命婦専女神様の嘆き?
(「命婦専女神様の嘆き?」、については、都合上、文中、最後に登載しました)
 気持ちの良い祈祷に終わりました。

 この家は私と同業で、お父さんと息子さんが店をされています。

 この家に来させて頂くのは3回目になるのですが、長い年月、何か訳の解らない?ものを地神様として大事に祀っておられました。

 当然、家族の中で一番敏感な方にその影響は出ます。

 その訳の解らないもの?を撥遣して、新たに地神様を勧請させて頂きました。

 その後、伏見稲荷様(御札)もお祀りされました。

 当然、敏感な方の症状は落ち着いて来ます。
 
 店は順当な状況にあります。

 その後、息子さんが家を建てる事になり地鎮祭に行かせて頂きました。

 簡単に書きましたが、実は、妻は一番最初に行かせて頂いた時の記憶が全くありません。

 何処に行ったのか、何をしに行ったのか、全く覚えていません。

 妻が覚えているのは、2回目に行った地鎮祭の時の記憶だけです。

 その地鎮祭の時の記憶にしても、この家の主人の方の遠い親戚の自殺の霊を鎮めた後からのもので、どの様な状態で車に乗って来たのか等は、全く覚えていません。

 ・・・という事は、この領域から観ると、私達の様な者の仕事が2回目の祈祷時まで有ったという事です。

 新しい家も出来上がり、同時に息子さんも結婚して順調な状況にあったのですが、息子さんが運動の為に近くの山に登りかけてから否定的な事を言ったり、消極的な考え方になってしまったと連絡がありました。

 この家の地神様と伏見稲荷様をお呼びしましたが全くお姿が出ませんでした。

 連絡の有る少し前から、私の体に強く入って来る念がありました。

 私達を拒否する様な念ではないのですが、強く作用して来ます。

 その山には沢山の祠が在ると言われます。

 「あ・・・また縁が有ったら、道を付けさせてもらわなあかんな・・・」、と思いました。

 「このままだと・・・やっぱりあかんな・・・。行かせてもらわんとひどくなるな・・・」、と思いました。

 この家の方も、店も順調だし、息子さんも家を建って結婚もしたし、一度来て欲しいと思っていたところですと言われます。

 直ぐに祈祷の日にちを決めたのですが、その途端、私や妻の体に入って来る念は何も無くなりました。

 後で聞いたのですが、祈祷の日にちを決めた途端、息子さんの状態が普通に戻ったと言われます。

 この様な事は往々にしてある事で、私の所へメールをした途端、辛い体調が治ったと言わる方が沢山居られます。

 勿論、それは私達が知ってる方の事で、全く知らない方は・・・先ず、それは無いと思います。

 祈祷の日にちを決めた途端、私や妻の耳に、稲荷様特有の音が入って来る様になりました。

 音の種類から観て、正統な神霊から発するものだというのが解ります。

 家の地神様にしても、私が何も聞かないから言わないのか、何も気にするものではないので何も言わないのか、私にしても、行かないと事が落ち着く方に運ばないし、兎に角、祈祷前の気持ちとしては余り例の無い、緊張感の薄いものでした。

 祈祷の前日、

 私、「地神さん、○さんの祈祷やが・・・」、と言おうとすると・・・、

 妻、「地神さんの頭に斜め上に、紫色の藤の花が出てるわ・・・」、と言います。

 私、「あ・・・そういう事な・・・」、と思いました。



 私、「祓うものは何も無いが・・・と言うて、行かなかったら、埒(らち)が明かんな・・・やっぱり行かせてもらわんとあかんな・・・」、と変な思いになりました。

 祈祷の当日、加古川北から山陽道に乗って直ぐ、右の耳から綺麗な稲荷神の音が入って来ました。

 「お・・・待ってるな」、と思いました。

 祈祷は、先ず、御先祖様の供養をします。

 その後、釜を二つ焚く予定にしています。

 現地に着いて準備をしながら声に出さず、

 私、「地神さん・・・もう話は付いてるんやろ?」、と聞いてみました。

 妻、「うなづいとってやわ・・・こんなものが出て来たけど?・・・」、と言って絵に描きました。
@

 私、「やっぱり」。

 御先祖様の供養に入って、「正信偈」、の途中、やっぱり気になりますのでお経を止めて、声に出さずに、

 私、「地神さん・・・そいで、向こうとは(伏見稲荷大社と)ほんまに話が付いてるん?・・・この稲荷さんの件は?・・・」、と聞きました。

 妻、「うなづいてるけど・・・何?」、と言います。

 声に出して、

 私、「今・・・右耳からグワン〜?と入って来たな?・・・柔らかい塊みたいのが・・・」。

 妻、「右耳が鳴ってるわ・・・嫌な意味では無しに・・・」、と言います。

 「待ってるな・・・」、と思いました。

 御先祖様の供養が終わって釜に入ります。

 この家の地神様と伏見稲荷様のお姿はまだ出ません。

 一つ目の釜は、この家の息子さんを介してメッセージを送って来た存在に焚きます。

 私、「あんた、出て来てみ。この家の息子さんに助けを求めて付いたんやろ?。出てみ」。

 妻、「白い、普通の稲荷さんが出て来たわ・・・」、と言います。
A

 私、「白か?」。

 妻、「白」。

 私、「どんな感じや?。嫌な感じか?」。

 妻、「そんな感じはしない」。

 私、「あんた・・・まあ・・・正当な神霊やというのは解っとったが・・・何回も私や嫁さんの所に言うて来とったな・・・、そいでや、あんたも居場所が無いので・・・此処の息子さんを見て、ああこの家は真面目に神さん祀りをしてるので、何とかならんか?と思ってこの人に助けを求めたんか?」、と聞いてみました。

 妻、「うなづいてるわ・・・」。



 私、「そいでや・・・、あんた、どや?。伏見稲荷大社へ行くか?。話は付いてる様やから・・・家の神さんが付けたと言うから・・・どや?・・・伏見へ行くか?。そんな山に居ってもしょうがないやろ」、と伝えました。

 妻、「うなづいてるわ・・・」。

 私、「そいでや・・・、あんた一人か?、その山で・・・。もっと稲荷さんが居るんなら皆連れて来てみ。皆で伏見へ行ったらええと思うが・・・」。

 妻、「首を振ってるわ・・・」。

 私、「あんた一人か?、その山で」。

 妻、「そうらしいわ・・・」、と言います。

 私、「そうか・・・一人か?・・・。解った。ほな、釜焚くから伏見へ行きよ・・・」、と伝えました。

 釜は・・・やっぱり、それ相応な鳴り方をしました。

 上下の波の短い鳴り方が続いて、パッと波が無くなり、平らな?鳴り方に達しました。

 私、「お・・・行ったな」、と思いました。

 すんなりした?鳴り方かな・・・と思いましたが、やはり、今のままでは?、伏見も受け入れてはくれなかったのでしょう。

 私、「どやった?」、と聞いてみました。

 妻、「いや・・・別に・・・、釜が鳴り出したら、釜から上にす〜っと光が上がって・・・瞬時に稲荷さんが消えたけど・・・」、と言います。
B

 私、「そうか・・・」。

 まあ、今回の筋書き?はこうなる様になっていたのでしょう。

 私達にしても、何の苦労も無く、一つの仕事が終わってしまいました。

 ですから、私にしても、何をしにこの家に行くんのかな?、とは思いましたが、やはり、「釜」の力が絶対必要だったのでしょう。

 この伏見稲荷大社へ行った稲荷様にしても、誰か、この様な道を付けてくれる人間が山に来るのを待っていたのでしょう。

 其処へ、この家の息子さんが運よく山に来たので、この人に頼ろう、道を付けてもらおうと思ったのだと思います。

 もっと上?から観ると、何年も前から、この筋書きが出来ていたのかも知れません。

 そう観る方が合っているのかも知れません。

 尚、この稲荷神は伏見系ではないと思います。

 二つ目の釜に入ります。

 その前に、何故、この家の伏見稲荷様や地神様のお姿が出なかったのかというと、それは普通にこの家の稲荷様や地神様のお姿が出ていると、多分、私達は其処へ行かなかったからだと思います。

 この家の伏見稲荷様や地神様には事が落ち着く様に伝えて、それだけで終わりにしていたと思います。

 しかし、それでは埒(らち)が明かないので、この家の稲荷様と地神様は隠れていたものと観ます。

 案の定、二つ目の釜の前にお呼びすると、この家の伏見稲荷様のお姿が出て来ました。

 妻、「・・・あ・・・大きく、綺麗になっているわ・・・すらっとした稲荷さん」、と言います。

 良くお祀りされているのが解ります。

 その後、この家の地神様をお呼びしましたが、中々お姿が出ません。

 妻、「居るけど・・・出ない・・・。・・・何かに隠れて、顔だけ出しているわ・・・」、と言います。

 直ぐに理由が解りました。

 声に出さず、

 私、「地神さん・・・、原因は此処のご主人ですね?」、と尋ねました。

 妻、「うなづいとってやわ・・・」、と言います。

 家の方に聞いたのですが、ご主人は神様の前で手を合わすが、心底信用していないと思います、と言われます。

 要するに、この家の地神様はご主人の心の奥で考えている事が嫌いだという事です。

 二つ目の釜は普通の音で鳴りました。

 釜が鳴り終わってこの家の地神様を呼ぶと、

 妻、「丸い形の外に、一体、出て来たわ・・・」、と言います。

 巳神は、己が嫌いな人や物が近くに来た時、この丸の中に入ります。

 丸の中へ逃げるのです。



 まあ・・・そんなに珍しい事ではありません。

 この家の伏見稲荷様のお姿はしっかりと出て、此方の問いにもしっかりと答えてくれるのですが、一体だけです。

 この稲荷様は女の稲荷様です。

 後ろには男の稲荷様が居るのですが出て来ません。

 それは何故か、どういう意味が有るのかというのは、この家は、神様に対し、真摯に向き合っているのはこの家の奥さんと息子さんで、ご主人はそうではないという事です。

 これが、ご主人も神様に対し、真摯に向き合う様になると男の稲荷様のお姿が出て来ます。

 しかし、この家の女の伏見稲荷様は此方の質問によく答えてくださいました。

 商売のこの先も守ると言ってくださいました。

 有り難い事です。

 気持ちの良い祈祷でした。

           
                        
命婦専女神様の嘆き?


 
 上記した祈祷が終わりお茶を一杯頂いていると、この家の奥さんが、「伏見稲荷は駄目になると思います。神社の人は解ってないのかな・・・。昔の様な神聖さが感じられないし・・・人も多過ぎて・・・屋台の焼き肉の臭いがひどくて・・・もう余り行きたくない・・・」、と言われます。

 そしてこの家の奥さんが
白狐社の事を話し始められて、私が命婦専女神様の事を思った途端、私の胸を「トン」、と叩くものがあります

 私、「あっ、そうか・・・聞いておられたのか・・・」、と思いました。

 「ちょっと、何も考えずに目を瞑ってか・・・」、と妻に伝えて・・・、声に出さず、

 私、「今、
私の胸を叩かれた方・・・命婦専女神様と観ます。どうかお姿をお見せください」、とお伝えしました。

 声に出して、

 私、「何か出るか?・・・。何が見える?・・・」、と聞きました。

 妻、「・・・???、
白〜い、女の人の合わせた手が出て来たわ・・・」、と言います。

 妻、「
綺麗な手やわ・・・」、と言います。

 妻、「
割とすら〜っとした手やわ・・・」、と言います。

 私、「その手はこっちを向いて合わせているんやな?」。

 妻、「そう、
こっちに向かって合わせた手やわ」、と言います。

 「あ・・・聞いておられたんやな・・・今の話を・・・」、と思いました。

 
命婦専女神様の、「その通り」、という嘆きの御言葉と取りました



 私の方の地神様は、それを普通の顔で見ています。

 直ぐにその手は消えました

 この家の奥さんが言われる様に、最近の京都伏見稲荷大社の雰囲気は、私の知っている以前のそれと比べれば、そしてまた、ここ2〜3回、白狐社の前に立っても、以前の様にサッと命婦専女神様の御姿が出ないところを観ると、何かが変わって来ていると言わざるを得ません。

 しかしそれは、其処に働く人間の質が起因していると思います。

 清々しく感じる神社と、見ただけで一歩も境内の中に入れない神社が在ります。

 果たして其処に御神霊様が居られるのか、疑わしい所も多々在ります。

 神社はある意味、怖い所だと思います。

 
 *本当に余分な事ですが、大分前、家の地神さんに、「地神さん・・・、僕が頭の中で考えている事は・・・祈祷時の声に出さずにしているやり取りは別として・・・、しょうもない事も含めて、全て解ってるのですか?」、と尋ねた事が有りましたが、その時の答えは、「ノー」でした。

 しかし・・・何か?・・・全て解ってる節があります。

 今回の命婦専女神様の件にしても然り・・・頭の中で思っただけで通じているのかと思うと・・・確かに、いい加減な事は考えられない・・・思えない・・・何か?、窮屈なものを感じます。

 せめて、頭の中だけでも・・・自分勝手な世界を創って・・・自分勝手な世界を展開しても良いと思うのですが・・・。

 あかんのか・・・。

 けったいな事になってしまいました。

 しょうもない事も思えんのか・・・。

 *帰り道、嫁さんがしょうもない事を言いました。

 妻、「命婦専女神様・・・稲荷さんやから「チンチン」して出て来るんかと思った・・・」。

 私、「うんな訳ないやろ・・・」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
鳴釜神事の実際と考察