命婦専女神様との世間話(○○製陶所にて)
 命婦専女神様と私とのたわいない会話の内容についてですが、たわいないと言えども公に出来ない内容も沢山ありましたので、その部分は書きません。

 つい先日、東濃地方の○○製陶所で行った祈祷ですが、古くなった窯の煙突の交換工事をするにあたって、今までのお礼と、この先の商売繁盛を祈願して釜を焚かせて頂きました。

 それは、この家(会社)で祀る伏見稲荷様と地神様に対しての感謝だけではなく、火を使う窯に宿る不動明王様に対しての感謝の気持ちも有り、窯の前で鳴釜の神事を行いました。

 それがひいては、この家で祀る伏見稲荷様や地神様が喜ばれる事になります。

 この家での祈祷の4日前、祈祷の段取りを地神様に報告しているとこの様なものが出て来ました。

 この家の稲荷様や巳神様が喜ばれていると取ります。



 尚、この家は伏見稲荷様と地神様を一生懸命にお祀りされていますので窯に不動明王様が宿られますが、普通一般では其処に正統な神霊が宿られる事はありません。

 この製陶会社とのお付き合いは13〜14年になりますが、途中、2年間ほどは疎遠になった時期があります。

 以前から祀られていた伏見稲荷様には、最初私達が関わらせて頂いた後でお帰り願い、新たに京都伏見稲荷大社でお札を受けられました。

 そしてそのお札に付いて来た稲荷神の夫婦は乗りの良い稲荷様で、釜を焚くと嬉しくなって扇子を持って踊り出す様な稲荷様でした。

 乗りの良い、軽い稲荷様でしたが、仕事はしっかり取って来てくださいました。

 その様な訳で、仕事は途切れる事もなく、順調な状態にありました。

 2年間ほど疎遠になっていた3年程前、ある事を機に行かせて頂く様になったのですが、久しぶりに見るこの家の伏見稲荷様夫婦の印象は以前とは全く違うものに変わっていました。

 思わず、私の方の地神様に「地神さん・・・この家の伏見稲荷さん・・私らが来ない間に違う稲荷さんと入れ替わったのですか?」、と聞いた程、稲荷様夫婦の雰囲気が変わってしまっていました。

 もう以前の様な軽い乗りも無く大変落ち着いた稲荷様夫婦に変わってしまっていました。

 以前は落ち着きも無く、祈祷中もうろうろしていましたが、殆ど動きの無い稲荷様に変わっていました。

 「あ、人間の夫婦が勉強してあったな」、と思いました。

 稲荷様を祀る人間の夫婦が成長してあったという事です。

 今回の素焼き釜の煙突工事の釜焚きには、この家の地神様は御社の方で出ておられ窯の近くには来られませんでしたが、この家の伏見稲荷様夫婦は直ぐに窯の前に来られました。

 話は前後しますが、今回の祈祷は素焼き窯の煙突工事に入る前、要するに、煙突の部分を壊す前に、今までのお礼と、この後の商売繁盛を祈願するものなのですが、しかし祈祷というのは一つの祈願に対して行うだけというそんな単純なものではなく、やはり各家にはそれなりの正すべきものがあります。

 絶対、正すべき、何かがありますし、時間の経過に従って新たに表面に出て来る正すべき何かがあります。

 前の祈祷で綺麗になったはずでも、やはりある程度の時間が経つと、外から新たに入って来たものや、その家のその時(今)ではないと正す事が出来ない事情なども関係して、私達の仕事は絶対にあります。

 この家の場合も然り、去年の暮れ、仏壇に在った複雑な事情の九つの位牌を一つにまとめたのですが、それをされたお坊さんの力ではなく、お坊さんのそれに対する熱心さが足らなかったのか、大分前からこの家の仏様の落ち着きの悪い状態が妻や私の体に入って来ていました。

 祈祷の前夜、ホテルで、妻は一晩中トイレに入っている状態が続いて(ずっとおしっこが出ている状態)、終い目には体中がジリジリ痺れて大変な状態になっていました。

 要するに、複雑な事情の九つの位牌の仏様の落ち着かない状態が妻の身体に作用していた訳です。

 確かに、私達の場合は、地神様にその原因を聞いていますのである程度は落ち着いていますが、一般の方にこんな症状が出たら大騒ぎになると思います。

 本職のお坊さんにしても、逐一お参りに行く家のこんな症状が体に入って来ると仕事など出来ませんので、どうしても事務的にならざるを得ないと思います。

 今回の祈祷の段取り(順序)ですが、はっきり言うと、現地に着くまで決めていませんでした。

 決めていたのは、最後の釜(二つ目の釜)の段階で命婦専女神様を御呼びしようという事だけでした。

 綺麗な状態の所へ命婦専女神様には来て欲しかったのです。

 普通なら、先ず御先祖様の供養から入るのですが、今回は素焼き釜の煙突工事をする事の断りの釜から始める事を現地に着いた後で地神様に報告して了解を頂きました。

 何故かというと、この事情のある九つの位牌の供養は前夜の妻の症状から観て、果たしてお経を上げるだけで成し遂げる事が出来るのか、という疑問もありました。

 かといって、素焼き釜の工事の断りの釜に、何も関係のない祈願を無理やり入れる訳にもいきませんので、もし、お経だけでまだ納得がいかないと思ったら、失礼だとは思ったのですが、命婦専女神様が来られた時に焚く商売繁盛の釜に、謝りを入れて焚こうと思っていました。

 一つ目の釜に入ります。

 この家(会社)の伏見稲荷様夫婦が来られています。

 表白を読みます。

 「謹み敬って○○家の御先祖様、○○家の正一位伏見稲荷大明神様、○○家の地神様に申し上げます。本月、本日、此処、・・・県・・・市・・・・・、○○製陶所に於いて、○○製陶所の素焼き釜の煙突、竣工以来、年月久しく、願主が操業の功用を施し来たりしが、老朽破損甚だしく、此処にその用を畢りぬ。依って、新たに素焼き釜の煙突を普請せんが為、今、解体せんとするにあたり、妙典神咒の法施を行い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」。

 コンロに火をつけます。

 湯が沸騰して来ます。

 洗い米を入れます。

 当然、釜は最初から勢い良く、波の無い力強い音で鳴り出しました。

 力強く、淀みの無い音が鳴り続けます。

 釜は長い時間鳴っていました。

 やがて音が止んで行きました。

 私、「どやった?」。

 妻、「ドン・・・と・・・ロケットの噴射みたいな勢いで朱色のものが上がったわ・・・ドン・・・と一直線に上がったわ・・・」、と言います。



 私、「ドン・・・やな?」。

 妻、「ドン」、と言います。

 妻は何も分らなくて言ったと思いますが、正に、素焼き釜から煙突に抜ける火の勢いの形を見せてくれたのだと思います。

 この素焼き釜に宿る不動明王様の気持ちと取ります。

 もうこの釜の意味は何も説明する必要はありません。

 素焼き釜の煙突工事が終わって操業を始めると、「ドン」と仕事が入って来る事でしょう。





 次はこの家の仏壇に向かって普通の喋り方で対処しました。

 複雑な事情がある祈願はありきたりの表白ではこの祈祷の意図が通じませんし納まり切りません。

 沢山の数の御先祖様に向かって、「大変やったな・・・あんたらも、何も事情の分からんお坊さんが事務的にお経を上げても通じんわな・・・すんませんでした・・・落ち着かんわな・・・すんませんでした・・・・・・・・・・」という様な喋り方の方が良く通じます。

 観無量寿経の一部と正信偈を上げさせて頂きました。

 私、「どや?。何か出てるか?」。

 妻、「???・・・真ん中は白・・・それで、金色のクルッとしたものが出て・・・そのクルッとしたものは四つか五つ・・・六つ?程重なって・・・次に、その金色のクルッとしたものの次に紫色のクルッとしたものが出て・・・次に、薄青い?・・・水色のものが出て・・・次に、銀色の様な薄い水色?が出て・・・その周りは金色で・・・」。

 私、「分らんから絵に描いてくれるか」と妻に言いました。

 これがその時、一つ目の釜焚きの表白の裏に妻が急いで描いた絵です。(本当はもう少し色が多いそうです)



 この家の方にも、「今、こんなのが出ていますよ」とお知らせしました。

 最初、妻が「クルッとしたもの・・・」と言った時は三道と観たのですが、次々に出て来るものですから、これが何を意味するものかが解りませんでしたが、この家の本尊、釈迦如来様を見て理解しました。

 釈迦牟尼仏の頭光と観ました。

 又この家の釈迦如来様の御像はその周りに沢山の輪光がありましたので、その様に理解しました。



 この後、

 私、「地神さん、これで宜しいか?。仏さん、成仏しましたか?」と聞いてみました。

 妻、「その丸いものの下からス〜ッと手が出て来たわ・・・」、と言います。

 「救い上げた」という意味に取ります。

 「ああ・・・良かった」と思いました。

 次に二つ目の釜に入ります。

 二つ目の釜は京都伏見稲荷大社から命婦専女神様を御呼びし、この家の伏見稲荷様、地神様に日頃のお礼と商売繁盛、また少し離れた所に住むこの家の次男家族の家族円満、息災安穏を祈願して釜を焚きます。

 しかしこれは、この家(会社)に取っても、それ以上に、私に取っても大きなプレッシャーがかかっていました。

 以前は、祈祷の折には気軽に命婦専女神様を呼びしてその家の(会社)の商売繁盛や家運長久の祈祷に付き合って頂いていましたが、ある時期から、何故この場所に命婦専女神様が来られるのかという意味が解らない方が出て来ましたので、命婦専女神様に取っても迷惑になると思い、御呼びするのを控えさせて頂いていました。

 それと、私達の祈祷に向かう姿勢が果たしてこれで良いのか、これで良かったのか、という疑問も長年持っていましたので、極力、命婦専女神様を御呼びするのはためらっていました。

 しかし、この製陶所に関しては命婦専女神様を御呼び出来る価値があると思いましたし、また、私達に取っても、命婦専女神様がこの製陶所に来られたら、私達のこの領域に対する姿勢は間違っていなかったという自信につながりますので、祈祷の大分前から家の地神様を通して命婦専女神様の方にはお伝えさせて頂いていました。

 それに対する地神様(私の方の)の返事は、最初からうなづいていましたので大丈夫だとは思っていても不安はありました。

 「地神さん、命婦専女神様にはお連れの稲荷さんも沢山お連れして来てくださいと伝えてください」という私の問いに、地神様は軽くうなづかれていましたが、やはり不安はありました。

 二つ目の釜焚きの準備が整いました。

 私、「京都伏見稲荷大社、白狐社、命婦専女神様、どうぞ御越し下さい」と伝えて、「稲荷大神秘文」を上げました。

 妻、「・・・来てあったわ・・・。やっぱり違うわ。普通の稲荷さんと違うわ・・・。よく出て来る稲荷さんと全く違うわ・・・。威厳があるわ。ずら〜っと、後ろで二列に並んでるわ・・・。それと命婦専女神様の後ろに二体、強そうな稲荷さんが来とってやわ・・・この稲荷さんも普通の稲荷さんではない雰囲気やわ・・・」と言います。

 「・・・前に来られていた時と同じやわ・・・命婦専女神様は」と妻が言いました。

 「そら当たり前や」と思いました。

 「そうか・・・来てあったか・・・」、と思いました。

 「あ・・・私らは間違ってなかったな・・・私らがやって来た事は間違ってなかったんや・・・」、と思いました。



 「命婦専女神様、久しぶりです。何時も○○製陶所を御守りくださいまして有難う御座います。もう命婦専女神様を御呼びさせて頂く所も少なくなってしまいましたが、この○○家はその資格があると思います。・・・そしてお連れの方々も沢山連れて来て頂いて有難う御座います。お連れの稲荷様にはお酒を飲んで頂く様にお伝えください」、とお伝えしました。

 そしてこの様な展開が有るだろうという事を見越して、前日、家の近くのコンビニで命婦専女神様用にお酒を買って持って来ていました。



 「命婦専女神様、これは私が持って来たお酒です。これは命婦専女神様だけが飲んでください」と勝手な事を言ってしまいました。(写真手前のどんぶり鉢)

 確かに、命婦専女神様が来られたという事が嬉しかったのですからしょうがない事です。

 命婦専女神様には○○製陶所の繁栄、この家の次男の家族の守護を祈願して釜を焚きました。

 釜は最初から波の無い大きな音で鳴り出しました。

 相当長く鳴っていましたがやがて音が消えて行きました。

 私、「どやった?。何か見えたか?」。

 妻、「釜から勢い良く出るものは見えなかったけど、綺麗な銀色?・・・金色のものが釜からあふれて周りを包んでしまったわ・・・」、と言います。

 「そ・・・そ・・・そそそ・・・正解やな」、と思いました。

 「この祈願に対する適切なこの先の結果の見せ方やな」、と思いました。



 私、「そいで・・・お連れの稲荷さん、どれ位来とってんや」。

 妻、「すごい数・・・紙のコップの数やったら間に合わへんわ」と言います。

 私、「そいで・・・飲んだんか?・・・お連れの稲荷さん・・・酒を」。

 妻、「きちっと二列に並んでるから・・・分らへん」と言います。

 「あ・・・今回は強そうな稲荷さんが二体付いて来られてるので・・・お連れの稲荷さんも列を乱されへんのやろな・・・人間社会で言うたら・・・うるさい部長が二人付いて来て睨んでるんやろな・・・」、と思いました。

 これから以下が命婦専女神様と私の会話になるのですが、冒頭にも書いた様に、公に出来ない内容も多くあります。

 公に出来ない部分が大半を占めるのも事実です。(公に出来ない部分の内容はお聞きする時も声に出して聞いていませんので、妻やこの家の方もその内容は解りません)

 命婦専女神様と私との、軽い世間話として読んで頂けたら良いと思います

 声に出して、

 私、「命婦専女神様、今日は有難う御座いました。しかし私達も長いこと伏見稲荷大社へは行っていません。・・・というのは、最近の伏見稲荷大社の雰囲気が以前とはすっかり変わってしまい・・・、又、境内の出店の肉を焼く臭い・・・あれは駄目です。神社で肉を焼くのは駄目です。神社側もよく許可を出したもんです」・・・(この時点で)

 妻、「うなづいてあったわ・・・命婦専女神様・・・」と言います。

 私、「そうか・・・うなづいてあったか・・・」。

 私、「普段、命婦専女神様が白狐社の前面に居られないのは解っていますので、もし事前に私達が白狐社の前に立つ事を地神様から連絡が有ると命婦専女神様も其処に来られます。そうなると、あの肉を焼く臭い、また、以前には無かったあの参拝客がつくり出す雰囲気の中に命婦専女神様をさらす事になります。それは大変失礼な事と思っています。今まで神聖な気持ちでお参りされていた方からもこの意見はよく耳にします。これは全て、神社で働く人間の資質の問題だと思います。神社の人間の責任です」・・・(この時点で)

 妻、「命婦専女神様・・・深くうなづいてあったわ」、と言います。

 私、「深くうなづいてあったというのは、「そうだ・・・」と深く頭を下に下げてあったという事か?」。

 妻、「そう・・・深〜く下げてあったわ・・・」、と言います。

 「やっぱり・・・よう解っておられる」、と思いました。

 この後、神社の事、今までの私の祈祷で命婦専女神様に来て頂いた複数の所のその後、稲荷神(伏見稲荷)をご自分の守護神と崇めるこの領域の方々の事などを声に出さずに聞いて、その答えを頂いていますがそれは書きません。

 声に出して、

 私、「命婦専女神様、毎朝、地神様のお祀りが済んだ後、命婦専女神様を御呼びさせて頂いていますが、それは逐一通じていますか?」、と聞いてみました。

 私、「どや?。命婦専女神様は・・・」。

 妻、「うなづいとってやで」。

 私、「有難う御座います」。

 私、「命婦専女神様、私も嫁さんも長い事この仕事やって来ました・・・。まあ、そら、以前と比べたら歳も取りました・・・。地神様の指導で、この領域の者が陥る間違いもどうやらしなくて此処まで来れました。命婦専女神様から私達を観て、これからもこの姿勢で進んで宜しいですね?」、と尋ねました。

 私、「どや?。命婦専女神様は・・・」。

 妻、「うなづいとってやで・・・」。

 私、「有難う御座います。

 私、「命婦専女神様、どやろ?・・・何やかやと言いながらでも・・・・あっちこっち・・・調子が悪いとか言いながらでも・・・私ら、この仕事・・・この先、やって行ってますか?」、と聞いてみました。

 私、「どや?」。

 妻、「うなづいとってやで・・・」。

 私、「有難う御座います」。

 私、「命婦専女神様、毎朝お伝えしている様に、巷に居られる伏見稲荷様、その伏見稲荷様が窮地に居られる稲荷様が居られたら、またそれが私達の釜で元の形に戻るなら、地神様を通して私達に言ってください。喜んでお手伝いをさせて頂きます」とお伝えしました。

 私、「どや?。命婦専女神様は?」。

 妻、「良い顏でうなづいてあったわ」、と言います。

 私、「有難う御座います」。

 この様な会話をさせて頂いた訳ですが、私としては嬉しい時間でした。

 忙しい神様ですので、命婦専女神様にはもう少し○○家に居って頂きたかったのですが、帰って頂く事にしました。

 お礼を述べ、「稲荷大神秘文」を上げました。

 命婦専女神様とお連れの稲荷様が帰られた後、

 私、「どんな感じで帰られたんや?」と妻に聞いてみました。

 妻、「綺麗に帰ってあったわ・・・二列に並んで・・・。命婦専女神様が後ろを向いて帰られたら、後ろで二列に並んでいた稲荷さんらは、一旦、命婦専女神様が居られた所まで来て、其処でクルッと向きを変えて、命婦専女神様の後に二列に並んで上がって?・・・向こうへ?消えて行ってあったわ・・・」、と言います。

 「お・・・そうか・・・」と思いました。

 「やっぱり大したもんやな・・・」と思いました。



 命婦専女神様一行が帰られた後で、静かに今回の始終を見ていたこの家の伏見稲荷様夫婦に、

 私、「あんたら・・・緊張したやろ?。命婦専女神様が来られたら身が引き締まるやろ?」と聞いてみました。

 妻、「どっちも、うなづいてるわ・・・」と言います。

 私、「そらそうやわな・・・緊張するわな・・・、私も緊張したわ・・・」。

 尚、この家の地神様はこの光景を庭に在る御社の方から見ておられました。

 そして我が家の地神様は、一歩引いて、最後まで黙って見ておられました。

 この家の伏見稲荷様夫婦にしても然り、黙って静かにしておられたというのも、神霊としての実力が上がったという事です。

 これでこの会社は大丈夫でしょう。

 事実、明くる日に仕事の注文が入りました。

 その後、二週間の間に新たに三カ所の会社から仕事の依頼が入ったと連絡が有りました。

 しかしこの会社は以前から思うのですが、釜を焚いたら直ぐに仕事が入って来ます。

 何故、直ぐに仕事が入って来るのか、正直に言うと私にも解りません。

 只言える事は、此処の社長が研究熱心で夫婦共よく働かれるという事だと思います。

 よく働いて、後は神様任せにするというのがそのこつなのでしょう。

 尚、文中の京都伏見稲荷大社についての命婦専女神様との話ですが、実際はもう少し深くお話をさせて頂いたのですが、私は部外者ですのでその部分の内容は書きません。

 

 

 



 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 

 

 

 
 
 

 

 

 

 
鳴釜神事の実際と考察