この領域の仕事をさせてもらう事の難しさ
 ずっと拒否していたこの領域の仕事を本格的にし始めて今年で(H29年)で20年程になります。

 勿論、それまでの6〜7年間、美容室でもそれなりの事をして来てはいましたが、釜を持って本格的に外に出始めてからは20年程になります。

 その間、他のこの領域の方の修法などは参考にせず、殆ど全て、自分で編み出した方法でやって来ました。

 何故か地神様にも相談せず、それが一通りの形になって実際に祈祷時に行う様(使う様に)になっても、その修法の是非を地神様に問う事も無くやって来ました。

 それに対し、地神様は何も言った事は有りませんので、その様にやって来ました。

 途中、釜とは別に神道のある祈祷法を取り入れようとした時は反対されました。

 鳴釜だけて良いと言います。

 自分で言うのはおこがましいのですが、本当に濃い、釜焚きの20年間でした。

 いろんなケースの、殆どの相談にも、誰にも相談せず、自分で考えた方法で対処させて頂いて来ました。

 地神様にさえ、祈祷をお受けさせて頂く是非や、祈祷の段取り、終わった祈祷の是非を聞くようになったのは、そんなに前の話しではありません。

 私は今日まで68年間生きて来ましたが、社会生活上、この領域上、何か事を起こす時、迷った時、誰にも相談せずに此処まで来ました。

 私は人に相談したり、何かに頼ったりするという部分が欠落した人間だと思います。

 当然、その結果、普通の方よりは遠回りして、普通の方よりも目に見える形、目に見えない形の失敗や後悔が断然多かったと自負?しています。

 あの時、もっと人の意見を聞いておけば、あの時、もっと勉強しておけば、あの時、もっと・・・、あの時、もっと・・・、とは今になって思うことですが、実際、あの時の私はそんなに素直ではなかったので、もしあの時に戻る事が出来ても、多分人の意見は聞かないと思います。

 しかしこの頃、この領域上において、その相談に対し、この領域の方々がどの様な考えで、どの様な方法で、どの様な過程を踏んで行っておられるのかを知りたくなって来ました

 それは何も私が今までやって来た事を否定するのではなく、そして
他のこの領域の方々のやっておられる事をも決して否定するものでもなく、只単に、他のこの領域の方が、その相談に対し、どの様な考えで、どの様な方法で、どの様な過程を踏んで、また、相談者に対しては、どの様な考えで、どの様に接しておられるのか、という事を知りたくなって来ました。

 幸い、現在ではインターネットという便利なツールがありますので、早速検索して調べてみましたが、この領域に従事されてる方の膨大な数には驚きました。

 その膨大な数の中から、占い、霊感占いを除き、一応、20数件程のサイトを拝見させて頂きました。

 膨大な中の20数件程の数ですので、勿論、それだけで判断は出来ませんが、先ず、私が知りたかった、
「この領域の方が、その相談に対し、どの様な考えで、どの様な方法で、どの様な過程を踏んで行っておられるのか。また、相談者に対しては、どの様な考えで、どの様に接しておられるのか」、という事を書いておられる方は居られませんでした。

 その中でも、
特に私が知りたかった事は、「この領域の方が、相談されて来られる方に対し、どの様な考えで、どの様に接しておられるのか」、という事を知りたかったのですが、その事に関しても、書いておられる方は居られませんでした。

 殆どの方は私の知りたかった事を省かれて
御自分が行われた一番最後の結果、成果だけを書いておられる方が多い様に思いました

 皆さん、大変立派な神霊に守られた、大変な修行を積まれた力の有る方と観ました。

 しかしその中にも、私から観て、この領域の詳しい知識や論理を書いておられる方も居られましたが、何故か、それを実際の場で、実際に実践されている様子はありませんでした。

 この様な方ほど、実際の現場で、御自分の知識や論理を実践、試されたらなおさら良いと思うのですが、何故かされない。

 惜しいものです。

 もったいないと思います。

 やはり、私は、この先も
私の編み出した方法で、私の考えでやり通すしか方法はないと思いました。

 私には、「ひみつのアッコちゃんのコンパクト」や「魔法使いサリーのステッキ」や呪文など、特殊な能力の持ち合わせや引出しが有りませんので、やはり今まで通り、私のやり方、考え方で行くしかないと思いました。

 ・・・という事で、最近の相談と、つい先日行った祈祷の例から考えた事を書いてみたいと思います。

 @「ひとりごと・たまに・ふたりごと・・4、「某月、某日、(378)(379)」、に登載させて頂いた例ですが、この方は40歳前半の女性で、目に見えたり感じたりする不遇は17年前程から始まり、それが段々とひどくなり、一時期の数年は寝たきりの状態が続いたと言われますが、私から観ると高校生くらいの年齢からその影響を受けていたと思われます。

 勿論、今現在もこの領域からのお知らせは続いていますが、京都の伏見稲荷大社に参りかけてから大分体調が戻って来たと言わます。

 そして、インターネットで伏見稲荷大社の事を調べて行く過程で私の事を知り、、H29年11月24日の午後4時過ぎに私の所に連絡されて来られました。

 細部に渡った詳しい内容は書けませんが、この方からの連絡が来る1日前(H29年11月13日、午前11時頃霊視)の、「某月、某日、(378)」、にも登載させて頂きましたが、兎に角、重く、苦しく、本当の事を言うと、関わるのが嫌になる程の気持ちにならせる何かがあるものでした。



 そして、私達に入って来る念が余りにもひどいので、再度、その日の午後5時過ぎに霊視をしました。

 私の方の地神様の頭の周りが赤く染まっています。



 「某月、某日、(378)(379)」、にも書いていますが、この相談をされて来られた方と祈祷の縁が有れば対処をさせて頂くが、縁が無ければ、出来るだけ早く、言葉は悪いのですが、「縁を切りたい」、と思わせる程のきつさのものが作用していました。

 何故、「縁を切りたい」、と思ったのかというと、長年の感で、この方にこの領域を話しても通じない、その様な環境で育った、今もその様な環境に在る方と観ましたので、上記した絵から観るこの領域の障りをオブラートに包んだ表現で、この方を傷つけない様に説明して、それで終わりにしたいと思っていました。

 そうしないと其処から来る念だけが何時までも私の所に残り、私達の日常にも支障が出るからです。

 しかし連絡を取って見て分かったのですが、長年患っておられる割には冷静に御自分の事や周りの環境分析が出来る方と解りましたので相談を受けさせて頂きました。

 やはり、この方の家は社会的地位がある職業で、この領域とは無縁な、はっきり言えばこの領域を毛嫌いする様な環境で育った事が分かりました。

 この方が小学生の時、蛇が鳥籠に入って小鳥を食べ、出られなくなって首だけ出しているところをこの方のお父さんが蛇の頭をつぶして殺したと言われます。

 この鳥籠に入って殺された蛇は神霊がかった女の蛇と観ます

 その神霊がかった蛇の知らせを長年に渡りこの方が貰っていたと観ます。

 そして、何故、この方が伏見稲荷大社にお参りするようになってから体調が戻って来たかというのは、伏見稲荷大社の在る山は龍神信仰の山、伏見稲荷大社にお参りするというのはその殺された神霊がかった蛇の念を鎮めるという事に通じたと観ます。

 本来なら、この方の家で、この神霊がかった蛇を出して何らかの対処をすれば、この方の不調は改善すると思われますが、
この領域を信じない社会的地位のある家では到底無理がある様です。

 
解決方法が解っているのにそれが出来ないというのはやり切れない思いがします

 そして、
この領域には期限があるというのも気にかかります。

 私、「地神さん・・・、○○さんの家、○○やから、到底、この家に行かせてもらうのは無理や。だから・・・この家の殺された地神さんに私らが行かれないという事を伝えてください。行きたいが無理や。頼みます」、と伝えました。

 地神様はうなづいたが・・・
まだ今の段階で祈祷をすれば成果が出るものを出来ないという事に悔いが残りました

 日にちは忘れましたが、多分、この家に行かれない事を地神様に伝えたその晩だと記憶しています。

 明くる朝、起きて来た妻に言いました。

 「俺・・・、寝ていて・・・ずっとお経を上げてたわ・・・何やろ?・・・」と・・・。

 多分、私の方の地神様がこの家の殺生されて死んだ巳神様に対して、私にお経を上げさせていたのでしょう。

 
 Aつい先日行った祈祷の例です。

 関係の有る部分だけを書いてみたいと思います。

 男の方にこの様な言い方をするのはおかしいのですが、この家の主人は純粋な方です。

 最初にこの家に行かせて頂いたのは6年前になります。

 私達が家に行くと、○○さんは用事が有ると言われて出て行かれました。

 この家には障害のある当時小学高学年の息子さんが在られましたが、初めて見る私達に突然、「○○さんは嘘つきだ」、と言いました。

 私達にしたら、この家の息子さんは普通の同学年の子供よりしっかりした子供さんだとその時は思いました。

 伏見稲荷様をお祀りされていますので、伏見稲荷様にこの家の安泰を祈願して釜を焚きました。

 息子さんは一人で下に居られましたので、この家の御主人と私達だけで祈祷を行いました。

 その後しばらくの間は、私の家からこの家の伏見稲荷様をお呼びすると御姿が出ていました。

 ある時、この家の伏見稲荷様が私達に、「こっち(伏見稲荷)は何もきろてないが(嫌ってないが)、向こうが(この家の○○さんが)がきろとる(嫌ってる)だけや・・・」、と言われた事があります。

 その後、この家の伏見稲荷様のお姿が段々と出なくなって来ました。

 その後、この家の息子さんが中学生になり、家で暴れる様になったので強制入院をさせたという知らせが何回か届きました。

 遠因は最初から解っていましたが、其処まではっきりと言うのも躊躇していた私達にも悔いがありました。

 そして去年の春、息子さんが強制入院している時に行かせて頂きました。

 行かせて頂く事に本当は躊躇していましたが、地神様が「行け」と言われるので行かせて頂きました。

 その時、この家の息子さんを守るという意味の小さな巳神様が現れましたが、「息子さんを守ってくれる巳様が居られますよ・・・」、という事だけをお伝えして帰って来ました。

 その後も息子さんが強制入院したという連絡は受けていました。

 そして今回、「ひとりごと・たまに・ふたりごと(380)」にも書きましたが、この家に行かせて頂きました。

 今回は、この家の息子さんの病気平癒に重きを置いた段取りを考えましたが、普通の表白では限度がありますので、伏見稲荷様に対しての感謝の言葉以外は喋り言葉で通そうと思いました。

 それと、もう時期的に限界を通り越しているもの(存在)に対し、そして、この家の息子さんの病状にも限界を感じたのと、それと、もうこの家もそれに気がつかないといけない限界に来ていると観ましたので、一つの釜をこの事だけに使おうと思いました。

 関係のある部分だけを簡単に書いて行きます。

 この家は大分前に奥さん方の親戚が建てたもので、其処にこの夫婦が住み、後に息子さんが生まれました。

 昔、この家を建てるに当たり、当然、何らかの形の地鎮祭はされたはずです。

 多分、形だけの地鎮祭だったと観ます。

 「昔からこの地に居る神霊・・・地神さん・・・お姿を見せてください」、と伝えると、「真っ赤な胴体で・・・
頭の無い長いものが出て来たわ・・・」、と妻が言いました。

 この真っ赤な色のものはこの土地の地神様と観ました。

 以前に出て来た小さな巳神様との関係を私の方の地神様に聞いたのですが、何も教えてはくれませんでした。

 兎に角、この
頭の無い、赤い胴体の地神様に詫びの釜を焚きました

 私の予感では、釜が鳴ると真っ赤な巳神は白くなり、その巳神の頭部も出ると思っていました

 釜が鳴り終わって、「どや?。巳さん・・・白くなって頭も出たか?」、と妻に聞いたのですが、「頭なんか出てないわ・・・、釜がなったら、真っ赤な巳さん?・・・、釜の中に頭を突っ込んでしまったわ・・・それで・・・こんな事言うて良いんやろか・・・、私の頭が変なんやろか・・・、目・・・だけが釜の前に出てるわ・・・」、と妻が言いました。

 (絵は、目が釜に引っ付いた様に書いていますが、本当はもっと離れて前方に出ています)



 この目を、真っ赤な体の巳神と観て、いろいろ聞いてみました。(関係の有るやり取りだけを書きます)

 「あんた・・・此処の地神さんか?」、と聞くと、「目を閉じたわ・・・」、と妻が言いました。

 「あんた・・・この家を建てる時・・・やられたんか?」、と聞くと、「目を閉じたわ・・・」、と妻が言いました。

 「あんた・・・此処の息子さん、頭に障害があるが・・・、あんた・・・自分が頭をやられたので・・・此処の息子さんの頭をやったんか・・・」、と聞くと、「目を閉じたわ・・・」、と妻が言いました。

 この後も、いろんな事を聞きましたが殆どの部分を省きます。

 要するに、昔、この家の親戚が家を建てる時に神霊の蛇の頭がつぶれる様な事をしたと観ます。

 当然、地鎮祭の様な事はされたはずですが、その地鎮祭を行った者の力不足でこの神霊にそれが通じず、工事の過程で、この蛇の頭がつぶれる様な事になったのか、そうであれば、当時のこの神霊は生神様だったのか。又、最初から、この神霊の頭をつぶす様な意図を持って地鎮祭を行ったのか、そうであれば、その当時からこの神霊は生神様ではない存在だったのか否か、それは解りません。

 どちらにしてもこの家が建つ土地の地神様の頭がつぶれている事と、この家の息子さんに頭の障害があるという事が結びつきます

 この地神様には、この家の庭にお酒を置いて祀る事を伝えて納得して頂きました。

 この家の場合も然り、経験上、時期的にもっと前、出来れば一番最初の段階でこの様な深い事情があるというのが解っていれば、そして最初からこの事情に対して何らかの対処をしていたら今の様な状況にはなっていなかったと思われますが、それは今になって言える事で、私の方の地神様にしても
最初から深い事情を見せてくれていたら、恐らく、この家には行かれなかったと思います。

 
私達を呼ぶという事で家がもめた事を知っていますので、地神様にしても、一番最初にこの様な深い事情を見せて、それを私がこの家の方に話していれば、先ず、この家には行っていなかった、行かれなかった、私達を拒否されたと思います

 私にしてもその様な事情を知っていましたので、何回もお断りした事を覚えています。

 それとこの家は、他にも根本的に正さなければいけないものが、それは沢山ありましたので今の時期になってしまいましたが、
今の時期にならないといけないものが有ったのでしょう。

 
今の状態、今の時期になって、初めてこの流れになる様になっていたのでしょう

 その様になっていたのでしょう。


 B 
根本的な事が解っていてもそれが言えない。それを言えば解決どころか、大変な事になるという場合もあります

 ホームページの所々にも書いていますが、
何も本当の事を言えば良いというものではなく、本当の事を言えば余計にややこしくなる例も沢山あります

 事情により上辺だけを書きます。(つい先日の霊視と祈祷、それに関連する以前の霊視を書いています)

 つい先日、「○○家の地神さん・・・、そしたら
私がこの家の方に本当の事を言いましょうか?」、と尋ねたら、その返事はありませんでした。

 「そらそうやろ・・・」、と思いました。

 「しかし・・・この神さんも人間的やな・・・其処らは・・・よう解っとるな・・・」、と思いました。

 私の方の地神様も頭を横に振っていました。

 「そらそうやろな・・・」、と思いました。

 以前の霊視では何かが土の中から出て来ているのが見えます。

 このものを掴んで引き上げると、小さな人型が土の中からつながって出て来ました。

 生霊と観ました。

 死霊も含んでいると観ました。(土の中から出て来る場面というのは、何も生霊や死霊が土の中に居るという事ではなく、私の方の地神様が見せる形の一つとして取ってもらえたらと思います。深い理由があるという事です)



 漫画の様な人の形です。(この形を取って出て来る事はよく有る事です)

 その家の方も、目の前に沢山の人の顔が出て来た事があると言われていました。

 野狐になった念もあるはずと聞くと、耳の尖った男の人が出て来ました。

 この様な念のひどい場合、チカチカチカチカ・・・と光る場合も有ります。

 今回、家の外でもバリバリバリバリ・・・と音が鳴ったと言われます。

 生霊と死霊とが混ざった形ですが、生霊を飛ばしていた者が亡くなり死霊となり、それが私の○○指の付け根を刺して来ます。(どの指かは書きません)

 つい先日の相談時、「お前ら、○○・・・憎いか?。憎いなら光ってみ」、と伝えて手を叩くと、葡萄の房の様につながっていた念が三日月の様な形に集まって、「パッと光ったわ」、と妻が言いました。

 つい先日の霊視で、この家の地神さんがそれらの念を押し止めている様ですが、この地神さんにしても、何か?、怒っている様に思えます。

 この家の地神様はこの家の方を守っているのですが、何故か?、生霊と同じ様な怒りの念を此方に向けて来ます。

 今回、家の外でバリバリバリバリと音を鳴らしたのはこの家の地神様が鳴らしたと言います。

 「○○家の地神さん、あんた、その念を説き伏せる事が出来るやろ?」、と言うと、ペロッと舌を出しました。

 「そいで・・・私らが其処へ行った方がええのか?」、と聞いたら、ペロッと舌を出しました。

 「そいでや・・・、私らが其処へ行って釜焚いたらちいとま(少しの間)は落ち着く・・・、しかし、こんな事ばかりを繰り返しておれんから、あんたがその念を説き伏せてくれるか?、もうこれで最後になる様にしてくれるか?。根本的な事をせんとな・・・」、と伝えましたが返事はありませんでした。

 「今、家の地神さんがこの家の地神さんの所へ行ったわ・・・」、と妻が言いました。

 「この家の地神さん・・・うなづいたわ」、と妻が言いました。

 この方達が帰られたその夜中、下で、「ガチャン」、と大きな音が鳴ったと妻が言いました。

 明くる日、「首が腫れてしまってるわ・・・」、と言いながら起きて来ました。

 

 「何か?・・・、家の地神さんの前に白い三日月形のものが出て、α(アルファ)の様な形が出て・・・同じ様な形のものがブラブラ揺れてるわ・・・」、と妻が言いました。

 この形(αに似た形)は人霊と観ます。

 この人霊は首吊り自殺した方と観ます。

 それが死霊となって私の指を刺して来ていたと観ます。

 私に憎しみを持って刺して来ていたというより、自分の存在を示したかったのだと観ます。
 
 白い三日月型は巳(神霊)の念、それもこの家に恨みを持ったものです。

 他にも私の方にきつい知らせが入って来ていますが、その詳細は・・・、今回は書きません。

 「この前、○○さんの所を霊視した時壁が出て、○○家の御先祖様が出て来なかったけど・・・生霊が集まって三日月型の様なものになったのが広がったら同じ様な形になるわ・・・同じやわ・・・」、と妻が言いました。

 生霊と恨みを持った巳(神霊)の念が重なった形と観ます。

 この家の地神様がこの家に詫びを入れる様にと警告した形と観ました。

 この事で長年に渡り体調を壊されている方が居られるのですが気の毒な話です。

 以前の霊視で、この家の体調を壊している方を守ってやって欲しいと伝えると、頭に宝珠を乗せ、金色のひげが生えた巳神様が出て来ました。

 この家の地神様と観ましたが?・・・・。



 先日の霊視後、直ぐにこの家に行く事になったのですが、一つだけははっきりと話そうと思いました。

 それは以前、この家の誰か、この家の先祖の誰かが神霊がかった蛇を殺生しているという事です。

 今回の祈祷時にその事実は判明したのですが、それは謝る事で許してもらいました。

 コンクリートの塀の割れた隙間から小さな蛇が顔を出していたのですが、気持ちが悪いので、その部分をコンクリートでふさいでしまったと言われます。

 神霊がかった蛇はコンクリートの塀の中で死んだと観ます。

 しかし、大概、神霊は謝ったら許してくれます。

 
問題は本当の事を言えない、本当の事を言えばこの家が大騒ぎになる、何故、沢山の生霊や死霊がこの家に向かって集まって来ているのか、その件に関しては、祈祷時、私が声に出さずに生霊や死霊に対処(話す)するので、私の方の地神様とこの家の地神様とで対処して欲しいという事で話しをつけました。

 一つ目の釜は、何も知らずに、結果的には神霊がかった蛇を殺生した事になった巳神様に詫びを入れ、生霊や死霊には声に出さずに、詫びを入れて釜を焚きました。

 声に出さずに、いろいろと喋って謝りました。

 釜は大きな音で鳴ったのですが、そしてそれは殺生した蛇には届きましたが、生霊や死霊には届かなかったと観ました。

 釜が鳴っても何も見えなかったと妻が言いました。

 しかし、私の方の地神様はそれで良いと言いました。

 この後、この家の仏壇にお経を上げさせて頂きました。

 一つ目の釜の前にお経を上げても意味がないと解っていましたので、一つ目の釜の後でお経を上げさせて頂きました。

 御先祖様と観る光が出て来ました。

 体調を壊している方を守ってやってくださいと伝えると、光が強くなりました。

 二つ目の釜は、この家の地神様に、長年体調を崩されているこの家の方の病気の平癒を祈願して焚きました。

 釜は上下の有る波で、怒りをもろに出した鳴り方で始まりました。

 二つ目の釜の前に私の方の地神様には、「何も見せてくれなかったらこの家の方に説明が出来ないので、解る形で見せてください」、と頼んでいました。

 一つ目の釜では通じなかった、要するに詫びを入れたものに通じなかったものを二つ目の釜でも対峙していると観ました。

 上下の有る波が治まった時点で釜は鳴り終わりました。

 釜が鳴り出すと、向こうからスーッと綺麗な手が此方に向かって出て来たと妻が言いました。

 もう解った・・・、という意味と、此方を労わる様な意味とに取れる手だと妻が言いました。

 そして、音が鳴り終わった後で、釜の後ろの方に沢山の火の点いたローソクが出ていると妻が言いました。

 生霊、死霊の、「許してやる」、という意味と観ました。

 「もう解りました」、と私が言うまで、ローソクは出ていました。



 この後、この家の地神様には、声に出さず、いろいろと喋りました。

 この家の地神様は、もうこの家にはこの領域から来る障りは無いと言われましたが、私の方の地神様はそれに対しては軽くうなづく程度の反応しかしませんでした。

 私自身の思うことですが、この家のこの領域の障りは、普通、何処の家にでも有る程度になったと観ましたが、
もう消えた生霊や死霊が何故この家に向けられるようになったのかという事を何も言っていませんので、其処が歯がゆく感じます。

 しかし、
本当の事を言えば良いというそんな単純ものではありません

 この家の体調を壊している方は
この先治るのですが、この家の神霊にしてももどかしい思いで居られると思います。

 
私の方の地神様とこの家の地神様、そして私達ももどかしい思いで対処させて頂くしか方法はありませんでした

 
相談された方に取っては、本当の事を言わない私達に疑念を持たれるかも知れません。

 祈祷の前日、何故か・・・、イライラした感情を押さえ切れませんでしたが、今は身体の疲れだけが残っているのを感じます。

 *先日、この方達が私の所へ来られた理由は、体調を壊されている方の調子が急に悪くなったので来られたのですが、祈祷の日にちを決めて家に帰られたら体調は元に戻っていたと言われていました。

 祈祷の日も体調は良かったのですが、祈祷の明くる日の夜、体調が戻ったはずの方が急に悪くなったと言われて家に来られました。

 私の家の地神様はこの方らが来られる1時間ほど前、余り良い表情で居られなかった事を私達は見ています。

 早速、私の方の地神様の御姿を乞いましたが、全く姿を見せませんでした。

 昨日、大変良い状態で出られて、私達の全ての問いに答えてくださったこの家の地神様をお呼びしましたが、全くお姿が出ませんでした。

 体調を崩されている方は家を飛び出たのですが、それはこの領域とは無関係なこの家の事情から来ています。

 この家の地神様は家を飛び出た方に付いて守っていたのでその御姿が出なかったのですが、私の方の地神様はこの領域から来るものではないので御姿が出なかったと観ています。

 それと、私の方の地神様もこの家の地神様も、余り機嫌が良くなかったと思います。

 
主なこの領域から来るものが無くなった以上、現代医学の治療も受けられた方が良いと思います。

 
 C平成29年9月に祈祷をさせて頂きました。

 「ひとりごと・たまに・ふたりごと(某月・某日(368)」に登載させて頂いた所ですが、
この方には私の方から、その時期が来たら説明しますので、御主人の病気の治療を最優先にして、もう少し待ってくださいとお伝えさせて頂いています





 御主人が大手術をされて入院中に奥さんが相談に来られましたが、そして病院からもきつい宣告を受けていますので、私達にしてもうかつに相談をさせて頂くのはお断りさせて頂こうと思いましたが、私の方の地神様は、「行け」、と言いました。

 自営業も厳しい状況だと言われます。

 御主人の病気の障りを聞いてみると、上記したものが出ました。

 土地から障りですが、黒くグニャグニャしたものを鳥の足の様なものが押さえています。

 鳥の足の様なものの斜め上には光るものが見えます。

 鳥の羽根と観て、斜面に建つこの家の直ぐ上一帯の山の神霊と観ます。

 鳥→巳と言うよりは龍に近い存在と観ます。

 その存在が黒くグニャグニャしたものを押さえています。

 祈祷が終わり、兎に角、この家の敷地の何処でも良いので、コンクリートブロックの上にお酒を置いて、この家の土地の地神様に手を合わせてくださいとお伝えして帰って来ました。

 その後、直ぐに商売は順調になりました。

 そして、雨も降ってないのに敷地に水たまりが出来て水が引かないという連絡を受けました。



 水たまりを埋めると言われますので、その周りに日本酒を撒いて、水たまりを埋めない様に伝えました。

 この方は、家に祀っている地神様の御機嫌を問われますが、
時期が来たら説明させて頂きますのでもう少し待ってくださいとお伝えしています

 今、この家で
祀っている存在が何なのか、という事より、御主人の病気の回復を最優先にして、庭に祀る存在に手を合わせてくださいとお伝えしています

 いろんな意味で
庭に祀る存在とその元に深く勉強して欲しいとも思いましたので、今は黙っていようと思っています

 
本当の事を言えば事がややこしくなりかねません

 しかし、
年が明けて(平成30年)、その時期が来たら言わなければいけないと思っています

 兎に角今は、御主人の病気の回復が最優先だと思っています。

 

 *@で書かせて頂いた女性の所は、他に母方の女系の方から流れて来るものも多々有りますが、一番この方に影響を与えているこの領域の原因の元がはっきりとしていますので残念です。

 *Aで書かせて頂いた所は、遠回りしてやっと今の時点にたどり着いた事が残念です。

 *Bで書かせて頂いた所は、10年程前から体調を崩されていましたので、この領域の障りを無くしても少し時間がかかると思います。

 そして、現在医学の治療も受けられるべきだと思います。

 *Cで書かせて頂いた所は、病院から深刻な宣告をされていますが、普通なら先ず、「止めとけ」、というところを、「行け」、と地神様が言ったくらいですので、まだ私達が解っていない深い訳が有るのだと思います。

 私が解っている範囲でも、私達がこれまでやって来た解釈では例を見ないものですので、時期が来たら慎重に説明させて頂こうと思っています。

 
 *商売がらみを除けば、どんなに深く重い事情が有る場合でも、先ず、一回か二回の祈祷で事が落ち着くのですが、偶に時間がかかる所(家)もあります。

 それとその所(家)に、この領域を馬鹿にする様な方が居られる場合、特にそれが夫婦のどちらかにその様な方が居られる場合、祈祷で成就した事も長くは続かない様に思います。

 経験上、そう思います。

 
*今日まで数え切れない程の相談を受け、数え切れない程いろんな祈願の釜を焚いて来ましたが、私達の思う様なところに落ち着かない例も在るというのは、やはり私達の力不足も否めないと思っています


 
*「皆様の御相談において、私が出した答えが全てにおいて的を得ているというものではありませんので、他のこの領域の方の意見も聞かれて、慎重に判断される事をお願いいたします

 
*「あくまでも、皆様方からの全ての相談事にお答え出来るというものではありませんので御了承願います。(私の様な無料の所よりも、この領域を専業にされている有料の所へ相談されると直ぐに対処されると思いますので、是非、そうされる事を強くお勧めいたします)」

 私がホームページの表紙に登載している
上記のお知らせは私の本心ですので、難解な相談は私の様なパーマ屋上がりの様な者よりも、もっと修行を積まれた力の有る方に相談される事をお勧めします




 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
鳴釜神事の実際と考察