人の力で財を築いたと言われる方でも、この領域から観ると、その人間の意志と同じ様な考えを持ったこの領域の力が其処に働いた結果、その様な形になったのだと思います。

 私は今までの経験上、正邪の区別は差し置いて、財を成した所(家)にこの領域の力が働かなかった所は経験した事がありません

 先ず、全てがこの領域の力の御蔭で財を成したと言っても過言ではありません

 その上、何故か、お金や物が有る所には無い所に比べてこの領域の正邪の作用が自然に集まって来ます

 そして、財を築いた方がこの領域の御蔭と感謝して暮らして行けば、何処までも順当に家系は続いて行くはずです。

 それと財を成した家(人間)がどの様な手段を使って財を成して来たか、そして其処に作用するこの領域の元がそれをどう解釈してその家(人間)と関わって来たかによっても話は変わって来ます

 財を成した家を観ると、其処には正当な神霊が居られる事が多いです。

 しかし私達がその問題解明でその家に行った時、其処に居られる神霊の私達に対する接し方がどうも普通の神霊のそれではなく、何処か、何かに後ろめたさを持っている様に思える場合が多く感じます

 それと、正統とは程遠い邪神を観る所も多くありますが、そういう所からの相談は其処に居る邪が私達を遠ざける様にその家の方に作用しますので、私達がその問題でその家に行って祈祷をする事は先ずありません。

 そして私の言う正当な神霊とは眷属神を意味します

 正統な眷属神もピンからキリまで在ります。

 邪の形を取って出て来るものも、元は正当な神霊の場合が殆どです。

 眷属神も修行の為にその家(人間)に付かされます。

 財を成すべきお役を持った家(人間)に、財を成すのを手助けするお役を持った神霊が付かされます

 その家をお金持ちにする神霊の修行が始まります。

 そしてその眷属神の修行を上から観ている神霊(大元)が居ます

 綺麗事ばかりで貧乏になるのは簡単ですが、財を成すべきお役を持った(家)人も、その財を成すのを手助けするお役を持った神霊も、財を成す為にはいろんな手段を使ってそのお役を真っ当します。

 時には、財を成すべきお役を持った(家)人の、又、財を成すのを手助けするお役を持った神霊の、そのお役のせいで泣いた人が居たかも知れませんし、そのお役の為に、其処と関係するこの領域が犠牲になった時(事)も有ったかも知れません

 その様な積み重ねを続けて財を成して行った方が多いのではないかと思います。

 不思議に思われるかも知れませんが、私の経験上、大きく財を成した所に居られる神霊は、位の高い神霊ではなく、どちらかと言えば位の低い眷属神が多いに思います。

 解り易く言えば、「金儲け。金儲け」という意思が全面に出た余り位の高くない神霊が其処に多く観る事が出来ます。

 そしてこの様な所にはその程度の問題は横に置いて、何故か子供と縁が有る所が多い様に思います。

 片や、
位の高い神霊はある程度の財を成す仕事をすると、もうお金儲けのお役を卒業して、神霊自身も、又、その(家)人に対しても修業に重きを置く様な流れを作る事が多々あります。

 何の修行かというと、勿論、その人(家)の精神修行をも含め、財を成した人(家)に対しては、その財を人(他者)の幸せの為、世の為になる様な考えを意識させる様な流れを作ります

 この位の高い神霊の考えを理解し、その流れに逆らわずに従った人(家)は、其処には跡取りの子供が出来、先につながって行っている所が多い様に思います

 しかし、
位の高い神霊と縁の有った人(家)が、位の高い神霊の意図を理解せずにお金儲けの方ばかりに気持ちが偏った生き方を続けていると、その代でその家を終わらせてします事がよくあります

 しかし考えてみれば、財を成すお役を持った人(家)と、その財を成すのを手助けするお役を持った神霊が互いに高め合って、お互いがある程度までの高さに成長すると、其処には他者を助ける様なお役が待っていて、それに気が付かなければそのお知らせとしてその代で切られるというのも酷な話だと思います。

 それと、財を成した人(家)が目に見える形として神霊を祀っているのかどうかにもよると思います。

 目に見える形として神霊を祀り、その神霊の力を借りて大きな財を成した所には、その人(家)と同じ様なタイプの神霊が居られます。

 大体、態度の大きな神霊が出て来られます。

 態度の大きな神霊は、そんなに位は高くはありません。

 他者から見るこういう様な所(人)(家)の評判は横に置いて、また子孫の程度の良し悪しは別として、代々続いて行く所が多い様に思います。

 そしてこの様な人(家)は、その神霊を大げさ過ぎる程、丁重に祀っておられる所が非常に多い様に思います。

 問題は、財を成した人(家)の評判も悪くなく、人間的、社会的にも立派な行いをされているが、後継ぎが出来ない、出来ても難が有って、結局は養子を取らなければいけないという所も多くあります。

 こういう人(家)は頭が良く、実力も有って、御自分の実力で財を成して来たという自負があるのでしょう。

 そしてその様な人(家)の頭の中には神霊の存在を否定したり、また自分が(家が)神霊に守って来て頂いた事を全く知らないで来られた方が多い様に思います。

 この家は、「某月、某日、(548)(550)」にも登載させて頂きましたが、先祖が代々手広く商売をれていたが代々養子を取って続いて来た家です。

 今回、私の知人を介して相談を頂いたこの方の両親も夫婦養子でその家に入り、その両親から生まれたのがこの女性で、他に兄弟は無く、この方自身は結婚して他家に嫁いでおられます。

 この方のお母さんは施設に入っておられ、実家には仏壇が在るだけで誰も住んでいません。

 今回相談を頂いた内容は、この方の実家をこの先どの様な形にしたら良いのか(相談されて来られた方も漠然と相談されて来られた様です)、親戚の中で継ぎたい者が居ればそっくりそのまま継いで欲しいのですが、誰も継ぐ事に手を上げる者が無く、どうしたら良いのかを尋ねられたのだと思います。

 尋ねて来られた方は全くこの領域にはうとい方の様に思われたので、この方にいろいろ聞くよりは直接地神様に聞く方が早いと思い聞いてみました。

 「地神さん・・・何で?この家は代々養子を取らなあかんのですか?」と聞いてみました。

 「地神さんは普通に出とってやけど・・・色も白いし・・・でも顔が・・・顔が長いわ・・・馬の顔?・・・龍の顔?・・・」と妻が言います。



 「馬(白馬)でもない・・・龍でもない・・・しかしそれに通じるものやろ・・・その根元やろ」と思いました。

 この方には、「兎に角、水です」とだけお伝えしました。

 本当は、この方には、「何故代々養子を取らなければならなくなったという原因の根元は水です」とお伝えしたかったのですが、多分、理解出来ないだろうと思って簡単にお伝えしました。

 そうしたらこの方は、「その昔、家の敷地内に川が通っていて(流れていて)、直ぐ近くの海からその川を通って物資がこの家に運ばれていた・・・と聞いた事があります。敷地内の大木に空いた穴に小さな白い蛇が住んでいた・・・」とも言われます。

 この内容のメールが来る前に再度この家の事を聞くと、「真っ白な小さい蛇が・・・少しだけ回転しながら上に上がって行くわ・・・地神さんはそれを見てるわ・・・」と妻が言います。

 その日の夕方、その日、一日の御礼を言おうと地神様に手を合わすと、「昼間と同じものが出てるわ・・・」と妻が言います。



 「あ・・・上がりたいんやな・・・もう上がりたいんやな・・・敷地内に川が流れていたこの家の巳さんは・・・」と思いました。

 「もう・・・この家を裕福にする為に来られていた神霊は・・・もう上に上がりたい・・・もう、そのお役を卒業したいんやろな・・・」と思いました。

 「此処の神さんがそうしたいのならそうしたら良い・・・その手伝いをさせてもらおう・・・それが私らのお役やろ」と思い、祈祷(釜焚き)の表白もその様な内容の表白を作りました。

 地神様もそれで良いと言うので、その様な祈祷の段取りを立てました。

 神霊の勧請や撥遣は数え切れない程経験していますので、私達に取ってはそんなに苦労の必要な祈祷にはならないだろうと思って臨みました。

 祈祷の段取りとしては、一つ目の釜で、この家に財をもたらした神霊に今までの御礼を伝え、撥遣の旨を伝えて上に上がって頂き、二つ目の釜で、相談されて来られた方が良い様に行く様に釜を焚き、最後に、空家に置いてある仏壇にお経を上げて帰って来る予定に考えていました。

 しかし、最初から地神様自身がその段取りで良いと言ったはずの祈祷に迷いがある様に思われて仕方が有りませんでした。

 一つ目の釜の前に、この家に財をもたらしたであろうこの家の巳神様(地神様)を御呼びしましたが、全くお姿が出ませんでした。

 「地神さん・・・祓い消すもの、出してください」と言うと、「・・・下にも・・・上にも・・・黒いものが在るわ・・・」と妻が言いました。



 「おい・・・ちょっと待ったれよ・・・この時点では家で見たこの家の神さんが出て・・・有難う御座いました・・・と伝えて・・・すんませんが、もうこの家はこの代で終わりです・・・有難う御座いました・・・と伝えたら・・・神さんの方からも、「いやいや・・・」という返事らしきものを頂いて・・・それでは釜を焚かせて頂きます・・・有難う御座いました・・・と・・・こんな段取りを立っていたが・・・どないなっとるんや・・・」と思いました。

 まあ、兎に角、祓い消すものは消して綺麗にしようと思いました。

 この家に財をもたらしたであろう神霊に今までの御礼を伝え、撥遣の旨を伝え、同時に祓いの表白を読んで釜を焚きました。

 釜は普通の音で、普通の長さ?を鳴って鳴りが止んで行きました。

 私、「どやった?。黒いもの・・・消えたか?」と妻に尋ねました。

 妻、「何か・・・白い光が横から来て黒いものをサッと上に上げてしまったわ・・・」と言います。



 私、「それだけ?」。

 妻、「それだけ」。

 私、「いや・・・この家の白い巳さんは?」。

 妻、「何も出なかったわ・・・」と言います。

 私、「地神さん・・・これで良いんか?」と聞いてみました。

 妻、「うなづいてるわ・・・良いのと違う」と言います。

 どうやら、この黒いものと一緒に、この家の守り神も上に上がってしまったものと観ます。

 この家の守り神の地神様がこの黒いものを祓ってくれたのか、又は、この家の真っ白な巳様もある一面はこの様なものも持っていたのか、それは解りませんでした。

 只、祈祷が終わってからいろんな場所を見せて頂いた時に、今は入院されているお祖母さんが誰かから貰って来た邪の類のものが在りましたので、それが発していたものかも知れませんが綺麗になりました。

 この家の方には、一つ目の釜の意味は後で説明しますとお伝えしましたが、地神様にしても然り、私の中にも、どうも方向性の決まらない焦りの様なものを感じていました。

 二つ目の釜は、この方の実家がこの方が臨まれる様な展開になる様に、また、この方の家族が良い様に行く様に祈願して焚く予定ですが、私にしても長年こんな事をして来た割には方向性に乏しく、無責任な様にも感じていました。

 そして、釜を焚く前に米を洗いに行った時、付いて来られたこの方が、「誰も居ない空家に地神様をお祀りする事は出来ないのですよね?・・・」と私に聞かれました。

 「あっ・・・神霊を祀る事に抵抗の無い方やったんや・・・良かった・・・これではっきりした(方向性がついた)」とその時思いました。

 安心しました。

 「これでもう一つの選択肢として私が考えていた事に望みがつながる」と思いました。

 この相談をされて来た方には大学生の息子さんと高校生の娘さんが居られます。

 大学生の息子さんは当然父親の姓を継いで行かれると思いますので、高校生の娘さんがお母さんの実家を継いで行かれたら良いのにと思っていました。

 その事についてはこの時点まで相談されて来られた方にはお伝えしていませんでした。

 そのもう一つの選択肢の是非も聞きながら、二つ目の釜を焚きました。

 釜は少し波を伴なって大きな音で鳴り出し、極普通の時間で止んで行きました。

 私、「どないや?」。

 妻、「いや・・・別に・・・」と言います。

 私、「いや・・・別にやなしに・・・どないや?。何か出てるか?」。

 妻、「いや・・・釜の下に真っ白い・・・小〜さな巳さんが出てるわ・・・。でもこの巳さん・・・一つ目の釜を焚く前から見えてたよ・・・」と言います。

 私、「見えてたってか・・・」。

 妻、「最初から出てた」。



 私、「何でそれを言うてくれんのや・・・」

 私の中ではこの祈祷の大体の主旨を理解したのと、地神さん自身の方向性もこの方が、「誰も居ない空家に地神様を祀る事は出来ないのですよね・・・」と聞かれた時に決まったと思いました。

 この方には、先祖供養が済んでから祈祷の始終と、それがどういう意味なのかをお伝えしますので、もう少し待ってくださいとお伝えしました。

 仏壇はこの家の繁栄していた当時の勢いがうかがえる大きな仏壇で、古くて年期の入ったものでした。

 そしてこの家の財力ならとっくに新しい仏壇に買い換えても良いと思われるのですが、古い仏壇のままでした。

 この家は浄土真宗大谷派でしたので「正信偈」を上げさせて頂きました。

 長い間空家にしてお祀りも十分出来ていない事を詫びる表白を読んでお経を上げさせて頂きました。

 「正信偈」を上げ終わって、「○○家の御先祖様、どうか御姿を見せてください」と仏壇に向かって問いかけてみました。

 こんな事を言ったら怒られるかも知れませんが、この仏壇から感じるものは重さだけで、御先祖様の御姿は出ないだろうと思って聞いてみました。

 妻、「仏壇の上に丸い・・・綺麗な光った玉が出て来たわ・・・」と言います。

 私、「出たって?。ほんまかい」。

 妻、「出てる」。

 ○○家の先祖の全体の形として丸く光った玉が出て来た事になります。

 私、「○○家の御先祖様・・・聞こえていたらもっと光ってください」と伝えました。

 妻、「光ったわ」と言います。

 声に出さず、

 私、「○○家の御先祖様・・・○○家は代々養子を取ってこの代まで来たが・・・また今、今までと同じ様な状況になって来てるが・・・どやろ?・・・此処の娘さんの家に高校生の女の子が居るが・・・この女の子がこの家を継いで行く事は・・・どや?・・・それで良いか・・・この流れで御先祖様は宜しいか?」と尋ねてみました。

 妻、「・・・光の輪の中に
赤い玉が出て、その周りがもっと光ってるわ・・・」と言います。



 この家の御先祖様は、今日の祈祷を依頼された方の
娘さんがこの家を継いで良し、継いでくれという意味に取りました。

 「一か八か・・・この家の御本尊様の阿弥陀如来様を呼んでみたれ(呼んでみよう)・・・阿弥陀様の考えも聞けたら聞かせて頂こう・・・」と思いました。

 私、「地神さん・・・阿弥陀さん・・・呼んで・・・。○○家の阿弥陀如来様、どうか御姿を見せてください」と聞いてみました。

 妻、「奥深〜い、切れ長で、パチッとではなく半分閉じている様な、青?・・・薄緑?・・・の目が出て来たわ・・・」と言います。

 私、「阿弥陀如来様と観ます。有難う御座います。この家、代々養子を取って今まで続いて来ていますが、今回、○○家の御先祖様も賛成されたが、この方の高校生の娘さんが○○家を継ぐ事は賛成ですか?。賛成なら目を閉じてください」とお伝えしました。

 妻、「ゆっ〜くり目を閉じたわ」と言います。



 私、「阿弥陀如来様、有難うございます。この家の方にはその様にお伝えします」とお伝えしました。

 「あ・・・これでこの家の次の代からは養子を取らなくても続いて行くやろ。良い仕事が出来た」と思いました。

 今回祈祷を依頼された方には祈祷の始終を説明させて頂きました。

 先ず、敷地の中に川が通っていたこの家には水神様が居られて貴女の先祖と一緒にこの家の財を築いたが、代々その存在に気がつく者もなく、正式にお祀りもしないで来た事。

 当然、神霊に対する感謝の気持ちも無かったかも知れない事。

 そして、一つ目の釜でこの家に居られてこの家の財を成す手伝いをされて来た水神様が大元に帰られた(帰って頂いた)事。

 そして妻の言う、一つ目の釜を焚く前から見えていた
小さな白い巳神様は、貴女の娘さんがこの家を継ぐ事になるのが分かっていたので、娘さんを助けるお役を持って大元から送られて来た事。

 そして、○○家の御先祖様も娘さんがこの家を継いで行く事に賛成してくれた事。

 御本尊様の阿弥陀如来も娘さんがこの家を継いで行く事に賛成してくれた事をお伝えしました。

 上記した今回の内容は私が今まで経験して来た中でのほんの一例ですが、
正統な神霊と縁の有る、有った所(人)(家)は、それだけのお役が有って位の高い神霊が付いた訳で、位の低い神霊が付いた所(人)(家)と比べたらいろいろな勉強をしないといけない生まれ(お役)になっているのでしょう。

 
その事を代々この家の御先祖様が気がつかなかったという事でしょう

 金持ちも金持ちの修行があって、貧乏人も貧乏人の修行があって、その修業に気がつかないとその代で絶えて行くのでしょう。

 しかし同じ修行をするならお金持ちの修行の方が良いと思うのも人情ですが、お金持ちもお金持ちの苦労があるという事です。

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 
鳴釜神事の実際と考察