ひとりごと・たまに・ふたりごと・・番外69(色は無いとは?・・)
(注:バックの色はありませんが、解り易くする為にあえて色をつけています)
「地神さんが長〜く出てるわ・・・真っ白」と嫁さんが言ったな・・・。
「そうか・・・長〜く出てるか・・・良かった・・・」と思ったな・・・。
「顔ははっきりと見えないけど・・・全体が綺麗やわ・・・」と嫁さんが言ったな・・・。
「顔が見えない程・・・そない(そんなに)長いんかい・・・」と、的外れな取り方をしたな・・・。
「それで・・・地神さんの出てる背景は・・・バックの色は何色や?・・・」と聞いたら・・・「背景は無い・・・バックの色は・・・白?・・・いや、色は無い」と嫁さんが言ったな・・・。
「そうか・・・無いか・・・色が無いか・・・無(む)・・・か?・・・」と思ったな・・・。
「無(む)か?」と聞いたら・・・「無(む)ではない・・・無(な)いがある」と嫁さんが言うたな・・・。
「色が無いとはどういう色や?・・・」と聞いたら・・・「色では無い」と嫁さんが言うたな・・・。
「無いとは・・・透明で向こうが透けてるという事か?」と、ど素人の様な事を聞いてしまったな・・・。
「透明ではない・・・向こうというものも無ない・・・無いだけがある・・・」と嫁さんもまた解らん事を言うたな・・・。
「決して平面ではなく・・・何処まで続いているのか分らない程奥深〜い・・・静かな何も無い空間・・・色は無い」と嫁さんが言うたな・・・。
まあ、祈祷の途中でも夫婦でこの様な話をする事がまま有るが・・・皆さん・・・ボ〜ッと聞いておられるな・・・。
綺麗なものに通じるには・・・無(な)い・・・の体得が必須なんやろな・・・。
神道や古神道、密教の瞑想法・・・ヨガの精神統一、瞑想法など・・・良かれと思い一生懸命にやっていた時代があったが・・・無(な)いの境地・・・は無理やったな・・・。
そら・・・いろんなものが出て来て出て来て・・・次から次に・・・お見事に。
汚いものは今でも・・・何ぼでも・・・嫌という程見えるな・・・感じるな・・・通じるな・・・、まあ、私のお役はその様なものと向き合う必要があるのでそうなっているんやろな・・・。
私が釜を教えた方も・・・「汚いもの・・・邪・・・しか見えないんです・・・」と言われるが・・・まあ、それも分らん事でもない。
そういうお役やろ。
無(な)いを体得出来るのも・・・お役やろ。
ところで・・・無(な)い色とは何色や?。
それはその者自身の程度によって決まってくる色なのかも知れんな・・・。
それと、修行で体得出来るものでもない無いんやろ・・・無(な)いは。