私見・・鳴釜神事を行う者の心構えと資格
先ず、厳密には、鳴釜神事を行う者には正当な神霊と施術者が一体になっている事が最低条件になります。
一体になっているというのは、釜を焚く者の体の中に神霊が入っているという意味です。
そうでないと釜を焚く者にいろんな災難が降りかかる場合があります。
しかしそれは理想であって、中々そうでない場合の方が多い様にも思います。
そして、この神事は全て自己責任の構造になっていると思います。
いい加減な気持ちで臨めば、その責任は全て自分に返って来ます。
回り回って見事に返って来ます。
いろんな形で返って来ます。
決まり事です。
そういう事を頭に置かれて、湯が沸騰して来た時点で単純に米を入れれば釜は鳴ります。
誰がやっても釜は鳴ります。
絶対に鳴ります。
ずぶの素人の方、素人に近いこの領域の方はどんどんやられたら良いと思います。
楽器を鳴らす様な感覚でやられたら良いと思います。
釜は大きな音で鳴ります。
素人の方、素人に近いこの領域の方が釜を焚いて、其処から不利益を被る事は少ないと思います。
それは遊びですのでどんどん焚かれたら良いと思います。
しかしそれも、絶対に自己責任でやって頂きたいと思います。
気をつけないといけないのは、素人の方でも変にこの領域に興味の有る方、この領域を中途半端に勉強された方が釜をさわり続けるというのは余りお勧め出来ません。
・・・というのは、先ず第一に、釜を焚く者には、最低でも初期段階でその者に正統な神霊が入っていないと何ら意味が有りません。
釜が鳴ったとしても人間なんか何も出来ません。
鳴釜神事において人間が出来る事は蒸篭に米を入れる事だけです。
素人の方、素人に近いこの領域の方の釜は、ただ鳴ってるだけです。
一本調子に鳴っているだけです。
しかしそれは遊びですので、それで良いと思います。
問題は、釜を焚く者に正統な神霊が入っていない、変にこの領域に興味がある素人の方、この領域を中途半端に勉強された方の焚く釜は、釜を焚く方に様々な影響が出る事が有ります。
上記した方々は、変にこの領域との道が付いてしまっている、通じてしまっている事が往々にあって、それが正当な世界と通じていれば良いのですが、中々その様な方は少ない様に思います。
私達が鳴釜の準備をしている時、低級霊が遠くから興味深そうに覗いているのはよく有る事です。
低級霊は鳴釜が大好きです。
正統な神霊が身体に入っていない、変にこの領域が好きな方、この領域を中途半端に勉強された方などは低級霊を受け入れてしまう方も居られます。
その様な方のその後は書きません。
やはりこの神事に関わらない方が賢明な選択だと思います。
私は鳴釜神事を行う者には、先ず、正統な神霊がその方の身体に入っているというのが最低条件になると思っています。
つい先日、京都での祈祷が終わった後、もう一か所、一つだけ釜を焚かせて頂いた所があります。
10年以上前からの知り合いで、私のホームページにも書かせて頂いた事が有る所ですが、この家の今年31歳になる息子さんには10年以上前から少し色が付いた地神様(水神様)が付いています。
この息子さんは小さい頃から普通の人が見えないものが見えたり、感じたりしていたそうです。
この息子さんのお母さんも霊媒体質で、マンションには実家の土地に居られた地神様を祀っています。
以前、お母さんの実家で祈祷をした時、偶々帰省されていた息子さんが出席された時にも、息子さんの左腕に息子さんに付く地神様が姿を見せました。
前々から、この地神様は息子さんと一緒に人助けをしたいというのは聞いていましたが、まだ若く、社会的にも一人前ではないので、もう少し待ってくれる様に頼んでいました。
そして今回も、やはり息子さんと人助けがしたいと言って出て来られました。
この家の安泰と息子さんのこの先の所願成就を祈願して釜を焚きました。
その時、私はこの地神様に、「この息子さんとほんまに人助けがしたいのか?」、という事も声に出さずに聞いていました。
釜が鳴り終わると、「相撲の行司さんが持ってる団扇の様なもの(軍配)が二つ出て・・・黒い中にキラキラと金色の模様の様なものが有って・・・一つには赤の房と・・・もう一つには紫の房が付いてるわ・・・」、と妻が言いました。
「あ・・・息子さんと二人?で人助けの采配を振るいたいんやな・・・この巳さんは・・・」、と思いました。
私が観る限り、この巳神様は正当な神霊です。
確かに、この息子さんにはその資格は有ります。
釜を焚く資格が有るというだけで、後は何も有りません。
鳴釜の焚き方、手順などは30分程あれば頭に入りますので、こんなものは何も覚える必要は有りません。
声に出さずに、この息子さんに付いてる地神様に話しかけてみました。
「あんた・・・ほんまに○○○さんと釜を焚いて人助けがしたいのか?。まあ、あんたが居るから大丈夫やと思うが・・・、しかし○○○さん・・・、まだこれから結婚して、子供を育てて、社会的にも一人前にならなあかんし・・・、この人まだこの領域の基礎が全く出来てない・・・、あんたの祀り方も知らんわ・・・祝詞も上げられんわ・・・お経も上げられんわ・・・、そら、お経なんか下手でも結構や・・・ただお経や祝詞がこの人のものになって、この人の体に入るまで後何年かかると思とるんや?・・・、それと、まあ、この人はある程度の家庭内の苦労はしとると思うが、こんなもんではあかん・・・もっと辛い思いや経験をして来んと人の悩みなんか聞けたもんやない・・・占いみたいに、当った当った・・・と喜ぶ様な仕事ではないからな・・・、いや・・・其処をあんたがほんまに解って、早よこの人と釜を焚いて人助けをしたいと言うとるんかな?・・・と疑問が残るんや・・・私は」、と伝えました。
私の問いに対するこの方に付いてる地神様の返事は有りませんでした。
声に出さずに、
「それからや・・・あんた・・・、この人がやれると思ったら、修行をさすやろ?・・・そうやろ・・・、辛い修行をさすやろ・・・この人を病気にしたり・・・この人を職場で辛い思いをさせたり・・・ひょっとしたら、この人の将来の嫁さんを病気にしたり・・・ひょとしたら・・・私の様な嫁さんと縁を付けたりして、其処からいろんな事を学ばして行くやろ?・・・しかしや、それは普通の者は耐えられへんで・・・それは・・・、まあしかし、それも経験せんと辛い思いの人が助けを求めて来ても、こっちが病気知らずの健康そのもので、家庭も職場も満足な生活しとっては相手の気持ちも痛みも解らんやろし・・・、それとや・・・この人、そんな修業に付いて来られると思うか?・・・」、と聞いてみました。
この問いに、この方に付いてる地神様は何も言いませんでした。
声に出さずに、
「それとや・・・一番大事な事やが・・・、あんたはまだこの人の身体には入ってない・・・入られへん・・・この人に付いとるだけや・・・、そんな状態で釜焚いて・・・この人の身体を守れるか?・・・守れへんやろ・・・、巷でよう見るが、何にも解らんと、自分には神さんが付いてると錯覚して釜焚いて・・・人生を棒に振った者も在る・・・、この人も然りや、あんたと一体になれるまで・・・それだけを考えてアホみたいに修行すると思うか?・・・、お経や祝詞は下手でええねん・・・下手なりに自分のものにしたら良いが・・・この人にそれが出来ると思うか?・・・あんたがこの人に入って、この人とあんたが一体にならんと釜なんか焚かれへんと言うのはあんたが一番知っとるやろ?・・・」、と伝えました。
この方に付いてる地神様の返事は有りませんでした。
私の経験から、お経がこの人の体に入るまで最低10年はかかります。
私の経験から、この人の体にお経が入った時点で、この人に付いている地神様はこの方と一体になれると思います。
この段階に来て初めて、この人がいろんな対象に釜を焚いても、この人は神霊に守られて、また、神霊もこの人と一緒に祈願を成就させる事が出来ると思います。
釜を焚く者は不動明王様を祀らなければなりませんが、それは私が道を付けさせてもらうとして、仕事をしながら毎日、最低、一時間はこの神霊(地神様)と向き合いながら(祀りながら)、頭の中は一日中殆どこの神霊の事を考える生活を果たしてこの方が出来るのかというのは、やはり少し無理があるのではないのかと考えてしまいます。
この方に付いている地神様には、「兎に角、○○さんを守ってやってな・・・頼むな・・・」、と伝えて帰って来ました。
この男の方は釜を焚く資格だけは有るという事です。