ひとりごと・たまに・ふたりごと・・番外65(伊弉諾神社の夫婦大楠の神さんに・・)
 平成31年1月3日(木)・・・考えてみれば、毎年淡路島の伊弉諾神社に行ってるな・・・と思ったので、今年も行く事にしたんやな・・・。

 毎年、神戸淡路鳴門自動車道の一宮で降りて少し走ると、伊弉諾神社まで渋滞が続くが・・・今年はすんなり行けたな・・・。

 一宮中学の校庭に車を停めて降りた途端・・・「真っ直ぐ歩かれへんわ・・・。何か?・・・涙が出てしょうがないわ・・・」、と言い出したな・・・嫁さん。

 「今年も難儀やな・・・」、と思ったな・・・。

 「まあ・・・沢山の人が・・・いろんな思いを持って一か所に集まっている所に足を踏み入れた訳やから・・・無理もないかな・・・」、と思ったな・・・。



 境内に入ると、相当手前から人の行列が続いていたので、「何かいな?」、と思ったら・・・神殿(拝殿)に続く参拝の列やったな・・・。

 「やっぱり、神さんにものを頼むには・・・境内に入った途端、ちゃんと並ばなあかんねんな・・・」、と思ったな・・・。

 まあ・・・私は何も頼む事がないので、皆さんが並んでいる列の遠く離れた横から50円・・・投げさせてもらったな・・・。



 また・・・うまい事、賽銭箱に入ったな・・・。

 嫁さんの分は入れるのを忘れたな・・・。

 何も思わずに・・・只、手を叩いただけやったな・・・いっつもや。

 その後・・・直ぐ横に在る「夫婦大楠」で手を合わせたな・・・。


 此処・・・親近感があるんやな・・・私達には。

 やっぱり、沢山の人が参拝されてたな・・・。

 良縁成就・・・夫婦和合・・・子宝成就・・・の祈願の方が多いかもな・・・。

 ちょっと人が少なくなったので、鳥居の横の隅で手を合わせてみたな・・・。

 「夫婦の大楠の神さん・・・ちょっとお姿を見せてください・・・」、と念じたな・・・。

 「どや?。此処の神さん出てあったか?」、と嫁さんに聞いたけど・・・「いや、何も出てない・・・」、と言うな・・・。

 「夫婦の大楠の神さん・・・あんたら、ちょっと出てくれるか・・・」、と聞いてみたな・・・。

 「あんたら、ちょっと出てくれるか・・・」、と聞いてみたが・・・「あっ、沢山の人が手を合わせに来る神さんに・・・ちょっと慣れ慣れし過ぎたかな・・・、と反省したな・・・。

 直ぐに、「出てあったよ。
白い巳さんが二体・・・枝に巻き付いてるわ・・・。この太い楠の木ではなく・・・細い枝やわ・・・。そんなに大きくはないわ・・・。そら、家の地神さんの方が大きいわ・・・」、と嫁さんが言ったな・・・。

 「あっ、ちょっと慣れ慣れしく言うてしまったが・・・出て来てあったか・・・有り難いもんやな・・・」、と思ったな・・・。



 いや・・・ちょっと聞きたい事があったんやな・・・神さんに・・・しょうもない事を・・・真面目な方?から聞いたら不謹慎やと非難されそうな事を・・・。。

 伊弉諾神社に来る前の日・・・1月2日に、実家の墓に参ったけど・・・遠〜に死んだ親父とお袋に聞きたい事が有ったけど・・・聞き忘れてしまったんやな・・・。

 まあ・・・そんな事も有って・・・夫婦の大楠の神さんが出られたら・・・聞こうと思ってる事が有ったんやな・・・。

 しかし・・・やっぱり・・・目の前に出て来た神さんに聞くのは失礼やな・・・止めとこ・・・と思ったな・・・。

 いや・・・こんな事を聞こうと思っていたんやな・・・、「夫婦の大楠の神さん・・・、あんたら・・・こうして沢山の人があんたらを頼って願をかけに来られてるが・・・あんたら・・・どんな事を(何を)思って・・・何を基準にして・・・この人らの願いを聞いてるんや?。嫌な人も居るやろ?・・・無理な願いも有るやろ?・・・祈願を叶えさせてやりたいけど、もう無理な段階の人もあるやろ?・・・それと・・・」・・・まあ、この先の内容を書くのは止めときます。

 まあ・・・しょうもない事を素人の目線で聞く予定やったが・・・止めたな・・・。

 しかし・・・まあ・・・この神社の境内はよう揺れたな・・・。

 この神社だけではなしに・・・神社に参って調子が悪くなる方が沢山居られるが・・・境内には様々な人間の祈願の念が渦巻いてる訳やから・・・霊媒体質の人はそれに影響を受けるわな・・・そらよう揺れる。

 しかし・・・まだ伊弉諾神社はカラッとしていて・・・健康的な神社やと思うな・・・。

 但しそれは前面に居られる神さんの話しで・・・後ろに在る、沢山の小さな祠の神さんとは接してないので解らん。

 また・・・誰も参拝者が居ない様な普通の日に来て、此処の神さんと話をしようと思う。

 まあ・・・去年の正月に来られた・・・来させて頂いたとこに来れるというのも・・・有り難いもんや。



 

 

 

 











 
鳴釜神事の実際と考察